がたんっ!
 4階の物置部屋に転がり込んだ竜馬は、ドアを荒々しく閉めた。
「ご都合主義の権化みたいな展開だ。悪夢にしか思えない。家、帰れんのか?」
 その場に置いてあったモップの柄を使い、ドアにつっかえをする。
「これでもう誰も入ってこれないな…ほとぼりが醒めるまで待つか。姉貴にメールしないと…」
 後ろに数歩下がり、手を置く。と、竜馬の手が何か柔らかいものに触れた。
「きゃあ!」
「おわあ!」
 叫び声を聞き、竜馬が反射的に拳を構えた。振り返ると、机の下に隠れるように縮こまっているアリサが、目に入った。
「りょ、竜馬…竜馬ー!」
 机の下から飛び出したアリサは、竜馬に抱きついた。空手や柔道をやっている修平や、剣道をやっていた竜馬より、アリサはずっと力が強い。そして今、全力で抱きつかれて、竜馬は体の骨がみしみしと鳴るのを感じた。
「痛い痛い痛い!強いって!」
「あ、ご、ごめん!」
 アリサがばっと離れた。
「うう、怖かったわ。みんな、あんなに私を追いかけてくるなんて…罪作りな女になっちゃった…」
 冗談のようなことを、真面目な顔で言うアリサ。尻尾がせわしなく振れている。
「何が罪作りな女だよ…あー、腹減った。思えば、昼飯食ってないもんなあ…」
 呆れ顔で、竜馬がイスに座った。物置部屋には、様々な物が置いてある。使わなくなった資料、動物の骨、鉱物、骨格標本、机にイスに、折れたバットなどだ。埃っぽい室内は、長い間いるだけで、体調を悪くしそうだ。
「はあ…なんで、好かれたい人には好かれないで、どうでもいいのばっかり来るんだろう…」
 アリサは隣のイスに座る。
「日頃の行いが悪いからだ。その性格を変える気がないなら、俺がお前を好きになるなんて、100年後にもあり得ないね。性格さえなんとかすりゃ、悪くはないんだし…」
「あら、私、いつ竜馬って言ったかしら?あれ〜?」
 アリサがしたり顔で、竜馬を見つめる。
「ああそうかい。よかった、俺のことじゃなくて。やっぱ、美華子さんとか真優美ちゃんの方がずっとかわいいな」
 竜馬はポケットから携帯電話を取りだし、姉の清香にメールを打ち始めた。
「なによ〜。冗談に決まってるじゃない。竜馬が一番…」
 アリサは言いながら、真優美のことを思いだし、はっとした表情を作った。彼女は今、凶暴化して、自分を捜している。もし竜馬が見つかったら、どんなことが起こるかわかったものではない。
「どうした?」
「ん、あのね。あの薬のせいで、真優美ちゃんが今、怖くなってるの。さっきも、本気で私を殴ろうと…」
 どんっ!
 教室のドアが叩かれた。つっかえにしているモップの柄が、がたりと揺れた。
「アリサさん、いるのはわかってるんです。さあ、裁きを受けなさい」
 どんっ!どんっ!
 外で、真優美の冷酷な声が聞こえる。アリサは身震いを1つした。
「どう…」
 ぐっ
 竜馬が言いかけたアリサの口を押さえる。その場にあった戸棚を開けると、携帯電話を見せた。携帯電話には「俺がなんとかするお前は隠れろ」と打ち込まれていた。何も言わずうなずくと、アリサは埃だらけの戸棚に入り込んだ。竜馬はアリサのことが好きではないし、過度に助けるつもりも助けられるつもりもないが、非常事態においてはその限りではなかった。
 がんっ!
 モップの柄が外れ、勢い良くドアが開き、真優美が室内に入ってきた。ばっと竜馬が立ち上がる。
「ま、真優美ちゃんか…そんな殺気だって、どうしたんだよ」
 竜馬が平静を装って真優美に聞いた。
「ああ、竜馬君、いいところに。アリサさんを捜しているんです。見ませんでしたか?」
 後ろ手にドアを閉める真優美。彼女の顔は、普通と全然変わらない。だが、彼女の雰囲気には、かなり威圧感があった。
「いや、知らないな。何かあったの?」
「別に。ただ、彼女の泣き叫ぶ顔を見たくなって。私の竜馬君に手を出した報いです」
 真優美は淡々とした口調で話す。
「な、なんだよ。真優美ちゃん、いきなり何言ってんだよ…」
 竜馬は彼女に対して、恐怖を覚えた。今の真優美は、普通の真優美ではない。それが、竜馬にはよくわかった。
「あたし、竜馬君のことが好きです。だから、手に入れるために、障害を排除します。今のあたしには力がありますから」
 真優美はにっこりと微笑んだ。
「いいか、真優美ちゃん。実は…」
 真優美がこれ以上悪くならないように、竜馬は全てを話した。薬によって、1年2組が全部おかしな性格になってしまったこと。それの原因が通販会社で、さらに言うなら通販会社で買い物をしたアリサだということ。1時間か2時間ほどしたら治ること。
「ああ、そうだったんですか。確かに受け取りましたよ。ビタミン剤ということだったんで、卵スープに入れたんです。それで、今のあたしは、薬のせいでおかしいと言いたいんですね?」
 真優美は何も言わずに聞いていたが、竜馬の話が終わると、質問を返した。
「そうなんだ。だから、アリサに腹が立ったとしても、本心じゃないはずで…」
 がっ!
「うあっ!」
 真優美は竜馬の首を掴んで、ゆっくりと持ち上げた。
「そんなこと、どうでもいいんです。ただ単純に、彼女を痛めつけたいだけ。あなたに指図はされません」
 くすくすと、真優美は笑った。
「や、やめろよ、こんなん真優美ちゃんじゃねえよ…!」
 竜馬は真優美の手を外そうともがくが、手は外れない。普段の彼女からは想像できない怪力が備わっている。
「ちょうどいいです。下手な恋愛ごっこにあたしは興味がありません。あなたをあたしにください」
 真優美がもう片方の手で、竜馬の首元を撫で、ネクタイを外れるように引っ張った。Yシャツのボタンを、上から順番に外していく。竜馬は首を押さえながら、片手を上げて、入り口の方を指さした。
「あ…宇宙船!」
「ん?」
 真優美がそちらを振り返る。と、彼女の目の前に、骨格標本の大腿骨を振りかぶったアリサが現れた。
 ばきっ!
 大腿骨が真優美の眉間に、激しい音を立ててぶつかった。
「はうっ!」
 真優美は目を閉じ、ばったりと床に倒れた。竜馬を掴んでいた手が離れる。
「げほっ…」
 咳をしながら、竜馬はボタンを締め直した。首筋が赤くなっている。よほど苦しかったのか、涙目になっていた。
「衝撃で元に戻るんでしょ?だったら、これで…」
 アリサは真優美を抱き起こした。真優美は軽く気絶していたようだが、アリサが揺さぶると目を開けた。
「あ…ん…えと、あの…」
「何も言わないでいいわ。意識ははっきりしてる?何か、覚えてる?」
 アリサが真優美の顔を覗き込む。はっきりしないような顔をしていた真優美だったが、だんだんと先ほどのことを思い出したらしく、目をぱっちりと見開いた。
「あ、あの、アリサさん、竜馬君、ごめんなさい!あたし、ひ、ひどいことを…そんな、1つもそんな気なかったのに、あ…あ…ごめんなさい…」
 真優美はしくしくと泣き出した。自分のしたことに対して、とても罪悪感を感じているようだ。アリサは、真優美を優しく抱いた。
「ご、ごめんなさい…あたし、アリサさんのこと、嫌いじゃないです…大好きです…だ、だって大事なお友達だから…」
「いいのよ。もう、終わったんだから。あ、悪いと思うなら、駅前の月低屋でスタミナ丼奢ってね」
 真優美が泣きやむまで、アリサは頭を優しくなで続けた。
「あれ、真優美ちゃん、これは?」
 竜馬が真優美の首筋を撫でる。毛の下から、赤い首輪が出てきた。
「あ…これは、確か、美華子ちゃんにつけられたような…」
「美華子が?」
「ええ。なんか、あたしは美華子ちゃんの飼い犬だから、首輪をつけないと叱られるとか、めちゃくちゃな理由で…」
 がたっ
 ドアが開く音がして、一同がドアを見る。
「あー、みんな、ここにいたんだ。わからなかった」
 にこやかに笑顔を振りまきながら、美華子が部屋の中に入ってきた。彼女の手には、鉄製であろう鎖と首輪、丈夫そうなロープが握られている。
「アリサもここだったんだ。ほら、これ見て。アリサがいつも、錦原にちょっかいだすのは、飼い主がいなくて寂しいからだよね。首輪、つけてあげる」
 じゃらじゃらと音を立てて、美華子が鎖を見せる。
「…何の冗談?」
「冗談じゃないし。ほら、おいで。真優美もおいで」
 アリサは、背筋を冷たいものが滑るのを感じながら、後ろに下がる。
「ちょ、ちょっと、美華子、あんたどんだけ…」
「くどい」
 ぐい!
 アリサは美華子に捕まり、床にうつぶせに倒された。その背中に、美華子が片膝を乗せ、起きあがれないように押さえられる。
「ダメな子!飼い主の言うこと聞きな!」
 ぱあん!ぱあん!
「あ、ちょっと!痛い!」
 美華子が音を立てて、アリサの尻を叩いた。
「アリサさん!」
 真優美が涙目で叫ぶ。
「何やってんのよ!逃げて!」
 アリサの叫びに、真優美は鞠のように転がって逃げ出した。
「ほんと、ダメな子なんだから」
 アリサをロープでぐるぐる巻きにして、美華子はつぶやいた。
「ちょっと、これ、どういうことよ!」
「何?もうちょっと、色っぽく縛ってほしいの?」
「それも悪くないけど…って、バカ!」
 アリサが恥ずかしそうな顔をした。その口に、美華子がガムテープを貼り付ける。
「んむ!?んー!んー!」
 アリサは体をばたつかせるが、ロープもガムテープも取れはしなかった。
「さーて、残りは錦原だけだね」
 竜馬は呆然としていたが、美華子が自分に振り返ったのを見て、びくりと身を震わせた。
「あんた、むかつくんだよね。アリサとか真優美にいくら迫られても煮え切らなくてさ。何?選り好み?別にこんな子達相手にしなくても自分はもてますからって?」
 ぐいっ!
 美華子は強く竜馬のネクタイを引っ張る
「そ、そんなんじゃねえよ。ただ、アリサは性格的に合わないし、真優美ちゃんに好きだって言われても、どうすればいいかわからないし…」
「選り好みしてんじゃん。調子こいてるよね。」
 竜馬の言葉を遮る美華子。その顔は、とても楽しそうだ。
「な、何が言いたいんだよ」
 竜馬は痛いところを突かれ、頭に血が上るのを感じた。
「自分の意志、はっきりさせないと、大変なことになるよってこと。ただでさえバカなんだから…わっ!」
 ばたん!
 美華子は足をすくわれて、床に倒れ込んだ。見れば、アリサが精一杯エビ反りをして、美華子の足を蹴っている。
「お前、見上げた根性だな〜。ま、これで美華子ちゃんも正気に戻るな」
 竜馬はそう言って、アリサのロープとガムテープを外した。
「危うく、マゾヒストの道に開眼するところだったわ」
「危ないこと言うんじゃないよ。ともかく、これで風邪のときの借りは…」
 がっ!
 竜馬が安堵のため息をつき、アリサに背中を向けたそのとき、アリサは彼を後ろから捕まえた。
「何しやがる!」
 竜馬は後悔していた。非常時とは言え、アリサはアリサ。何をするかわからない少女だということを忘れて、気を許してしまったことを。
「あのね、さっきの美華子の言葉で、思い出したの。私の目的は、竜馬の愛。もう達成出来ないと思ってたけど、さっきのフェロモン剤と、今持ってる薬の効果があれば、それは可能なのよね。つまり…」
 アリサがいやらしく微笑む。彼女が何を考えているか、竜馬は瞬時に理解した。
「やめんか!」
 ばっ!
 竜馬はアリサの腕をふりほどいて逃げ出した。
「待ちなさい、竜馬〜!」
「待てと言われて待つバカはおらんわ!来んな!こっち来んな!」
 逃げる竜馬の背中を、アリサが追いかけた。


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