アドラシスコの街を夜のとばりが覆う。街は爆弾魔のことなど他人事のように動いている。大部分はすでに眠りについているが、アドラシスコは眠らない街だ。ネオンが光り、夜を居場所にする男達が酒を喉に流し込み、娼婦がそんな男達を誘っている。
 アパートのティナの部屋では、夕食を簡素に済ませた2人が、パソコンを覗き込んでいる。爆弾魔の有力な情報を探すためだ。
「うーん…」
 パソコンを覗きながらジョンがため息をついた。アドラシスコに現れた爆弾魔の有力な情報は、今のところ0件だ。ネット上では様々な憶測やデマが飛び交い、信用できる情報などひとつもなかった。
「あ、これ、今日のニュースが載ってるね」
 ニュースサイトのリンクを選択するティナ。そこに書かれていたのは、有り体なニュースだけだった。唯一詳細な情報と言えば「2人の警官が犯人を追いかけたが逃げられた」という部分だけだ。犯人の特徴も、姿も、犯人に関わることは1つも書いていなかった。
 もうパソコンに向き合い初めてから30分になる。最初は根気を入れていた2人だったが、なにも見つからないことにいらだちを感じるティナと、もう半ばあきらめているジョンで、2人ともやる気をどんどん削がれていった。
「あー、もう。やめたやめた。こんなことしてても無駄だって」
 ティナはイスを立ち、ベッドに大の字に寝転がった。窓から吹き込む涼しい風が、ティナの腹と胸をなでていく。
「おなか出てるよ。風邪引いちゃうよ?」
 開いたイスに座りながら、ジョンは呆れた声を出した。もう情報を探すのやめ、趣味のサイトを巡っている。色とりどりのウィンドウが開くのを横目で見ながら、ティナは短いシャツをひっぱり、出ていた腹を隠した。
「2ランク上のハイパーネットにつないでもなにも出てこないんじゃ、ネットはあきらめた方がいいなあ…」
「2ランク上か…情報機密性の高いほうへつなげるんだっけ?」
「うん。役に立たなかったけどさ。拾えたのはプロフィールくらいか…」
 ティナがパソコンのモニターを触り、ウィンドウを開く。
「トミー・ボマー。本名、トム・ハミルトン。黒人。爆弾を主に使う犯罪者で、愉快犯的な部分がある。行動の背後には、何らかの組織の存在が見えるが、詳細は不明。兄弟で、同じ爆弾魔であったジム・ハミルトンは、現在懲役18年で服役中…か。最近の行動は載ってないね」
 一通り目を通してウィンドウを閉じる。
「明日、セルジオのところでも行くか…」
 ごろりと寝転がりながらティナが答える。見慣れた天井が彼女の目の前に広がっている。
「依頼が来てからでもいいでしょう?なんで今から調べるのさ?」
「それじゃ遅い。迅速な行動が情報をもたらし、幸運の女神を呼べるのさ」
 ジョンの言葉に答えながら、ティナはぼんやりと天井を見つめた。昼間に見たあの婦警はあのあとどうしたのだろう。手榴弾事故に関して、テレビもネットもニュースはながさなかった。ビル爆破に比べるとインパクトが小さいらしく、セットで放映されただけだった。
「そういえば、ジョンの父親は特殊隊員だったんだっけ。アタッカーになりたいってあたしのところにきたのは、その辺も関係してるわけ?」
 うつぶせに寝ころび、ティナはジョンに聞く。
「うーん…それもある…かな」
 ジョンは生返事を返し、パソコンから目を離した。
「強くなりたいんだ。好きな人や大事な人を守れるくらいには」
「それ、かっこつけてんの?」
「そうじゃないよ」
 ジョンはイスの背もたれに倒れかかった。少年の体重が背もたれにかかり、背もたれがギギギと音を立てる。
「いや、そうなのかも。よくわかんないけどさ。アタッカーになって、人を救いたい、ティナを見ていてそう思ったんだ」
「よしてよ、あたしを見てなんてさ。恥ずかしいじゃない」
 ティナは笑いながら答える。窓から流れ込む風が部屋の中を一回りする。
「それに、親も心配したでしょう。なんでまた?」
「こっちの友達と一緒にいたかったから、っていうのもある。まあ、そんな感じ」
 プルルル
 携帯電話から間の抜けた音がして、画面に明かりがつく。どうやらティナ宛にメールが来たらしい。携帯電話を拾い上げたティナは、中を開く。
「カフェの方に正式に依頼が来たらしい。明日来いってさ」
 携帯電話を閉じ、ティナは起きあがった。大きくのびをして、ベッドの縁に座る。カフェというのはあだ名で、ティナのいつも世話になっている情報屋だ。本名はセルジオ・ナスカル。黒い犬のアクラーで、ティナの友人でもある。普段は喫茶店のオーナーをしており、情報屋としての規模は小さい。
「ティナの予想が当たったね。あの婦警さんからの依頼かな?」
「さすがに個人警官からはないと思うよ。たぶん、市警かな。あと、大きな仕事だから、もう一人呼ぶって言ってる」
「もう一人?」
 怪訝な顔をするジョンに、ティナは一枚の写真を見せた。長い金髪、ティナに負けず劣らずの女らしい体を持った、ハーフアクラーの女性だ。狐の耳としっぽが付いている他はヒューマンとは変わらない。
「ああ、この人…ネージュさんだっけ」
「そう、ネージュ・ライルマース。あたしの大学時代からの友達」
 ベッドから降りたティナはキッチンへ行き、コップに水を汲む。ぐいと一息に飲み干したあと、コップを置いて口を拭った。
「今は夏休みだもんな…学校ないし、ジョン、ついてくるんだろ?」
「ついていっちゃダメなの?」
 ジョンの問いに、ティナは言葉を濁した。彼女の顔から、あまりよくないであろうということが読みとれる。
「ダメ、じゃないんだけどさ。ただ、ネージュって、その、ちょっと男狂いなところがあって…棒がついてりゃ木の枝とだって盛ってそうな女だから…」
「ああ、なるほど…」
 ティナの言葉を聞き、ジョンがため息をついた。まだ12歳の少年にそのような女性を引き合わせるのは、教育上あまりよくないことなのは、彼にもよくわかる。以前は勢いで「ティナは俺の女だ」とまで言った彼だが、そのようなことに免疫があるとは、お世辞にも言えない。
「でもさ、ティナだってそんなかっこで普通にいるんだし、人のこと言えないよね」
「そう?普通だけど」
 ジョンの言葉に自分の姿を見下ろすティナ。小さめのシャツとハーフパンツだけの己の姿を見ても、彼女はあまり気にしていないような顔をしている。
「まあ、来るなら止めはしないけどさ。なんかあったら責任がとれないから」
 コップを水ですすぎ、キッチンの棚に元通りに戻したあと、ティナはベッドに戻った。クローゼットから銃を取り出す。マガジンを取り出した後、中に弾が入っていないことを確認する。
「なんかあるの?」
「ネージュのことだけじゃなくても、だよ。またいつ手榴弾投げられるかわからないでしょう?」
 カシンッ
 マガジンを抜き取り、スライドを半分引き、中の汚れ入っていないことを確認する。新聞紙を広げ、その上で銃のピンを抜いてスライドをはずすと、バネが勢いよく飛び出した。数日に一度、彼女は意味もなく銃をばらし、中を確認する。銃の保守点検をしている上にこのようなことをするのは、彼女の用心深い性格から出るものだろう。
「爆風に巻き込まれなければいいんじゃないの?」
 ジョンの呑気な言葉に、ティナは思わず銃を取り落とした。
「爆風ってあんた…手榴弾がどういうものだかわかってるの?」
「要するに爆弾でしょ?俺だってそのくらいわかってるよ」
「ただの爆弾じゃないから怖いんじゃない…ゲームじゃないんだから…」
 ティナは分解した銃を新聞紙の上に放り、クローゼットの下から手榴弾を取り出した。蛍光灯の光を浴びて、金属の肌が黒光りしている。
「これはダミーなんだけど、手榴弾が怖い理由は2つある。1つは、爆発で金属片を飛ばして、それを相手にぶつけて攻撃すること。もう1つは、その攻撃は360度全方位に襲いかかること」
 ジョンはパソコンの前から立ち、自分もベッドに座った。ティナの説明に口を挟むでもなく、真剣に聞いている。
「ピンを抜いてから、1、2秒で爆発する。今ピンを抜いて、あんたの方へ投げられた」
 ティナはダミーのピンを抜き、ジョンの方へ放り投げた。ずっしりと重い金属の塊がベッドの上で1度バウンドし、ジョンの横に転がる。
「さて、こいつをどうする?」
 ティナはダミーに落としていた目をジョンの方へ向けた。
「え、うーん…走って遠ざかる?」
 少し悩んだあとにジョンが答える。
「2秒じゃ走れる距離にも限りがある。投げられたときは、少し離れて伏せるんだ」
 ダミーを取り、ピンを元通りに差すティナ。ダミーだと言われなければ、これは本物のように見える。
「手榴弾は逆三角錐に近い形で爆発する。だから、離れて伏せると助かる確率が上がる。あと、人一人は貫通しないね。でも、自分を助けるために、通行人を盾にするようなまね、するんじゃないよ」
「ただの爆弾じゃないんだね」
「そりゃそうさ。人間っていうのは、相手を傷つけようとして、こうやって凶悪なものをどんどん発明したんだ」
 ダミーをクローゼットの引き出しにしまい、彼女はもう一度銃をいじりはじめた。様々な部品が新聞紙の上に広がり、新聞紙に油の染みをつけている。
「人間って醜いね」
 ジョンがパソコンの電源を切り、悲しそうな声を出す。アタッカーになるということは、非現実の世界にしか存在しないはずのもの、たとえば醜いもの、たとえば正義ではありえないものともつきあっていかなければならないということだ。己の軽はずみさを後悔する気持ちが、表情から読みとれた。
「その人間の中の一人なんだよ、あんたもあたしも。醜い人間の、さ」
 シューッ
 バラバラになった銃に錆止めスプレーを吹き付けながら、ティナは感情のこもってない返事を返す。スプレーの滴をティッシュで軽く拭き取り、部品を1つずつ拾って、ティナは再度銃を組み上げた。マッドキャットは生まれ変わったかのような光沢を放ち、主の手の中に収まっている。小さな傷1つ1つがティナを見上げているように見える。
「人を傷つけて、それで収入を得て、あたしは暮らしている。この銃だって、目的は殺人だ。スポーツ用品になりきるには、少々血生臭いね。どう?あたしを軽蔑する?」
 ティナは弾のこもっていない銃をジョンの顔に向け、おろした。
「俺、わかんないよ」
 うつむいてジョンが答える。微妙な顔をしている少年の胸の内には、なにがあることだろう。ティナにはそれを覗くことはできなかったが、つらい質問を投げかけたのはわかった。
「なんか、そう考えると怖いねー。犯罪ばかり起こす他人も怖ければ、慣れちゃった自分にも怖い。あんたにもいつか嫌われるかも知れないね」
 ティナは銃にマガジンを入れ、元通りにクローゼットにしまった。鉛色の雪がティナの中に積もっていく。心が重く、罪悪感が彼女の胸を痛くした。ジョンに投げかけている言葉と同時に、自分にも疑問を投げかけていた。特に大きなきっかけがあったわけでもないのに、なぜこのような話になったのだろうか。
 昔はなにも知らない純粋な少女だった。汚いものも知らず、この街の「裏」も知らずに笑っていられた。なのに今は…
 不意に、背中に暖かさを感じて振り返ると、後ろからジョンが抱きついていた。
「嫌いになんかなるもんか。俺、ティナが好きだよ」
 ジョンのまじめな顔を見て、ティナは思わず吹き出した。笑い声が少しずつ大きくなり、最後には立っていられなくなった。
「な、なんだよ、なんで笑うんだよ」
「ご、ごめん。なんか、まだ乳離れもできてない子供が、そんなこと言うのがおかしくて…あははは…」
 しゃがみ込んで笑い続けるティナを見て、ジョンはむっとしたような顔をする。彼にしてみれば、子供と言われるのは少しも面白くない。
「悪い悪い、なんか笑っちゃった。ごめんね」
 ようやく起きあがったティナは、目尻の涙を拭って、ジョンの頭に手を置いた。子供にするように何度も撫でる。
「前言撤回。やっぱ嫌いだ。バカにするから」
 ジョンは膨れ面でベッドに寝転がった。汚れた新聞紙を畳みながら、ティナがその横に座る。
「悪かったよ、そんな怒るなって」
「別に怒ってないよ。もう眠いし寝る」
「ああ…こんな時間だしね」
 時計を見上げると、すでに12時を回っている。この年齢の少年には、少し遅い時間だろう。
「おやすみ」
「ああ、うん。おやすみ」
 ティナは不機嫌なまま寝ているジョンの横から立ち上がり、冷蔵庫を開けた。ビールの缶を取り出し、プルを引く。プシュッと小気味いい音が部屋に響いた。
 部屋の電気を消し、ビールを飲みながら、ティナは窓の外を見ていた。何を見るでもなく、視線が宙をふらついている。見えるのは、向かいのアパートと目の前の小さな通り、そして通りの繋がっている大通りだけだ。空には三日月が浮かんでいる。
 さっきジョンに言った言葉は、ティナがたびたび考えていることだった。一人でいるとき、ふっと思い出すように考える。自分は殺人をして、人を傷つけて生計をたてている。果たしてそれは許されることなのだろうか。
『またネージュと飲むときでも、話してみるかな…』
 ベッドから寝息が聞こえ、ティナは現実世界に引き戻された。ベッドでは先ほどの不機嫌をどこかへなくしてしまったようにジョンが寝ている。自分では母性が皆無だと思っていたティナにも、その顔はかわいらしく見えた。
「一緒に寝てやるか」
 空になったビールの缶をテーブルにおき、ティナはベッドに滑り込んだ。
「こうして寝てると昼間の顔が嘘みたいだよね」
 答えない相手に声をかけながら、彼女は鉛色の心の雪が溶けていくのを感じた。ジョンを優しく抱き、体をそっとなでる。もし自分に子供ができたら、このような安らかな気持ちになれるだろうか。仕事によってまとわりついた罪から逃れられるだろうか…
 彼女はゆっくりと眠りの海へと沈んでいった。明日の活力を得るために。


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