恵理香が一同を連れて来たのは、演劇をやっていた会館から歩いて15分ほどのところにある、小さな和食屋だった。会館は駅から近いので、竜馬のアパート、ひいては天馬高校からも近かった。自転車のいらない距離だ。
 厨房では、気のよさそうな老夫婦が、忙しく働いている。入ってからすぐに、一同は注文をしたところ、5分と待たずに料理が出た。それなりの値段で、それなりの量。味も悪くない。アリサは天丼、真優美はダブルカツ丼、美華子と清香は狸蕎麦を頼み、竜馬、修平、恵理香の3人は海鮮定食を注文した。上がりの座席で、かなり広い席のはずだったが、7人座るともう満員だ。店内には他に、カレーを食べる大学生風の男や、休日出勤だったらしいスーツ姿のOLなどがいた。
「私は汐見さんがキツネうどんを頼むと思っていたのよ」
 アリサが箸を割る。
「それは偏見だ。お前だって犬なのに、肉食ってないじゃないか」
「なによー。私、エビ天が好きなのよ」
 竜馬に注意されて、アリサがむすっとした顔をする。
「ごめんな、こういうやつで」
 竜馬が刺身を醤油につけながら謝った。
「いいんだ。むしろ、そういう冗談を言われる方が親しまれてる気がして嬉しい。出来ることならば、汐見ではなく、下の名前で呼んでほしいな」
 恵理香が微笑みかける。彼女の微笑みは、何か魔力のようなものがあると、竜馬は感じた。美しいという言葉がよく似合う。
「とりあえず、なんとか巫女にならないで済む方法を考えた方がいいと思うんだ」
 修平が、定食の焼き魚を前に、箸を割りながら言う。
「いっそのこと、就職するとかどう?」
「やめた方がいいよ。中卒はろくなところでは雇ってくれないし」
 大好きなエビ天を噛みながら言うアリサに、美華子が言った。
「それより私が今問題にしたいのはだな、私だけ浮いているのではないかということだ」
 恵理香が箸を持ち、つぶやいた。真優美、アリサ、清香はスカート、美華子や男性陣はズボンなのだが、恵理香だけは紺色の着物を着ている。袖は肘、裾は膝までで、動きやすくなっているが、この集団には似合わなかった。
「そうかな。俺、似合ってると思うよ。綺麗だ」
 竜馬は思ったことを素直に口に出した。恵理香の前ではなぜか、きざな台詞も口をついて出てくる。
「ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しいよ。でも、そんなことを言っていいのか?」
 控えめに言う恵理香の視線が、竜馬の隣を見ている。隣を見ると、不機嫌そうな顔のアリサが、エビの尻尾をかりかりと噛んでいた。
「別に大丈夫だよ。俺、こいつと付き合ってるわけじゃないしさ。それに、別に恵理香さんのことをどうこうしようとは…」
 ぐいっ!
「いてっ!」
 アリサが竜馬の肩を掴んだ。
「そんな恥ずかしがらないでいいのよ〜?くふふふ」
 声は笑っていた。だが、目は笑っていなかった。竜馬は少し危ないものをアリサに感じた。例えるならば、彼女が酒を飲んで、誰彼かまわず噛みつくようになったときや、竜馬をロープでぐるぐる巻きにして、襲おうとしたときのような。
「別に恥ずかしがってるわけじゃねえよ。付き合う気がないだけだ」
「何でよ〜?頭脳明晰、スポーツ優秀、文武両道な私が何で?何が問題なの?」
「その性格だと何度も言わせるなよ…ほら、タレついてるぞ」
 テーブルに置いてある箱からティッシュを手に取り、竜馬がアリサの口を拭う。
「じ、自分で出来るわよ」
 アリサはそれを拒否しながらも、少し嬉しそうな顔をした。
「思いついたんだけどさ、要するに不良高校だからだめなんでしょ?ならば、編入すればいいじゃん。この子達、みんな天馬高校生よ。天馬高校なら、それほど難しくないし、ちゃんと勉強できるから、問題ないんじゃない?」
 清香が蕎麦をすする。
「ああ…なるほど。そんな手もあるのか。編入とは、どうするのかわからないのだが、誰か知らないか?」
 マグロの刺身を箸でつまんだまま、恵理香が考え込む。
「んーと、学校やめて、年度末のテストを受けるのが一番一般的だね。天馬高校は私立だから、途中編入、つまり転校が可能だと思うよ。時間を無駄にしたくないなら、こっちだね」
「なるほど。物知りだな」
 修平の言葉に、恵理香は素直に尊敬の目を向けた。
「転校できるなんて、まるで夢のようだよ。今の学校は殺伐としてるからな。腕に覚えはあるから、それほど怖くもないが、友人など1人もいないんだ」
「そんなにひどいんですかぁ?」
「ああ。教師暴力沙汰で捕まったり、カツアゲがあったり。この間など、ある不良が元彼女にあってな。彼が女性の方を殴って別れたという話なのに、調子よく再度付き合おうとして、その友人の剣道少年と空手少年に伸されたらしいぞ。弱い立場の者を殴るなど…」
「げほっ!」
 美華子は思わず咳き込んだ。水のコップが倒れて、テーブルの上に池を作る。
「どうした?」
「いや…たぶんそれ、私だと思う。剣道と柔道っていうのが、そこにいる錦原と修平だよ」
 美華子は雑巾でテーブルを拭いた。
「本当か。それはまさに奇遇だ。いや、東京は狭いと言うべきかな」
 恵理香は2人を交互に見て、ほうと息をついた。
「そうよね、弱い立場の女の子を殴るなんて、ひどいよね〜。私もそのとき、ちょっと暴れた方で…」
「ほほう、アリサもそうだったか。まあ、私が思うに、女が殴られるから悪いというわけではなくてな。男の方が立場が弱いならば、それを殴る女は許せないな」
 恵理香の言葉が少し刺さったようで、アリサがぎくりと尻尾を動かした。
「ところで、編入試験というのはいつ受けられるのだ?」
 食事を終えた恵理香が箸を置く。
「今学校のホームページ見たところじゃ、申し込んでから1週間後だそうな」
 修平が携帯のディスプレイを見て言う。
「よし、今申し込もう。すぐ申し込もう。思い立ったが吉日だ。ああ、これで巫女から逃れられると思うと…」
 ちゃちゃちゃーんちゃーん
 音楽が鳴っている。どうやら、どこかで携帯が鳴っているようだ。
「ああ、私だ、すまない」
 恵理香は携帯を取り出し、耳に当てる。その携帯は、みんなが持っているプラスチックや金属の携帯電話ではなく、竹で出来ているものだった。
「もしもし?」
『ああ、恵理香。今日は帰ってこないでいいよ』
 受話口から漏れた言葉に、一同は顔を見合わせた。
「ははは、そうかそうか。じゃあ、今日は友達のところにでも、遊びに行くとするよ」
 当の恵理香は、何が嬉しいのか笑っている。
『悪いね〜。もし帰ってくるなら、冷蔵庫のもの、なんでも食べていいからね』
「またまた。料理が下手なの知ってるくせに」
『そうだね。じゃあ、お母さんもう行かないといけないから、切るわね』
 ぶつっと大きく音がして、電話が切れた。
「あのー…帰ってこないでいいというのは?」
 真優美が恐る恐る聞く。もしかすると、恵理香は家で疎まれているのではないか。そんな疑いが、真優美の心に沸き上がっていた。
「ああ。父や母が仕事で、家にいないのだよ。だから、外泊しても大丈夫だということだ」
 恵理香の言葉に、真優美は安心してほっと息をついた。
「しかし、困ったな。どこかに世話になるにも、もう出てきてしまったし、家に帰っても食事は作れないし…」
 恵理香が食後の水を飲みながら悩み込む。
「そうだ、うち来なよ。布団もあるよ?」
 清香が蕎麦を噛んだ。
「清香姉、いいのか?」
「もちろん。竜馬もあたしも料理上手いから、美味いもん食わせてあげるよ」
 にこにこしている清香。姐さん気質の清香がこのような台詞を言うと、妙に似合っている。
「いや、まてよ。姉貴、泊まりがけで出かけるんだろ?年頃の男女が、同じ部屋で一晩だなんて、何かあったらどうするんだよ」
 竜馬はあからさまに不満げな顔を見せた。
「何言ってんの。いつもアリサちゃんが泊まりにくるじゃん」
「アリサはいいんだよ、いつも姉貴いるし、いざとなったら逃げられるから」
 竜馬の言葉は、アリサにまたあまりよくない感情を与えたようで、怒ったような悲しいような顔をアリサは見せた。
「私は別に気にしないぞ。何かあったら頼ってくれ。こう見えても、人生経験が豊富でな」
「そういうこと言いたいんじゃないのよ。男女間で、淫行とか、あったら困るでしょ?」
 アリサはいらいらと尻尾を振る。
「ははは、別にかまわんよ。長い人生、殿方と交わることがあってもいいだろう。竜馬君、優しく頼むぞ?」
 冗談とも本気ともつかない顔で笑う恵理香。竜馬は箸を取り落とした。
「そ、そういう冗談は好きじゃない。あと、別に呼び捨てでもいいから…」
「はは、悪かった。まあ、君や修平君は、悪い人には見えない。嫌がってる女を手込めにするようなことはなかろうと思ってな。人を見る目だけはあるつもりだ」
 竜馬は一瞬その表情に引き込まれそうになったが、すぐに気を逸らした。その隣に座るアリサは、気に入らないようで、いらいらした顔で芋天を食べている。
「さて、と。私はそろそろ、編入のことで学校に相談に行ってくるよ」
 浮き足だって、恵理香が席を立った。
「うーん、あの子、私の竜馬を襲おうとしている…」
 アリサが、いつになく真剣に悩みながら、最後のエビ天を食べた。
「大丈夫だろ。俺は襲われる気ないよ。それに、俺はお前のものでもないだろう」
「うーん、私には襲われて欲しいなあ」
「何言ってんだよ。ったく、バカだな」
 竜馬はため息をついて、箸を置いた。見れば、全員食事が終わっている。
「うし、じゃあ行きますか。お金を…」
 財布を出した清香が、カウンターに立った。
「お勘定お願いします」
「あ。恵理香ちゃんが払っていったから、いらないよ」
「本当ですか?」
 その言葉に、清香が目を丸くする。
「ん。あれね、彼女、初めての友達だから、金払わせるわけいかないといってたよ。そゆことだから、オーケー」
 年老いた男店主がにこにこしながら、中華鍋を振るった。
「えーと…じゃあ、失礼します。ごちそうさまでした」
 清香は微妙な表情で、店を出る。
「すごいな…俺、惚れるかも」
 最後に店を出た修平がぽつりとつぶやいた。


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