「まいったな…」
竜馬は男子トイレのドアから、外を覗きながら、つぶやいた。外には殺気だった女子が数人、竜馬のことを捜している。さすがにここまではまだ来ないようだが、見つかるのも時間の問題だ。彼女たちも、薬でおかしくなっているのだろうか。目の前を女子が通り過ぎるタイミングを見計らって、竜馬はトイレを出た。
「こりゃ、めんどくさいことになる前に、早退せざるを得ないな」
こそこそと歩く竜馬。教室まで戻り、カバンを取る。
「あ、竜馬」
竜馬は背中に、アリサの声を聞いて振り返った。彼女もカバンを持っている。
「お前も帰るのか?」
「違うわよ。そこ、見てみなさい」
竜馬が入って来た入り口と反対側を顎で指すアリサ。そこには、スーツを着て、スリッパを履いた獣人の男性が立っている。
「これ、渡すのよ。あと、解毒剤を持ってきてくれたらしいから、使わせてもらおうと思って」
カバンの中から、アリサは瓶を取り出した。瓶を満たしている無色透明の液体。これのせいで、1年2組は大変なことになってしまった。だが、これで終わりそうだ。
「ギャラクシー通信販売オメガのエージェント、スミスです。今回は申し訳ないことを…」
スーツの獣人が、瓶を持ってきたアリサに、深々と頭を下げた。
「ほんとよ!あんた…」
「いえ、いいです。ともかく、解毒剤をください」
文句を言うアリサを遮り、竜馬は頭を下げた。
「あ、はい。こちらになります」
スミスが懐から小さな瓶を取り出す。
「今度は大丈夫なんでしょうね?」
瓶を受け取り、アリサは中身を確認した。蓋を開けると、薄い黄色の液体が見える。
「ええ、たぶん…なにぶん、急ごしらえでして…」
「たぶんじゃだめなのよ!これ、安全が…あっ!」
スミスに詰め寄ろうとしたアリサが、足を滑らせて転んだ。解毒剤がアリサの髪にかかる。
「もー!なんでこうなるのよ!」
アリサはティッシュで髪を拭う。何か、ふわっと甘い匂いが、アリサから漂った。
「あれ、この匂い…まさか!」
スミスはポケットから携帯電話を出し、何かを確認し始めた。
「す、すみません、これは解毒剤ではなく…」
話を切りだしたスミスが、表情をこわばらせた。何事かと、アリサと竜馬が後ろを向く。先ほどまで麻雀をしていたり、勉強をしていたりしたクラス男子が、飢えた狼の目でアリサを見ている。
「な、何よ」
対するアリサは、怯える子ウサギのようだ。いつもの自信たっぷりの顔はない。
「これは、フェロモン剤なんです。しかも、今回のこの試作品と過剰に反応することがわかっておりまして…その、要するに…」
「そこから先は言わないでもいいわ。大体わかるから」
にじりにじりとアリサが後ろに下がる。それを追うように、男子が前に出る。
「あ、アリサさん、俺、前からあなたのことが…」
「君こそ僕のステディにふさわしい…」
「その綺麗な髪が…」
男子生徒が、アリサに少しずつ近寄る。アリサは竜馬の後ろに隠れた。スミスも、こういう事態になるとは想像していなかったようで、おろおろしていた。
「もう我慢できねえんだよ!」
1人がアリサに向かって飛びかかった。アリサは足がすくんで動けない。
どすっ!
「ふん!」
生徒の前に、竜馬が立ちはだかった。拳が正確に腹を捉える。
「う、うぐ…」
男子生徒は腹を押さえてうずくまった。
「お、おい、大丈夫か?悪い、本気でやるつもりじゃ…威嚇しようと…」
「でも、今ふんって言ったわよね」
竜馬は急いで男子生徒を起こす。そんな竜馬に、アリサは冷静に寸感を述べた。
「ああ、気分が悪い…今まで、俺、変な感じだったわ…」
立ち上がった男子生徒からは、先ほどまでの表情は見て取れない。普段の彼に戻っている。
「元に戻ったみたいだ…って、おわ!」
今度は別の男子生徒が、アリサを押し倒そうと飛びかかった。アリサに引っ張られて、竜馬は盾代わりに使われた。目の前の顔に、反射的にヘッドバットを食らわす。その生徒も、ふらふらとした後に、正気の顔に戻った。
「元に、戻った?衝撃で元に戻るのか…確かに…三半規管が…」
スミスがぶつぶつとつぶやいた。そうしてる間に、集まってくる男子の数が増えている。
「あ、あの、私、用事を思い出したから帰るね」
にっこり微笑んで、アリサが教室の外に一歩踏み出す。そしてそのまま、ダッシュで逃げ出した。スミスに渡すはずだった薬瓶を、握ったままなのにも気づかない。
「お、俺に微笑んでくれた!」
「俺も一緒に帰るー!」
雪崩のごとく、アリサの後を男子が追った。竜馬は呆気に取られてそれを見送ったが、廊下側に自分を捜している女子を見つけてしまった。
「あそこよ!」
「砂川君をバカにしたこと、後悔させるんだから!」
殺気だった女子が、竜馬に向かって駆けだした。
「やばっ…!」
アリサの後を追うように、竜馬もその場を逃げ出した。
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