アリサが廊下を走っている。如月先生に相談したアリサは、この状況は放置するより他ないだろうという意見を受け取った。如月先生の配慮で、1年2組の5限と6限は自習になった。合計2時間、空白の時間が出来るわけで、その間何も起こらなければ事件は解決するという寸法だ。今アリサは、教室に戻ろうと1階を走っている最中だった。
「自分の体で試さないで本当に良かった…」
不謹慎なことを言うアリサ。走りながら曲がり角を曲がる。
どんっ!
「ふあっ!」
何か柔らかいものにぶつかって、アリサは尻餅をついた。
「大丈夫?」
ぶつかった相手がアリサの手を取って引き起こす。天馬高校の生徒会長で、人間女性である、寺川五十鈴だ。セミロングの髪をヘアバンドで留め、眼鏡をかけている。
「大丈夫です。寺川先輩はこんなところで何を?」
「1年2組を中心として、おかしな現象が起きたらしくて。生徒だけじゃなくて、担任の蛇山先生まで、おかしいって聞いたわ。今から調査に行くの」
五十鈴の後ろを見れば、がたいのいい生徒が数名ついてきている。生徒会の腕章をつけているところを見れば、五十鈴の部下なのだろう。
「もう先輩の耳に入ったんですか?」
アリサは自分が犯人であるとばれないよう、心の中で祈りながら、平静を装って聞いた。まさか担任までおかしなことになっているとは、アリサは想像すらしなかった。どこかで感染が拡大したのだろうか。
「ええ。実は…」
五十鈴は話し始めた。つい先ほど、昼休みが始まって、彼女は生徒会室で書類をまとめていた。以前、機械研究部という部が、天馬学園内でロボットを使用したテロを起こした件についてだ。爬虫人の生徒会副会長も、一緒に書類をまとめていた。
仕事が終わり、2人は昼食を取った。食事を終え、コーヒーを飲んでいたそのとき、生徒会員の1人が慌てて駆け込んできた。彼が言うには、1年2組で異常が起きているという。副会長は有事に備えて生徒会室で待機、会長は自ら出陣した。そして、今アリサとこうして話している。
「あなた、1年2組だったわね。何が起きているか教えていただけない?」
五十鈴は神経質に、自身の髪をいじる。
「ん、と、なんでかわからないんですけど、性格がめちゃくちゃになる薬を、みんなが飲んじゃったんです。今は特に何もない感じですけど、性格がおかしいので、何か起きるんじゃないかって…」
自分が原因であることを隠して、アリサは言った。
「情報ありがとう。今から行ってみます」
生徒を引き連れ、廊下を進む五十鈴。さながら、軍隊のようだ。生徒会が出てくるということは、この事件はかなりの大事になっているということがわかる。
「もし私のせいだということがばれたら…」
アリサは廊下にしゃがみ込み、少し考えた。
『なんてことなの!まさかこんな事件を起こす学生がいるなんて!』
五十鈴が鬼の形相でアリサを睨む。その周りには、生徒会の屈強な生徒達がいて、アリサが逃げ出せないようにしている。
『あ、あの、ご、ごめんなさい…悪気はなかったんです』
『言い訳なんて聞きたくないわ!退学よ、退学!ね、学長!』
五十鈴が声をかけると、背中だけを見せてイスに座っている学長が、大きくうなずく。彼の手の中に、1匹のペルシャ猫が抱えられ、撫でられるたびに気持ちよさそうに目を閉じる。
『せいせいするな。これで俺は、他の女の子に、いくらでも手を出していいわけだ。もうお前は無関係だもんな』
竜馬がそう言いながら、両手に女子を抱いて、高笑いをする。
『そんな、竜馬!私、あなたのことが…』
『はあ?バカじゃねえの?お前なんかもう2度とあうことねえよ。いい気味だ。はははは!』
惨めな気持ちになりながら、アリサは生徒会員に制服を取り上げられ、目の前で破かれ…
「もういいから!こんな妄想もういいから!」
アリサは半泣きで立ち上がった。
「あー、もう。真優美ちゃんがしくじりさえしなければ…」
「誰がしくじったですって?」
いきなり声が聞こえて、アリサはぎくりとした。真優美の声だ。声だけではなく、本人もいつの間にか、目の前に立っている。その顔にはいつもの微笑みはなかった。
「な、なんでもないのよ。それより、どう?調子は」
アリサは取り繕うように微笑みかけた。
「悪くはないです。さっきから体調がいいし、気分がとてもいい。うふふ」
怪しく笑う真優美。その顔に、アリサはぞっとするような気味悪さを覚えた。
「アリサさん。あたしは感じるんです。自分の中の見えない力を。それは思念エネルギーとして、あたしの体をまとっています。例えば、こんな風に」
どんっ!
真優美がその場に立てかけてあった箒を殴る。箒は真優美の殴ったところで、まっぷたつに折れた。
「念じればそれに外界が応じる。それに気づいた今、あたしのすることは1つ…」
ぶんっ!
アリサの耳元で空気が唸った。気配に首を避けると、一瞬前まで首があった場所を、真優美の拳が殴っていた。
「あなたに竜馬君は渡しません。無敵の力を手に入れたあたしにとって、あなたなど空き缶に溜まった雨水ほどの価値もない。うふふ、さあ、いらっしゃい。何をしようが、あなたはあたしには勝てないんですよ」
余裕綽々で、真優美がファイティングポーズを取る。
「あ〜ら、調子くれちゃって。そんな態度取っていいのかしら?」
アリサは自分の中で、怒りが高まっていくのを感じた。折れた箒の柄を取り、剣を握るように構える。西洋剣術を学んでいたアリサにとっては、棒きれだって立派な剣になりうる。
今の真優美がまともな状態でないのは、火を見るより明らかだが、ここまで挑発されて黙っているアリサではない。
「私の腕力、知ってるでしょ?靴を舐めて許しを請うたら、少しは情けをかけてあげるわよ?くふふ」
「そちらこそ、泣いてわめいても誰も助けに来てはくれませんよ。逃げたらどうです?逃がさないけど」
2人は相手をじっと見つめ、対峙する。
ガッ!
アリサの剣が真優美の頭に向かって振り下ろされた。真優美はそれを、身を横にしてかわし、踊るようなステップでアリサへ間合いを詰める。
「やばっ!」
アリサは思わず顔と上半身をガードした。それを見越した真優美は、手を支えにし、しゃがんで足払いを放つ。瞬発的なバックステップで、アリサはそれをかわした。靴と靴が擦れ、鋭く音を立てる。そのままアリサは真優美を蹴ろうと足を振るが、支えにした手を斜めに床に打ち付けた真優美は、バネの入ったおもちゃのように後ろに飛んだ。
「やるわね…竜馬は渡さないわよ」
いつもの真優美ではない。それをアリサは感じ取った。薬のせいでハイになっているのか、真優美の運動神経は、通常を遙かに上回っている。
「渡さない?あなたが、そんなこと、言えるんですか?」
にやにやと、嫌な笑い方で、真優美がアリサを見据える。
「哀れな人。自分が嫌われてることも気づかず、いつまでも手を伸ばし続ける。手に入らないおもちゃを欲しがる子供のように…」
「う、うるさいわね!私と竜馬はラブラブなのよ!」
「証拠はあるんですか?例えば、キス1つ、竜馬君からしてくれたことがありますか?」
真優美がすくい上げるように、拳をアリサにぶつける。間一髪で、アリサはそれを箒の柄で防いだが、柄はさらに2つに折れてしまった。
「な、何よ。心の底では、わかりあってるんだから…」
後ろに下がり、アリサが泣きそうな顔で真優美を睨む。彼女の言っていることも一理ある。だが、それを認めるわけにはいかない。
泣き虫で、ドジで、でも明るくて。大食いで、笑顔がかわいくて。そして何より、とても優しい真優美。それが今、こうしておかしなことになっている。今の彼女を認めるわけにはいかない。
「あなたが失禁して、泣き叫ぶ姿を見たい。その顔に、拳を打ち付けたい。耳に歯形をつけてあげたい。うふふ、さあ来なさい。楽しい楽しい、パーティーです。踊りましょう?」
すうっと、真優美が手を振り上げる。何か、しようとしている。そしておそらく、アリサは折れた棒だけでは、それを防ぎきることが出来ない。観念して、アリサは目を閉じた。
「あ、真優美みーっけ」
がっ!
真優美が前に倒れた。彼女の背中には、いつの間にか来ていた美華子が抱きついている。
「んもう、逃げちゃだめ〜。どこ行ったか探したよ?」
美華子は真優美の頬をなで、彼女のうなじに頬をこすりつけた。その顔はとても幸せそうだ。いつもクールな彼女からは想像がつかない。
「この毛皮の感触がたまんないんだから。食べちゃいたい」
「は、離しなさい!あたしは、あたしは!」
「暴力はだめよ?真優美。おかしくなっちゃって、かわいそうに。わんこは撫でてあげないと拗ねちゃうからね。ほら、抵抗しないの。こうして、獣人の毛皮をもふもふするのが、夢だったんだ」
美華子が真優美の体を撫で回す。
「なんか知らないけど、今のうちに…」
2人を置いて、アリサはまた走り出す。
「待ちなさい!こらー!」
真優美の叫び声だけが、アリサを追っていた。
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