「ずいぶん出費しちゃった」
 バイクをアパートの地下にある駐車場に停め、ティナは大きくため息をついた。ヘルメットを取ると、短い髪がはらりとほどける。
 薄暗いアパートの駐車場には、排気ガスとおぼしき臭いがこもっている。どこもかしこも、この街は暑い。夏という季節柄仕方ないのだろうが、ティナは暑さにあまり良い感情をもてなかった。
「だから、手加減して運転してよ…速度違反で捕まる…」
 ティナの後ろをふらふらしながらジョンが続く。彼女の運転の荒さは変わらず、ジョンはそのせいでまたひどい目に遭っていた。
「所持登録も持たない12の子供に銃を持たせてる時点で、重大な法律違反よ。ま、数日だし、大丈夫でしょう。すぐに抜くんじゃないよ?」
「大丈夫なの?」
「昔はだめだったみたいだけど、今は認められてる。ただ、登録は必要だね。そんなこと言ってて死ぬよりは、この方がいいでしょう」
 鼻で笑い、ティナは答える。バイクにヘルメットを納め、階段を上り始める。ティナの部屋は3階にあり、このアパートは4階建てだ。エレベーターももちろんついているが、古いエレベーターで、地下から4階まで移動するのに時間を要する。少し疲れても歩いて登った方が確実だし、なにより早い。
「それにしたって、順序が違うよ。速度違反してから銃を買って登録を…ねえ、聞いてる?」
「聞いてない。早く来ないと置いてくよ」
 ふらつきながらも、ジョンはティナの後を追った。階段のところどころはペンキが剥げて、コンクリートの無愛想な面を見せている。窓からは南中した太陽が顔を覗かせ、どこそこかまわず熱気をふりまいていた。
「ここがあたしの部屋、302号。覚えておいて」
 がちゃがちゃとやかましい音をたてて鍵をあけ、中に入る。人が暮らす部屋特有の、こもったような匂いが、二人を出迎えた。
「おじゃまします…」
 ジョンは部屋に入り、あたりを見回した。おおよそ女性らしいとは言えないその部屋を見て、彼はまたため息をついた。
「なんだよ、ため息なんかついて」
「いや、片づけてないんだなって思って…」
「暇がないんだ。それ以上ナマいうと放り出すよ」
 こんこんと窓を叩き、ティナは盗聴器がついていないことを確かめる。カーテンを閉めて通りから中を覗けなくし、冷蔵庫からコーラの瓶を2本出すと、片方をジョンに握らせた。
「それで、お前はどういう状況で、どんなものを見たって?」
 ティナは瓶の蓋を歯で開けながら、テーブルのイスに座った。それにならって、ジョンも向かい側に座る。その顔は、先ほどまでの顔とは違っていた。
「言わなくちゃだめ?」
「こっちはそれで命がかかるかも知れないんだし、聞かせてほしいねえ」
 テーブルの上に転がっていた、錆びた栓抜きをジョンに渡しながら、ティナが言う。ジョンはしばらく黙っていたが、ぽつりぽつりと話し出した。
「買い物しに、夕方からサブウェイで街に出てさ。でも欲しい物がなかったんだ。家には親がいなくて、帰ってもなにもすることがないからぶらついてて、気づいたら倉庫街の方にいてさ」
 ジョンはティナから栓抜きを受け取り、瓶の蓋をあけた。ぷしっと気味のいい音をたて、数滴がテーブルの上にこぼれる。泡が立つ音が、閉めきった室内には大きく響いた。
「フェンスを張ってある倉庫の前にきて、カーンと、数人男がいた。黒い服着たヒューマンの男から、一人がアタッシュを受け取ったんだ。その中には、白い粉が袋詰めでたくさん入っててさ、別のアタッシュを渡したら、そん中には100ドル札がたくさんあったよ」
「100ドルが束でねえ…うらやましい話だ。で?」
「それで、俺がずっと見てたらさ、ヒューマンの男が入ってきて、ハンドガンを出して脅したんだ。写真を撮った、ばらされたくなければ金をよこせって。でも、なにもいわないで一人が銃を撃って、男が倒れて死んだんだ…」
 うつむき、ジョンは言葉を切った。握っているコーラの瓶がかたかたと音を立てて震える。
「逃げたんだ。でも、見つかってたんだ。家に手紙が投函されてて、もし言う気なら家族を殺すって。警察に話を持ち込もうとしたけど、それはやめた方がいいって親父が言ってさ。情報屋に俺が引き渡されて、ずっと回されて、今こうしてティナの元にいるんだ」
 よくありそうなことだ、と言おうとして、ティナはその言葉を飲み込んだ。目の前の少年は、何の罪もないのに他人の勝手によって、その命を脅かされている。ティナにとっては「よくある事件」でも、彼にとっては「生命の危機」だ。あまりとやかく言える問題ではない。
「わかったよ。任せてとは言えないけど、期日まではちゃんと守ってみせる」
「…ありがとう」
 顔を上げたジョンの目には、涙が浮かんでいる。それを見てティナは思わず苦笑した。
「礼はまだいらないよ」
 ティナはスーツを脱ぎ、シャツとショーツだけの姿になった。ホルスターの銃と、先ほどウィルから受け取った銃を丁寧にクローゼット下の引き出しにしまう。たった4時間ほどしか外で活動していないのに、彼女の体毛は少ない汗腺から出た汗でしっとりとし、全体的にぼさぼさとした感じになっている。
「あ、あのさ、俺は男なんだから…そんな格好で…」
 いきなり目の前で脱ぎ始めたので、どうしていいかわからずもじもじとしているジョンを後目に、ティナはベッドに体を沈めた。
「じゃあ、寝るから。適当な時間になったら帰ってきてくれ」
「え?」
 タオルケットをかぶったティナは、枕元の時計をいじり、夕方起きる時間を設定している。
「いや、守ってくれるって…それに昼飯とか…」
 口を開いたジョンの目の前に、ティナが5ドル札を差し出した。
「アパートを出て左、まっすぐ行って通りに出て、右向きゃハンバーガーショップがある。左にはチャイニーズとジャパニーズの店がある。なんでも好きなもん食っておいで」
「その間に襲われたら…」
「逃げてこればいい。あと、携帯の番号とアドレスはこれだから」
 めんどくさそうな声のティナは、5ドル札と名刺を手渡し、横になる。そしてそのまま動かなくなり、しばらくして寝息が聞こえだした。


 ぐるぐると脳の中で何かの音がする。生きているものが自分だけになる。そして、いつもと同じ夢を見る。
 豹人でアクラーの少女の小さな手が、家の扉をなでている。大きな家、大好きな家族が住んでいる家、美しい庭にかわいらしい花、空には鳥が飛ぶ。夕闇がゆっくりと家と少女を包んでいく。
 少女は夢見心地で扉をなで続ける。にこにこと笑う。なにがそんなにおかしいのかわからない。しあわせ、という単語が彼女にはよく似合う。スカートにブラウス、髪は長く、首の毛がそれとからむ。
 突然背中が熱くなるのが感じる。手が熱い、腕が熱い、足が熱い。目に見えるのは赤色、黄色、炎が舐めるように庭を焼き尽くす。少女のブラウスも炎に包まれる。少女は悲鳴を上げた。
 なでていた扉は音を立てて倒れる。家の中も炎、見慣れている家が見慣れない姿になる。窓ガラスが割れ、家族の姿はどこにもない。テーブルが、イスが、テレビが、なにもかもに炎がとりつき、めらめらと燃えている。あたりはいきなり暗くなり、暗い中に炎で燃える全てが浮かんで見える。
『ああ、ペニーを探さないと…ペニー…どこにいったの?熱いよ、ママ、パパ…』
 体中が熱い。少女は大好きだったテディベアを探そうと、炎に包まれたまま階段を登る。2階にたどり着くまでに灰になりそうだ。絞り出される涙さえも、炎は舐め取っていく。
 どこが自分の部屋だったかもわからない。少女は階段の半ばで倒れ、目の前には炎が踊る。ゆっくりと階段の上の扉が開き、火の粉が宙を飛ぶ。そこから見えるのは…
 見えるのは…
『ああ…』


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