裏ってわかるか?
 なんにだって裏はあるもんだ。
 ニュースペーパー、ポスター、野球の得点板なんかにもあるな。
 この街アドラシスコにも、この国アメリカにも、裏はある。あんたが知らないだけでな。
 ここが美しく見えるか?いや、汚いところだってある。
 ここが楽しく思えるか?いや、苦しいことだらけだ。
 街の裏のなんか、普通のやつは欠片しか見られないんだよ。知らぬが仏って、東洋のことわざにもあるぜ。
 人間にだって裏はある。その人間の本性とでも言うべきか…まあ、いい。
 お前さんも「裏」には気をつけろよ。
 〜観光客に都会を紹介するガイドの男〜


 SHADOW LEOPARD
 #0 Broken ordinary days



 太陽は沈み、また上る。
 闇を恐ろしいと言う人間は多い。だからこそ、闇を払う光を、人は求める。
 夜中でもネオンが光り、街灯が光り、店からは電灯の明かりが漏れる。まるで狂った蛍の群だ。
 夜は限りのない闇。夜は全てを飲み込む闇。闇は人間の汚い心を比喩するが、決して闇は汚いものではない。醜い部分を隠しもする。
 その闇を払う光を、いとおしく感じる人間も多い。しかし、隠れていた醜い部分を光に晒すことは、それほど嬉しいことだろうか…?
 「彼女」は朝が…光が好きだった。しかし、暗闇を嫌っているわけではなかった。

 ブラインドの隙間から朝の光が部屋の中に入る。昼頃には、朝の光が強い日差しに取って変わることだろう。あまり広いとも言えないアパートの一室。暗い夜の匂いはもうしない。代わりに新しい朝の匂いと、むっとした熱気が満ちている。
 部屋の中は静けさと調和したいろいろな音で満ちている。冷蔵庫の低いうなり声、蛇口から落ちる水滴の音、窓の外には鳩が飛ぶ羽音。
 朝の風が半開きの窓から吹き込む。部屋の中においてある新聞が、風に煽られてばたばたと音をたてる。キッチンにおいてあった空のビール缶は、風で倒れて音をたてた。
 ジリリリリリリリリリリ!
 いきなり部屋の中に大きな音が響き渡り、目覚まし時計がけたたましく鳴き始めた。上についている2つの鈴は本体を振動させるほど震えている。
「うる…っさい…!」
 バン!
 ベッドに寝ていた女性が力任せに目覚まし時計を叩き、目覚まし時計はリンとも言わなくなった。アナログな時計は7時を指し示している。
 女性はゆっくりと起きあがり、大きなのびをした。美しい金色の毛並み、猫のような口と鼻、ピンと立った耳に茶色の短い髪。長い尻尾。黒い斑点の毛。まるで豹のようだ。季節は夏、暑い上に寝苦しかったらしく、ほとんど下着のラフな服装だ。見た目の通り、彼女はただの人間ではない。それもそのはず、彼女は地球人ではなかった。
 2172年、地球人類は世界的に大きな一歩「地球外生命体の発見」という偉業を成しとげた。宇宙開発のすばらしい結果が、宇宙人とのコンタクトだった。発見されたのは地球と非常によく似た環境を持ち、風俗文化もほとんど離れていない星だった。彼らは地球で言う20世紀前半の科学技術を持ち合わせており、人間とはまた異なる先祖…すなわち、四足獣全般が大幅に進化した生態系の人間だった。
 しかし、彼らは宇宙に関する技術は地球を恐ろしく抜いており、すばらしく高速で航行できる宇宙船を持っていた。彼らの星の教育機関では、これを「先祖が空を飛びたいと必死に願った結果」だと教えている。
 あまりにも似ているその惑星に対し、地球人のある宗教家は「神が作り出した地球の複製だ」とまで言い出した。なるほど、ある程度まで成長した地球を複製し、別の場所で同じように成長させ、少し方向性を変えるとこのような惑星ができるかもしれない。ただ、その星に住む人類の平均寿命は地球年で110歳だし、1年が地球の日数で1月ほど長いし、海は地表の役6割で陸が多いし、地軸の傾き度合いも違うのでほとんどの場所で四季がある。発見された惑星の住人は、自分の星のことを「アクラ・スー」と呼んでいたので、獣人一般を地球人はアクラーと呼んだ。アクラーは、地球人のことをヒューマンと呼んだ。
 発見されて当分はお互いの意志の疎通さえできなかったが、今では言語関係の疎通は完璧に取れるようになっている。また、ヒューマンとアクラーは生殖面において互換性があり、ハーフの子供まで産まれている。ただ体の構造上、医療や風俗文化などが微妙に違い、そこの差を埋めることができるようにお互いが努力をしている状態だ。
 それにしても、朝から暑い日だ。動く気がせず、しばらくぼうっとした表情で顔を触っていた彼女は、おもむろにテレビのリモコンを取るとテレビを付ける。
『…と供述しており、さらに余罪を追及しています。次のニュースです。ウェルズ倉庫街で見つかった死体について、警察では…』
 リモコンを置き、ベッドから降りる。窓を大きく開け、外からの風を取り込む。むっと蒸し暑かった室内に、部屋の中と比べると涼しい風が流れ込んだ。
 キッチンの方へ移動すると、パンをトースターに突っ込んで電源を入れ、フライパンを暖めながら卵と固まりのベーコンを冷蔵庫から出す。眠気のまだ残る目がちらりとビールの缶を見て、フライパンに戻った。
「あー、だる、昨日は飲み過ぎたな…」
 頭をわしわしとかきながら、彼女は調理ナイフを取り出した。
 固まりのベーコンから適当な大きさの肉を削ぎ、熱くなったフライパンに放り込み、その上に割った卵を流し込む。景気のいい音とともに湯気が昇り、部屋の中に匂いと湿気をまきながら、消えていく。
 部屋の中はあまりきれいとはいえない。散らかってるテーブルの上、サイドデスクには書類と機械部品、パソコンが乗っている。冷蔵庫の上にはなにかの空き箱がたくさん乗っているし、つぶれたビールの空き缶がキッチンには転がっている。電子レンジとトースターが密着して置かれ、ベッドが1つ、半分壊れたようなソファが1つ、テレビと古くさいディスクプレイヤーが1つずつおいてある。狭い部屋の中に様々な物が詰め込まれているようだ。
 唯一女性らしさを見せるクローゼットには男物のスーツが2着、片方の胸ポケットからはカードが顔を見せている。カードには「H.Mライセンス ティナ・フィウス」と刻印されていた。
 彼女の名前はティナ・フィウス。年齢は28歳、この部屋の住人だ。アクラー系豹人が地球に移り住んだ後の2世で、父母は独り立ちした彼女を置いてアクラ・スーに帰っている。アメリカ、アドラシスコシティ、5番街にこのアパートはある。
 アドラシスコは2309年に出来た街だ。周辺の市が合併して出来た、まだあたらしい都市である。まだ大都市と呼べるほどの街ではないが、それなりの活気はある。
 2345年現在、この町の人口は62万人。まだまだ少ないと言えるだろう。あまり大きくない都市、発展途上のこの街に人々は、光に集う羽虫のように集まってくる。出稼ぎ。観光。店を持つものもいる。もちろん、犯罪者も例外ではなかった。
 アドラシスコの治安は年を追って悪くなっている。前年度には過去最悪の数値を記録しており、警察関係者はぴりぴりしながらパトロールを強化している。こんなこと、周りから見れば余りにも不名誉だ。20世紀のSF映画で犯罪都市と言われたデトロイトだって、こんなに治安が悪くないだろう。
 そこでアドラシスコ市長であるエジレア・ハインリヒは、犯罪に対して警察とは別方面からの攻撃を加える組織を作り出そうと、あるライセンスを配布することにした。
 H.Mライセンスと呼ばれるそのライセンスは、通称「アタッカー」と呼ばれる人間が取得する。警察権力こそないものの、アドラシスコの治安を守る上で、強い力を持つこととなる。アタッカーは懸賞金の賭けられている犯罪者を捕まえることによりランクが上がり、ランクが上がれば上がるほどいろいろな点で優遇される。それは市警察、および州政府の補償がついているもので、多の市や州にもおなじ制度を行う場所が多い。もちろん一般人でも犯罪者を捕まえれば懸賞金が手に入るが、市がアタッカーに行うような優遇はない。
 バウンティハンターと違うのは、アタッカーが様々な点で擁護され、さらに徹底的な管理をされている面である。バウンティハンターの仕事は、保釈中に逃げ出した犯人を捕まえることが主で、攻勢に出ることは少ない。アタッカーはどちらかと言えば攻勢に出る人種で、警察の作戦に参加したり、未逮捕の犯罪者を捕まえたりする。アタッカーが起こした軽犯罪なども、犯人追跡中の不可抗力であった場合は、見過ごされる場合が多い。
 ただ、このライセンスを取得することは容易ではない。豊富な知識に強靱な体力、そして強い正義感を必要とされる。ティナはそれらをクリアし、見事アクラーの中からアタッカーに選ばれた1人だった。
 彼女のランクはA級。この下にはCから、この上にはS+まであり、最終的にはマスターと呼ばれるゴールドカードになる。マスターになると、かなり忙しくはなるが、州政府の多大な恩赦と補助を受けられる。アタッカーの中でマスターランクまで選ばれた人物は、現在までに5人しかおらず、彼らは子供達のヒーローであり、アタッカーを目指す人間のあこがれの的だった。
 ティナはベーコン・エッグを皿に入れ、焼き上がったトーストを抜き取り、朝食を始めた。焼けたパンの匂いにマーガリンが混ざる。
『本日の降水確率は0パーセント、一日中晴れたお天気となるでしょう。洗濯物を干すにはもってこいの日で…』
 ぶちん
 朝食を取りながら、ティナはテレビの電源を切った。どうやら彼女の興味を惹くニュースはなかったらしい。食べ終わり、皿を台所に持っていく。
 今まで着ていた服を脱ぎ、先ほどのスーツを着て、腋にあるホルスターにハンドガンを差し込む。余裕たっぷりなその姿は、エサを探す豹そのものだ。
「さて、そろそろいくか」
 ティナは部屋の戸をあけ、外に出ていった。階段を下り、地下駐車場に入る。
 今日は定例の情報収集の日だった。週に一度、こうして斡旋業を営んでいる人間の元へ足を運び、仕事がないかを確認しにいく。なにもないならなにもないで、アドラシスコが平和だという証なのだが、なにもないことはまれで、大抵は凶悪犯の情報を聞かされて帰ってくる。
 大型バイクのエンジンをかけると、ティナは颯爽と通りに出て、走り去った。


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