テレビでヒットソングが流れている。この1週間で、とても人気が出た、女性グループの曲だ。この手合いの曲を聴くたびに、美華子は自分が流行から取り残されていると感じる。いい曲だとは感じるが、CDを買おうとは思わないし、その情報についていくほどの興味も持つことが出来ない。番組のエンドロールが流れ、12時の時報が鳴った。まじめな顔をしたキャスターがニュースを報じている。
「そろそろ眠い〜…」
 真優美が大きくあくびをした。その手にはフォークが、目の前には先ほどコンビニで買ってきたであろう、ショートケーキが置いてある。彼女はいつも緩く、人を信用しすぎる面がある。他の誰かが、真優美を一日使ってやろうと考えているかも知れないのに、敵相手に自分が弱っていることを知らせるのはあまりよろしくはないだろう。
『まあ、でも…』
 一同を見渡す美華子。この中に悪意を持っている人間はいない。身内だからこそ、甘えることもできるし、逆に他人の甘えを受け止めることもできる。今まであまり友人がいない環境で育ち、初めて深く交際した彼氏にも裏切られた彼女は、この集団の中に安息を見いだしていた。
 自分から友人になろうと言ったわけではない。自分から他人の集団に飛び込むだけの勇気やバイタリティはないし、なにより面倒くさい。だからこそ、今この出来上がった仲間を、大事にしていきたい。竜馬とアリサのコントのようなやりとりを見ているのは楽しいし、真優美のつまらない悩みを聞くのも面白い。修平が、自分を気遣ってくれるのも、そことなく嬉しかった。
「これ面白いわ〜」
 アリサが、先ほど清香がコンビニで買ってきた、大きなピコピコハンマーをいじっていた。物を叩くたび、ぴっこんぴっこんと音が鳴る。
「ニュースなんか面白くないしなー。なんかゲームしようか。何がいい?」
 小さな段ボール箱を出す清香。中には、古いゲーム機から新しいゲーム機まで、様々なものがそろっていた。今では珍しい2Dのゲームまである。美華子は、その中の一つに目を奪われた。アーケードで有名になり、今は家庭用に移植された、ピアノ引きをモチーフにした音楽ゲーム。最初見つけたときは、暇つぶしに何の気なしにやっていたゲームだったが、気が付くと何枚ものコインを投入していた。それほどの中毒性がこのゲームにはある。
「これ、やっていいですか?」
 美華子は箱の中からケースを出す。
「あ、懐かしい。それ、私得意なのよね〜」
 アリサがピコピコハンマーを置き、興味深そうにパッケージを見る。ソフトが入っている箱の中には、専用コントローラが2つ、一緒に入っていた。
「いいよ〜。あたしも竜馬もリズム感覚なくて、投げ出してたんだよね」
 清香の言葉が終わらないうちに、美華子はゲーム機に小さなディスクを入れた。幾度となく聞いたオープニングのジングルが鳴る。コントローラを専用コントローラに差し替えると、少しどきどきした。
「2プレイしていい?」
 隣にアリサが座る。美華子は小さく頷き、専用コントローラを片方渡した。白い鍵盤と黒い鍵盤が1オクターブ分ついていて、メーカーのロゴが彫ってある。プレイヤーが交互に曲を選べる、2プレイモードを選び、いつものように曲を選ぶ。
「あ、それはやめた方がいいよ。その曲、ものすごく難しいんだ」
 竜馬の忠告を無視して鍵盤を押すと、ゲームがスタートした。オブジェがライン上を上に上がっていき、一番上のラインに来たときに、タイミングよく鍵盤を押せば、曲の足りない部分が鳴り、得点が入る。美華子は鍵盤に手を置いた。
 目が動く前に、指が動く。初見の譜面のはずなのに、何度もそれを演奏していたピアニストのように、美華子の指が動く。隣のアリサも指を動かし、必死にオブジェを追っているようだが、美華子には敵わない。
「ほへー…」
 コンビニで買ってきたケーキを食べている真優美の手が止まる。その隣で、竜馬があんぐりと口をあけた。最初は小さかった差も、曲が終わるころには大きくなり、美華子が圧倒的優位のポイントで曲が終了した。
「負けた〜」
 アリサが悔しそうに後ろに倒れ込んだ。夢中になっていた自分に気が付く美華子。少し気恥ずかしくなって、鍵盤を置く。
「次、アリサの番。曲選んで?」
「ん〜」
 気の抜けた声で、アリサが返事する。彼女が選ぶ曲も、美華子には簡単すぎると言っていい曲だった。人の家のコントローラだからと、力を抑え気味にしていた美華子だったが、またもや熱中していた。2曲目も、美華子の圧勝で幕を閉じた。
「美華子さん、こういうの好きなんだなあ。知らなかったよ」
 修平が素直に驚いてみせた。いつの間にか、清香と2人で、将棋をしている。
「ん。得意なんだ」
 美華子は、気分がよくなるのを感じた。同時に、こういうことでしか目立てない自分を感じる。あまりかっこいいとは思わない。
「あ〜、敗北感〜」
 ぐだぐだしながらアリサが寝転がる。シャツのお腹が少しめくれて、ふさふさの腹毛が見える。獣人の体毛を見るたびに、美華子はそれを触りたい衝動に駆られる。彼女の見かけは無愛想だが、柔らかいものやかわいいものが大好きだ。爬虫人のさらさらの肌も、獣人のふさふさの体毛も、いつか心ゆくまで触りたいと思っている。
「じゃあ、次はこれなんかどう?」
 アリサがボードゲームのソフトを取り出した。人が集まれば必ずといっていいほど顔を出す、定番のボードゲームだ。まず最初に、プレイヤーは国王になる。そして、世界地図を模した大きなボードの上で、サイコロを振って旅をする。世界中の国を巡り、そこに存在する施設を買い取り、最後に資本をたくさん持っていた人間の勝ちという、単純なルールである。シリーズが長く続き、もう10本は出ている。
「あ、いいなあ。あたしもやりたい〜」
 真優美が興味深そうに顔を出す。
「いいわよ〜。竜馬はどう?」
 アリサが差し出したコントローラを差し出した。
「おう。やろうかな。俺、強いぞ」
 竜馬がコントローラを受け取る。アリサ、美華子、竜馬、真優美という順番に決まり、ゲームが始まった。
 最初の数ターン、当たり障りのないゲームが続いた。資金を増やし、移動し、施設を買い取る。このゲームの嫌らしいところとして、他のプレイヤーに対して、様々な妨害を行えるという点である。買収、統合、株操作、さらには戦争などまで行える。
 こういうゲームだからこそ、プレイしている人間の人柄が出る。終盤になると、各々自分の色が濃く出始めた。アリサは派手に稼いで派手に使う。美華子はちまちまと基礎を固め、一見何をしているかわからない。竜馬は行き当たりばったりに先に進み、真優美はあれもこれもと手を出して借金を作っていた。
「アリサ、ひでえ!せっかくアメリカに建てたホットドックチェーンに買収かけやがって!」
 竜馬がアリサのターンに大声を出した。画面では、竜馬の施設にアリサが買収をかけているところだった。既に彼女は巨額の富を得ており、竜馬が回避する手段はない。彼女がダントツの1位だ。並大抵のことでは抜けないだろう。
「だってホットドック好きなんだもん」
「じゃあなんでインドの電子部品工場まで買収するんだよ!絶対俺をターゲッティングしてんだろ!」
「当たり前じゃない。竜馬は私のための、愛すべきいじめられっ子だもの。小学生のころから、それは変わらないのよ?」
 アリサがいつもの通りの独自理論を展開している。アリサの理論は無茶苦茶だ、と美華子はいつも思っている。しかし、見ている分には面白いし、竜馬以外に自己中心的な理論を展開することはあまりないので、自分から介入しようとは思わない。
「んー、そうねえ。愛してる、お前しかいないって言って、キスしてくれれば、買収はやめてあげるわよ?」
 アリサは楽しくてたまらないと言った表情で竜馬に言った。
「それは嫌だ」
「くふふ、脅しだと思ってるの?ほら、ちゅってして?」
 犬口を竜馬に近づけるアリサ。竜馬はそれを押しのけ、そっぽを向いた。
「しねえよ、そんなこと」
 竜馬のその一言に、無表情になったアリサが、コントローラのボタンを押す。竜馬の施設は、アリサのカラーになり、画面に買収成功の文字が大きく表示された。
「あー!ほんとに買収したな!」
 焦った竜馬がまた大声を出す。
「ついでに、これと、これも。おほほのほ〜」
 表示されている施設が、どんどんアリサの支配を受けていく。
「なんてえげつねえことするんだよ!」
 そんなこと言っている間に、竜馬はすぐに貧乏国王に転落してしまった。さらにアリサは、これでもかと言わんばかりに、真優美の施設にまで手を出し始めた。
「アリサさんひどい〜!やめて〜!」
「勝負の世界は非情なのよ〜」
 真優美の悲鳴を聞き流し、アリサがにやにやしながらターンを終える。美華子のターンだ。
「そうね、非情だね」
 美華子はアリサの言葉に同意した。そして、彼女が買収した施設を、まとめて買収してしまった。アリサの資本がぐんと少なくなる。これは、美華子が数十ターン前から組み上げて来た、緻密な計算に基づくものだった。
「え、あ、あれ?」
「このターンにお金が入るように投資してた。逆転劇っていうのは、こうやらないと面白くないから。計算って大事よ」
 美華子の冷静な声に、アリサが焦りの色を見せ始めた。それからは、竜馬と真優美の入る隙もなかった。数ターンでアリサは地に落とされ、美華子は組み上げた部品をセットするかのように資本増大。最終的に、優勝は美華子だった。
「嘘でしょ〜?」
 敗北感をたっぷり味わった顔で、アリサがつぶやいた。よほど自信があったらしい。
「まあ、いいんだけどね。王様ゲームは譲らないからね」
 アリサはうつぶせになり、鋭い目を美華子に向けた。
「別に譲ってもらおうと思わないよ。興味ないし」
 ゲームの電源を切る美華子。テレビのチャンネルを元に戻すと、いつの間にかニュースが終わり、深夜のバラエティ番組が入っていた。下品なトークに、真優美が少し恥ずかしそうな表情を見せる。
「なーによう。望みがないっていうの?パシリとか思うままなのよ?ねー、竜馬〜」
 竜馬の方に向き直ったアリサの目の前にいたのは、ぐったりしている修平だった。先ほどから黙っていたのは、将棋をしていたからではなく、眠かったからのようだ。
「俺、眠いわ…もうだめかも…」
 修平は壁に背を預け、眠そうな顔をしている。
「修平君、大丈夫ですか〜?」
「全然…ああ、夢が遠のく…」
 ふらふらの修平が、台所へ行き、顔を洗う。足取りがおぼつかない。
「夢って?まさか、姉貴を一日彼女にしようとか考えてないだろうな、ははは」
 竜馬が軽く笑うと、修平がくるりと振り向いた。
「その、まさかだよ」
 空気が凍り付いた。アリサは微妙な顔をしているし、真優美は顔を押さえて恥ずかしそうにしている。竜馬は必死に笑おうとしているが笑うことが出来ない。美華子はそんな一同を見て、ため息をついた。なんでこんなことで、一同が右往左往するのか、彼女にはあまり理解できない。
「ははは、あたしのどこがそんなに気に入った?サークルでは男として扱われてんだよ?」
 タバコをくわえ、清香が豪快に笑う。
「き、清香さん!」
 笑いながら煙を吐く清香の肩を、修平ががっしりとつかむ。
「自覚なさすぎです!だって、こんな美しい女性を、男性扱いとか、まじおかしい!目が節穴なんだ!」
「わかったから落ち着いて。そんな強く肩を掴まれると痛いよ」
「俺は、俺はもう…」
 どすっ!
「ふげっ!」
 暴走した修平の腹を、清香が手加減なく蹴り飛ばす。修平はどすんと倒れ、大の字になって動かなくなった。
「あ、悪い!ついいつもの癖で!」
 清香が慌てて修平を揺すると、彼はゆっくりと起きあがった。
「い、いかん、眠気のせいで理性が…」
「大丈夫だった?」
 腹を押さえる修平の顔を、清香が覗き込む。
「いや、あの…その…す、すいませんでした!」
 修平が慌てて謝った。その姿は彼に似合わず、滑稽でもある。
「修平ですらあんな望みがあったのよ?美華子は?」
 アリサもだいぶ眠いらしい。目つきが悪くなっている。
「望みがないわけじゃないけど」
「あるんじゃない。言ってみなさいよ〜」
 女の子座りをしている美華子の膝に、アリサが顎を乗せる。喉の毛もふさふさしていて、触り心地がいい。ゲームに熱中しすぎたのか、眠気が甘いミルクのように、瞼の裏に流れている。少しだけ、いたずら心が湧いた美華子は、適当なことを言った。
「錦原を一日、服従させてみたいかな」
 空気が凍りついたのがわかる。美華子はバカにするように、鼻で笑った。
「美華子!あんたねー!」
「美華子ちゃん、ひどい!」
 アリサと真優美が、同時に起きあがった。そして、お互いの顔を突きつける。
「何よ!あんたには関係ないわ!クリームなんか口の周りにつけちゃってさ!」
「か、関係あるもん!アリサさんこそ関係ないでしょ!」
「真優美ちゃん、あんたねえ、酒飲んで迷惑かけたりしてるくせに…」
「そういうアリサさんこそいつも竜馬君に迷惑を…」
 喧々囂々と言い合いをする2人を横目に見ながら、美華子はそっと竜馬の横に移動した。
「な、なんだよ」
 竜馬は顔を赤くして、目を逸らす。
「別に」
 小さく言う美華子。テーブルでは、飛車を取られた修平が、周りの喧噪が見えないふりをしながら盤上を睨んでいた。清香がしたり顔で、飛車を手の中で転がしている。
「ねえ、錦原。お願いがあるんだけど…」
 美華子が甘い声で言う。
「な、なにかな。俺で出来ることなら…」
 竜馬はますます恥ずかしそうな態度を取った。この反応が面白い。
「あのさ…」
 ここで一度言葉を切る。竜馬の、唾を飲む音が、大きく聞こえた。
「布団貸してくんない?」
 竜馬はこの言葉に、肩すかしを食らったように、小さくこけた。
「布団なら、俺の部屋のベッド使っていいから…でも、王様ゲーム参加してるんでしょ?」
「いや、もういい。眠いから寝る」
「じゃあ、さっきのあの言葉は…」
 まじめに信じていた竜馬がおかしく、美華子は小さく笑った。
「冗談だよ。じゃ、おやすみ」
 竜馬の部屋に入り、布団に入る。美華子は枕が変わったら眠れない人間ではない。隣の部屋の言い合いを聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
「あたしも寝るわ。もし勝ったら、明日一日、竜馬に家事をやらせようと思ったんだけどね〜」
 清香の声が、壁越しに響いた。
「姉貴、いいのか?」
「いいのいいの。まじめに参加する気はなかったし、眠いから…」
 居間から流れる会話が小さくなり、だんだんと意識から遠のいていく。夢が美華子に手招きしている。
 携帯の電波時計が12時25分を表示している。美華子、清香、脱落。もう夜は長くはない。


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