情報屋は街の中心に近いところにあった。ペンシルビルの2階オフィス。情報屋をやっているのは、黒犬のアクラーでセルジオ・ナスカルと言う。1階には喫茶店があり、彼は喫茶店の経営もしている。喫茶店の名前は「スノー」。情報屋の客がこない限り彼は喫茶店にいて、入ってくる客にコーヒーを入れている。
 小さなビルに、小さなオフィスだ。余り人も入らない。しかし、アタッカーを支援する情報屋は、どんなに小さくても、有用な情報をそのままアタッカーに流すことができるようになっている。もちろん無償だ。もし金を取るようなことがあるなら、よほどの機密情報を手に入れたか、なにかオリジナルの情報があるかで、大抵の場合は公的機関から流れてくる情報を渡すだけのインフォメーションセンターになっている。
 また、市警察から入ってきた依頼を斡旋することもある。市警察では手に負えない事件、大きすぎて手が足りない事件、要人の護衛などだ。アタッカーは警察からのサポートを受けるだけでなく、警察をサポートする存在でもある。
 セルジオの場合、あまたある情報屋の1つという位置づけであまり大がかりなことはなかったが、ティナは彼の情報を何よりも信頼していた。というのも、彼は他の情報屋の持たない様々な知識を持っていたし、それを大安売りすることもなかった。
 ティナはビルの横にある路地にバイクを止めた。暑さは容赦なく彼女に降りかかる。獣人である彼女の汗腺は少なく、毛もとがややしっとりとしている程度。体を冷やす効果など期待できそうもない。逃げるように1階に入る。
 店の中はひんやりと冷房が効いていて、まるで別天地のようだ。窓は青みがかっているガラスで、涼しい店内で外をみる気分は水槽の中の魚そのものだ。外を歩く人間には獣人も多く、持っているもので扇いだり日差しをよけて歩いたりと、暑そうな態度はティナに外の暑さを思い出させた。
 中心街に近いこの喫茶店には、いろいろな人間が入っている。もちろん、ヒューマンだけでなく、アクラーもその中にいる。ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、そういった大都市の仲間入りをしているアドラシスコだ。やはり人間も多い。ウェイトレスが数人、忙しそうにしている。
「繁盛してるじゃないか」
 ティナはカウンター席に座りながら、目の前で棚を漁っているセルジオに声をかけた。
「いつの間に入ってたんだ?気がつかなかったよ。何か飲むかい?」
 ティナの方を向くこともなく、セルジオはティナに返事を返す。ごそごそと棚の中を漁り、大きな袋に入っているコーヒー豆を取ると、目の前のコーヒーミルにそそぎ込んだ。
「ああ、じゃあコーラを」
 セルジオはコーヒーの袋を戻し、大きなグラスにコーラを注いだ。
「はい、おまちどおさま」
「ありがとう」
 受け取ったグラスの中身を喉に流し込み、口元の毛を拭うティナ。ようやく人心地がついたようで、大きく息を吐いた。
「それでカフェ。今週はかわったニュースはあるかい?」
 ティナや彼と仲のいい人間は、親しげなニュアンスを込めて、セルジオのことをカフェ・ドッグと呼ぶ。コーヒーのような黒色の毛並みに、エプロンをしてコーヒーを作っている彼にはカフェという名前がよく似合う。情報屋をやっていなかったら、ただのコーヒー屋の店主だ。もっとも、彼はまだ30歳を越したところで、喫茶店のマスターになるには若すぎるが。
「んー、そうだな。国連査察団がアクラ・スーに視察に行って、政府体型について教科書に載せるための、新歴史調査に行くとかなんとか…」
「そんな小難しいのじゃなくて、この街の中でのニュースだよ。あたしが活躍できるようなニュースはないの?」
「ん、実はな…」
 セルジオは少しためらうような顔をした。コーヒーミルが豆を挽き終わりアラーム音が鳴った。挽き終わった豆をコーヒーポットに入れて、ティナの方に向き直る。
「実はな、ティナ。お前にだから頼めるんだが…子供を預かってくれないか?」
「…は?」
 ティナは耳を疑った。様々な仕事をこなしてきた彼女だが、ここでいきなり子供を預かって欲しいと言われるとは、夢にも思わなかった。
「いや、すまん。話をするからついてきてくれ」
 セルジオはエプロンをはずし、ウェイトレスの一人にカウンターを任せると、2階にあがった。その後に、コーラのグラスを持ったティナが続く。
 あまりきれいでない階段だ。しかも、2階の情報屋は開店休業状態なので、階段には段ボール箱などが置かれて狭くなっている。ティナは狭いところを通るたび、横にならなければならなかった。
「入ってくれ」
 セルジオはドアをあけ、小さなオフィスに入った。ソファーが2つ、真ん中にはテーブルがおいてあり、事務机の上はごちゃごちゃしている。古いパソコン、書類、洗っていない食器などだ。
 事務所の中には暑い空気がこもっていた。冷房が入っていて涼しい1階とは大違いだ。ソファーにはタオルケットをかぶった子供が一人寝ている。猫のような耳が動いている所を見ると、どうやらアクラーのようだ。黒い髪だけが見える。
『この暑い中よく寝られるな…』
 そんなことを思いながら、ティナは視線をセルジオに移した。
「いつの間にかベビーシッターの斡旋までしだしたってか。傑作だね」
 ティナは尻尾を1つ振り、子供が寝ていない方のソファーに座った。うっすらとつもっていた埃が舞う。彼女が嫌いなものは、不誠実な人間と子供だった。
 子供はいつでも自分のルールで動いて、人の言うことを聞かないし、大人をバカにするし、泣くとうるさいとティナはいつも言っていた。もちろんそのことはセルジオも知っているはずだった。つまり、彼女に子供を預かれと言うことは、どう考えてもないはずだった。
「いや、そうじゃない。そう怒るなって」
「じゃあなんだっていうの?あたしは子供は嫌いだっていつでも…」
「頼むから最後まで聞いてくれよ。まじめな話なんだ」
 セルジオがあきれたように言い放ち、ティナは口をつぐんだ。グラスに口をつけ、残ったコーラを一気に流し込む。しっぽがいらいらと揺れ、明らかに不快な態度をとっている。
「名前はジョン・アレッド。年齢は12歳。性別は男。猫タイプのアクラーだが、地球生まれの地球育ちで、英語しか話せん。母親は某大手ソフト会社のプログラマーで、父親は特殊部隊隊員だ」
「ふうん。で、その立派なお子さまをあたしが預からなくちゃならないわけ?」
 皮肉たっぷりにティナは答え、セルジオはさらにあきれたようにため息をついた。ティナの子供嫌いも相当なものだ。ソファーの上の子供、ジョンが寝返りを打ち、ティナの方に顔を向けた。眠っているその顔を、普通の女性なら天使だと形容するだろうが、ティナはそんなことはしない。
「こいつは麻薬取引の現場を見ている証人なんだよ。カーン・マブレフって知ってるか?」
「アクラーでありながら、市長選挙に出馬した狐野郎でしょ。そいつが麻薬を扱ってるって?」
「ああ。どうもそうらしい」
 カーン・マブレフは市長に立候補した、狐のアクラーだ。彼に関してはあまりいい噂を聞かない。曰く、アクラ・スーで殺人をして逃げてきたとか、マフィアとつながっているなどだ。麻薬を彼が扱っているというのも、噂のレベルではそう珍しい話でもなかった。打算高い男として名が知れており、大企業の重役の座に座っていた男だ。
 ティナはカーンと一度だけ話したことがある。エジレア市長がアタッカーや警察官、各優良企業の代表などを集めて治安維持会議を開いたとき、なぜかカーンが紛れこんでいたのだ。
 そのときの会話はごく単純だった。ティナが落としたハンカチを、カーンが拾って「あなたのものですね?落としましたよ」と言っただけだった。
 ティナは「ああ、ありがとう」と受け取ったが、彼の中に見え隠れするなにかいやらしい物を感じ、すぐにその場を去った。それ以来、彼のことがなぜか好きになれなかった。
「ま、予想はできたけど。で、証人護衛は警察からはつかないの?」
「カーンは警察にも強い力を持っていてな。警察官にこいつを引き渡すと、どうされるかわからん。他んところから流れてきた仕事で、面倒ではあるんだが、子供が殺されるのを見過ごすわけにはいかんからな」
「父親が特殊部隊の隊員なんでしょ?そのつてでなんとかは…」
「いくら親って言っても、ある意味じゃ一般市民だ。ほとぼりが冷めるまで、アタッカーが護衛する方がいい。もちろん、この事件が終わった後に、引っ越しをすることになるだろうから、そのときにはまっとうな警察の手を借りて厳正にやるつもりだ」
「最初からまっとうな警官に任せればいいと思うけど…」
「彼らも公務員だ。そういうことを個人的には請け負っちゃくれないよ」
 セルジオの話を聞きながら、ティナはもう一度ジョンの顔を見直した。地球に住んでいる猫に顔がよく似ている。先祖が違うと、ヒューマンとこんなに違う顔にもなる。
「ま、あたしには関係ない。できれば他の人を当たってほしいんだけど…」
「ティナ。これは大切な任務なんだよ。麻薬取引を行ってる悪人に市長は任せられない。一応はA級のアタッカーだろ?お前だって、少しは正義感ってもんを見せてくれたっていいんじゃないのか」
 セルジオは立ち上がり、ティナの目をじっと見つめる。負けずににらみ返すティナだが、この議論を長く続けるのはあまり得策ではないと悟った。セルジオはティナだからこの仕事を頼むのだろうし、ティナはその信頼を裏切るわけにはいかない。依頼を受けたとき、断る理由が「個人的に子供が嫌いだから」というのでは、他のA級アタッカーに示しがつかない。
「…ああ、わかったよ。はいはい、引きうけりゃいいんでしょう」
 ティナはあきらめ、承諾の言葉を口にした。
「すまんな。子供が嫌いなのはわかってるが、これだけはどうしても成功させたい任務なんだ。俺が別件で金を払うよ」
 セルジオの目に暗い炎がちらちらと燃えている。彼は麻薬撲滅を切実に訴える人間の一人だ。母親を麻薬のせいで失い、彼は天涯孤独の身だった。
「いいさ。で、いつまでこいつを預かってりゃいいの?」
「来週の月曜に証言することになってる。今日は金曜だから、丸2日だ。頼めるか?」
「頼めないっていっても無理矢理頼むんでしょ?わかったよ、引き受ける」
 ティナの言葉に、セルジオの顔に安堵が宿った。
「そうか、助かったよ。警察に任せるわけにもいかないってことで、あちこちの斡旋屋を転々としてたんだ。俺んところに回ってきたんだが、子供を追い出すわけにもいかないだろ?どうするか迷ってたとき、お前の顔が浮かんでな」
 セルジオは机の引き出しから依頼書を出し、ペンと共にティナに渡した。ティナは依頼承諾とサインし、セルジオに返す。
「ん、じゃあ連れて帰ってくれ。頼んだぞ。くれぐれも喧嘩して怪我させるなよ」
 セルジオは依頼書を引き出しにしまうと、1階へ降りていった。部屋にはティナと、寝ているジョンだけが残された。
「ほら、起きろ」
 がつん
 ティナは寝ているジョンの頭をこづいた。ジョンはしばらくもぞもぞしていたが、ゆっくりと起きあがり、ティナの顔をまともに見た。髪は黒、毛色は薄い茶色。少し生意気そうな少年は、ティナが嫌いとするタイプだった。
「…誰?」
「あたしはティナ。ティナ・フィウスだ。依頼されて、あんたを護衛することになったアタッカーだ」
「…女なのにアタッカー?頼りないね」
 ジョンは目をこすり、あくびをした。大きくあけた口から猫歯が覗く。そのふてぶてしい態度に、ティナは一発平手でも食らわしてやりたいと思ったが、泣き出すと困るので叩かなかった。
「頼りにしろとは言っていない。あたしの請け負った仕事は、お前を月曜まで預かって、証人台に無傷で立たせることだけだ」
「お姉さん、ずいぶん機械的な言い方じゃないか。もしかしてアンドロイド?」
 ジョンがからかうような口調で言う。ティナはジョンに顔を近づけ、にらみつけた。
「いい?先に言うけど、あたしは子供が好きじゃない。もし生意気言ったら、尻叩くくらいじゃ許さないからね。返事は?」
 ジョンは何も言わずに最後まで聞いていたが、聞き終えてから大きなため息をついた。
「わかったよ。なにが生意気でなにがそうじゃないかわからないけど、できるだけ努力はする。命がかかってるしね」
 その言い方が生意気だ…とティナは言いたかったが、相手をするのも面倒くさかった。これから丸2日、この子供とどうやって過ごしていけばいいのだろうか。
 ジョンは起きあがり、今までかぶっていたタオルケットを畳んだ。そして、ソファーの隣に立てかけてあるリュックサックを背負う。
「とりあえずよろしく。お姉さん、俺のこと嫌いみたいだけど、悪い人には見えないよ。仲良くやろう」
 そういいながら、ジョンは握手をするために手を差し出した。ティナはその手を取るかどうかしばらくためらったが、ぎゅっと握って思い切り上下した。
「ついてきな。寄り道してからあたしの部屋に連れていってあげる」


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