「こ、ここまで来れば…」
屋外プールの端、観葉植物の飾ってあるスペースに逃げ込んだアリサは、肩で息をしながら周囲を見回した。無関係な人間しか辺りにはいない。ちょうどコンクリートで出来た花壇の裏側、後ろは壁があり、隠れるには最適の場所だ。
「もう気が済んだだろう!縄をほどいてくれよ!」
どさりと下ろされた竜馬が、エビのようにばたばたと体を動かす。
「何言ってるの、これからが楽しみなんじゃない」
「これからが楽しみなんだ?」
「ええ、もちろん。まず脱がして…って、え?」
聞き慣れない声を聞き、アリサがばっと振り向く。彼女の後ろには、いつの間に来たのか、明良が立っていた。
「くっ、竜馬は…」
反対側に逃げようとして、そこに星見が立っていることに気がつく。逃げ場を失ったアリサは、壁に背を預け、耳を伏せた。
「な、何よう、知り合いでもないのに、けちつけるっていうの?真優美ちゃんの肩持つの?」
明良と星見の顔を、アリサが交互に見た。
「別にそういうわけじゃないんだが、落ち着いて話し合ってみてもいいんじゃねえかってこと」
明良が諭すように言った。その間に、星見が竜馬を縛っている紐をほどき、竜馬を自由にした。
「ったく、ひどい目にあった…織川さん、ありがとうございます」
竜馬が起き上がり、礼を言った。星見がにこにこしながら、顔の前で手を振る。
「ふん、だ。どうせ私、悪者よ。嫌われ者ですよーだ」
逃げることも、言い訳する事もできないと悟ったアリサは、拗ねて膝を抱えると、その場に座り込んだ。
「誰もそんなこと言ってないだろ?お前な、彦根さんとか織川さんにまで迷惑かけんじゃねえよ」
「ごめんねー、迷惑な女で」
「そうじゃないって…はあ…」
アリサのぶすくれ具合に、竜馬がため息をつく。
「はは、仲いいんだな」
明良が笑って、観葉植物の花壇に腰をかけた。
「仲いいわけないじゃないですか…」
「俺から見たら十分仲がいい。まるで女房相手だな」
明良が言うと、星見がくすくすと笑った。
「さっきの子とこの子、君はどっちを取るんだ?優柔不断は許されないぜ?」
明良がにやにやしながら聞く。
「そんなん、わかんないですよ。俺、女の子と付き合うってこと、今はまだわかんないから…」
竜馬が顔を掻いて答えた。
「今はそれでもいいかもね。そのうち、はっきりさせなきゃいけない時は来る。そのとき、君は何を基準に決めるの?」
星見が明良の隣に座り、聞く。
「やっぱり、性格、かな…アリサは性格がよくないから…こいつはわがままで、言うこと聞かないで、しょっちゅう一人で暴走するような女の子ですよ?」
「それだけ言えれば十分。嫌な部分であれ、目に見えてるってことでしょ?」
「それは、そうですけど…」
竜馬がその隣に座り、言葉を濁した。アリサの目が、じっと竜馬を見つめている。
「見たくないものを無視することは簡単だからね。いい部分も見えてるんじゃない?」
星見が竜馬に微笑みかけた。
「いい部分…いきなり言われても…」
竜馬はアリサのいい部分を考えてみた。突っ走る性格は、見方を変えれば行動的だということになるし、好きな男になつくというのは、男側にその気さえあれば愛の証になるだろう。もちろん、竜馬にはその気がないので、両方とも悪点にしか見えないが。
「どうせ、私はいい部分なんてないからね〜。竜馬の目を通したら、嫌で嫌で仕方ないバカ女なんでしょ」
唸って考える竜馬を見て、アリサが蔑むように言った。こうなった彼女は、何を言っても聞かないだろう。
「君らは毎日あえるんだろ?」
「ええ、あいたくないときもありますが、基本毎日あえますよ」
竜馬がちらりとアリサを見た。アリサは今の、あいたくないときもあるという言葉に、さらに機嫌を悪くしたようだ。
「うらやましい。すっげえうらやましいよ。俺ら、あいたくてもなかなかあえない生活してんだぜ?な?」
明良が星見に同意を求めると、星見が大きく頷いた。
「別にあいたくない相手だったらいいんじゃないですか?」
「わかってないな。あいたくなる時が来るんだよ」
ばしんっ
「あたっ」
竜馬の背中を、明良が力を込めて叩いた。
「実はこの際だから言っちまうんだが、俺と星見、実は結婚してるんだよな」
子供が秘密を明かすときのような無邪気な顔で、明良が言う。星見の頬に、さっと紅が差した。
「え?彦根さん、いくつなんです?」
「俺も星見も20かな」
指を折り、彦根が年を数えた。
「俺ら、最初は仕事してたんだけどさ、結婚してからぐうたらばっかしててさ。親に、仕事しろって叱られてよ。今じゃあおうと思ってもあわせてもらえねえもんよ。つらいぜ?」
明良が顔を撫で、ふうと息をつく。
「もう就職してるのか…大変だな…」
竜馬が考え込む。今はまだ高校1年だからいいだろうが、就職も視野に入れて上の学年に上がらなければならない。将来の事を考えると、少なからず頭痛を感じた。
「ぶっちゃけ、自分を好いてくれる女がいる。そんだけで俺、もう十分なんだわ。だから、君がなんでこの子のことをそんなに嫌うか、俺にはわからん」
いかにも、理解不能という顔を見せる明良。彼の言葉に、星見がさらに赤くなった。
「でも俺、小学生のころから、ずーっとこいつにひどい目に遭わされてきたんですよ?こいつと出会うことがなければ、どれだけ正常な生活を送れたか…」
「竜馬君、そんなこと言うものじゃないよ」
竜馬が自分のつらい体験を語ろうとしたとき、星見が強めの声で竜馬を止めた。
「出会うことには善も悪もない。その後、2人がどんな関係を築くか、それが大事なんだから。そんな言い方じゃアリサちゃんがかわいそうよ」
星見の言葉には説得力があった。その目は、竜馬の心を見透かしているかのように感じられた。
「…すいません」
竜馬ががっくりうなだれる。
「アリサちゃんだってそう。本当に好きなら、竜馬君のことを考えてあげないと」
星見の目が、今度はアリサに向けられた。アリサは目を逸らし、尻尾をいらいらと振っていたが、俯いて小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
「ほーら、仲直りだ。これでもう十分だべ?みんなんところ、戻ってやりな。もう仲直りしましたって。ほんとはお互い、言うほど仲悪くねえじゃん?」
明良が2人を立ち上がらせ、ばんっと2人の背中を叩いた。
「そうですね…ありがとうございました…あの、いろいろと…」
「いいさ。俺らも退屈しないで済んだしな」
竜馬が頭を下げると、明良が手を軽く挙げた。竜馬とアリサが、数歩前に歩く。
「あの…」
竜馬が振り向くと、そこには誰もいなかった。明良も、星見も、影も形も見えなかった。
「あれ、どこいったんだろ…」
竜馬がつぶやき、アリサも振り向く。
「ほんと。先に戻っちゃったのかな」
「うん。そうみたいだな」
数瞬、2人の間に沈黙が流れた。
「もう、あんなの、ごめんだからな。縛ったりするのはやめてほしい」
竜馬がアリサの方を見ないで言った。
「ごめん。でも、私だって、寂しいのは嫌。恋人じゃなくても、もっと仲良く…」
俯き気味に、アリサが言った、そのときだった。
「あー、見つけた!」
真優美の素っ頓狂な声が響き渡った。見れば、真優美、美華子、恵理香の3人が、いつの間にか目の前に立っている。
「あ、真優美ちゃん、実は…」
アリサが謝ろうと一歩前に出る。
「言い訳なんか聞かないもん!えーい!」
がちょん
美華子の持っていた水鉄砲を奪い、アリサに向ける真優美。彼女は躊躇することなく引き金を引いた。高圧の水流がアリサめがけて襲いかかる…かと思いきや、真優美の狙いがへたくそで、それは竜馬に襲いかかった。
「あ」
ぶしゃあああああああああああ
「ぎゃー!」
射程100メートルの水が、至近距離から竜馬の股間に寸分違わずぶつかった。
「は、はがが…死ぬぅ…」
竜馬が股間を押さえてうずくまる。
「り、竜馬!大丈夫!?今舐めて治してあげるから…」
アリサが竜馬の水着に手をかける。ずるりと下ろされた海水パンツの、その下にあるものを、アリサが手できゅっと掴んだ。舐め回そうと、口を開く。
「やめんかー!このド変態!本当に毛むしるぞ!」
げしぃ!
竜馬がアリサを蹴り飛ばした。
「で、でも、心配なのよう!」
「えーい、離せ!」
海水パンツを最後まで下ろそうとがんばるアリサを、竜馬が押しのけた。
「そんなのだめー!じゃなくて、竜馬君、ごめんなさい!」
真優美が水鉄砲を捨てて2人に駆け寄る。恵理香は慌て、美華子は自分には関係ない顔をしている。そして、遠くから、ようやく開放された修平がふらふらと駆けつける。
『結局、外に遊びに出ても、こんな目に遭うのか…』
竜馬は憂鬱になって、涙を流した。
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