それからの学習は、少しも上手くいかなかったようだ。ジョンはあまり覚えられず、起爆コードを間違えて抜いたりした。少なくとも12回は死んだとティナが言い、ジョンはうなだれた。
 ティナはジョンのことを励まそうとしたが、あまり効果がなかった。それならばと、彼女はジョンを地下射撃場に連れてきた。カーンと戦ったとき、あの土壇場であれだけの精密射撃を見せたジョンならば、きっと射撃技術はすばらしいと思っていた。しかし、その予想は外れてしまった。
 パゥン!パゥン!パゥン!
 ジョンの飛燕が20メートル先の標的に向かって弾を吐き出した。腕が小刻みに震え、息が荒くなっている。
「だめね、1マグ撃って2発しか当たってない」
 ティナはターゲットを双眼鏡で覗きながら言う。1マガジン10発撃って、2発しか当たらないというのは、あまりいい成績ではない。少年ということと、20メートルの距離ということを除けば、上々ではあるかも知れないが。
「なんで上手くいかないんだろう…」
 ジョンはマガジンを取り出し、弾をリローダーを使って込めていく。あまりに長い間銃撃をしていたので、彼はかなり疲れていた。音消し用の耳当てが湿って、耳の毛が全部寝ている。
「40発撃って、当たったのは9発。大体25パーセントだね。もう少し近づけようか」
 ティナはボタンを操作し、ターゲットを近づけた。10メートルまで近づいたところで止め、ターゲットをもう一度覗く。
「ティナがすごすぎるんだよ。50メートルでも余裕で当てるんだもん…」
 ジョンは銃にマガジンを入れ、構え直す。射撃場に入る人々がジョンを見て、物珍しそうな顔をしている。子供がここに来ることは希だ。
 パゥン!パゥン!パゥン!パゥン!
 連続で弾を撃ち、薬莢がカランと音を立てて落ちる。弾はターゲットを逸れ、当たる弾は少ない。
「1マグで4発。2倍にはなったが、まだまだだね」
 ティナはジョンから銃を取り上げて、代わりにミネラルウォーターのペットボトルを持たせた。大きく息をつき、少年はむさぼるように水分を喉に流し込む。
「今日はここでやめとこうか。50発も撃てば十分だよ。薬莢回収して」
 銃をウェストポーチに入れながら、ティナが言う。
「なんで薬莢を?」
「弾を入れれば再利用できるだろ?」
「あ、そっか」
 ジョンは耳当てをはずして大きく息をついた。薬莢を全て拾い、ティナのウェストポーチに流し込むように入れる。ティナのポーチはだいぶ膨らんでしまった。
「まあ、初めてにしては上出来じゃないか。将来有望だよ」
 ティナはターゲットをはずし、使用済みの箱に収めながら、口を開いた。ジョンは何も言わず、水のペットボトルを片手に黙り込んでいる。あまり楽しそうな顔ではない。
「悔しいなあ…ティナはなんの苦もなく、これだけできるんだもん」
「あたしは長い間訓練を受けたからね」
 スーツの裾をぱたぱた扇いで空気を入れながらティナが言う。冷房が効いているとはいえ、地下射撃場のような広い施設は、他に比べて少々暑い。これだけの広さを冷やすのは大変なのだろう。
「ごめんね、全然成長しないで…」
 ジョンはうなだれながら射撃場を出た。そのあとをティナが続く。
「いいんだよ。最初から完璧にできちゃ、教えがいがない」
 ジョンの首にぶら下がっている入館許可証を取るティナ。階段を上り、受付に2つの入館許可証を返す。
「ご利用、ありがとうございました」
 受付のアンドロイドが丁寧に頭を下げる。これもプログラムされた動作なのだろうが、そうは見えないのが不思議だ。
 結局、余り実りのないまま2人は部屋に帰ることとなった。バイクにまたがって、アパートへ向かうころにはもう午後6時だった。太陽がゆっくりと沈んで、夕焼けが街を赤くする。
「ティナ、ごめんね?今日はいろいろ教えてもらったのに、なにも学ばないで…」
 バイクで信号待ちをしているとき、ジョンがティナの背中にしがみつきながら言った。今日は彼女もあまり危ない運転をするようなことはなかった。それだけ疲れているのだろうか。
「ん、いいさ。あたしも教え方がヘタだったよ」
 信号が青に変わり、ティナはバイクを発進させた。夕焼けで真っ赤に燃えるビル群が、2人の横を通り過ぎていく。まるで、赤のインクが空から流れ出し、街を全て染めてしまったかのように美しい。
「あのさ、ちょっと聞いていい?」
 ちょうど2つめの信号を通り過ぎたとき、ジョンがおもむろに口を開いた。
「答えられる範囲ならば」
 新聞売りがアイスを食べているのを横目に見ながら、ティナが答える。
「ティナの両親はどんな人だった?」
 しばらくバイクの走る音が2人を包んでいた。考えこんだあと、ティナは言う。
「父親も母親も優しい人だったよ。少なくとも、あたしが覚えている限りは」
「覚えている限り?」
「あたしが小さかったころ、離別してね。今はアクラ・スーの方にいる。それからは親代わりの別の人のところに住んでいたんだ」
「そうだったんだ…」
「ちょっと、事件があってね。それ以来さ」
 ジョンは不意に聞いた自分の一言が、ティナの何かを呼び起こしてしまったことを感じた。背中に耳を押し当てて心臓の音を聞こうとしたが、ヘルメットが邪魔でままならない。ティナにも少女の時代があったのだと、当たり前のことに彼が気づき、それがあまり彼女にとって楽しくないものだったのではないか、と考えていた。
「変なことをきいてごめんね」
 思わず、謝罪の言葉が口から出る。違う、こんなことが言いたいわけではないのに…
「なんで謝るの?」
 ティナは不思議そうにジョンに聞き直す。2人の上を、大型のエア・フライヤーが飛んでいった。轟音と風が巻き起こる。
「…から」
「え?なんだって?」
 音のせいでジョンの声が聞こえなかったティナは、もう一度聞き直そうとしたが、ジョンはもう一度言うことはなかった。
「ほら、もうすぐつくよ」
 ジョンがあわてたように言い、見慣れたアパートが見える。バイクがアパートの地下駐車場に入り、エンジンを止めた。ジョンが降り、ヘルメットをメットインスペースに納める。ティナは自分のヘルメットをぶら下げた。
 階段を登りながら、ティナはさっきジョンが何を言おうとしていたのかを考えていた。そもそも、なぜ謝る必要があるのか。
 がちゃり
 鍵をあけ、部屋に滑り込むティナ。中は一日の日の光を溜めていたらしく、暑くなっている。
「あー、暑い、なにこれ…」
 ティナは窓を開け、扇風機のボタンを押す。なま暖かい風が部屋の中でぐるぐる回って、ティナの体に吹き付けられる。
「飲み物もらうよ」
 冷蔵庫をあけ、ジョンはオレンジジュースを取り出し、プルをひいた。こもったような部屋の中の匂いに、オレンジの匂いが混ざる。
「ジョン、さっきなんて言おうとしてたの?」
 ティナはスーツを脱いでハンガーにかけ、短パンをはきながら聞いた。部屋にいるのが男だということを意識しない点では、ティナもネージュとはあまり変わらないかもしれない。もっとも、ネージュは別方面で男性を意識しているようだが。
「ん、なんでもないんだ。聞こえなかったならいい」
 ジョンはテーブルのイスに座り、ティナに背を向けた。オレンジジュースの瓶が上下するのが見え、中身が減る。
「んー、そう?ならいいけどさ」
 ティナはタオルを取り、バスルームの壁にかける。
「シャワー浴びるよ。ジョン、一緒に入る?」
「いや、いいよ。体洗うより、別の物見るのに夢中になりそうだ」
「言うじゃない、少年」
 短パンにシャツ、ブラにショーツを脱ぎ捨て、ティナはバスルームに立った。蛇口をひねり、ややぬるいお湯を体中に浴びる。ティナの豹柄の毛が、湯を吸ってどんどん重くなる。
「ふう…」
 ボディソープを全身洗い用のバス・ブラシに流し込み、ティナは首筋から体を洗い始めた。ボディソープの匂いがバスルームに広がる。
 ティナは体を洗いながら、ぼんやりと家族のことを思いだしていた。父親も母親も、記憶の彼方にしかもはやいない。今は両親と連絡を取ることすらできない。一体、どこでなにをしているのだろう。いや、知りたくはない。
 彼女は、自身の両親がどこにいるかは知っている。そして、どんな状態かも知っている。だからこそ、会いたくない。
『ジョンの両親は優しそうだった』
 ティナはそんなことをぼんやり考えながら、腹毛にブラシを滑らせる。泡にまみれながら考えるのは、あまりにも昔の話。ジョンに両親のことを聞かれなければ、思い出すことすらなかった。いや、そうではない。今まで、忘れたことはなかった。
 ティナはよく「あの光景」を夢に見る。ティナが嫌う悪夢の1つのパターン。家は燃えている。自分すらも燃えそうになっている。その日のことを、彼女は忘れたことはない。アタッカーになろうと志した日。両親がアクラ・スーに帰ることになった日。少女の不幸の始まり…
「ティナ、携帯電話が鳴ってるよ」
 ジョンの声がバスルームの外から響き、ティナはブラシで体を洗う手を止めた。
「今出れない、電話だったら受けておいて」
「うん、わかった」
 ジョンの影がバスルームの磨りガラスの扉から消え、ティナはブラシをおいた。シャワーを浴び、体中から泡を洗い流す。体の重い物を、湯に流したような、すがすがしい気持ちよさを感じながら、彼女は湯を一通り浴び終えた。
 タオルで体を拭きながら新しい下着を身につける。外に出たときには、ジョンはオレンジジュースを一本あけ、ティナの携帯電話を耳から離していた。
「電話だったの?」
 ティナは全身を1つ振るわせ、水を飛ばしながら聞いた。ジョンは一瞬ティナの方を向いたが、彼女が下着姿でいることに気が付くと、顔を赤らめてそっぽを向いた。
「うん、ネージュさんから。9時って言ってたけど、早めにしてほしいんだってさ。来ないかって俺に何度も言ってたけど、断ったよ」
「わかった」
 クローゼットからジーンズとTシャツを取り出して着る。あまり高級な店に行くわけでもない。いかつい格好ではくつろげないと、ネージュはいつもスーツのことを嫌っていた。それに習って、彼女と飲みに行くときは、あまりスーツは着ないことにしている。
「なんで断ったの?一緒にこればいいのに」
 ティナはガンホルダーを脇の下に挟み、上からジャケットを着た。彼女は常に銃を携帯している。いつどこでどんな犯罪に出くわすかわからないし、そのときに武器を持っていないと、アタッカーとして行動が出来ないからだ。薄手の服でもそこに銃があることは、一見わからない。
「お酒飲めないし、夜の出歩きは危ないから」
「お姉さんを信用してほしいねえ」
 ティナはポケットに携帯電話と財布を突っ込み、バイクのキーを取った。
「そうそう、テレビの下にある引き出しに封筒が入ってる。今月分の小遣いって、あんたの両親から。受け取っておきな」
 ティナはさっき脱いだ下着を洗濯機に入れながら言った。
「ありがとう。でも、もらっていいのかな。ママは…」
「親の愛は受けられるときに受けておくべきよ。それで、返せるときに返す」
 夕日が部屋に入らなくなり、外が暗くなったのがわかる。街は夕方のまま動き続けている。そのうち、惰性で動いていた街も止まり、夜の街と取ってかわることだろう。
「じゃあ、いってくる。留守番お願いね」
 ティナは部屋を出ながら言う。ネージュと飲むのは久しぶりだった。楽しみな気持ちは、心なしか彼女の足を急がせた。


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