翌日、午前9時。指定されたぴったりの時刻に、ティナとジョンはセルジオの店の前で立っていた。朝の通勤ラッシュも収まり、街全体が動き始めている時刻だ。通りを歩く人も少ない。太陽はこれでもかと言わんばかりに熱波を地表に流し込む。ティナの横には大きめのボストンバッグがひとつ置いてあり、ジョンの背中にはリュックサックが背負われていた。2人とも、昨日と同じようなラフな姿だが、ジョンはセルジオに言われたとおり、上着を着ている。Tシャツがティナのものらしく、かなりぶかぶかしていた。
と、2人の目の前にエア・フライヤータイプのリムジンが降り立った。風が少し起き、埃が舞い上がる。
「待たせたかね、すまない。後部座席にのってくれ」
中から出てきたのはジェームスだった。言われるままに後ろに乗り込むティナとジョン。車内にはジェームスとアメリアの他に、女性型アンドロイドらしい運転手が乗っている。ヒューマンの女性、それも美人の姿だが、動きには人間のようなスムーズさが足りない。アンドロイドが荷物をトランクに放り込み、リムジンを発進させた。
「すごい…リムジンに乗ったのなんか初めてだよ…」
ジョンがため息をついて周りを見る。さながらお屋敷の一室のような豪華さだ。冷蔵庫やテーブルの他、揺れで皿がひっくり返ったりしないように磁力固定のスイッチまでがある。おいてある食器類ももちろん磁力対応だ。
イスは中央のテーブルを挟んで向き合うように配意されている。車内ではアメリアとジェームスが運転手側に座っていたので、2人は反対側に座った。
「これが今日のスケジュールだ。目を通しておいてくれ」
ジェームスは懐から2枚の髪を出した。これから20分ほど行ったところにあるスタジオで収録、それが夜まで続き、21時に帰宅、とある。
「12時間も?すごいヘビースケジュールね」
ティナはあきれたように言う。収録する作品は2つ。午前と午後で別のドラマの撮影をしなければならない。幸い、今日は屋外撮影がないらしく、スタジオからの移動は書き込まれていなかった。
「普通だよ。アメリアはもはや国民的アイドルだからな。あちこちから仕事が来て、大変なんだ。今回のことがなければ順風満帆だったんだが…」
アメリアのことを振り返るジェームス。アメリアは少ない移動時間で少しでも休もうと、寝息を立てている。どうやらだいぶ疲れているらしい。それが、脅迫によるものなのか、スケジュールによるものなのかはわからないが。
「今回のことがあってから、一人で外出もできなくてな。仕事が一段落ついたら、たっぷりと休みを取ってもらうこととするよ。精神的にも、少し参っているようだしな」
リムジンがビルの合間で停止する。前の道を、別のエア・フライヤーが通り抜けていった。
「そうそう、ティナ・フィウスという名前に聞き覚えがあったので調べてみたのだが、君は大学時代にうちの事務所からスカウトが行っていなかったかね?人違いなら済まない」
ジェームスが思い出したようにティナに言う。
「ああ、来たねえ。でもあいにくと演技は苦手でね。それに、女優に興味がないこともなかったけど、生活にスリルがないとだめなのさ」
「はあ…よくわからないが、それもまた人生のひとつだからな」
ティナの答えに、ジェームスはあきれたような顔をした。彼にしてみれば、女優になりたくてもなれない女性が多い中、その道を蹴るティナは奇異に見えるのだろう。
「しかし、人が多い街だな。私は外部から来たのだが、アドラシスコがこれほど大きい都市だとは思ってもいなかったよ」
「人口62万人の中小都市さ。他の都市に比べると、まだ小さい部類に入るでしょう。アメリカで初めてアタッカー制度を導入した都市だけあって、犯罪者は多いけどね」
ジェームスが感嘆したように言い、ティナがそれに答えた。窓の外で、エア・フライヤーがすれ違う。道路には数台のタクシーが人を待っている。
「うむ、アタッカーか。そういえば、アレッド君はどのような理由でアタッカーになろうと?危険な仕事だと私は思うんだが」
ジョンの方を向き直るジェームス。窓の外を覗いていたジョンは、顔を戻した。
「俺?俺は…」
ちょうどジョンが答えようとしたとき、後ろからエア・フライヤーが近づいた。運転手がバックカメラを見て、後続車をよけようとバンクを切る。だが、後ろのエア・フライヤーはぴったりと後ろにくっついて離れない。
「なんだ、不良ドライバーか?確かにあまりガラのいい街ではないようだが…」
ジェームスがティナの顔ごしに後ろを見て、顔をこわばらせた。振り返ったティナの目に入ったのは、ハンドガンを持ち、サングラスをかけた男が、運転席から身を乗り出しているシーンだった。まるで切り抜き写真のように、はっきりとその男はティナの目に映った。
「伏せろ!」
ティナは叫んで、アメリアの首元をつかんで引倒した。アメリアが起き、何事かと目をあける。ジェームスとジョンもティナの声を聞く前に、さっと座席に沈んでいた。
バアン!バアン!
やけに大きな銃声が響き、バックガラスに大きなヒビが入った。防弾ガラスが大きくゆがみ、煙を噴く。車体が大きく揺れる。
「逃亡します。なにかにつかまっていてください」
アンドロイドがあわてる様子もなく言い、スピードを上げた。空気が音を立て、ヒビの入った窓の、飛び散った破片がぱらぱらと落ちていく。
「て、ティナ、なにあれ?爆発したよ?」
ジョンはあわてながらも、脇の下に持っていた飛燕を取り出し、スライドを引いた。かしゃんと音がして、薬室に弾が入る。
「デトネーター弾さ。拳銃程度の弾頭で、それなりの威力を持って爆発するから、一世紀ほど前に流行った。エクスプローダー弾は破裂した破片で攻撃するけど、あれは爆発力で攻撃するんだ。グレネード弾に近い。今はあんな非効率な弾使うやついないと思ってたけどね」
鞄の中を漁り、ティナはサブマシンガンを取り出した。VR44サブマシンガン、通称オリオンだ。片手で扱える程度の大きさで、ティナはこの銃を長い間愛用している。オリオンにベルトをつけ、背中に背負う。
「ちょっといくよ、あとで回収お願い。ジョン、バックアップして」
「な…バックアップってなにするのさ?」
「後ろを向いて撃ちまくればいいのさ。銃を持つ腕はできるだけ出さないで。横に銃を寝かせて、銃口だけ出して撃ちなさい。他の交通やビルの迷惑にならないように、絶対に当てな。いいね?」
ドアを開け、フレームを掴む。後ろに下がり、反動で逆上がりをするように一気に昇る。どすんと重たい音が響き、ティナはエア・フライヤーの屋根の上に乗った。そうしている間に、リムジンはなんとか追跡者から逃げようと、ビルの谷間を急に曲がった。
「わっ!」
ティナが足を滑らせて転ぶ。かろうじて片手で屋根をつかみ、落ちるのは免れた。
バアン!
男のハンドガンがティナに向かって火を噴く。弾が、ついさっきまでティナの頭があった場所を通り、虚空へと飛び去った。
「女の顔を狙うなんてとんでもない外道だね」
独り言を言いながら、リムジンまでの距離を目測する。体重、風、速度、いろいろなものを計算に入れ、飛び移る算段を付ける。
「さーて、おいで。後少し」
片手を目の前に上げ、左右の角度を補正する。後少し近寄れば飛び移ることが出来そうだ。
パゥン!パゥン!パゥン!パゥン!
ジョンが身を乗り出し、男めがけて発砲する。銃弾が1発だけフロントガラスに当たり、ヒビが入った。
「き、君らは!なんて無茶なんだ!今警察を呼ぶから待つんだ!死ぬぞ!」
ジェームスの声を無視して、ティナは立ち上がった。後続車の男がティナに銃を向ける。
「ふっ!」
ティナは銃の射線から身をそらすようにジャンプした。リムジンが重量バランスを失い、少し上に浮き上がる。
ガンッ!
襲撃犯の乗るエア・フライヤーのボンネットにティナは降り立つ。男はティナを振り落とそうと車体を揺らすが、ティナは振り下ろされないように屋根まで昇った。
「あ、フィウスさん!」
アメリアが黄色い声を上げる。ティナの着ている夏用ジャケットが風を受けてばたばたと音を立てる。
ガガガガガガガガガ!
足下の、襲撃犯の乗るエア・フライヤーに、ティナはありったけの弾を撃ち込んだ。屋根に穴があき、銃から煙が吹き出す。薬莢がばらばらと落ちていく。
「こ、の!」
ガッ!
穴の開いた天井を蹴り落とし、ティナは中に転がりこんだ。懐から抜いたマッドキャットを男に向けてH.Mライセンスを見せる。
「アタッカーよ。運が悪かったね。ゆっくりと車をおろしてもらおうかしら」
男は後ろを向いてサングラスを取る。そこにあったのは、人間の目ではなく、アンドロイドのアイ・カメラだった。
「な…人間じゃない!」
アンドロイドがティナの頭に銃を向ける。
バアン!
銃の引き金を引くより早く、ティナはアンドロイドの腕を顔からそらした。後ろのガラスが割れて吹き飛ぶ。
「この!」
ドン!ドン!ドン!
ティナは拳銃弾をアンドロイドの頭に立て続けに3発打ち込んだ。内部で回路がショートする音がして、アンドロイドは動かなくなった。
「危ない危ない…」
不安定な車内で前に滑り込むティナ。アンドロイドの死体を後部座席に放り投げ、エア・フライヤーを地上に降ろす。前を飛ぶリムジンも同じように地上に降りた。
「大丈夫ですか?」
リムジンから降りたアメリアが、真っ先にティナにかけよる。
「大丈夫。傷ひとつないよ。犯人は捕まえられなかったけどね。アンドロイドを使って襲撃させたらしい」
ティナはエア・フライヤーから降り、ハンドガンを懐にしまう。そして、アメリアと一緒に降りたジョンの方を向き直った。
「ちゃんとした教官に習ってないにしては、悪くはなかった。だけど、もうちょっと身の安全を考えた撃ち方をした方がいいよ。あそこでこいつが撃ってたら、あんた今頃、天国よ」
ティナは親指で壊れたアンドロイドを指す。アンドロイドは厚手のコートに手袋を身に付け、下半身にはなにも付けていない。頭部からは煙を噴いている。
「うん、理屈ではわかってたんだけどさ。ティナが危ないと思うと、ね」
飛燕を持ったまま言葉を濁すジョン。その後ろにジェームスが立つ。
「待ってくれ、もしかしてこの少年はアシスタントといいながら、まだライセンスを取っていないのか?」
「ああ、そうだけど、なにか問題でも?」
ティナは何でもないことのように答える。
「問題ないわけがない!少年の銃器類の所持は禁止されてるし、H.Mライセンスを持たない人間を護衛につけて、もしものことがあったらどうするんだ?君ら自身も危ないことになるんだぞ?」
ジェームスは一気にティナに詰め寄り、大声で怒鳴る。
「ジョンはもう12歳だ。銃刀類の所持はもう大丈夫な年齢よ。親と市警の許可はもう取ってあるし、問題ない。それにこいつは、そこらの頭に花が咲いたボンクラよりはずっと役に立つ。悪いけれど、この点では妥協できないね」
鋭い目つきでジェームスをにらむティナ。その目には少なからず怒りが見える。
「だが、君は…」
まだ何か言いたげなジェームスの前に、アメリアが立つ。
「やめて、ラッカーさん。この人達は、私たちの命を救ってくれたんですよ?それを、そんな風に言うなんて…」
「悪いが、信用できるかどうかわからなくなったのでな。君はどう思ってるんだ?」
アメリアの言葉を遮り、ジェームスが噛みつくように言い放つ。ジェームスの言葉を聞き、ティナの尻尾がいらいらと揺れた。
「安全かどうかはともかく、この人達は私たちを命がけで守ってくれました。戦ってくれました。彼女の腕があれば、エンジンを撃ち抜くことだって容易だったはずです。だけど、犯人を殺さないで逮捕できるように、エア・フライヤーを落として被害を出さないように、彼女は危険をおかして飛び移りをしました。真似できますか?」
強い口調で言い放つアメリアに、ジェームスは黙り込む。その顔には、明らかにとまどいが見える。
「確かにそうだがな、私は倫理の問題を解いてるんであって。つまり、ライセンスも持たない少年に銃を持たせて、アシスタントとするということが…」
「大丈夫です。フィウスさんとアレッド君を私は信頼します」
とどめをさすようなアメリアの言葉に、ジェームスは心底困った顔で目をそらす。
「…わかった。ミス・フィウス、アレッド君、すまなかった…」
ジェームスがめがねを外し、頭を下げる。その顔には汗をかいている。車内と違い外は暑いが、その熱気のせいだけでもないだろう。
「いや、いいよ。信頼してもらってないことはわかった。期待してもらおうがもらうまいが、あたしらは仕事をやり遂げるだけさ」
ティナはため息をつきながら答えた。
ファンファンファン…
サイレンの音が近づき、パトカーの回転灯が見える。先ほどジェームスがかけた電話を聞き、駆けつけたらしい。
「事後処理を終わらせたら行きましょう。仕事に遅れちゃうけど、仕方ないわ」
アメリアが近づいてくるパトカーを見ながら、最後の方は独り言のように言った。
前へ 次へ
Novelへ戻る