「うーん…」
 6畳の畳部屋で、一人の女性がそろばんをはじいている。竜馬の姉、清香だ。彼女の前には古くさい財布と計算に使うメモ用紙が置いてあり、彼女の横には大量のレシートが置いてあった。
「どうよ。なんとかなりそう?」
 丸テーブルを挟んで向かい側に座っていた竜馬が、清香の鉛筆を目で追った。マイナスという文字があからさまに多い。
 2人は、親元を離れ、東京で暮らしている。清香は大学生で竜馬は高校生だ。家賃は決して安いとは言えないし、電気代やガス代もバカにならない。そして6月始めの今日、とうとう生活費が底をついていた。
「参ったなー。中旬にならないと仕送りはないし、米ももう残り少ないし…」
 竜馬が食品棚を見て、ぽつりとつぶやいた。食品棚には、インスタントラーメンが一食に、ふりかけがたくさん、そして米が少しだけある。他は調味料ばかりだ。
「その上、俺は風邪を引くし…ああ、調子悪い…」
 座布団の上に、竜馬は腰を下ろした。テストが終わり、家に帰ってきてから、体力がなくて着替えてすらいない。清香はそんな竜馬をちらりと見て、悩んでいる。
「仕方ないな…今から出稼ぎに行って来る」
 膝を叩いて清香が立ち上がり、自室に入っていった。
「出稼ぎ?何をするって?」
「まあ、任せておいて。あ、木刀のケース、貸してくんない?」
 ふすま越しに、小さくなった清香の声が聞こえる。言われるままに、竜馬は木刀のケースを出した。立ったり座ったりするたびに、全身に疲労感が溜まる。
「よし」
 部屋から出てきた清香は、浴衣を着ていた。手には一本の日本刀が握られている。
「ちょ…姉貴、何するつもりだよ。追い剥ぎか?」
「バカお言いでないよ。ちょいと、昔のつてを辿ってみるだけさね」
 刀をケースに入れ、清香は背負う。彼女は極度の時代劇マニアだ。週に5時間は、時代劇を見るのに使用しているし、時代劇研究のサークルにも入っている。だがまさか、着物を着て、刀を持ってどこかに行くとは、竜馬は夢にも思ってもいなかった。
「んな、口調まで武士になっちまって、太刀なんか持って気は確かか?」
「備前長船の模造刀さ。大衆演劇をやってて、飛び入りでも即日金がもらえるところを知ってるからさ。ちょっと頼んでみる」
「何も今からそんな格好して行かなくても…」
 竜馬は清香の出で立ちをじろじろと見る。
 ごつん!
「いってえ!病人殴るなよ!」
 清香のげんこつが竜馬の頭を叩いた。
「つべこべ言うんじゃないよ。2、3日は帰ってこないから、そのつもりでいなさい」
 清香は浴衣のポケットから財布を出し、中から500円玉を出すと、竜馬の前に置いた。
「とりあえず、今あたしはこれだけしかないから、これであと3日もたせて。家の中にあるものはなんでも食べていいからね」
「わかったけど…まさか本当に病人を放置していくつもりか?」
 病人という言葉に力を入れる竜馬。今はまだ大丈夫だが、そのうちひどいことになるのは、目に見えている。
「じゃあ、父さんや母さんに電話する?」
 父さんや母さん、という単語を聞いて、竜馬は顔をしかめた。今のこの状況を知られれば、竜馬は実家に連れ戻されることになる。実家には、彼と相性のあわない、かわいげのかけらもない妹がいる。彼女から逃げて東京に来た竜馬としては、実家に帰らなければいけない口実ができることだけは、どうしても避けたかった。
「じゃ、行ってくるよ。冷蔵庫におろしにんにくのチューブがあるから、使うこと。にんにくは風邪に効くから」
 清香が刀を背負い、玄関のドアを開けた。いつものビニール傘ではなく、唐傘を持っていく。雨が降って冷えている外の空気が流れ込み、竜馬は寒気を感じた。
「あら、お姉さん」
 外に、ちょうどチャイムを押そうとしていたアリサの姿が見える。その後ろには、傘についた雨の滴を払っている真優美がいる。
「ああ、アリサちゃんに真優美ちゃん。どうしたの?」
「ちょっと遊びに来たんです。竜馬、元気にしてます?」
 アリサがにこにこしながら部屋の中を覗いた。
「全然。風邪引いたらしくて。あたし、ちょっと2、3日出るから、竜馬の面倒見てやってくれない?」
 竜馬が清香に向かって、帰ってもらうようにしてくれとジェスチャーを送ったが、清香はそれを無視して話を進めてしまった。
「わかりました。後は任せてください!」
 アリサが一瞬、いやらしく微笑んだのを、竜馬は見逃さなかった。
「ごめんね。じゃあ、お願い」
 清香はそれに気づいてか気づかずか、2人に頭を一つ下げて、出ていってしまった。


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