夕闇の街を人々が歩いていた。ゆっくりと日が沈み、やがて夜になるだろう。街にはすでに明かりが灯り、やかましく音楽が流れている。車が行き交い、反重力を利用した乗り物であるエア・フライヤーが空を舞う。夜になってもこの街は眠ることがない。季節は夏、夜になってもまだ蒸し暑い。
天に向かってそびえ立つビル群はこの都市のシンボルだ。21世紀の建築様式を取り入れた美しくもクラシックなビル群はアドラシスコの名所。空から見下ろすアドラシスコの街は、ニューヨークやサンフランシスコに勝るとも劣らない。この夜景を見るためだけに、わざわざアドラシスコに観光客が来るほどだ。
一つのビルから、一人の男が外に出てきた。ヒューマン、ラフな服装のどこにでもいるような男。黒色人種で、太った体を揺さぶるように歩いている。その男は、手に「スイッチ」を持っていた。合成プラスチック製のありふれた電子部品。ゆっくりと男はビルから遠のくと、おもむろにスイッチを押した。
ドォォォォォン!
すさまじい音と閃光が街を貫き、ビルが破裂する。無数のガラス片やコンクリートが街に降り注ぐ。黒煙が夕闇の空へ消えていく。
悲鳴こだまする中、男はゆっくりと雑踏の中へ消えていった。
SHADOW LEOPARD
#1 Bomber man
アドラシスコの街は広い。歩いて見て回ろうと思ったら、1週間は覚悟しないといけないだろう。この都市を構成するのは部分部分にわかれた特色ある街だ。
外から来る人間が見ていく観光街、アドラシスコの様々な会社や企業が集まっているオフィス街、アパートなどが建つ都市住宅地、エア・ポートや鉄道を介して物が集まるジャンクストリートと倉庫群、そして働く人間が夜に帰っていく郊外住宅地などがある。
もちろん美しい場所ばかりではない。犯罪が多発する治安悪化地帯や、あまり裕福ではない人間の集まっているスラム街などももちろんある。犯罪はそのような場所に集中して起こるわけではなく、他の様々な街でも起こりうる。全体的な治安がよくないのが悩み所だ。
この広い街をつなぐのは、ローカル電車やバス、タクシー、人運搬用の大型エア・フライヤー、地下鉄、リニアレールなどだ。特にバスとリニアレールはもっとも利用者が多く、税金と並んで市政府運営費の大部分をまかなっている。もちろん、マイカーを持っている人間も多く、近年には大型の駐車場が街のあちこちに建設されている。マイカーの所持率が上がると共に、自動車販売も伸びが続いており、高度電子製品についで経済を活性化している。
「ちょっと、待ってよ、こんなんで8000ドルもするわけ?」
大きな自動車販売店に女性の声が響く。茶色いショートボブの頭髪に、豹のような体毛、耳はぴんと天井を向き、しっぽがいらいらと揺れている。典型的な豹人のアクラーだ。
アクラーというのは、地球と異なる異星「アクラ・スー」の先住民族で、四足獣一般が進化した人類を差す。これと対照的に、体毛も生えていない類人猿が進化した地球人類のことはヒューマンと呼ばれている。
彼女の名前はティナ・フィウス。アタッカーという、治安を守る仕事をしている。アタッカーは市政府や警察とは別方面から犯罪者を捕まえる人間のことを言う。彼らはH.Mライセンスというライセンスを取得し、訓練学校で訓練を受け、街の治安を守る一員としての役割を果たす。
ティナの隣には黒い頭髪で、短く薄茶色の体毛の、猫人の少年が座っている。彼の名前はジョン・アレッド。ティナの元で共同生活をしている少年だ。ひょんなことから彼はティナと共に暮らすことになった。彼が来て、すでに5日が経ち、奇妙な共同生活にもお互い慣れ始めている。
「本当は8400ドルするんです。自動車っていうのは高いですからね。オプションにハイバッテリーと防弾ボディをつける、とありますが、そんなことしてたら1万ドル超えますよ」
めがねをかけたヒューマンの営業員が、ティナの言葉を聞いてカタログに目を落とす。カタログには様々な自動車が載せられているが、どれも7000ドルを超える物ばかりだ。、オプションの欄にカーナビゲーションやオートマッピングコンピュータなどの文字が見える。
「で、でもさ、なんでそんなに高いの?」
「スポーツカーで、ドイツか日本という条件ですから。自動車制作には妥協しない二国ですし、高く仕上がるんです」
ドイツ車と日本車のカタログを出して従業員は続ける。
「先ほどのはスポーツカーの中でも安い部類に入りますが、新型欄を覗けば1万5000ドルや2万ドルなんてのまであります。重力管制装置をつけたエア・フライヤータイプなんかは、未だに3万ドルを下回ることはありません」
カタログのページをめくり、ティナは絶句した。彼女の考えていた予算の6000ドルを大幅に超えた高級品が載っている。
「そうですねえ…参考までに最高級品を。ドイツ製スポーツカーの最新型、ライトパンサーです。BNW社の2345年春ニューモデル、最高時速は時速280キロです。こいつは地上専用で、2万8000ドルですな。あなたの言ったオプションをつけると、ざっとこんなもんです」
営業員が電卓を叩き、小さな液晶モニターを見せたとき、ティナはがっくりとうなだれた。とてもではないが手が出ない。
「出直してきます…」
ふらふらと立ち上がりティナは頭を押さえる。意気消沈してカーショップを後にするティナの後ろにジョンが続いた。
「やっぱ、バイクだと弾が飛んで来たとき怖いよね」
ポケットから出したガムを噛みながらジョンがつぶやく。夕方だけあって、アドラシスコの商業街は人があふれている。今日は土曜なので、普段溜まっている用事を済ませてしまおうと、人々は街に出てきていたようだ。
「別に怖くはないんだけどさ。あんたと出かけるとき、バイクじゃ不便なんだよね。それに、前に壊した車がそのままで、新しいのがほしくて」
二人は騒がしい通りを抜け、裏道を通る。サブウェイの看板が二人の前に姿を見せた。
「車持ってたんだ?」
「2305年物のマックススピードっていう傑作車種。40年前の名作クラシックカーで、好きだったんだけど、ちょっとへまやって壊しちゃってね。いや、型落ちでもこんなに高いなんて…あーあ」
地下鉄の駅へ下る階段を降りながら、ティナはため息を付いた。ティナは、過去に自分が受けた事件で失敗をして、2万ドルした車を失った、と続けた。
「爆弾魔がいてね。車に爆弾しかけられて、吹っ飛ばされちゃったの。あたしは大丈夫だったけど、車は修復不可能。捕まえた賞金じゃ新しい車も買えないで…」
そこまで言って、ティナは下から急いで登ってきた男に肩を当てられた。暑いのに体を覆うようにコートを着て、サングラスをかけている。頭には帽子をかぶり、後ろ姿では個人を判別できない。
「ああ、失礼…」
コーン
ティナが振り返ってあいさつをするときには、男はそこにはいなかった。ぶつかったことを気にせずに走る男の背中を見上げる。コートの裾から金属のボールが落ち、階段を転がり落ちる。その無愛想な金属ボールに、ティナは見覚えがあった。
「伏せろ!」
叫ぶが早いか、ティナはジョンの首根っこを捕まえて階段を滑り落ちた。ティナの声に通行人が騒ぎ出す。
ドォォォォォン!
ティナの片足が階下についたとき、背中で爆発音が響いた。金属とコンクリートの破片が飛び散り、二人に降り注ぐ。
「ば、爆弾テロだ…」
起きあがりながらジョンはつぶやいた。あっけに取られたらしく、口から噛んでいたガムが落ちる。けが人はいないようだが、階段の中腹部が大きくえぐれている。蛍光灯に破片があたったらしく、ジジジと電気の放電する音が聞こえていた。人が集まり、悲鳴が聞こえる。
「野郎、逃がすか!」
大柄なヒューマンの警察官が飛び出し、階段を駆け登る。その後ろに犬タイプのアクラーの婦警がついていこうとして、足がもつれて転んだ。ジョンより少しライトな茶色い毛に、体毛よりは濃い色の頭髪をしている。
「応援呼んで現場処理しとけ!」
警官が階段を上っていき、婦警は呆然とそれを見つめていたが、不意に気づいたように無線機を取り出した。
「こちら202、フランツサブウェイの駅で爆弾が使われ、入り口階段が大破、けが人はいない模様です!」
婦警が無線機にむかって叫び、無線機からは無機質な男の声で返答が戻った。
『了解、202。現場処理に警官を回します。あなたは引き続き追跡を続けてください』
無線の声を聞いて、婦警が走り出す。その後をティナが追った。
「待って、あたしはアタッカーだけど、なにか手伝える?」
いきなり声をかけられ、婦警は驚いて振り向いた。ティナの姿を見ると、ほっとしたように足を止める。
「連続爆破の犯人を追跡中なんです。ご協力願えますか?」
「オーケー。顔はさっき見たから、大丈夫」
ティナが婦警と一緒に階段を駆け登り、その後をジョンが急いで追う。
「じゃあ、あたしはあっちにいくから」
駅から出たティナは婦警と別れ、別の方向へ走りだした。道の両端を見て、路地を覗きながら走る、先ほど追いかけていった警官の姿も、爆弾魔の姿も、どこにも見ることができない。何の関係もない市民だけがうろついている。
「ティナ、待って、速いよ…」
ようやく追いついたジョンがティナの後ろでぜいぜいと息をつく。その間もティナは周りの人間の中に犯人がいないか目で追うが、見知らぬ人間ばかりだ。
先ほどの婦警が反対方向の通りからティナを見つけて駆けてきた。彼女もそうとう走り回ったらしく、息が上がっている。
「見つかりましたか?」
ティナに婦警が問いかけ、ティナは首を横に振った。婦警の顔に落胆の色が入る。
「あたしはティナ・フィウス。こっちはジョン・アレッドよ」
ティナの紹介に、ジョンが頭を下げてお辞儀をした。
「エルナ・フィアットです。市警察警官です」
婦警は自分の警察手帳を出して自己紹介をした。
「爆弾魔っていってたけど、それってもしかして最近のニュースでよく見る…」
「ええ。連続爆弾魔です」
ジョンが口を開き、エルナがそれを次ぐように言葉を続けた。緊迫した顔で、エルナは言葉を続ける。
「毎回彼は整形で顔を変えています。今回、私たち警察は、事前に彼の顔情報を入手しました。しかし数分前、必死の捜索もむなしく、また新たにビルが1つ爆破されました」
ちょうどそのとき、街頭テレビにニュースキャスターが映った。爆破されたのは電子街の一角にある、古びたビルのようだ。煙が沸き上がる中、消防士が放水をする映像が流れる。ティナが車を見に行った車屋の近くだ。もし自分がそのビルにいたらと思い、ティナはぞっとした。
「現場にかけつけた私ともう一人が彼を発見しましたが、彼は逃げました。地下鉄駅内に入り込み、そこから出るときに、手榴弾を投げて逃げていったんです。あなたはちょうどその場にいたから、説明は不用ですね」
手袋をはずし、ポケットに納めるエルナ。この気温はアクラーにはかなりきついようだ。エルナの毛の根本が汗で湿っている。
ふいに、パトカーの音が遠くから近づいてきた。パトカーはサイレンをならして疾走しながら地下鉄駅を目指している。
「私は現場処理の手伝いをしてきます。これで失礼します」
「あ、待って」
立ち去ろうとするエルナをティナがとめ、2枚の名刺を渡す。
「これ、あたしと、あたしのいく情報屋の名刺。なにかあったら力になるよ」
エルナは丁寧にその2枚を財布にしまうと、お辞儀をして走り去った。
「爆弾魔かあ…怖いね、ティナ」
ポケットから新しいガムを出し、それを噛みながらジョンが言う。
「怖がってても仕方ないさ。ともかく帰ろう」
ティナは地下鉄の方へもう一度歩き出した。
次へ
Novelへ戻る