それから数分後。美華子の部屋には、修平が来ていた。彼を呼んだのはアリサだ。竜馬に対する策がないか、男性の立場から聞きたいということで、勉強中のところを呼び出していた。
「…しかしなー。俺だって、竜馬じゃないんだから、何をすればいいかなんてわからんよ」
 数学の本を読みながら、生返事をする修平。彼の頭の中は、確率と期待値、サイコロでいっぱいだ。
「そこをなんとか。修平ならなんか出来るでしょ?上手く行ったら、何か奢るから」
「そう言われてもなー。俺、よくわかんないし…」
 修平は困り顔だ。その隣で美華子が、彼がおみやげに買ってきたコンビニケーキを、もそもそと食べていた。
「人に頼るのはよくない。そういうことって、自分で解決するもんじゃないの?知らないけど」
 美華子が口の周りのクリームを拭う。
「美華子の教えてくれた色仕掛けは、効果あるかな?」
「わかんない。潔癖な人相手だと、逆効果」
 美華子がそう言って、修平のノートを見るでもなく覗いた。アリサは、自分の色仕掛けによって、竜馬が引き寄せられているところを想像しようとしたが、無理だった。
「いらいらするのよう。悔しい、私をもっと見て欲しい、抱いてほしい、すりすりしてほしいのよぉ」
 アリサが足を投げ出して寝転がる。その足が、修平の背中を軽く蹴り飛ばした。
「いらいらするときはゲームじゃないか?卓球、バスケ、ボーリングなんてのもいいなあ」
 修平は数学の本を閉じた。目線が宙をさまよっている。勉強に対して、現実逃避したい気持ちなのだろう。
「うちの近くにゲーセンあるから行く?」
「お、いいね。行くか」
 美華子の発言に、修平が同意した。
「まあ、考えすぎても毒よね」
 アリサも一緒に立ち上がり、部屋を出る。玄関で靴を履き、外に出ると、夏の熱気が一気に襲いかかってきた。
「あつぅ…」
 アリサが暑そうな顔をしている。体毛が生えている彼女にとって、夏はあまり過ごしやすい季節ではない。
「最近カラオケとかも行ってないなー。行きたくて仕方がないぜ」
 修平がポケットに手を入れて歩いている。彼は体格がいいので、常人より多くの熱を吸い取るようだ。時折、額の汗を拭く。
「カラオケいいわね〜。私、歌うのって大好きよ」
「いいよなあ。今度みんなで行こう」
 いかにも楽しみだといった風に修平が言った。そんな話をしている間に、3人は人通りの多い通りに出た。目の前に、クレーンゲームの置いてあるゲームセンターが見える。
 ガーッ
 自動ドアが開き、中から冷気がふわっと漂った。日光から逃げるように店内に入ったアリサは、大きく息をつく。ゲームセンターの中は涼しかったが、騒音とタバコの煙でいっぱいだった。
「やーん、タバコの臭いついちゃう」
 アリサがぱたぱたと体をはたいて、しかめ面をした。
「あれ、錦原じゃないの?」
 美華子が店の奥を指さした。そこには、クレーンゲームに熱中している竜馬と、それを見ている恵理香の姿があった。
「隠れて!」
 小さく叫ぶと、アリサは竜馬から見えない位置に隠れた。なぜ隠れるのかわからないが、修平と美華子もそれに続く。
「いや、しかし上手いものだな。見ているだけで面白いよ」
 恵理香が感心した声を出している。アリサがこそこそと覗くと、竜馬の脇のかごに、大量の品物が入っているのが見えた。ぬいぐるみをはじめとし、灰皿、時計、携帯扇風機などが見える。
「恵理香さんもすればいいじゃん。ほら、向こうには体感機とかあるしさ」
 竜馬がまたぬいぐるみを落とす。彼が指した先には、ヘッドギアをつけてプレイするタイプの体感機や、かなり昔に流行ったガンシューティングゲームなどがある。
「うーむ。ゲームセンターで遊ぶことにあまり慣れていないのだ」
「そっか。外で遊ばない人なの?」
「そうでもないな。歌を歌いに行ったり、テニスをしたりはするよ」
 腕を振り、ラケットを振るようなジェスチャーをする恵理香。親しげに話している2人を、アリサが悔しそうな目で見つめている。
「そうそう。来週、テストを受けさせてもらえることになったよ。君たちには、期末テストの時期になるな。私は成績がよくないので、少し勉強を教えてもらえると嬉しいのだが…」
「ああ、いいよ。ほんとは俺も成績よくなくて、人に聞いたりしてるんだけどね。ははは」
 竜馬が笑いながら、クレーンを操作し、狐のぬいぐるみを落とした。
『聞いてる相手ってのは私でしょ!』
 アリサが心の中で叫んだ。彼女にとっては、不公平な気がする。竜馬と仲良くなるために、彼に勉強を教えているわけではないが、何か釈然としないものを感じていた。
「どうもな、叔父は私が受かるとは思っていないようだ。私が受かったら、巫女にする話を取りやめてくれるらしい。張り切って行こうと思う」
 恵理香は、気苦労から解放されたという顔で、息をついた。
「よかったじゃん。がんばらないとね」
 竜馬は景品取りだし口から、狐のぬいぐるみを取り出すと、恵理香に渡した。背丈は鉛筆程度、赤と白色の入り交じった狐だ。
「どうした?持ちきれないのか?」
「いや、さっき欲しいって言ってたから、あげるよ。勉強に関係ある物じゃなくてあれだけど、これを見てがんばってほしいなと」
 恵理香は驚いた顔で竜馬とぬいぐるみを交互に見た。そして、にっこり微笑むと、ぬいぐるみを受け取った。
「ありがとう。大事にするよ」
 手の中のぬいぐるみを、もう離さないと言わんばかりに、ぎゅっと抱く恵理香。その顔は、とても幸せそうだ。
「しっかし、こんだけ取っても仕方ないんだよなあ…」
 竜馬はぼやきながら、かごからビニール袋に景品を移す。
「いつもはどうしているのだ?誰かにあげているのか?」
「うん、そうだな。アリサとか、こういうの喜びそう」
 竜馬が取りだしたのは、間抜けな顔で笑っているカエルのぬいぐるみだった。アリサは一瞬、どきっとして、尻尾をぴんと立てた。竜馬が自分にプレゼント、というシチュエーションを思い浮かべるだけで、アリサは胸がどきどきした。
「仲がいいんだな」
 微笑みながら、恵理香が言う。どきどきしているアリサは、竜馬の方を熱っぽい視線で見つめていた。
「仲がいい?冗談きついよ。一方的に好かれてるだけ。結構迷惑してるんだよ…」
 竜馬のため息で、アリサは現実に引き戻された。美華子はやっぱりと言った表情で、修平は気の毒そうな表情で、アリサを見つめている。
「そんなに言うことはないと思うが…」
 苦笑いで、恵理香が腕の中の狐を撫でる。
「まあ、恵理香さんにはわかんないか。これから交友関係を持ったら、嫌でも見えてくると思うよ。俺、今のままのアリサじゃ、絶対つきあえない。友達やっててもつらい部分があるもん。ま、そのうち気づくだろうし、放置で…」
「言わせておけば…!」
「え?」
 竜馬がアリサの声に振り向く。
「竜馬、あんたね、初対面の女の子に鼻の下伸ばして、しかも私の悪口まで言ってんじゃないわよ!」
 そこには狼の形相をしたアリサが、仁王立ちになっていた。修平が小声で「穏便に穏便に…」と言っているが、アリサの耳には届かない。
「んー、悪口っつか、正直な感想なんだが…」
「何が正直な感想よ!こいつー!」
 がぶうっ!
「あだー!やめんか!」
 アリサが竜馬の首筋に噛みついた。歯が深々と食い込む。竜馬はあわててアリサを引き剥がし、後ろに数歩逃げた。
「お、おい。アリサ、やりすぎではないか?竜馬だって悪気があっていったわけじゃ…」
「悪気がなくってあんなこと言うわけないわ!うううー!」
 アリサが唸る。犬のように。狼のように。目の前に獲物を捉え、歯をむき出しにする。
「恵理香にはその気がなくても、この優柔不断男は、あなたの魅力に惹かれてるのよ!」
「そ、そうなのか?自覚はないんだが…敢えて言うとすれば、昼食時のあの発言か。あれは別に悪くはないという意味で…」
「そうだけどさ、やっぱり私は納得出来ない」
 アリサは冷たい目で竜馬を睨む。
「ほんっとわがままな女だな、お前は。そういうところが嫌いなんだって、わからないのか?それに比べて恵理香さんの素直なこと。他人に八つ当たるのはやめたらどうだ?」
 竜馬は語気を強めてアリサに言った。アリサはしばらく竜馬を見つめていたが、だんだん泣きそうな顔になり、ついには目を拭いはじめた。
「り、竜馬のバカ、こんな、好きなのに、そんな…」
「お、おい。泣くことはないだろ?俺以外にもいい男なんざいっぱいいるって」
 おろおろする竜馬。彼はあまりこういう状況が得意ではなかった。
「…まあ、アリサの言うことも、あながち間違いではないかも知れない。私は竜馬が痛く気に入った。今日初めてあったとは思えない。でもそれは竜馬だけじゃなくて、話していて楽しいアリサや、優しく心配してくれた真優美ちゃん、気を使ってくれる物知りの修平君に、物静かだが的確に意見する美華子さん、みんなが気に入ったんだ。だから、別に竜馬にだけ限定していることは、ないんだ」
 恵理香は優しく諭すように言った。その言葉に、修平が少し顔を赤くした。また、美華子も少しくすぐったくなったようで、恵理香から目を逸らす。
「ほら、泣くなよ。悪かったって」
 竜馬がアリサの肩に手を置いたそのとき。
 がばっ!
 アリサが竜馬に抱きつき、その怪力で彼をぎゅうと締め付けた。
「あだだだ!お、お前、泣き真似か!!」
「バカ竜馬〜!泣き真似だと思ってるの!?」
 涙目で、アリサは竜馬を締め上げる。
「あ、あかん、この展開は前もあった…!つ、つか、助けてくれえ」
 竜馬が顔を青くしながら助けを求める。
「ほら、アリサちゃん、竜馬も苦しいみたいだし…」
 見かねた修平が、アリサの腕を強引に引き剥がした。ふーっ、ふーっと、アリサは荒く息をつく。
「まあまあ。ゆっくりゆっくりと、愛を伝えて行けばいいのではないか?竜馬も、それが望みだろう?いきなりより、少しずつ。ね?」
 恵理香が慌ててアリサを諌める。そして、恵理香に話を振られて、竜馬は少しとまどいながらも頷いた。
「ほんと?ゆっくりゆっくりなら、いいの?」
「よくはないけど…まあ、そっちの方が…」
 アリサは少しずつ落ち着いてきたようで、いらいらと振っていた尻尾が動かなくなってきた。竜馬はそれを見て、安心してため息をついた、そのときだった。
「あ〜、みんな、解散したと思ったら集まってたんですかぁ?」
 ぽわぽわした口調で、真優美が現れた。先ほどまでと違い、洒落た浴衣を着て、帯に扇子を挟んでいる。浴衣は淡いピンク色で、何本も白色の縦縞が入っている。
「あ、竜馬君〜。これ、恵理香さんに触発されて、引っぱり出して来ちゃいました〜。ほら、浴衣着てる人って多いから、別に浮かないし〜。似合いますかぁ?」
 にこにこして真優美が聞く。ぴくり、とアリサの耳がまた動いた。
「ああ、似合ってる。いいんじゃないかな?」
「ほんとですかぁ?あの、具体的に、どんな感じですか?」
「涼しそうでいいなって、俺は思ったかな。まあ、まだ7月もはじめだし、少し気は早いけど…」
 アリサの顔を見て、竜馬ははっとした。彼女の表情が、比喩ではなく、今にも噛みつきそうになっている。それに気づかず、竜馬に誉められて、真優美はるんるん気分で尻尾を振った。よほど嬉しいのだろう。
「ありがとう〜」
 ぎゅっ
 真優美が竜馬に抱きつく。それは彼女にとっては、ただのハグだったのかも知れない。だが、今のアリサにとっては、敵にしか見えなかった。
 がぶぅ!
「きゃー!」
 アリサが真優美のお尻に思いっきり噛みつく。
「あんたが!あんたまで!がうー!」
「なに、なに〜!?やめてぇ、アリサさぁ〜ん!あーん!あーん!」
 アリサが怒り、真優美が泣き出す。それを修平、恵理香、竜馬が慌てて止める。見渡せば、美華子は面倒を察知して、いつの間にかいなくなっていた。店の奥の方で、景品で取ったらしいチョコレートを噛みながら、クレーンゲームをしている。竜馬はこの状況に、少なからず頭痛を覚えた。


前へ 次へ
Novelへ戻る