アメリアのいるスタジオに移動した2人は、そこでアメリアの仕事が終わるまで、きっちりと警備をした。子供を連れたアタッカーということで、スタッフにはあまりいい目では見られていなかったが、ティナはそんなことは特に気にしていなかった。ジョンを引き取った時点で彼女は気づいていたことだし、この少年が自分や他人が思うほどに使えない素材でないことにも気づいていたからだ。磨けば光るだろう。
 ただ残念なことに、ティナは高ランクのアタッカーではあるが、教官ではない。ジョンをどのように教育すれば一流のアタッカーにすることができるかはよくわからなかったし、仮にそれがわかったとしても、全力を尽くすだけの気がなかった。
 収録を終えたアメリアが玄関ホールに来るのを待ちながら、ティナは喫煙所でアロマ・シガーに火をつけた。アロマ・シガーは普通のたばこと違い、健康を促進する品で、ティナは数年前から時々吸っている。
 煙が天井の空気清浄機に吸い込まれ、消えていく。時計を見れば、午後6時半。午後6時に終了したとして外に出たので、もう30分は経った計算になる。
「あの後は暇だったね。何もなかったし。代わりのガードマンが来るまで、ずっとこんな感じなのかなあ」
 ジョンが大きくのびをしながら、喫煙所のガラス越しにティナに声をかけた。
「事件が起きた方がおもしろい?」
「別にそういうわけじゃないよ」
「はは、だろうね」
 ティナは軽く笑う。そんな2人の待つロビーに、数人の撮影スタッフと一緒に、アメリアとジェームスが姿を見せた。2人の姿を見て、アロマ・シガーの火を消し、外に出る。
「待たせてすまなかったな。新しい衣装が届いたから、試着してみてたんだ」
 ジェームスはそう言いながら、ティナとジョンの方へ近づく。
「この後はどうすればいいんだっけ?」
 ティナはジェームスとアメリアの後に続き、外へ出る。
「これで撮影は終了だ。アメリアの自宅へ帰る。私はここで別れ、明朝にまた迎えに行くことになっている」
 玄関前に止まっているリムジンに荷物を積み込みながら、ジェームスが答えた。
「そこからは俺らがしっかりしてなきゃいけない、ってことだね」
「そういうことだ。頼んだぞ」
 ジョンの言葉に、ジェームスが応える。トランクを閉めると、ジェームスはネクタイを直した。
「それではまた明朝に」
 ジェームスがその場から立ち去り、後にはあわただしく帰っていく撮影スタッフの喧噪が残った。
「それじゃあ、いきますか」
 それまで一言も口を利かなかったアメリアが声をかけた。リムジンに乗り、シートに座る。ティナとジョンも後に続いてリムジンに乗った。アメリアはだいぶ疲れている様子で、シートに座り込みため息をつく。
「お疲れさま。女優さんって大変なんだね」
 ジョンが軽い口調で声をかける。
「ええ、どうも」
 少し微笑んで答えるアメリア。精神的なストレスも大きいらしい。それが今回の事件のせいだけかと言うと、わからないが。
 アンドロイドが車を始動させる。少し震えた後、リムジンは宙に浮いていた。
「そうだ。もう仕事ないんだし、どこかに夕飯を食べに行こうか」
 ティナの言葉に、アメリアは横に首を振る。
「ん、そりゃそうか。外出は避けた方がいいね」
 リラックスした姿勢で座りながら、ティナが言う。
 しばらく、車の中に沈黙が訪れた。聞こえるのは、外を別のエア・フライヤーがすれ違うときの音や、街の喧噪だけだ。特に誰が何を言うでもなく、時間が過ぎていく。
「あの…お2人はどうして知り合ったんです?」
 唐突にアメリアが口を開く。
「どうしてそんなことを聞くの?」
 ジョンが少し驚いたように聞き直す。
「いえ、どうして一緒にいるのか、少し気になって。ご家族ですか?」
 軽く微笑むアメリア。仕事が終わったということで緊張がほぐれてきたのか、先ほどの笑顔に比べて自然になっている。
「んー。話せば長いんだけどね。こいつが巻き込まれた事件の解決をしたのがあたしで、こいつはそのときに惚れてついてきたのさ」
 ティナがいかにも笑い話でもするような口調で話す。最後の「惚れて」という言葉を聞き、ジョンは思わず毛を逆立てた。
「いや、惚れたわけじゃ…俺はアタッカーになろうと思って、強い人の元で学ぼうと思って…」
「まあ、そういうことにしといてあげるよ」
「なにがそういうことにしといてあげる、さ。適当なことばっかり言って」
「ごめんごめん」
 2人のやりとりを見ていたアメリアが、くすくすと笑い出す。
「フィウスさんとアレッド君、仲のいい兄弟みたいですね」
「ティナでいいよ。こいつもジョンって呼んであげて。今日2度目だよ、それを言われたの」
 ティナもアメリアを見て微笑み返した。ジョンは苦い顔をして、ポケットから出したガムを噛みはじめた。
「私は兄弟はいないので、ちょっとうらやましいです」
 にこにこ微笑みながらアメリアが言う。
「こんな弟でいいならいくらでも貸すよ。歌の歌い方の一つでも教えてやって」
「ひどいな。俺、物扱い?」
 ジョンが憮然とした顔でシートに沈みこみ、アメリアがおかしそうに笑う。こうしてみる彼女の笑顔は本当に美しい。ティナも豹アクラーではあるが、ティナの笑う顔には野性味が残っている。女性として美しいアメリアとは上手く比べられない。
「もうすぐ家につきますよ。今日は他のボディガードがいないので、私たちだけです。護衛、よろしくお願いします」
 アメリアが丁寧に頭を下げる。
「あれ、いないの?」
 自宅ががっちりガードされていると思っていたティナが驚いた声を上げる。
「ええ、今日は補填されてないんです。あなたたちだけですね。頼りにしています」
 アメリアの答えを聞きながら、ティナは少しの間に、夜中にたっぷり仕事をしなければいけないことに気がついた。
「了解。給料分、きっちり仕事するから、安心してちょうだい」
 少し疲れた顔で、ティナが答えた。窓の外には、アドラシスコ郊外のベッドタウンが見える。後ろを見れば、街が遠く、夕日を浴びてきらきらと輝いている。こうして外側から街を見る限り、どことも変わらない中級都市に見える。ニューヨークやサンフランシスコに比べれば見劣りするだろうが、アドラシスコは立派な都市だ。鳥瞰図や写真を見るたびに、ティナは誇らしげな気分になる。そして、この街を守ることが出来る一人になっていることにも。
 リムジンがゆっくりと一軒の家の屋上に降りていく。屋上はヘリポートのようになっており、すぐ横にガレージがついている。家は大きく、一人で住むには不釣り合いだ。
「つきました。どうぞ」
 エンジンが止まったことを確認し、外に出るアメリア。外は都市部と違い、さわやかで涼しい風がながれている。
「おっきい家だねえ。すごいや」
 リムジンから降りたジョンがため息をついた。ティナも外に出て、あたりを見回す。パイロットのアンドロイドが荷物をトランクから出し、持ち上げた。見た目はスーツを着た普通のヒューマンの女性なのに、人間では持てないような量を軽々と持ち上げるところを見ると、機械の体であることがすぐわかる。
 アメリアは鍵を取り出し、家の中に入る階段の扉を開けた。階段は大きな吹き抜けになっており、家が2階建ての構造になっているのがよく見える。
 階段を下り、2階の廊下へ出て、突き当たりの部屋に入る。そこはベッドが二つとクローゼット、座り心地のよさそうな大きなイス、洗面台などがある部屋だった。ベッドの横にあるナイトテーブルにはカップやティーパックが、クローゼット横のチェストにはテレビやポットが置かれている。整然とした室内は一見、ホテルの一室のようにも見える。アメリアは壁のスイッチを入れ、明かりをつける。同時に、エアコンが入ったらしく、天井から低い音が漏れた。
「ここがお客様の滞在室です。元は、バンドメンバーが泊まれるように作った部屋なんですけどね。狭くてごめんなさい。お客様の荷物はここに。私の荷物はいつもの通りに」
 アンドロイドが命じられた通りにティナとジョンの荷物を置く。
「それでは、荷物をおいたら、自動車を格納しておきます。電源を切りますので、ご用がありましたら、起動してください。失礼します」
 丁寧な挨拶をした後、アンドロイドは荷物を持って一階に下りていった。
「悪いね。部屋まで用意してもらって。メイドやハウスキーパーはいるの?」
「いえ。今のアンドロイド一機だけです。名をサーナと言います」
 部屋の明かりを消して、3人は外へ出た。廊下を見るだけでもドアが4つ見える。家自体が相当な大きさであることがわかる。
「ということは、今の子が家事も?」
 アメリアの後について、階段を下りながら、ジョンが聞く。
「洗濯や掃除などは任せますけど、料理などは私がやってますよ。美味しいのを作ってごちそうしますね」
 にこにこと微笑みながら、アメリアはキッチンに行き、電気をつけた。かなりキッチンは広く、様々な調理器具がそろっている。キッチンとダイニングにも冷房が入っていたらしく、部屋の中はひんやりとしていた。
「今から料理しますので、しばらく待っていただけますか?」
 アメリアは置いてある調理具の中から、包丁とまな板を出す。
「あたしも手伝うよ。料理は嫌いじゃないし、雇われなのにお客様として扱われると、困っちゃうしね」
 ティナが隣に立ち、水を出して手を洗う。手の甲の毛が水を吸い、ぺったりと寝込んだ。
「俺も手伝おうか?」
「キッチンに3人はいらないさ。ジョン、悪いけど、装備と道具の整理やっといてくれない?」
 ティナがちらりと後ろを見て、顎をしゃくってみせる。その仕草を見て、ジョンは自分がこの場にいない方がいいということを感づいた。2人きりで聞きたいことがあるから、とアメリアに見えないように、ティナが声を出さずに言って見せた。
「どうまとめておけばいい?」
「武器をひとまとめ、衣服に洗面用具をひとまとめ。たぶんそれぐらいしか入ってないと思うから。汚さないように気をつけてね」
「わかった。やっとくよ」
 ジョンが階段を上り、扉に入る音が聞こえる。その場にはティナとアメリアのみが残された。
「いいんですか?一人にさせちゃって」
 冷蔵庫のタッチパネルを叩き、中に入っている食材を確認しながら、アメリアが聞く。
「特に心配する事もないよ」
「でも、衣服も持ってきてるんでしょう?下着とか…」
 そこまで言って、アメリアは言葉を濁した。顔に恥ずかしそうな色がさっと入る。
「ああ、そういうこと。そこまで分別のない男でもないさ。そうじゃなきゃ一緒に住んでないよ」
 男という言葉を言って、ティナは自分で違和感を感じた。あの年齢だと、子供だとか、少年という言葉を使用した方がよかったのではないかと、ふっと感じる。
「一緒に住んでるんですか?」
 アメリアは驚いた様子で、ティナを見る。
「うん。いい男になるように、今鍛えてるところさ」
「へえ…ますます兄弟みたいですね。あ、このジャガイモ、剥いてください」
 アメリアの出したジャガイモを、ティナが手早く包丁で剥いていく。水で軽く濯ぎ、包丁の刃を当て、まるでリンゴでも剥くようにするすると一繋ぎの皮を作る。
「これだけ広い家だと、よく友人も来るんだろうね。さっき言ってた元バンド仲間とか」
 剥き終わったジャガイモを水洗いしながら、ティナがそれとなしに言う。
「最近は忙しくて、ほとんど誰も来てないです。バンドでベースしてた子とか、仲よかったんですけど、最近はメールくらいで」
 鍋に水を入れ、熱調理コンロの上に置きながら、アメリアが答える。ティナが剥いたジャガイモを鍋に入れ、フタを閉じて、コンロに火を入れる。
「ファンとかはこの家の場所を知ってるの?」
「いえ、公開してませんよ。あ、ミネストローネとステーキにするので、そのつもりで手伝ってください」
「ん、わかった」
 冷蔵庫からティナが材料を出す。肉、ベーコン、セロリ、ニンニク、スープストックにニンジン。それらを並べて、まな板の回りに置く。
「ティナさんやジョン君が来てくれるの、ちょっと嬉しかったんです。一人は寂しいですから」
「そう言ってもらえるとうれしいよ。歓迎されてる気がして」
 換気扇が回り、熱い空気が吸い込まれていく。しばらく2人は黙って、肉に切り目を入れたりニンニクを炒めたりしていたが、不意にアメリアが口を開いた。
「昔は私にも妹がいたんですけどね。あ、妹みたいな友達、かな」
「そうなんだ。今は?」
 ティナはアメリアの言葉を聞きながら、フライパンの上に肉を放り込んだ。景気のいい音を立てながら肉に焦げ色がついていく。
「今はもうその子はいません。つい半年前、事故で…」
「ん…聞いちゃいけないこと、だった?」
「いいえ。聞いて欲しいから言ったんです」
 茹であがったジャガイモを鍋から空け、電動マッシャーに入れるアメリア。つぶされたジャガイモが器に盛りつけられ、湯気を上げた。手を休めず、セロリやニンジンなどの野菜を切り、ニンニクを炒めた鍋に水と一緒に入れる。
「とてもいい子でしたよ。料理が上手で、話していると楽しくて。少し思いこみが激しいところもあったけれど…」
 声のトーンが落ち、黙り込む。アメリアの顔は悲しんでいる表情ではない。昔を懐かしんでいる顔だ。彼女にとってはきっと、いい思い出のまま、残っているのだろう。
「あたしも昔、相棒を亡くしたよ。死ぬということは、生きている人間とコンタクトを取れなくなることだと思ってる。同じ次元に一時的にいなくなるだけ。いつか死んで会うことになるんだから、同じ次元に行く前に、そいつの分まで生きて、生きた経験を土産に持っていくつもりさ」
 肉をひっくり返すティナ。裏も表もまんべんなく焼くと、フライパンの端に油が溜まった。
「あたしの場合、友達が支えてくれたよ。アメリアは、支えてくれる彼氏とかはいたの?」
 焼き上がった肉を皿に載せながら、それとなしに聞くティナ。
「いえ。そういう関係の人はいませんでした」
「んー、もったいない。男には興味ない?」
「まあ、そんなところです」
 棚から出したフランスパンをスライスし、オーブンに入れるアメリア。マーガリンを塗ることも忘れない。ぐつぐつ煮立つ鍋にスープストックを入れ、これは完成。食欲をそそる匂いがキッチンからダイニングまで流れ出す。
「ティナさん。唐突ですけど、ティナさんは怖くて怖くて、不安で仕方ないとき、どうしてます?」
 アメリアがおたまをスープの鍋に入れ、ティナの方を振り向いた。
「それって、危機が来るってわかってるとき?それとも、危機が来たとき?」
「どちらでも」
「んー…前者なら、怖くなくなるまで、今までの人生で自分が輝いてたときのことを思い出すんだ。そのうち、自分は死んではいけない人間だって思う。思いこむって言った方が正しいかな。そうすると、ガッツが、むかつくほど湧いてくる。それでも震えが収まらないときは、一発何かを殴りつける」
 空中で拳を振る真似をしてみせる。
「後者ならば?」
「何もしない。ただじっと待つ。危機から逃れるチャンスが来たとたん、体に電気が走る。逃げるか戦うか。どっちでもいい。助かるころには、スリルが快感になってる」
 肉の乗った皿にポテトを盛りながら、淡々と語るティナ。ちらとアメリアを見て、にやりと笑った。
「参考にならないかも。ごめんね」
「いえ、いいんです。ありがとう」
 オーブンからパンの焼ける香りが漂う。アメリアがオーブンを開けてのぞき込むと、狐色に焼けたパンが見えた。
「出来ました。ジョン君を呼んで、夕食にしましょう」


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