高速道路の上では誰の追撃もなかった。ティナは常に後ろを確認するように運転したが、尾行されている様子もなく、至って静かだった。
 夜になって涼しくなったとはいえ、蒸し暑いことにあまり代わりはない。高速で走れば走るほど、なま暖かい風が体を叩く。おまけに二人は軽装備だ。ヘルメットすらかぶっていない。ジョンは目もあけていられなかった。
「とりあえず巻いたか。このまま逃げ切れるといいんだけど…」
 ティナはバックミラーで後ろを確認する。尾行をしているような怪しい車は見つからない。トラックが走っているくらいだ。
「ティナ、街中であんな騒ぎ起こして大丈夫なんだよね?」
「たぶん。事後処理は警察がするだろうし、アパートの監視カメラが一部始終を撮ってるはず。向こうが先に銃を出してくれたから、あたしらには非はない」
「でも爆弾で吹っ飛ばすなんてめちゃめちゃだよ…今はどこに向かってるの?」
 あきれた声のジョンに、ティナは顎で走っている道路の右側を指した。
「あそこさ」
 右手にはアドラシスコの街中と違って、少し落ち着いた住宅街と、ショッピングモールが見える。背の高い建物はあまり見あたらず、高速道路と平行して線路が走っている。周辺の郊外住宅地、マリアナ地区だ。
 大都市になったアドラシスコだが、市内にはビジネスマンや出稼ぎ人はあまり住まない。郊外にある大きな住宅街に家を借りたり、街的には離れている場所から電車などで通勤している。4つ程度の郊外街があり、それらは線路と道路でアドラシスコの都市部につながっている。
 なので、市内は昼人口と夜人口ががらりと変わることになる。昼はいなかった若者が夜に増え、昼にあわただしく仕事をしているビジネスマンは夜には消える。夕方が一番人の多くなる時間だ。そんな時間に犯罪が起きやすく、ティナが起こした騒動もそういった中の1つとして扱われることだろう。
 5分ほど走ってティナは高速を降り、すぐに小さな路地の方へ走った。路地には最初店が並んでいたが、すぐに静かで狭苦しい住宅街に変わった。
 しばらくして、一軒の家の前でバイクがとまった。あまり大きくない家で、外から見たらただの倉庫に見える。
「ここだよ」
 ティナは鍵をあけ、シャッターをあけた。中には小さなガレージと開きっぱなしの扉、奥に部屋が見える。部屋にはベッドや棚、ソファーなど一通りの家具はそろっているようだ。
 ガレージにバイクを入れ、ティナはシャッターを閉めた。埃っぽい空気が二人を出迎える。部屋に入り電気をつけると、部屋の中の様子がよく見えた。
 それなりに大きな部屋に、ソファーとベッド、棚、テレビ、小さなキッチンに小さなユニット・バス。トイレとシャワールームが一体になっている。ユニット・バスの扉の隣にはプラスチックの棚が置いてあり、棚には畳んだ服やタオル、シャンプーのボトルなどが入れてある。テーブルもあるが、あまり大きくはない。
 ガレージへの扉以外にも、玄関口があるようだ。隣には窓と、外から見えないようにするカーテンがついている。
「普通にこっちでも暮らせるじゃん。なんでわざわざ街中で暮らしてるの?」
 ジョンはソファーに腰を落ち着け、リュックと銃を置いた。さっきから銃はズボンに挟んだままで、その部分の毛が寝ている。
「こっちは避難所みたいな場所だから、ずっといるわけにもいかないんだ。アタッカーの仲間数人とシェアしてる。セルジオも仲間に入ってるね、彼も情報屋だから。誰かになにかあったら逃げ込めるように、交代で整備しておくんだ。あと2カ所くらいあるよ」
 ギターケースを置いたあと、ティナはベッドのシーツを窓に持っていき、窓から出してばたばたとはたいた。
「今セルジオに電話して、なんとかしてもらってくるよ。しばらくまってて」
 ウェストポーチを置き、ティナは携帯だけ手にして外に出た。部屋の中にはジョンだけが残される。
 それとなく部屋の中を見回す。壁には刃物で削られたと思われる傷や、銃弾が食い込んだ跡と思われる傷など、あまり気分のよくない傷がついている。
 部屋の中は蒸し暑く、何も音がしない。暇を持て余した彼は、立ち上がって部屋の中をいろいろと見てまわった。キッチンの棚には食器や乾燥のインスタント食品、半分さびているナイフなどが入っている。
「あ…」
 棚においてあった写真に、彼は目を奪われた。ティナが数人の男女と楽しそうに写っている写真だ。この写真のティナはセーターに長いズボンを履いている。ティナは写真左側に中腰で立っていて、その右には狐アクラーと人間のハーフだと思われる、ティナに見劣りしないワイルドな女性が写っている。後ろにはセルジオがコートを着て写っていて、写真の右端では褐色肌で痩せ気味の、少し年を取ったアジア系男性が写っている。
 全員、とても楽しそうに写っていて、なんの不安もなさそうだ。ティナもセルジオも、今より少し若く見える。どこかわからないが、森が近くにあって、ロッジのような建物が写っている。
「事故処理、なんとかしてくれるってさ。ほんと助かる」
 ドアが開き、ティナが部屋の中に戻る。ジョンが写真を見ているのに気がつくと、なにか思い出したような顔で、写真を取った。
「これね。仲間っていうか、みんなで前に撮った写真なんだ。あたしとセルジオは分かるでしょ?」
 自分とセルジオを指さして見せるティナ。その指がハーフの女性に移る。
「この子はネージュ。ネージュ・ライルマースっていってさ。あたしと同年。大学ん時から同じでさ。ハーフってことで、いろいろ言われてたみたいよ。あたしと趣味が合って、射撃とかテニスとか一緒にしてた。今は料理の修行しながら、アタッカーやってる」
 指が一瞬躊躇したように動き、最後の男性を指さした。
「彼は…前にあたしの後ろを任せてた男。本名を教えてくれないでさ、みんながマジシャンって呼んでた。年もあたしより結構上だったのかな、態度も大人だったよ」
 かたん
 ティナは写真を棚に戻し、ベッドに腰掛けた。ジョンもそれにならい、ソファーに腰掛ける。
「本物の魔法使いだった。銃弾が彼を避ける、絶体絶命の状況でも生き延びる、すごかったよ。アタッカーとしてのランクは低かったけど、信頼できる相棒だった。でも、死んじゃった」
 ふっと笑うティナの顔は、どこかあきらめがついたような顔だった。その中に、懐かしむような面影が見える。
「2年前の話さ。2本の高いビルの上で、追ってた組織の人間と銃撃戦になってさ、2メートルくらい間があいててね。向こう側が弾切れになったところを麻酔ガスで酔わせて、逮捕するときにあたしが焦って飛ぼうとしたんだ。届かないで落ちそうになったところを彼が引き上げてくれたけど、そのときに間違って、彼自身が落ちた」
 風が吹き、開け放した窓が音を立てる。涼しい風がこもった室内を駆け回り、また窓から出ていった。ティナは相変わらず、あきらめたような無表情で話を続ける。
「一度降りてからまた向かい側のビルに登ればよかっただけなのにね。マジシャンには家族もいなかったし、同居人もいなかった。家具や道具はあたし達が形見にわけて、教会で葬式をした。あたしのせいで彼は死んだ。それだけ」
 話し終え、少しの間沈黙が二人を包んだ。ティナに先ほどまでのシャープでワイルドな目はない。今のティナはどこにでもいるただの女性に見える。女性と言うよりは、まるで少女のようだ。
「いろいろあんのさ。彼のこともあるし、他にも。よく夢に見るよ。悪夢ってやつかな。今日はどの悪夢を見るか、と思いながら寝るのは嫌な気分だね」
 ティナは重いものを飲み込んだように、ゆっくりと顔を上げる。彼女の目の前では、複雑な顔でジョンが話を聞いていた。なにも言わず、ただじっと聞いていた。
「なんでそんな大事な話を俺に…」
 ジョンが口を開いたとき、ティナの携帯電話が鳴った。彼女はポケットから携帯を出し、届いたメールを手慣れた手で開き、内容を読む。
「今日中に警察に行くことは不可能だってさ。カーンの方の手回しが入ってるし、信頼の置ける刑事は明日にならないと出勤しない。今日は買い物に行くことすらできないね」
 携帯を閉じ、ティナはベッドに横になった。ミシミシと古いベッドがきしむ。
「あー、腹減った…ったく、明日まで断食なんて耐えらんないよね。こんなことならなんかインスタント食品でも備蓄しとけばよかった」
 寝ているティナの上にジョンの手が伸びる。彼の手には先ほどのハンバーガーがあった。
「これ、一応と思ってもってきたんだ。食べてよ」
 ハンバーガーをティナの横に置き、ジョンはまじめな顔でティナを見下ろす。
「俺、苦しいこととかつらいこととかよくわかんない。でも、聞くだけでつらいのはわかる。そういうこと、俺に言いたいことあったら、言ってほしいんだ。聞くだけ聞けるし、ティナもそれで楽になるかもしれない」
 まじめに締めくくったジョンに、ティナは思わず吹き出した。笑ったのは、たかが12歳の少年に元気づけられるほど自分がいつの間にか弱くなっていたことに対して。そして、ジョンの言うことがマジシャンにどこか似ていて、懐かしくなったから。
『みんなの苦しみを小さく、軽くしてやりたいんだ』
 彼はよくそういった。小さなきっかけがあれば、思い出すのはあっという間だ。あくびをするときに手を当てる仕草、なにかたくらんでるときのにやにや笑い、銃を持つときは寝かせて撃ち、半身で踊るかのように拳や弾を避ける。
 優しく、決して怒ったりしない。ベッドの上でも優しく、自分から求めたりはしない。甘えれば甘えるだけ愛を注いでくれる。魔法使いのおじさんは少女に夢ではなく、現実と想い出を与え、消えていった。
 ひとしきり笑ったあと、ティナは寝たまま、憮然としている顔のジョンの頭をくしゃくしゃと撫で、その後にハンバーガーに手を伸ばす。少し照れたような顔で、目に涙を光らせ、ティナは言った。
「…ありがとう」


 風でカーテンがはためき、そのたびに明るい光が室内に入り込む。朝日はまた今日も暑さを地表にばらまいている。
 ティナはゆっくりと目をあけた。体が痛い。白い無愛想な天井にヒビが入っている。いつもの自分のアパートとは似ても似つかない風景だ。起きあがって、自分がソファーに寝転がっていることに気が付いた。
 窓際のベッドではジョンが寝息を立てている。あまり寝付きがよくないようで、時折耳や尻尾がふらふら動く。直射日光の当たる場所で、暑くなったせいだろう。
 電波時計が無愛想な液晶画面で、土曜日の9時を表示している。それほど寝ていなかったはずだったが、気づけばもう朝と言うには遅い時間だ。
「んー…」
 起きあがって大きくのびをする。寝起きで乱れた毛に寝癖がついている。携帯電話のランプが点滅して、寝ている間に着信があったことを知らせてくれた。
「誰からだよ…」
 ティナは携帯の着信を見て、かけなおした。セルジオからだ。なにか用事でもあったのだろうか。
『もしもし?』
 電話口から聞き慣れたセルジオの声が聞こえ、ティナはなぜか大きくため息をついた。昨日からの緊張がゆるむ。
「ああ、なんか電話くれてたみたいだけど…」
『ああ。実はまた麻薬取引があるらしくてな。それにカーンが関係するらしいって情報を手に入れてな、手っ取り早く映像に記録して、証拠にしようと思うんだ』
「うん。そうすれば、あたしらはこうして逃げ隠れしないですむようになるね」
 話し声が聞こえたらしく、ジョンが起きあがって半開きの目で周りを見ている。ティナは電話中であることを見せ、口に指を当てるジェスチャーを送った。
『それで、ものは相談なんだが、映像撮影をやってくれないか?今回の件に一番関わってるのはお前だしな』
「いいよ。銃を撃たないで済むのは楽だね」
『あと2時間で、イレブンストリートの倉庫で取引がある。撮影機材とマップを渡したいんで、すぐにきてくれ。それと、一応昨日の件は処理しておいた。お前達はカーンの方に気をつければ、もう外を歩いても大丈夫のはずだ』
「うん、ありがとう。じゃあ、後はあった時に話そう」
 電話を切って、ティナはソファーに腰を下ろす。外で鳥の羽ばたく音が聞こえ、鳴き声が続いて聞こえた。
「今の、セルジオさん?」
 いつの間にかジョンがキッチンで顔を洗って、おいてあったタオルで顔を拭いている。
「うん。今から出て、仕事がある。カーンが麻薬取引に関わっている証拠を映像で撮るんだ。これが終われば、あんたも晴れて自由の身だよ」
 顔の毛についた寝癖を直しながら、ホルスターをつけなおす。銃を入れ、昨日着ていたジャケットを着る。これから獲物を探しに行く豹そのものだ。昨日見せた少女のような弱さはどこにも見あたらない。
「その間、俺はどうしていればいいの?」
「セルジオんところで待機しておいてほしい。とりあえず持ってきた物を持って、今からセルジオんところに行く。機材とか借りなきゃいけないからね」
 コップに水を入れ、ぐいと飲み干したティナは、ギターケースを立て直した。
「ほら、あんたも早く準備して」
 ティナにせっつかれてジョンはすぐにリュックを背負う。寝起きで足下がおぼつかないが、すぐに元に戻るだろう。
 ジョンが準備を終えたのをみて、ティナはガレージに行き、バイクを外に出す。大型バイクは牛のような巨体に日差しを浴びる。ヘルメットをしっかりかぶり、ガンキャリアにふたをして、ティナはバイクにまたがる。その後ろにジョンが乗り、ギターケースにしがみついた。
「そこじゃ危ないから前に乗りな」
 ティナに言われ、ジョンは前にまたがる。昨日と同じようにティナに押しつぶされるような形で、タンクに抱きついた。
「さて、じゃあいくか」
 ティナはバイクを走らせる。事件に終止符を打つために。少年に、平穏な日々を取り戻すために。


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