「それじゃあ、ルールをおさらいしようか」
 テーブルの上にある紙に、ルールを書き終えた美華子が、その紙を持ち上げた。
「ポーカーで勝負。チェンジは一回。アンティなし。チェンジ後に、ベットする時間が各々1回ずつある。ここにあるチップを各々200取って、それがなくなったら勝負終了とする」
 修平がプラスチックのケースを出す。ケースの中には、カジノでよく見るようなチップを模して作った、プラスチックのおもちゃが入っていた。
「勝者は敗者に、駅前の月低屋でチャーシューメンを奢ってもらう権利と、そこにある景品が贈られる、と。以上」
 紙から顔を上げる美華子。彼女の視線の先には、大きく「景品」と書かれた紙を貼り付けられた、竜馬の姿があった。彼はいささか疲れた顔で、テスト勉強をしている。
「お前、よく景品になることなんか承諾したなあ」
「まあ、半分賭けみたいなもんだ。アリサが負けることを祈って」
 修平の言葉に、竜馬は半ば諦めたような声で答えた。竜馬の脳裏に、着物姿のアリサとデートする自分の姿が浮かぶ。それも悪くない、と思いかけたところで、竜馬は頭を振った。修平が冷蔵庫からジュースを取り出してコップに注ぐと、アリサと恵理香の前に置いた。
「くふふ、私はポーカーに関しては強いわよ」
 挑発的な声でアリサが言った。
「いい自信だ。お互い、悔いの残らないゲームにしよう」
 それに答える恵理香も、少々気が高ぶっているように見える。
「じゃ、ゲーム開始ね」
 美華子がアリサと恵理香の2人にカードを配った。
「帰ってきていきなり、こんなことさせて悪いね」
「別に。なんだかもう、勉強会じゃなくなってきてるし」
 修平が美華子に謝り、美華子は視線を横に移した。テレビの前、景品竜馬の隣では、壊れたゲーム機を直そうとドライバーを握る、真優美の姿があった。
「これは…」
 アリサは手札を見て、にやりと笑った。既に数字8で1つペアが出来ている。もしあと1枚8が出るだけでも、スリーカードにはなる。負ける気はしない。
「チェンジ、3枚」
 アリサはカードを3枚捨て、3枚引いた。8はない。ワンペアのまま、行くことになるだろう。
「1枚」
 恵理香が無表情で1枚捨て、1枚カードを引いた。
「ベット、20チップ」
 アリサは少し焦って、チップを置いた。恵理香が1枚しか捨てなかったということは、4枚は既に役を作っているのだろうか。それとも…
「レイズさせてもらおうか」
 恵理香が手元から、50チップを中央に置く。レイズ(ベットした金額以上を出して釣り上げること)という単語を聞いて、アリサはあきらめがついた。やはり彼女は、何か秘策がある。
「んー…下りた。それだけ自信たっぷりっていうことは、強いんでしょう?」
 アリサは耳をぱたんと寝かせて、カードを置いた。
「いやいや。全然だったよ」
 そう言って恵理香がカードを置く。彼女の手札も、ジャックのワンペアしか出来ていなかった。
「えー?なんでよー?チェンジ1枚だから強い役があると思ったのに〜」
 ずるいとでも言いたそうな顔で、アリサが文句を言う。
「アリサが3枚チェンジしたのを見て、ワンペアしかないのだと思ったんだよ。カードはジョーカー入りなんだし、そこで残りが出る確率は、私の手札を差し引いたら51分の3だろう?私のペアはジャックだから、滅多なことがない限り負けないと思ってな」
「うう…」
 自信たっぷりに言う恵理香に、アリサは何も言い返せなかった。自分の洞察力不足だと、認めたくなくても、事実がそれを教えていた。
「アリサ…やめた方がいいんじゃないか?勝ち目、ないんじゃないか?お前にポーカーフェイスなんて似合わないぜ」
 景品竜馬が言ったその言葉に、アリサは堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「ふざっけないでよね、バカ竜馬!もう負けないもん!あんたはおとなしくデートの日和でも考えてればいいのよ!もー!」
 怒り狂ったアリサが、美華子からカードを受け取る。
「何がデートの日和、だよ…」
 疲れ切った竜馬は、アリサに背を向け、歴史の単語書取をはじめた。時折、アリサの「あーっ!」という声や、恵理香の「そう来たか…」などの声が聞こえるところから考えるに、かなり白熱しているようだ。
「はあ…」
 竜馬は大きくため息をついた。本来ならば、来週のテスト…竜馬達は期末テスト、恵理香は編入試験のためのテスト勉強をすることになっているのに、今はこんなことをしている。それが果たして正しいのだろうか。
『もう考えるのはやめよう…』
 竜馬は何も言わず、シャープペンシルを握っていた。
「ふう…」
 10分ほど経った後、真優美が手をぱんぱんと叩いた。彼女の前には、今組み上げたばかりのゲーム機が置いてある。
「直りました〜。はんだが割れてたり、ジュースがべったりついてたのを、しっかりしておきました。大事に扱ってあげてくださいね?」
 ウェットティッシュを取った真優美が、手先を拭っている。
「ありがとう、助かるよ」
「いえいえ〜。こういうの、好きですから。昔から機械いじりだけは得意なんですよぅ」
 竜馬が礼を言うと、真優美は尻尾をぱたぱたと振った。
「さて、あっちはどうなってるんだか…」
 竜馬がテーブルに目を向けた。正という字が4つ、紙の上に書かれている。20回勝負をしたらしい。お互い、一歩も譲らない攻防が続いているようだ。初期と同じ、200チップが、お互いの手元にある。
「はい」
 美華子が2人にカードを5枚ずつ配った。自分の手札を見て、2人とも驚いた表情を見せる。
「チェンジなし。そっちは?」
 アリサがにやりと微笑んだ。その顔を見て、竜馬は悟った。自分も、恵理香も、賭けに負けたのだと。
「私もチェンジなしだ」
 恵理香もいい役を引いたのか、上目遣いにアリサの様子をうかがっている。
「200チップ、全部賭けるわ。降りるなら今のうちよ」
 挑発的に、アリサが耳をはたはた動かした。目が細くなり、いやらしい笑いが顔に浮かんでいた。
「降りはしないよ。これで、終わりにしよう」
 恵理香が中央に自分のチップを全て置いた。今まで無表情だった彼女の顔に、勝利を確信した微笑みが浮かんでいる。
「じゃあ、オープンさせてもらうわ」
 ぱんっ
 テーブルに叩きつけるように、手札を見せるアリサ。スペードのカードが、10、ジャック、クイーン、キング、エースと並んでいる。
「スペードのロイヤルストレートフラッシュ。これ以上の役なんか、ないんじゃなくって?」
 アリサの勝ち誇った顔が、竜馬に向けられた。竜馬はびくっとして、後ろに下がる。
「竜馬、とうとう私のものになったわね〜!ああ、長かった。この日をどんなに…」
「待ってもらおうか」
 アリサの妄想を、恵理香が途中で止めた。
「スペードがスートの中では最強、ロイヤルストレートフラッシュが役の中では最強だと言われているな。だが以前、カードゲームの文献を漁っていて、見たことがある。それを越えた役があると」
 はらり
「ファイブカード。悪いが、この勝負、私の勝ちだ」
 恵理香がカードを広げる。7が4枚、そして最後のカードは、ジョーカーだ。
「な…そ、そんな役、あるの?」
 アリサが周囲に聞くと、美華子だけが頷いた。
「うん。公式ではジョーカー無しだから無い役。アリサ、負けちゃったね」
 美華子の冷静な言葉に、アリサががっくりと膝をつく。
「そんな…うう、悔しい〜」
 アリサがうらめしそうにジョーカーのカードを手に取った。カードの上で、太陽のようなかぶり物をしたピエロが、にやにや笑いでアリサを見つめている。しばらくアリサはそうしていたが、おもむろにカードを置くと、ふうと息をついた。
「いい勝負だったわ。結局、私が負けてたのね。度胸でも、力でも」
「いやいや、そうは思わないな。なかなかに楽しいゲームだったよ」
 どちらからでもなく、手が差し出され、テーブルの中央で2人がきつく握手をした。
「女の友情って怖いイメージがあるけど、案外きれいなもんだなあ」
 修平が感心しきって言った、そのときだった。
「あ」
 がちゃん
 恵理香の腕にジュースのコップがぶつかり、アリサにたっぷりとかかってしまった。
「すまない!わ、悪気はないんだ」
 あわてた恵理香がティッシュを取り、アリサの体についたジュースを拭う。
「大丈夫よ。わざとじゃないんでしょ?」
「あ、ああ。すまない」
「いいのよいのよ、くふふふ」
 アリサの声のトーンが下がる。と、牙をむき出しにしたアリサが、恵理香を押し倒した。
「んなわけないでしょー!」
 がぶう!
「ぎゃー!」
 アリサの犬歯が恵理香の肩に深々と食い込んだ。
「こいつー!私から竜馬を奪い取っただけじゃ飽き足らないのね!」
「わざとじゃないと言っておるに!人の話を聞けー!」
 ばん!
 恵理香の平手がアリサの頬にぶつかった。
「やったわね!この化け狐!」
「えーい、離れろ、狂犬!」
 アリサと恵理香が取っ組み合いのケンカを始めた。それは、今日始めて出会った相手だということを忘れた、本気のケンカだった。
「うっとおしい、やめなよ」
 普段は関係ないで済ませる美華子が、2人を引き剥がそうと手を出すが、2人はケンカをやめない。
「どうせ、腹減ったらケンカやめるんだぜ?飯でも作ろうか。真優美ちゃん、手伝ってくれ」
「あ、は〜い」
 キッチンに立ち、景品竜馬が言った。真優美が後に続く。
「着物姿見たときは、かわいいと思ったんだけどな。やっぱりアリサはアリサか…」
 竜馬がため息をつき、後ろを見る。
「しょうがないですよ。それより、何を作るんですか?」
「そうだな、今日は煮物でもするか…」
 竜馬が真優美に指示を出し、料理が始まる。彼らの後ろでは、アリサと恵理香のケンカ、そしてそれを止めようとする修平と美華子の苦戦する姿があった。夏の夕方、ヒグラシゼミの鳴く中、新しい友人について竜馬は確信した。入学テストが受かって彼女が入ってきても、そうでなくても、他のメンバーと同じで、彼女とも離れられないことになるのだえろうと。竜馬は自嘲的に笑い、ジャガイモに包丁を入れた。


 (続く)


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