「はあ…」
 本日何度目かわからないため息を吐き出しながら、竜馬は屋内プールの天井を見つめていた。プール用の、白いプラスチックで出来たサンラウンジャーに寝そべっている。彼の目はうつろ、手足には力がなかった。
 考えるのは真優美のことだ。今までの態度で、真優美を怒らせてしまったことはわかった。彼女が本気だったこともわかった。それどころか、いつもはぽわぽわしてるのに言うときは言う性格だったとか、ハンバーガーをあれだけ食べたのにスパゲティやピザを食べる胃の持ち主だったとか、水着姿で少し濡れているといつもにも増してかわいく見えることなどもわかった。しかし、それらの情報は現状を打開するための力にはならず、竜馬はただ無駄な考えを続ける他なかった。
「…あいつ、さっき帰ってきたときからああだけど、何かあったのかね」
 修平が、恵理香から投げられたビーチボールを受け止めた。
「疲れることでもあったんじゃない?知らないけど」
 じゃれてくるアリサを美華子がはねのける。知らないけど、と言うわりには、心配そうな声になっていた。
「しかしだな、あいつのアレは、シリアス漫画か恋愛小説の主人公が持つソレだぞ。そろそろなんとかしないと、トロも中落ちもないまま終わっちまう」
 修平がボールを持ったまま悩み始める。
「なーによ。元々、この私と竜馬の純粋恋愛ラブラブぬちょぬちょもんぐりもんぐりな話なのに、何を今更…」
 アリサがふふんと鼻を鳴らした。
「擬音がいやらしいな。さすがはアリサだ」
「うっさいわね」
 恵理香にからかわれ、アリサが膨れ面を見せた。
「真優美関係だろうね。何があったか知らないけど、面倒くさいことだけはしないから」
 美華子がはっきりと宣言し、ボールを投げた。
「あの子と竜馬の間に何があったって言うのよ?」
 水に濡れた長い髪をいじるアリサ。その目が、ぼーっとしている竜馬を見つめている。
「本人に聞いてみればいいのではないか?」
「そうする」
 恵理香に言われて、アリサは水からあがった。一つぶるっと震えて、水気を落とし、竜馬に近づく。
「りょーま。どうしたの?元気ないよ?」
 にっこり微笑んで、アリサが竜馬の顔を覗き込んだ。
「なあ…お前、俺のこと、好きなんだよな?」
 無表情で竜馬が言う。それを聞いて、アリサは驚くと共に、かあっと顔が熱くなるのを感じた。
「ななな、何を…そんな、いきなり、当たり前のことを…うん…す、好きよ…」
 隣のサンラウンジャーに座り、目を泳がせるアリサ。指で長い髪をくるくると巻き、尻尾がふらふらと揺れた。
「そうか…好きなのか…」
 対する竜馬は、ぼんやりと天井を見つめて、足を組んでいる。
「どうしてそんなことをいきなり?あ、まさか、やっと私の魅力に…」
「興味もない」
 くねくねと体を揺らすアリサに、竜馬が冷たく言い放つ。
「このー!」
 ばしいん!
「げふうっ!」
 仰向けになっている竜馬の腹を、アリサが力を込めて叩いた。
「いってえな、何すんだよ!」
「興味ないとか言うからよ!ふーんだ!」
 アリサが息を荒くして怒っている。竜馬もそれに応じるべく体を起こしたが、面倒くさくなったのかまた寝転がってしまった。
「なあ…人を好きになるって、どんな感じなんだ?つーか、恋ってなんさ?」
 竜馬がアリサに聞く。その言葉には、嫌らしい響きやバカにしている響きは一つもなかった。
「どうしたのよ、いきなり」
「いや…俺、わかんなくなったんだよ。恋愛ってもんがさ。元から恋愛経験なんかないのに、さらにわからなくなって…」
 はあ、と竜馬がため息をつく。2人の前を、同じ高校生と思われる集団が、笑いながら歩いていった。
「大丈夫よ。私、わからないまま来られても、抱きしめてあげる自信あるもの」
 アリサが自信たっぷりに自分の髪を後ろに払った。
「そういう女ばっかりじゃないだろ?それに、納得したいんだよ」
「くふふ、何言ってるの。あなたは、私とくっつくんだから、他の女の子の心配なんてしないでいいのよ?」
「相変わらずお寒い発想だな。もう相談なんかしねえよ」
 竜馬がアリサに背を向けるように、横向きに転がる。
「真優美ちゃんのことでしょ?」
 アリサが、座っているサンラウンジャーに寝転がる。
「なんだ、わかってんじゃねえか」
「もちろん。で、どんなことを聞きたかったの?」
 アリサの口調が、真面目モードに入っている。普段は竜馬関係でよく暴走するアリサだが、今の彼女は信用できそうな雰囲気をしていた。
「んと、だな…」
 竜馬は今までの経緯を話した。真優美が自分に告白したこと。それを適当にあしらってしまったこと。怒っていなくなってしまったこと。迎えに行ってみれば、知らない大学生と仲良くしていたこと。それを見て、とても惨めな気分になったこと。
「ふぅん…ますます真優美ちゃんは私の敵ね〜」
 冗談か本気かわからない口調で、アリサがつぶやいた。
「要するにさ、俺、心の中の変なところで安心してたんだよな。女の子が周りにいっぱいいる環境だし、その…お前とかに、言い寄られもしたしさ」
 竜馬は自分の内面を見直しているらしい。彼の悩み顔を見て、アリサはどきりとした。アリサにとって、これは大きなチャンスだ。あることないことを、説得力のおまけをつけて吹き込めば、竜馬はそれを信じてしまうだろう。邪な気持ちが、彼女の中で雲のように膨らんでいく。
『まずは竜馬がなびかないようにしないと…』
 アリサはちらりと竜馬の方を見た。見た目は普通、いつもの錦原竜馬に相違ない。だが、その心の内では、何を考えているかすらわからない。そこで、アリサは一計を案じた。
「んー…思うに、真優美ちゃん、その大学生に惚れちゃったんじゃない?彼女になっちゃうつもりよ」
 アリサが足を組んだ。きゅっと、ビキニのパンツが引っ張られる。
「いきなり出会った相手に?」
「そうよ。必要とされるって、嬉しいものよ?ふらふらで泣きそうなところに優しい言葉なんかかけられたら、一発で参っちゃうんだから」
「そんなもんかなあ…」
 竜馬がぼんやりと宙を見つめる。
『そんなわけないでしょ〜』
 アリサは平静を装いながらも、心の中では笑っていた。いかに真優美と言えど、初対面の相手についていって彼女になろうとは思わないはずだ。優しさをかけてくれる相手はとても嬉しいが、それがいきなり恋愛に発展することは少ないだろう。ましてや、先ほどの話を聞くに、真優美はまだ竜馬に気がある。それを考えた上で、アリサは嘘をついた。
『ごめんね、真優美ちゃん…竜馬は渡さないんだから』
 アリサは心の中で真優美に謝った。もちろん、本気であるはずがないのだが。
「よし、悩んでも仕方ない。俺も少し泳ぐか。真優美ちゃんが戻ってきたら、もう一度しっかりと謝るよ」
 起きあがった竜馬が、プールに頭から飛び込み、水しぶきがあがった。
「くふふ…これで、これで竜馬は…」
 その竜馬の姿を見ながら、アリサが妖しく笑った。だが、それに気づく者は、誰もいなかった。


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