6人が竜馬の家についたのは、それから30分ほど後のことだ。アリサを押さえ込み、説得し、なだめた上で、真優美がめそめそ泣いているのを慰めた竜馬と修平は、疲れ切った顔で竜馬の部屋に座っていた。居間には、アリサをなだめるという名目で、女性4人が座っている。清香は既に出てしまったらしく、姿が見えない。竜馬の住んでいるアパート…厳密に言えば、竜馬と清香の借りている部屋は3部屋あり、1つが竜馬の部屋、1つが清香の部屋、その間に居間がある。居間からは台所につながっており、台所から風呂、トイレ、玄関に通じている。先ほどから、美華子と恵理香がメインでアリサに語りかけ、アリサはやっと落ち着いていた。
「落ち着いた?」
 半ば呆れた顔の美華子が、先ほど竜馬が取ってきた猫のぬいぐるみをだっこしながら言った。
「うん、だいぶ。真優美ちゃん、ごめんね。私、我を見失っちゃって…」
 アリサが疲れた顔で謝った。尻尾がたらりとたれて、元気がなくなっている。
「まったくですよぉ。ほんと、痛かったんですから」
「だって、竜馬が取られると思ったんですもの」
「ふん、だ。知らない」
 真優美は浴衣のお尻を撫でながら、そっぽを向いた。
「アリサは困った子だからね。錦原のことになると見境なくなるし。身勝手な女には男は寄りつかない」
 美華子がそう言いながら、景品の猫ぬいぐるみの鼻をつまんだりヒゲを引っ張ったりして遊んでいる。
「言うわね。彼氏に振られた経験からってこと?」
「そうじゃない。って言うか、振られたのは向こうの都合だし」
 アリサが茶化して言うと、美華子はぬいぐるみをだっこしたまま視線をアリサに向けた。
「実はだな、私は先ほどから、思っていたことがあるのだ」
 恵理香がテーブルの上に広げた数学問題集を解いている。来週の編入テスト用の問題集だ。レベルは高校入試程度だが、彼女には難しいらしく、時々教科書を広げ、唸っていた。
「思っていたことって?」
「彼は、私と真優美ちゃんにはかわいいと言い、美華子さんとアリサにはかわいいと言わなかった。そこで、ある仮定がうまれるわけだ」
「その仮定とは?」
 興味津々に続きを促すアリサ。シャープペンシルの芯を入れながら、恵理香が顔を上げた。
「和服だよ。私たちは和服を着ていただろう?」
 恵理香は自分の着ている服の襟元を少し引っ張ってみせる
「つまり、錦原が和服フェチかもしんないってこと?」
 美華子が今度は、ぬいぐるみの代わりに真優美の毛皮をなで始めた。気持ちよさそうではあるが、少し暑そうだ。撫でられている当の本人は、少し不機嫌な顔をしている。
「フェチというか…好きかも知れない、と思っただけだよ。私は、男性と付き合った経験がないので、男性の心境がどうだかはわからないが」
 何でもないことのように恵理香が言った。
「試してみる価値はありそうね。今から浴衣でも買って来ようかな〜」
「私の換えでいいなら貸すが?」
 物欲しそうな顔のアリサに、恵理香がカバンから和服を取り出した。青紫基調の、ゆったりとした着物だ。
「借りていいの?毛がついちゃうかも…」
 アリサはそっと着物を手に取り、微笑んだ。
「もちろん。きっと似合うと思うぞ」
 恵理香がそう言うと、アリサは嬉しそうに着物に頬ずりした。
「これ、カジュアル着物シリーズじゃない?」
「うむ。面倒くさいところが省略されて、浴衣気分で着られる普段着だよ。本式の着物は面倒くさいからな」
 美華子が生地を手で撫でて聞くと、恵理香がうなずいた。
「じゃあ、早速…まずは脱がないと…」
 アリサがTシャツに手をかけた。
 ちょうど同じころ、隣室で何をするでもなく惚けていた修平は、隣の部屋の言葉を聞いて立ち上がった。
「おい、竜馬。アリサちゃんが着替えるみたいだぞ」
 修平が小声でこそこそと言う。竜馬はアリサの着替えには興味がないらしく、手をはたはたと振った。襖を少しだけ開けて覗くと、ちょうどアリサが上着を脱ぎ終わったところだった。
「お、すげえ…おい、見てみろって」
「いいよ、興味ねえよ」
「残念だな。お、下も脱ぐみたいだ。おお…!」
 襖の向こう側に見入っている修平を見て、竜馬はなぜだかわからないが怒りを感じた。
「覗きなんてやめろって」
 ぐいっ
「わっ、何すんだよ」
 修平の肩を引っ張る竜馬。彼はなぜ自分がこんな気持ちになったか、説明出来なかった。むしろ、自分の気持ちがどんなものかさえ、理解出来なかった。
「こんなチャンス、なかなかないじゃんかよ。お前、アリサちゃんに興味ないんだろ?」
「だけど、覗きなんかしちゃいけんだろ。常識で考えろよ」
「いいんだよ、相手が気がつかなければ。さてはお前、嫉妬してるな?」
 修平がからかうように言った瞬間、竜馬の拳が彼の頭を殴っていた。
「いてえ!」
「誰が嫉妬するか!あんまりバカなこと言うと、いくらお前でも怒るぞ!」
 怒った竜馬が、拳を振り上げた。
「なんだよ、結局嫉妬してんじゃねえか!自分の彼女の着替えが見られんのが嫌なだけだべ?」
「誰が彼女じゃ!んなわけあるか!こいつ!」
「お前、素直じゃないな!やる気か!」
 竜馬が修平の首元を掴んだそのときに、襖が大きく開いた。
 がんっ!
「うあ!」
「!?」
 竜馬と修平、両方の頭に衝撃が走った。
「つまらないことでケンカするんじゃないの。全部聞こえてたんだから。男ってどうしようもないのね」
 振り返れば、着物を着たアリサが立っていた。長い金髪にクリーム色の体毛に青い着物。外国人が浴衣を着るような、絶妙なコンビネーションが、彼女にはあった。居間を見れば、恵理香だけが座っている。
「あ…」
 竜馬は殴られたことを抗議することを忘れ、しばらくアリサの姿に見入っていた。
「さっきはごめんね?もう私落ち着いたから」
 先ほどまでの狼顔を忘れ、アリサはにっこりと微笑んだ。
「え?ああ…」
 竜馬は生返事をして、着物姿の彼女をじっと見つめていた。彼から見れば、粗暴でわがままなアリサも、着物を着るだけでおっとりした少女に見えるから不思議だ。
「どう?似合う?」
 アリサは尻尾を振り、竜馬の前でくるりと1回転した。竜馬が何も言えずにうなずくと、アリサは嬉しそうにポーズを取って見せた。
「さーて、男衆。こっちにおいでなさい。恵理香の勉強手伝って、私たちもテスト勉強しないと」
 アリサが手招きをして、2人を呼んだ。
「あとの2人はどうしたんだ?」
 修平が教科書とノートを出す。
「家に勉強用品取りに帰ると言っていたよ。すぐ戻って来るとのことだ」
 シャープペンシルを走らせ、恵理香が応えた。その隣に座ったアリサが、自分のカバンを開く。中には、学校で使用する学用品が一式入っていた。
「お前、よくそんなの持ってたなあ」
「え?ああ、ちょっとね」
 アリサは少しびくりとして、尻尾を立てる。
「どうせ、今日泊まって、竜馬と2人きりで家庭教師ごっこでもしながら、アレな方向に持っていこうとでもしてたんだろ?はははは…?」
 修平の言葉に、アリサがむっとした顔をした。
「なんで知ってるのよう」
 図星を当てられて面白くないらしい。アリサはふてくされてごろりと転がった。
「ごっこじゃなくて、実際に家庭教師してもらいてえよ。歴史とかさっぱりだ」
 そう言って、竜馬が開いたのは、歴史の教科書だった。ちょんまげを乗せた大名も、髪をパーマにしている音楽家も、竜馬にとっては過去の人物。興味が湧くはずもない。
「いいわよ?その代わり…」
「…いや、やっぱりいい。お前の言いたいことはよくわかった。自分で勉強するよ」
 にんまり微笑んだアリサを見て、竜馬がげんなりした顔で手を振った。
「なーによう。私はただ、竜馬の美味しい料理を夜ご飯に食べたいなーって思っただけよ」
 竜馬の背中に回ったアリサが、首に腕を回した。頬をすりすりと竜馬の首筋にすりつける。
「わかったわかった、何でも作ってやるから離れろ。暑苦しいな」
 竜馬はアリサを引き剥がしてため息をついた。
「日本史なら、かなりわかるぞ。役に立てると思うが?」
 アリサがるんるん気分で教科書を開いたそのとき、恵理香が口を開いた。
「やっぱ、仕事とかの関係で?」
「というより、興味からだな。過去の偉人の名言が入り口で、後はするすると覚えてな」
「すごいな〜。見習いたいよ」
 心底感心したという風に修平がかぶりを振る。
「あのさ、この問題、答えわかる?」
 竜馬が問題集をテーブルの上に乗せた。問題には、「710年から栄えた都と、前述の都が794年に移転した都を答えよ」と問題が載っている。聡明な読者の方には簡単な問題ではあるが、竜馬にはこれがわからなかった。
「これ?これは…」
「平城京と平城京だな」
 答えようとしたアリサを遮り、恵理香が答える。
「お前、これくらいは解けないといけんだろ。なんかわかんないけど、移転したんだぜ?」
 修平が呆れたという顔で竜馬を見た。
「なんかわかんないけど、とはまたご挨拶だな。疫病が流行ったせいだ」
 今度はその修平に、恵理香が呆れ顔を見せる。
「ああ、それは有名よね。都に鬼が出たとかなんとか」
 アリサが、指を頭の上に立て、鬼のポーズを取ってみせた。
「そもそも、この場合の鬼というのはだな。目に見えない疫病を流行らせる何かのことを指しているのだ。だから、角が生え、赤い肌をした化け物のことを言うわけではない。他にも、人間離れした様態や力を持つ人間も、鬼と比喩されることがある。鬼神のごとく、とかな。その当時の人間から見れば、私など立派な鬼だろうな。化け狐とか、言われたりな」
 恵理香は尻尾をはたはたと振る。
「そう、かなあ…さすがに、こんな美人を捕まえて化け狐とは言わないと思うよ」
 竜馬の何気ない一言に、アリサの眉がぴくりと動いた。
「そうよね〜。恵理香が化け狐なら、私なんか化け犬よね〜」
 そう言ったアリサの顔は、あからさまに怒りへと向かっていた。
「大丈夫だろ。そんなことないだろうし…」
「いいわよ、そんなこと言わないでも。もうわかってるから」
 2度も同じ轍は踏むまいと、竜馬がフォローを入れるが、アリサはそれを否定した。
「いっそのこと、アリサちゃんと恵理香さんで勝負でもすれば、気が済むのかも知れないな。ははは」
「それよ!」
 冗談を言った修平に、アリサが大きく反応し、一同はびくりとした。
「やっぱり、新キャラに古参キャラが舐められるわけにはいかないのよ!しかもメインヒロインの私が!」
「いや、でも、まだ8話だぜ?大した話があったわけじゃないし、メインキャラと言ってもそんなにいるわけじゃ…それにもうスペースも…」
「シャラップ!」
 べしぃん!
「あ、痛ー!」
 文句を言った竜馬の頬を、アリサが力いっぱい叩いた。肉球と頬肉がぶつかり合い、乾いた音を立てた。
「勝負するのはいいのだが、何をするのだ?」
 恵理香も乗り気になっているようだ。シャープペンシルを置き、一つ顔を撫でた。
「ゲームよ!ゲームで勝負するのよ!」
「あー、それ無理。だって、壊れているもの」
 いきり立っているアリサに、竜馬は冷静に返事を返した。
「嘘でしょ?なんで壊れたのよ!」
 テレビの前に置いてあるゲーム機を、がちゃがちゃといじるアリサ。テレビをつけ、ゲーム機のスイッチを入れる。テレビの黒い画面は、普通ならばゲーム画面を映し出しただろうが、今は何も映し出さない。
「なんでー?なんでよー?」
 アリサは何度も何度も電源を入れなおしていたが、しばらくして諦めた。
「これはだな、アリサ。こないだお前が来たとき、たっぷりとジュースをこぼしてくれたせいで、つかなくなったんだ」
 竜馬がアリサを睨む。
「う、うう、すぐ拭いたから大丈夫だと思ったのよ〜…ごめん…」
 アリサはしゅんとしてうつむいた。
「勝負手段について、提案があるんだが」
 修平が手を挙げた。
「何よ。野球拳とか、バカなこと言ったら、噛み付くからね」
「そんなことは言わんよ。これだよ、これ」
 そう言って修平が取り出したのは、一束のトランプだった。


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