『正解です。14つめのロックをはずします。最後の問題は40階、展望室にあります』
 夕日がゆっくりと沈んでいた。20階で問題に答えを入力した二人は、だいぶ疲れを感じながら座り込んだ。本当なら1つに10分、140分かかっているところだったのだろうが、まだ1時間程度しか経っていない。
 夏の日は長い。窓の外には赤い太陽が輝いている。ジョンは夕方がずっと続いているような錯覚に陥った。アドラシスコの街は沈みかけた赤い光りに飲み込まれている。これから闇が街を覆うのだろう。
「なにがクリア不可だ。こんなばかげたこと、早く終わらせて、やつを見つけて捕まえよう」
 ティナはエレベーターに乗り、40階のボタンを押す。ゆっくりと上に登っていくエレベーターにも日が射し込む。下に人が歩いているのが見える。
「あの人達、この建物に爆弾があるなんて、誰も思ってないんだろうね…」
 ポケットから出したガムを噛みながら、ジョンがぼんやり言った。
「知らぬがなんとか、って言うじゃない。あたし達がしっかりやれば大丈夫さ」
 ポーン
 40階にエレベーターがつき、扉が開いた。二人の目の前に、アドラシスコの街が広がる。もっとも高いビル、というわけではないが、それでも街はきらきらと輝いた箱庭のように見える。太陽が沈む反対の方向では、紫色をした夜の闇が忍び寄り、月が青白く光っていた。
「きれいだね」
 思わずため息をつくティナ。こんな状況におかれているのに、彼女の心は冷静だった。時計は7時15分を差す。時間はまだまだ余裕があるはずだ。
「あったよ、ティナ。たぶんこれだ」
 喫煙ルームの中にあったジェラルミンケースをジョンが持ってきた。開くと、中にはやはりキーボードとディスプレイ、スピーカーがついている。
『これが最後の問題です。失敗すると起爆コードが入力されます』
「はいはい、わかったから」
 ジョンは頭をかいて呆れたように返事をした。次の問題も今までとおなじような簡単な物だと思った。しかし、それは違っていた。
『問題です。神が生み出した、この世でもっとも醜くて汚らしい発明品は何でしょう』
「…え?」
 唐突に聞いた意味不明な質問に、ティナは耳を疑った。ジョンも同じような顔をしている。
「神が生み出した、醜くて汚い発明品?」
 問題を反唱するティナ。ジェラルミンケースに反射する、赤い夕焼けがまぶしい。制限時間はまだあるとは言え、この質問に答えなければ、ビルは火に包まれることになる。
『どうした。答えないのか?』
 唐突にトランシーバーから声が入る。この男はビルが燃えることで被る損害のことを考えないのだろうか。ティナは胃の中に、イヤな物が入り込むのを感じながら、トランシーバーを手に取った。
「あたしは無神論者でね。神の御心ってのは、縁が遠いんだよ。今この場に神が存在するわけじゃないしね」
『クズめ。死んだ後に天国に行きたいとは思わないのか?』
 ティナは空を見上げた。赤色が弱くなり、群青色が広がっている。この空の上に天国があるかとティナは自問した。
「天国なんてもんがあるとはおもえないね。仮にあったとしても、あたしは地獄に自分から進んで行くつもりさ」
『そうだな。親を見殺しにしたお前には当然の報いだ』
 トミーの言葉を聞き、ティナはまるでハンマーで殴られたかのような衝撃を感じた。
「は、なにをいってるの?」
 毒づこうとしたがあまり上手くいかない。舌が回らず、頭に血が上るのを感じる。体が一瞬のうちに不自由になったように、ティナは感じていた。
『どうした?顔色が悪いぞ?ガキがおびえているな』
 ティナは手の中にあるトランシーバーを床にたたきつけたい衝動に駆られた。目をジョンに落とすと、ジョンはティナの顔を見上げ、凍り付いている。
「親を殺した?だって、アクラ・スーに住んでるって…」
 信じられないといった表情で後ろにさがるジョン。ティナに対する今までの、尊敬と愛情の入り交じった視線はもうなく、かわりにおびえた顔がそこにあった。
『知らないなら教えてやろう。こいつは、自分の家が燃やされ、父親と母親が火の中に倒れているのを見殺しにして逃げたんだよ』
 一語一語楽しむように言い放つトミー。その心にはきっと残忍な嬉しさが満ちあふれているのだろう。ティナは想像し、吐き気を感じた。
「両親は生きてる。あまりでたらめを…」
『死んだも同然だ!父親は脳の8割が死んで植物状態、母親は気が狂って治らない。アクラ・スーの病院で毛布にくるまって死ぬのを待ってるんだろう?』
 夕日の赤さが薄らいで闇が街を包み始めた。反対に、ティナの心には赤い炎が灯っていた。ここ数年顔を出すことのなかった、憎しみの炎。展望台から見下ろす、箱庭のような街の景色も、ティナの心を癒すことはできない。
「ティナ、本当なの?」
 ジョンの目がティナの顔を見上げている。指から、尻尾から、手足から血の気が引くのをティナは感じた。
「違う、あたしは見殺しになんかしていない。父さんも治るから治療してるんだ。あ、あたしは…」
『お前は燃える火の中2階に登った。そして、血を流した父親を見て、叫びながら逃げたんだ。助けを呼びにいくこともせず、燃える火を見つめながら、ただ家の前にずっと座っていた』
 ティナの脳内に幼い日の記憶が戻った。家中をなめ回す火。炎の燃えさかるダイニング。灰になったカーテン。体を焼き尽くす熱。そして、血を流して倒れた父親。すべての記憶がリアルタイムに彼女の中によみがえる。
『なぜ俺がそんなことを知ってるかって?俺がお前の家に火をつけたからさ』
 最後の言葉にティナは凍り付いた。憎しみの炎だけが、凍り付いた彼女の中で燃えさかっていた。両親を侮辱され、自分のトラウマを引きずり出された怒りより、それを引き起こした男が楽しそうにそれを話すのを聞くしかできない自分が憎かった。もしトミーが目の前にいたなら、銃弾をすべて撃ち込んでいただろう。
「そんな、ひどい…」
 ジョンもどうやら同じ気持ちらしい。拳を握り、それを震わせながら、彼の目には怒りの色がにじんでいた。
『お前の父親も有能なアタッカーだった。当時、俺は狙われていた。殺すしかないとおもってな。隙をついて家に侵入し、父親を殴り倒し、火をつけた。炎は俺の友達さ、どこをどう動くかは計算通り。お前が逃げるのを見ながら、ゆっくりとお前の母親を犯し、意気揚々と引き上げたわけだ』
「か、母さんまでそんなことを…」
『おや、聞かなかったのかい、お嬢ちゃん。ならば教えてあげよう。お前の母親はレイプされて、火をたっぷりとつけられて、気が触れちゃったんだよ。お前が熊のペニーはどこ?なんて戯言言ってる間に、かわいそうなママは別のペニーと遊んでいたわけだ。ははははは』
 トミーの声に加虐的な楽しさが入る。人を不快にさせる嫌らしい声だ。聞いているだけで、心の奥を捕まれ、ゆっくりと生皮をはがれるような気分になる。
 トランシーバーを振り上げるティナ。このまま床にたたきつけ、破壊するつもりだったが、ビルのことを思い出して思いとどまった。ここでこんなことをしても爆弾はなくならない。
『さて、そろそろ終わりにしようか。神が生み出したもっとも汚らしく醜いもの。それは人間です。ほら、入れろよ。ためらうことなんてないだろう?』
 キーボードを引き寄せ、ティナはキーを打った。ゆっくりと入力し、エンターを押す。
『正解です』
 機械の電子音声が誰もいない展望台に響き渡る。
『すべてのキーをはずし終えました。爆弾が10分後に爆発します。おめでとうございます』
 電子音声が言葉を続け、ティナはまたもや耳を疑った。
『遊んでくれてありがとう!ははははははは!』
 トミーの勝利を確信した高笑いが電子音のノイズ混じりに展望台に響く。
 ガチャン!
 ティナは思い切りトランシーバーをたたきつけ、それを踏みつけた。バラバラに電子部品がころがる。
「ティナ、その、俺、きいたけど、気にしてないから…」
 ジョンに背を向け、ティナはエレベーターに向かう。その背中に浮かぶのは怒り。ジャケットにプリントされた、豹が吼える姿が、今の彼女によく似合う。
「まずは爆弾だ。その後、あいつをどうにかしよう。殺す、っていっても、止めてくれるなよ?」
 ティナの声は、いつもの少し色気のある大人の女の声でもなければ、クールで強いAランクアタッカーの声でもない。憎しみに駆られた黒い豹のようなうなり声だ。
「ティナ、殺すのはだめだ」
 憎しみが揺れる彼女の背中に、ゆっくりと一語ずつ噛むように吐き出す。少年の方を振り返ったティナの顔は怒りでゆがんでいた。
「…なんだって?」
「殺すのはだめだって言ったんだ」
 ガッ!
 ジョンの首をティナがつかんで持ち上げる。少年の軽い体は、いとも簡単に持ち上げられてしまった。足をばたつかせても、ティナは手を離さない。
「わかったような口をきくなよ。なにがわかる?あたしのなにが?」
「わ、わからないさ。でも、殺すのはだめだ!」
「お前…」
 ドン!
 ティナが手を離し、ジョンを床に落とす。尻餅をついたジョンが、反射的に手を後ろについた。
「前に言ったはずだ。もうあたしは何人も傷つけている女だ。今更一人殺さなかったからといって天国に行けるわけじゃない。あたしの母さんを侮辱したあいつを、あたしは許すことができない」
 少年を見下ろす彼女の瞳は冷たかった。寒々とした憎悪の念だけが見え隠れし、それがジョンをおびえさせた。
「アタッカーは犯罪者を捕まえる正義のヒーローだよ。自分の怨恨を他人を殺して晴らす職業じゃない…復讐なんかしたらティナも同じレベルの人間になるよ!」
 力の限り叫んだジョンの言葉が、ティナの中で何度も再生された。同じレベルの人間になる。犯罪者と。
『目には目をと考えちゃいけないんだよ』
 昨日、ネージュの前で言った言葉が脳内によみがえった。あのとき、自分ははっきりとそういったはずだった。なのに、今はこうして、自分の言ったことと矛盾して、衝動的に行動をしようとしている。
「ついてこなきゃよかったよ。俺、ティナを嫌いになりそうだ…」
 立ち上がったジョンは、服についた埃をはたいた。ガムを据え付けの灰皿に吐き、ティナの顔をちらりと見る。
「いや…目が覚めた。悪い、あたし、どうかしてた」
 展望台に置いてあるベンチにティナは腰を下ろし、頭を垂れた。緊張と怒りが少しずつ抜け、尻尾が垂れる。
「別に怒ってない。ただ、殺そうとするなら、俺は全力でティナを止めるからね」
 エレベーターのスイッチを押し、ジョンは扉をあけた。立ち上がったティナがジョンの後ろに続いてエレベーターに乗る。
「まずは爆弾をなんとかしなくちゃ。どうする?逃げる?」
 ジョンは腰のハンドガンを手でなでながら言った。どこか現実味のないような声だ。
「今の建築物はバランスが取れていて、どこかが崩壊しただけではなかなか倒壊しないようになっている」
 ティナはあまり感情のこもっていない声で言った。1階へ行くスイッチを押す。ドアが閉まったあと、エレベーターは下に降り始めた。
「基礎を一カ所吹っ飛ばしても、他の場所がそれをカバーする。数カ所一度に吹っ飛ばさないと、建物は倒壊しない」
 ティナはたばこの箱程度の小さな箱をポケットから取り出した。数字が4つ、小さなウィンドウに並んでいる。
「これは電波探知機。携帯やトランシーバー、無線ネットをハックして、電場の強さとノイズから場所を調べる装置だ。トミーを見つけられるかと思ってもってきたけど、途中から爆弾に周波をあわせておいた」
 エレベーターが下に下りていく。先ほどまで遠かった地上の景色が近づいてくる。美しかった夕焼けは沈み、街を闇が覆い始めていた。
「電波探知によると、爆弾は一カ所しかないみたい。このサイズの建物を一発で落とすとなると、トラックで運ぶ程度の大量の爆薬が必要になる。そんなものを簡単にトミーが持ち込めるとは思わない。そうなると方法はひとつ…」
「ひとつ?」
 顔を見上げ、腑に落ちない顔をするジョンに、ティナは答えた。
「純粋に少量で強力な爆弾。例えば、核爆弾さ。どうなるかは…言うまでもないね」
 ジョンはティナの答えを聞き、思わず背筋が凍るのを感じた。放射能除去という技術が確立しているとは言え、もし核爆弾が爆発すれば、アドラシスコの街は壊滅状態に陥るだろう。なにもかも、なくなってしまう。
「怖いな…街まで吹っ飛んじゃうかもしれないのか…どうする?」
「とりあえず、私服警官に連絡を入れよう。今ならまだ帰れるよ?帰るかい?」
 ティナの冗談めかした声に、ジョンは小さく笑った。
「大丈夫。ティナの隣なら安全さ。社会勉強させてもらうよ」
 強がりをいいながら、ジョンはぱんぱんとティナの腕を叩いた。


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