「うっ…」
 気がつくと、そこはひんやりした部屋だった。あまり清潔ではないベッドに寝かされていて、小さな机がおいてある。固そうなコンクリートが床や壁に使われている。どうやら独房のようだ。
 目の前には鉄のドアがあり、外から中を覗ける小さな覗き窓がついている。ドアの下には食事皿を入れる小さな戸がついている。ドアと反対側に位置する壁の上部に、鉄格子の入った小さな窓がある。そこから差し込む日の光は、もうすでに夕方であることを知らせてくれた。
「ここは…」
 ティナは無意識にポケットに手をやる。しかし、いろいろな物で膨らんでいたポケットはずのポケットには、すでになにも入っていなかった。
 あわてて自分の所持品をチェックするが、持ってきたはずのものをなにも持っていない。ハンドガンも、弾も、水の入ったパックもない。カメラも、カメラにとりつけるメモリーカードすらない。
「やられたな…」
 無駄だと知りつつ、ティナはドアのノブを回した。がちゃりと音はするが、鍵がきっちりとかけてあるらしく、ドアが開くことはない。鍵付きの独房のようだ。
「起きたのか」
 外から男の声がして、覗き窓にヒューマンの男の目が映る。先ほど、ビリーの横にいた男だ。
「起きたさ。帰るから、鍵をあけてくんない?」
 ティナは机についていたイスに座って、覗いている目をにらむ。
「それはできない。お前は俺等の大切な取引を見てしまったからな」
「これからあたしはどうなるわけ?」
「お前が一番わかってるんじゃないのか?アタッカーのお姉さんよ」
 ふふんと鼻をならし、男は覗き窓から顔をどかした。
「外に助けなんぞ求めたら、そのときはその時点でアウトだ。ここは人もろくに通らない通りに面している。目撃者もろとも消えてもらうつもりだから、どうするかよく考えるんだな」
 ティナは改めて、周りを見渡す。覗き窓から見えるのは大きめの部屋で、男が携帯ゲームをプレイしている。イヤホンをつけてプレイしているが、音が外まで漏れだしている。上に登る階段が部屋の隅に見え、あまり物は見えない。古びた机の上には、ティナの持っていた鍵やメモ、銃、落下のときに壊れたカメラやジャケットなどのものがおいてある。
 鉄格子の入った外窓の方は、ガラスが入っていない。外の通りが見えるが、人通りもない通りに塀が見える。どうやら、ここは地下か半地下のようだ。暑い屋根の上から涼しい地下に移動し、ティナの体力はゆっくりと回復していった。
「ねえ、せめて水くらいはほしいんだけど」
 覗き窓からもう一度呼びかけるティナ。男はゲームに夢中で、ティナの声が聞こえないようだ。振り向くことさえしない。
 あきらめて、ティナは脱出の路を探ることとした。コンクリートの壁を叩いてみるが、分厚い壁らしく手応えがない。爆薬でも壁は破壊できないだろう。窓もはめ込み式の鉄格子で、外に出ようとするには少し狭すぎる。今のティナにあるのは自分の肉体と、着ているものだけだ。
『さて、どうしたものか』
 ティナは窓から吹くなま暖かい風を感じながら、窓を背に座り込む。無愛想なコンクリートの壁は見ているだけでこれからの運命を予想させてくれた。
『犯されてばらされて捨てられるんだろうな…』
 ふと、外の太陽が陰り、ティナの背中になにかがあたった。振り向くとそこにはスニーカーを履いた少年の足が見える。少年はかがみ込み、窓から中をのぞき込み、ティナと目をあわせた。
「え…ジョン?あんた、なんでここに…」
 先ほどまで一緒にいた懐かしい顔に、ティナは驚きの声をあげた。
「しっ。助けにきたよ。気付かれる前に逃げよう」
 ジョンが差し出したのはティナが持っていたウェストポーチだった。鉄格子の間を押し込むように通し、ティナは受け取る。
「どうしてここがわかったの?あたしもここがどこだかわかってないんだけど」
 ウェストポーチの中を改めながらティナは聞く。ショットシェル、フラッシュパック、メディカルキットなどのものが入ってる中から、ティナは催眠ガスのスプレーをとりだした。
「ティナのモバイルのGPS情報を読んだんだよ。2時間くらい動かなかったから、心配になって。ここは登録では、カーンの家になってる。どうして捕まったの?」
「ちょっとヘマやって気絶してね。知らないうちに監禁されてたみたい」
「ドジだな。ティナはほんとにA級アタッカーなの?」
「うるさいな、誰だって失敗することくらい…」
 がたん
 独房の外でイスが動く音がして、男が独房に近づいてくる靴音が聞こえる。ティナはとっさにウェストポーチをベッドのシーツに隠し、ベッドに座った。飛び退くようにジョンが窓際から姿を消し、独房内にはまた日差しが差し込む。
「おい、なにをぶつぶつ言ってる?」
 覗き窓から再び男の目が覗くときには、ティナはズボンのホックをはずし、片手をショーツに入れてベッドに横になっていた。男の声に気付いたふりをして顔を持ち上げ、ゆっくりと起きあがってみせる。
「発情期なもんでね…うるさかった?」
 にやりと笑うティナの顔は、まるで肉食獣だ。豹の彼女がこの顔をすると、本当の獣のように見える。
「こんな状況でよく発情できるな。ケモノ野郎の祖先はブタだと聞いていたが本当らしい」
「なんとでもいいな」
 男のさげすむような言葉を聞き流し、ティナはわざとらしく指を舐める。男の目がティナの顔に行っている間に、ウェストポーチの中をそっと漁る。
「こっちこないかい?どうせ最後なら少しは楽しんでおきたいからね…淫乱だと思うかもしれないけど、ね…」
 妖美な笑みを浮かべ、ティナは立ち上がった。大胆不敵な笑みを浮かべ、手招きをしてみせる。ドアから見て左を向いて、相手に見えない左手で、ポーチから出した小さなスプレー缶をポケットに入れながら、右手でゆっくりとズボンのジッパーを下げていく。
「よ、よし、殊勝な心がけだな」
 最後まで下げ終わるか終わらないかのとき、男は半分うわずった声でがちゃがちゃとドアの鍵を開けた。音を立てて鉄のドアが開き、男が飛び込んできたのを確認すると、ティナは男の顔面に右アッパーを突っ込んだ。アッパーは男の右目にぶつかり、男の顔が回転した。
「ふぎゃ!」
 情けない声で吹っ飛ぶ男に素早く走り寄り、ティナのタックルが男を独房の外まで吹き飛ばす。一度倒れた男はごろごろと転がり、机に肩からぶつかった。
「こいつ…!」
 懐から折り畳みナイフを取り出し、男は膝をついて立ち上がる。ティナの拳がぶつかった右目は開けないようで、右目を閉じたまま左目でティナをにらむ。
「どうしたの。いじめてほしそうな顔してたから殴ってやったのに、勃たないの?」
「うるさい!」
「情けない男ね。中出ししたけりゃかかってきな」
 ティナが言い終わるか言い終わらないかに、男はなにも言わずに斬りかかってきた。銀色の切っ先を半歩さがって避け、ナイフを持った手の手首を捕まえると、背中を向けてぐいと男をひっぱった。男は大きく宙を舞い、背中から床に落ちる。音をたてて床にぶつかった男は、思わずナイフを離した。
「決まったね。背負い投げっていう東洋闘技の技さ。覚えときな」
 シューッ
 ティナはすばやくしゃがみ込み、倒れた男の鼻めがけてスプレーを噴射した。白い煙が立ち上り、男はぐったりと倒れる。つかんでいる手を離し足でつつくが、微動だにしない。
「ごめんね。今度時間があまったら、勃たなくなるまでしてあげるから」
 ティナはジャケットとホルスターを身につけ、おいてある品を一つ一つ確認しながらポケットに入れていった。最後にカメラを持ち上げ、損傷具合を確認していたとき、ティナは中に入っていたメモリーカードが抜き去られていることに気がついた。あれには証拠映像と音声が入っている。おいていくわけにはいかない。
「ジョン、そこにいる?こいつのメモリーがなくなってるから取り返しにいくよ。いい?」
 独房に戻り、ティナは外に呼びかけた。すぐに足が見え、ジョンの顔が覗く。
「このカメラはあんたのリュックにしまっておいてほしいんだけど」
 鉄格子の隙間から無理矢理カメラを外に出す。もとより壊れていたカメラは、外のプラスチックが割れ、さらに使い物にならなくなってしまった。
「うん、わかった」
「じゃあ、いくから。あんたは逃げなさい」
 ティナが独房から出ようとするとき、ジョンはティナの背中に声をかけた。
「待って、俺も連れていってほしいんだ」
 ティナはふりむいて、あきれたような顔でジョンをにらむ。
「だめだ。あんたは護衛対象だから、危険な目には遭わせられない」
「ここから逃げる方がよっぽど危険だ。他のやつに見つかったら、今度こそ俺らはおしまいだよ」
「だめなものはだめ。だいたい、どうやって中に入ってくるの?」
「ちょうど5メートルくらい、ティナから見て右の方に、中に入る入り口があるよ」
 ウェストポーチから手鏡を出して、ティナは通りを覗いた。近いところに勝手口らしきものが見える。逃げるのは簡単なようだが、ティナはメモリーを取り戻さないといけない。
「帰るんだ。足手まといを連れてたらやられるかもしれない。なにかあったら、責任取れるの?」
「取れないかもしれない。だけど、いつまでもいつまでも逃げ隠れするのはいやだ。これで終わりにしたいんだ」
 ジョンは立ち上がり、ポケットから銃を出す。昨日にウィルの店で購入したハンドガン、飛燕だ。昨日のことなのに、まるで一月は前のことのように思える。
「覚悟はあるの?」
「倒す覚悟だって倒される覚悟だってある。俺を子供扱いするな」
 まっすぐな目を持つ少年を見て、ティナはふっと笑った。ズボンのチャックを上げながらティナは背中をむけた。
「今ドアを開けてやる、待ってな」


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