2020年、地球は飽和していた。技術向上に、進歩に、飽和していた。人口は増え続け、世界はダメになる一方だった。
 そんな折り、彼らは現れた。彼らは地球の人間に言ったのだ。我々の仲間に入らないかと。
 そして2045年。地球は変わる。


 おーばー・ざ・ぺがさす
 第六話「梅雨の最中の体調不良」



 東京に雨が降る。昼頃から降り始めた雨は、急に勢いを増して、ビルを叩き始めた。都市は雨の下でも関係なく動き続ける。このぴったりとはまった調和は、雨の音では乱せない。都市の中の、人間という歯車は、雨では錆びさせることが出来ない。
「降りますねえ…」
 喫茶店の窓から、外を眺めているのは、獣人少女の真優美だ。銀色の髪が、褐色の体毛が、しっとりと濡れている。
「そうね〜。もう梅雨真っ盛りだからか〜」
 その向かいで、同じく獣人少女のアリサが、ため息をついた。長い金髪が濡れている。傘がないところを見ると、どうやら2人とも、雨の中を走ってきたらしい。本当ならば南中した太陽が見える時間だが、分厚い雲が出ていて、陽光を浴びることは出来ない。
 5月の末に、かなり早い梅雨入り宣言をされてから、既に1週間が過ぎていた。今年は異例の事らしい。6月に入り、中間テストが始まっていて、2人は既に授業が終わっていた。
「毛が濡れちゃうと、臭いが気になるんですよねえ」
 自分の毛に鼻をこすりつける真優美。だいぶ気になっているようだ。
「学校を出るときはあんなに晴れてたのにね〜。そういえば昨日も雨降ってたし、一昨日も。やっと晴れたと思ったのに」
 アリサがぼやきながら、暖かいコーヒーを一口飲む。雨が風で窓に叩きつけられた。外を歩く人の傘が風に飛ばされそうになる。
「せっかく中間テストで、学校が早く終わったのに、これじゃあどこにも遊びにいけないじゃない」
 アリサはつまらなそうに、窓の雨の跡を、指でなぞる。
「テスト期間中に、早く学校が終わるのは、帰って勉強をするためですよ?」
「そんな必要ないわよ。簡単すぎて困るくらい」
「え〜?」
 アリサの余裕綽々といった態度に、真優美が驚きの声をあげる。
「今日の科目なんか、音楽と国語だけじゃない。よく問題を読めばわかると思うけど?」
「だってぇ〜、国語嫌いだもん」
「もう、しょうがない子ね」
 学校用のカバンから、アリサが取り出したのは、国語の問題用紙だった。
「どこがわかんなかったの?」
 問題用紙を広げるアリサ。問題用紙は、あちこちに書き込みがしてある。
「この読解問題とか、どうやって考えるか、わかんなかったですよぅ」
「簡単じゃない。主人公と恋仲の女の子の話なんだから、好きあってたとかそういうことを書いておけばいいのよ」
「えー、それだけ?てっきり裏があるかと…ずるいなぁ…」
 真優美が膨れ面をした。まじめに物事を考えすぎるのが彼女の欠点だ。だから、どうでもいいところで考え込んだり、考えなければいけないところを素通りしたりして、間違いを作る。真優美はアリサの解説を聞いて、今回赤点を取らないかと、不安な顔をしていた。
「それにしても、この作中の恋仲の男女って、まるで私と竜馬みたいね。くふふ」
 にやにやしながら、アリサがつぶやいた。彼女は、同い年で同じクラスにいる人間少年の、錦原竜馬に恋をしている。そして、竜馬に強烈なアタックを何度も何度もしている。端から見れば、それは恋という範疇を越えていた。
「違うもん。竜馬君、そんなんじゃないもん」
 アリサのその言葉で、真優美はむっとした顔をした。真優美も竜馬に恋をしており、彼女に小さなライバル意識を持っている。
「お待たせいたしました」
 ちょうどそこへやってきたウェイトレスが、ホットドックの皿を置いた。
「頼んだの?」
「だってぇ、お腹が空いたんですもの。お昼いらないと思ってたし…」
 真優美がしゅんと俯いた。彼女は今日、早く帰れると思い、昼食を食べなかった。ところがこうして、雨のせいで足止めを受けてしまった。いつ帰れるかわからないまま、ココアだけを飲んでいた彼女は、空腹が我慢出来なくなってしまったのだ。
「私もお腹空いたな〜。何か頼もうかな」
 メニューを広げるアリサの前で、真優美がホットドックを口に持っていく。ふわふわのパンに、よく焼けたソーセージ、そして粒の入ったマスタードとケチャップ。たったこれだけの材料で、少女の幸せを作ることが出来る。
「ほんとに美味しい〜。こんなの、久しぶりかも」
 にっこりと真優美が微笑む。その顔を見て、アリサは自分の中で、記憶の小箱が開くのを感じた。小学生のころのある日の思い出。
「どうしたんですか?」
「ん。ちょっと、昔のことを思い出して。つまらない思い出なんだけどね」
「あ、聞きたいなぁ」
 アリサの言った、思い出という単語に、真優美は引きつけられたようだ。期待を込めてアリサを見つめる。ゆっくりと、切れ切れになっている記憶を貼りあわせ、アリサは口を開いた。
「んー。あれはいつだっけ。小学生のころだったかな。そのとき、お母さんがちょっと体調崩してね。入院しちゃったの」
 カチャ
 コーヒーをかき混ぜていたスプーンをアリサが置く。
「え…お母さん、大丈夫なんですか?」
「うん。ほんとに、ちょっと体調を崩しただけ」
 心配そうな顔をする真優美を落ち着かせるように、アリサが答えた。
「タイミング悪く、お父さんが出張に行ってて、一人で留守番をしていたのよ。一晩だけなんだけどね。不安で仕方なくて。そのとき、竜馬が来てくれて、私にサンドイッチを作ってくれたの」
 アリサが手を重ね、サンドイッチを挟むジェスチャーをする。
「それはもちろん小学生だし、ちゃんとは出来なかったけど、美味しかったな。トマトとハムを挟んだサンドイッチで…」
 アリサは遠くを見るような目で真優美を見た。思い出が彼女の中で開いているのだろう。その顔は、とても幸せそうだ。
「いいなあ。そのころは仲よかったんですねえ」
 真優美の何気ない一言で、アリサの表情が崩れる。
「違うわよ。今も仲いいもの」
「うーん、でも、竜馬君はそんな感じ、ないですよぉ?」
「嫌みなんか言っちゃって、この、憎たらしい〜」
 ぎゅううう
「痛い痛い!」
 アリサが、ホットドックを頬張る真優美の頬をつねる。
「そういえば、竜馬、早めに帰っちゃったけど、今頃何をしているのかしら…」
「うう、アリサさん、離してぇ」
 真優美の頬をつねったまま、アリサは窓の外に目を移した。


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