「ティナ…大丈夫?」
 目の前が明るくなっていく。炎は踊らなくなった。階段は消えていた。なにもかもがうすらぼんやりとして、消えていく。
「うっ…」
 誰かが彼女を呼んでいる。少女の体は急速に大人に戻っていく。体にはもう熱さは伝わらない。ふわっと、夜の匂いが鼻に流れ込む。
「ティナ、起きてよ。大丈夫?」
 ティナはゆっくりと目をあけた。そこにいたのは心配そうな顔のジョンだった。外はもうすでに暗くなっている。太陽が沈み、暑さが少し緩和されているようで、涼しい夜風が窓から吹き込んだ。
「ああ、やっと目をあけた。大丈夫?だいぶうなされてたけど…」
「…大丈夫よ。いつものこと。寝苦しくてね」
 目を隠すように手を置くティナ。片足とタオルケットが床に垂れた。
「火がどうこうって、熱いって…そんなに暑かった?」
 ジョンがイスに座る。
「ちょっと、ね。昔の夢を見ていただけさ」
 ティナが起きあがり、顔を片手で撫でる。テーブルの上には昼にジョンに買った銃と、1ドル札が1枚とコインが数枚、ハンバーガーの包みが置いてあった。
「なんだ、まだ食べてなかったの?」
 大きくのびをしながら、ティナはジョンに聞いた。あまりにもあけっぴろで恥を感じていない彼女から、少年は目をそらした。
「ティナの分も買ってきたんだけど…」
「ああ、そうだったんだ。ありがとう」
 窓から外を覗くティナ。暗くなった路地には外灯がぽつんぽつんと立っている。人が数人歩いているのが見える。しばらく見回した後、彼女は顔を引いた。
 クローゼットを開け、服を引っ張り出す。Tシャツに薄いジャケット、太股の上までカットしたジーンズ、ついでに詰めてあった中型銃用のホルスターも出す。下の引き出しからは、いつも使っているハンドガン、マッドキャットを引っぱり出し、マガジンを引き抜いて弾を込める。
「…どうしたの?」
 ジョンは不安そうな顔をして、ティナのすることを見ている。
「窓から見て左側、路地からこそこそ覗く顔が見える。ヒューマンの男だ。見つかっちゃったみたいね」
 かしゃんと音を立てて、ティナはマガジンを銃に入れた。同様のマガジンを適当に内ポケットに入れ、銃を胸の横のホルスターにしまう。
「見間違いじゃないの?なにかの待ち合わせかもしれないし…」
「あたしはあの顔を見たことがある。カーンの裏事業を任されてるって言われてる男だ。名前は確かビリー・フォードだったか」
 ウェストポーチを出し、中に弾や小物を入れるティナ。なにも入っていなかった袋は、すぐに膨らんで大きくなった。
「そんな…どうすれば…」
「ここから出るよ。できるだけ自然に、出かけるみたいな顔してるんだ」
 うろたえるジョンを後目に、ティナはギターケースをベッドの下から引っ張り出した。あけると、中にはサブマシンガンとマガジンが2本、ついでに銃身を切って短くしてある、いわゆるソードオフタイプのショットガンが入っていた。スポンジで壊れないように格納してあるが、そのスポンジの合間には弾やグレネードなどが詰め込まれている。
 フルオート銃やソードオフショットガンは、一般人には所持が禁止されている品目だ。アタッカーはこれらを合法的に登録することができる数少ない人間である。フルオートの銃は単発の銃に比べ、連続射撃で攻撃力が上がるので、それだけ危険になる。ソードオフは銃身とストックを切りつめてあるショットガンのことで、小さいために携帯が容易になる。どちらも悪用されると恐ろしい武器となるので、禁止されているのだ。
 ティナはサブマシンガンを取り出すと、それにも丁寧に弾を込めはじめた。
「このマシンガン、イギリスのVR44…オリオンじゃないか。こっちのショットガンはM2833、たしか名前はラグナロクス…どっちとも軍用だよ、どこでこんなのを?」
「そんなどうでもいいこと気にしてる場合じゃないでしょ?ほら、銃に弾込めて」
 ジョンはマガジンに弾を込めはじめたが、数発込めたところで指が痛くなってしまった。手を振って痛そうな顔をして、情けない声を出した。
「これ固くて…弾込めできないよ」
 ティナは無言でマガジンを受け取ると、弾を入れ始めた。昼寝前のゆるんだ顔とは違う、集中した顔で、ティナは事を進めている。それと対照的に、尻尾はいらいらとゆれていた。
「どの辺にその人がいたの?」
 マガジンを取り上げられ、することがなくなったジョンは、窓から顔を出して通りを見回している。
「バ…カ!」
 ティナはジョンの首根っこをつかみ、窓から引き離した。驚いたジョンが派手な音を立てて転んだ。床に大の字に寝転がっていたジョンだが、起きあがると抗議を言おうとティナの方を向いた。
「な、なにを…」
「あんたの顔を見られたら向こうに確信持たせちゃうでしょうが!入ってこられたら他の人にも迷惑かけるし、こっそりと逃げないとダメなんだから…」
 そう言いながら、ティナは小さな手鏡を窓から少し覗かせて、通りを見る。先ほどまでいた男はいなくなっている。
「いなくなってる。応援を呼びに行ったか、こっちにきたか。なんでもいいけど、ともかく早く出よう」
 ティナはギターケースを背中に背負い、財布や免許をポケットに突っ込んだ。腰にはウェストポーチをぶらさげている。ジョンを引っ張るように外に出た彼女は急いで鍵を閉め、階段の方へ向かう。目の前に見える健全な女性の足や、Tシャツの首元から見えるメロンのような胸に見とれる暇もなく、ジョンはリュックを背負って、ズボンの腰に銃を乱雑に挟み、ティナの後を追った。
「とりあえず地下に。バイクに乗って、10キロほど離れた場所にある別の拠点に行く。追っ手がいないことを確かめてから、食料を買い出しにいく。OK?」
「う、うん…大丈夫かな…」
「さあね。急ごう」
 二人は階段を降り、バイクのとめてある地下駐車場へ急いだ。地下駐車場には動く影はなく、人気がない。切れかけた蛍光灯がパチパチと音を立て、ついたり消えたりしている。
「ともかくここを出て…」
 ティナはバイクに鍵を入れ、後ろを振り返る。そこには、いつの間にか男が立っていた。先ほど窓から見えた男、長めの黒髪で、暑いのに紺色のスーツを着ている。ジョンはティナの後ろにかくれるように、ゆっくりと下がった。
「お嬢さん、お時間をいただけますか?少々話したいことがあるんですが…」
 男の後ろに、もう一人の男が立つ。この男もヒューマンで、こちらは金髪のやせた男だ。同じようにスーツを着ている。スーツの上からでも、銃を持っていることは明らかだ。
「時間がない。失礼させていただきたいんだけど」
 ティナの言葉を無視して、黒髪の男は一歩近づいた。距離を取るようにティナが一歩後ろに下がる。
「僕はビリー・フォードといいます。ジョン・アレッド君は我々が探していた少年なんです。よろしければ、引き取りたいのですが」
「残念だね、ミスター・フォード。この子はあたしが今預かっててね。知らない大人についていかないように、しつけてたところなんだ」
「渡していただかないと、少々荒っぽい手段に出なければいけなくなるんですがね…」
 にやりと笑い、ビリーはスーツの中に手を入れる。それに習って、後ろにいる金髪の男もスーツの中で銃を握った。
「ティナ、こいつ見たことある…あのとき、撃ったやつだ…」
 ぼそりとジョンがしゃべる。体は軽く震えていて、足が思うように動かない。ティナはジョンの背中に手を回し、腰のベルトを握った。
「ティナさんと言いますか。頼みますよ、ほら、この通り」
 ガキン
 金属質の音を立て、ビリーが銃の撃鉄を起こす。大口径のリボルバーガンが、冷たい銃口をティナの胸に向けた。
「人に物を頼むときは、もう少し丁寧に願いたいね」
 ティナは両手を上げ、バイクに背を預けた。ガソリンタンクにウェストポーチが当たり、がちゃがちゃと音を立てる。ウェストポーチのチャックが閉まっていなかったらしく、黒くて丸い、ボールのようなものが落ちる。
「それはなん…」
 カッ!
 ビリーが言うが早いか、ボールはマグネシウムが燃えるときのような閃光を出し、すさまじい音を立てた。
「フラッシュパックさ、あしからず」
 ティナは目を閉じ、バイクのエンジンをキックでかけ、ジョンの首根っこをひっつかんでアクセルを入れる。
 キュキュキュー!
 タイヤとコンクリートが摩擦し、ゴムの焼ける匂いがする。エンジンはフラッシュパックに負けないほどの大きな音を立て、バイクは出口めがけて駆けだした。
「う、撃て!」
 ドン!ドン!ドン!
 ビリーが叫び、二人の持つ2挺の銃が闇雲に銃弾を吐き出す。駐車場にとめられている他の車にあたり、コンクリートに跳ね返った銃弾だが、ティナにもジョンにもかすらなかった。
「ほら、飛ばしていくよ!」
 ティナは背中にギターケース、前にジョンを抱え込み、アクセルを思い切り吹かした。20、40、80、120とスピードが上がる。狂ったイノシシのようなバイクは、車の多い通りに飛び出した。
「わ、わ、わ!ぶつかる!ぶつかる!」
 情けない声を出すジョンを無視して、バイクは滑るかのように十字路を曲がる。曲がりきれなかったバイクは路肩に滑っていったが、ティナはガードレールを蹴り飛ばして軌道を戻した。へこんだガードレールの向こう側で歩行者が悲鳴を上げる。
 同じ動きで、アパートの駐車場から高速で車が飛び出す。路地に置いてあった段ボール箱やゴミ箱を吹き飛ばし、車は同じように右に向かう。甲高い音を立ててスピンする車は、ガードレールに尻から突っ込んだ。ガードレールが吹っ飛び、破片が通りがかりの歩行者に飛ぶ。よける車が玉突きを起こし、街は一瞬のうちにパニックに陥った。
「ったく、うっとおしい!」
 ティナは左足をどかし、バイクの横につけられたポケットに手を入れる。そこには古い片手式のグレネードランチャーが入っていた。
「ジョン、ねらって。あたしは今忙しい。わかるだろ?狙い方くらいは」
 抱えている少年にランチャーを渡し、ティナは腕をハンドルに戻した。横断歩道を歩行中の青年が驚いて転び、ティナはそれを大きく迂回して左に曲がった。車はすでに体勢を立て直し、同じルートでティナを追う。
 道路標識にハイウェイの文字が見える。バイクの後ろを高速で追いかける車からビリーが身を乗り出し、リボルバーを撃ち始めた。
 ドン!ドン!
 人通りの多い街におおよそ似つかわしくない愚鈍な音が響き、ティナの頬を銃弾がかすめる。空を飛ぶ、重力制御装置の付いた車であるエア・フライヤーが、銃弾をよけて大きく横にそれた。
「なにしてんの!早く!」
 ジョンはランチャーを握ってがたがた震えていたが、ティナの言葉で正気を取り戻した。上半身をひねるように体を乗り出し、ティナの脇の下からランチャーを向ける。
 ポンッ
 筒から情けない音がして榴弾が飛び出し、追いかける車のフロントガラスにぶち当たる。榴弾が当たったガラスには一面にヒビが入り、ビリーが何事か叫んだ。ランチャーを撃つ反動で落ちそうになったジョンを、片手でティナがつかんで、バイクに押しつけた。
 運転している金髪の男が急ブレーキを踏み、榴弾は反動で車のボンネットを駆け上がり、屋根まで転がった。
 ドォォン!
 派手な音を立て、車の屋根から爆風が立ち上る。車はその衝撃のせいでプレスされたかのようにつぶれた。勢いで歩道に乗り上げ、合成コンクリートのビル壁に突っ込んだ。通りがかりの歩行者が集まり、警察を呼べ、や、消防を呼べ、などの声が響き渡る。
「あ、あたった…」
 呆然とするジョンからランチャーを取りあげて、バイクのガン・ポケットに入れると、ティナはくしゃくしゃと少年の頭をなでた。
「よくやった。後でお姉さんが抱きしめて毛繕いしてやるよ。とりあえず、高速に乗って逃げるよ。しっかりつかまってな」
 炎上する車から遠ざかるように、近寄ってくるパトカーのサイレンから逃げるように、ティナはアクセルをふかし、高速道路の車体認識システムが認識するか不安なほどの速度で走り去った。


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