火が燃えている。暗い夜空に立つ火柱が、ネオンより明るく街を照らす。つい数時間前まではオフィスだったビル。今はアドラシスコに立つ巨大なたいまつだ。
「ひどいね、これは…」
背中にショットガンの入ったケースを持ったネージュがため息をついた。現場には消防車が数台、パトカーも数台来ている。野次馬が多く、現場には近づくこともできない。
「どいてくれ!どいて!」
警官が人混みをかき分けて外に出てきた。その服は焦げができていて、背中は大きなやけどを負っている。ティナはその後ろ姿に見覚えがあった。エルナとコンビを組んで爆弾魔を追っていた警官だ。
「待って。あたしはアタッカー、ランクはAよ。状況を説明して」
警官はティナの方を振り向く。顔にも大きな切り傷ができ、そこから血が流れていた。
「トミー・ボマーを追い込んだが、やつが爆弾を爆発させたんだ。俺は外に吹っ飛ばされて、やつと巡査が一人…フィアットが中にいる…」
「フィアットって…エルナが中に?」
ティナは燃えさかるビルを見た。炎が立ち上り、灰が周りに飛ぶ。瓦礫がはがれ落ち、野次馬が悲鳴を上げて後ろに下がった。
「エルナを知っているのか。4階部分で挟み撃ちをしたが、抑えきれなかった…やつは俺を外に吹き飛ばして…お、おい」
警官の言葉が終わるか終わらないかでティナは走り出した。その後ろをネージュが追う。
「ティナ、今入るのは危険よ!こんなに燃え上がってる!」
ネージュの言葉を聞かずに建物に入るティナ。中は炎が渦巻く熱地獄と化していた。元はレストランだったらしい1階には、火のついたテーブルやイスが散乱している。2階へ行く階段の付近には、燃えさかる段ボール箱が数個転がっている。中には重そうな食器類が見え、簡単にはどかせないものだというのがわかる。
ティナは辺りを見回し、他に進む道がないか探したが、階段はその一カ所しかない。と、彼女の目に、非常用の斧が目に入った。大抵の建物やビルには、消化器などと一緒に、なにかあったときには壁や窓を破壊して逃げられるよう、手斧が壁に配置されている。こうしている間にも炎は建物を包み、エルナは危険にさらされている。迷う暇はなかった。
「だああ!」
ティナは斧を手に取り、段ボール箱を叩き飛ばした。火の粉が彼女の毛をかすり、虚空へと飛んでいく。熱がティナの体力を奪い、赤い炎が彼女の目の前で燃えさかる。
「ティナ、待ちなさいってば!」
「いや、待たないよ。ネージュこそ、危険だから外に出てな」
引き留めようとするネージュを後目に、ティナは階段を賭けのぼった。転がっている紙カップやティッシュに火がつき、ティナの方へと転がってくる。2階、3階、4階と駆け上がり、絨毯の上を走る。耐火絨毯とはいえ、そこにこもっている高熱は彼女の靴を焦がすほどはある。黒い煤を体中に浴びながら、ティナは部屋を1つ1つ見てまわった。どこにも人らしき影はない。エルナ以外の人間はすでに全員逃げたあとらしい。
「うっ…」
奥の部屋で女性のうめき声が聞こえる。ティナはその方向へ目を向けた。エルナにちがいない。部屋はドアが閉まり、炎がドアを包んでいる。
「っくうう!」
ドン!
ティナは斧を扉に振り下ろした。斧は扉深くに食い込み、抜けなくなる。どうやらかなり分厚いドアらしい。なんとか抜こうと力を込めるが、斧は少しも抜けはしない。ティナの目が霞む。あの日の記憶がよみがえる。燃えさかる家、涙…
「どいて!」
叫び声を聞き、ティナは突発的に体をどかした。振り向いたティナの目に入ったのは、ショットガンを構えたネージュだった。体中濡れて、髪から水滴がしたたり落ちている。
ティナは斧を離した反動でよろめき、壁に寄りかかりそうになるが、背中に熱を感じて踏みとどまった。彼女の毛の生え際は、少ない汗腺が必死に出した汗で、嫌な湿り方をしていた。
バァン!バァン!バァン!
ネージュのショットガンが火を吹いた。いかに丈夫なドアといえど、鉛の散弾を3発も食らって平気なわけがない。半分とれかかったドアをネージュが蹴り飛ばし、中に入る。
「ティナ、あんたほんっとバカね。水も浴びないで、こんな場に飛び込むなんて」
「ごめん、助かったよ」
「貸しよ。今度、ベッドでもつきあってもらおうかしら?」
「残念、レズっ気はないんだ。他をあたって」
中にころがり込んだ2人が見たのは、床に倒れて今にも炎に飲まれそうなエルナだった。服の片腕がそっくりなくなり、毛に火がついている。ティナは急いで彼女をひっぱりあげ、手を叩いて火を消した。そのまま抱きかかえ、階段に走る。
ドッゴォォ!
5階へいく階段が落ち、階段が使えなくなった。炎のついた建材が、まるで意図したかのように落ちている。
「なにこれ、ひどい安普請…他に道は…」
ティナはエルナを抱きかかえたまま、廊下に戻った。エルナを見つけた奥の部屋は、窓が破損して外に逃げられるようになっていたが、すでに炎が行く手を遮っている。煙にあぶられて、彼女は比較的火の周りの遅い部屋へ走りこんだ。ネージュがその後ろに続き、壁にあるスプリンクラーのボタンがを押すが、やはりというべきか作動をしない。大きな机と、数冊の書類が燃え、窓には鉄線が入って割れにくくなっている。
「ティナ、さがって!」
ネージュがショットガンを構え、窓をねらう。
バァン!バァン!
散弾が窓に飛びかかり、窓に食い込む。しかし、防弾ガラスでも使ってあるのか、ヒビは入るが壊れる気配がない。
「うっ…こ、ここは…?」
エルナが目をあけ、ティナを見上げる。
「トミーにはめられたみたいでね。あんた、もう少しで焼き犬になるところだったよ。立てる?」
「え、ええ、なんとか…」
エルナを立たせると、ティナはハンドガンを取り出し、窓を撃った。
ドン!ドン!ドン!ドン!
薬莢が絨毯に落ち、弾が食い込む。窓はまだ割れる気配すらない。跳ねる弾の破片が、ネージュの頬をかすって飛んでいった。ネージュはポケットから青いショットシェルを出すと、ゴールデンフォックスに込め、装弾した。
「伏せて!」
パシュッ
小さく鋭い音が炎の轟音の中に響きわたり、煙を噴きながら弾が飛んでいく。
ドォォォォン!
弾が窓に当たり、大きな爆発を起こす。破片をばらまきながら窓が窓枠からはずれ、下におちていった。壁も崩れはじめている。
「す、ごい…一体なにを?」
エルナが呆然とネージュを見つめてため息をついた。
「ネージュお姉さん特製、グレネード・スラッグ弾よ」
ネージュは窓から顔を出して周りを見回す。下では大きな騒ぎになっているらしい。梯子車が梯子を伸ばしている。
「こっちよ!生存者あり!早くきて!」
ネージュの叫び声に気づいた消防隊員が、梯子を操作し、窓に近づく。火の粉が降り注ぐビル内は、どこも安全とは言えない。じわじわと燃え広がる炎が、3人に近づいてくる。
「こっちへうつってください!」
消防隊員の呼びかけに、ネージュが飛び移る。
「ティナ、エルナさん、早く!」
窓の方へ手をさしのべ、2人を呼ぶネージュ。ティナはエルナの手を握り、窓際に立たせた。梯子は窓にこれ以上近づけない位置まで来てはいるが、まだ遠い。
「飛べる?」
ティナはエルナの後ろで、彼女を支えながら聞く。
「くう、う…」
目に涙を浮かべ、エルナは崩れ込んだ。4階という高さ、炎が迫り来る恐怖などを感じて、すくまないほうが普通ではないかもしれない。彼女の場合、爆弾魔が目の前で爆弾を破裂させ、同僚が吹き飛ばされるのを見ていたため、恐怖も強いのだろう。
「怖がらないで。大丈夫、あたしがついてる。殺しはしない」
ティナはエルナを持ち上げ、窓の桟に座らせた。窓の外、少し外に出ている出っ張りに足を載せ、エルナが恐る恐る立ち上がる。
「あ、ああ!」
叫び声と共にエルナはジャンプした。体がまるで人形のように、不自然な形を取りながら、梯子の方へ飛んでいく。ネージュと消防隊員が腕を伸ばし、エルナの手を握る。がたがたと震えながら、エルナは梯子の上によじ登った。
「あとはあなただけよ、早く!」
ティナはその言葉を聞き、自分も窓の桟によじ登る。先ほどエルナの後ろから見ていた高さとは違う、現実味を持った高さが、ティナをおびえさせた。怖い、でも飛ばないといけない。
ドォォォン!
いきなりティナの後ろで何かが爆発し、ティナは吹き飛ばされた。体が宙を飛ぶ、背中が熱い、腕が痛い。ネージュが何かを叫んで、エルナが悲鳴を上げるのがスローモーションで見える。まるで映画のワンシーンに迷い込んだようだ。
「このっ…!」
ティナは梯子の途中に手をかけた。全体重が腕にかかるのを感じ、痛みに顔をしかめる。登ろうと足をばたつかせるも、宙を蹴るだけだ。
「ティナさん!」
エルナがティナの腕をつかみ、ぐいとひっぱりあげた。先ほどまでおびえていた、子犬のようなエルナではない。力強い婦警の姿が、そこにはあった。
ティナは梯子の途中にぐったりとつかまりながら、ビルの方を見た。燃えさかる破片が飛び散り、ビルがゆっくりと断末魔の悲鳴をあげている。
「どうやら、助かったみたいね…」
ティナは緊張が体から抜けるのを感じ、それと同時に深い眠気を覚えた。酒を飲んだあとに動き回ったのだから当然だろう。周りの音が急激に消えるのを感じ、彼女は深い眠りに落ちていった。
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