「ん、ふぁあああ…あふ…」
真優美が犬口を大きく開け、あくびをした。時計を見てみれば、既に11時を過ぎている。真優美はいつも11時半には床についているので、眠くて仕方がなかった。だが、それもこれもこの王様ゲームに勝つためだと、心の中で気合いを入れた。
「真優美ちゃん、脱落間近〜?」
アリサがにやにやしながら真優美の顔を覗き込む。
「ち、違いますよ〜だ」
少し慌てて、真優美はアリサの言葉を否定した。竜馬のことが絡むとアリサは強情になる、と真優美は思った。昔からの友人だったらしいし、今では一方的な恋愛を抱く仲だ。必死になるのはわかるが、そのことで意地悪になるのは、少しむっとすることではある。なぜなら、真優美も竜馬を少なからず思っているからだ。
数週間前のあの日。夜の学校に入った日。暗くて怖いときに、竜馬は剣を構え、自分を守ると言ってくれた。このことを思い出すたびに、真優美は胸の奥がきゅうっとするような、くすぐったい感覚を感じる。痛くはないはずなのに痛い。くすぐったくはないはずなのにくすぐったい。それが恋愛感情だと理解するのに、真優美は少し時間を必要とした。今回の王様ゲームに勝利したら、願うことは一つ。一日、竜馬の彼女になりたい。
ついでに、アリサのことを言うならば…彼女が悪い人間でないのはわかるが、いたずらが過ぎることがある。さっきの耳噛みもそうだ。からかって楽しんでいる部分がある。竜馬のトラウマになったのは、これがさらにひどかった状態なのだろうと、察することが出来る。また、口八丁なアリサに言いくるめられることもままあり、そう言った意味ではアリサは気を抜けない友人だった。
「なんだか小腹が空いたな。なんか作るか〜?」
清香が腰を上げる。キッチンの電気をつけて、冷蔵庫の中を漁っていたが、しばらくして扉を閉めた。
「なーんもない。武士は食わねど高楊枝、ってか」
調子をつけて言う清香。何も食べていないのに、爪楊枝をくわえている。本人は木枯らし紋次郎のつもりであろうが、清香のような美人女性には、爪楊枝は似合わない。
「コンビニでも行く?」
漫画を読んでいた竜馬が顔を上げた。
「あ、行くんなら俺も行く。飲み物欲しいし」
「私も。買いたいものがある」
竜馬に続いて、修平と美華子が名乗り出た。
「あ、あたしも行きます〜」
真優美はそこですかさず名乗り出た。あまり行動が早い方ではないので、タイミングを逃したらそこでこけてしまう。そうならないよう、いつも気をつけていた。それでも、アリサにはバカにされてしまうのだが。外出してもいいように、財布と腕時計を取る。
「アリサは?」
「もちろん行くわよ」
美華子が聞くと、のけぞってテレビを見ていたアリサが、体を持ち上げた。長い髪を一撫ですると、好き勝手な方向を向いていた髪が、綺麗に流れた。
「じゃあ、行きますか」
清香が財布を持って外に出る。残りの面々もそれに続き、最後に竜馬が出て、鍵を閉めた。かちゃんという音が響く。
「んー、いい気持ち〜」
真優美は大きくのびをして、空気を吸い込む。
「この辺りは緑も多いから、空気いいんだよな」
修平も真優美に習って、空気を吸い込んだ。夜の空気は、昼の空気に比べて、澄んでいるように感じられる。一団は階段を下りると、コンビニの方へ歩き始めた。
「他の部屋、明かりついてない。やっぱり、ゴールデンウィークだし、実家帰ってるのかしらね」
アリサが後ろを振り向いて言った。竜馬と清香の暮らすグリーンハイツは、学生アパートだ。この辺りには大学が多いので、他の部屋には大学生が入っている。ゴールデンウィークが始まったのは6日前。そのときに、竜馬の部屋に遊びに来たときは、大きなスーツケースを持った学生が2人、出ていくのが見えた。
「あー。ほんとだ。俺らしか残ってないんだな」
アパートを見て竜馬が言う。
「つまり、どれだけ騒いでも、隣近所に恥ずかしくないってことよ。くふふ」
「迷惑かけない、の間違いだろ。何が恥ずかしいことがあるんだ?」
「恥ずかしい声とか、音とか、聞かれないわよ〜。ベッドがきしむ音とかね〜」
含み笑いをしながら遠ざかるアリサ。竜馬は呆れ顔で、ため息をつく。
「困ったもんだよ、あいつにも。親の顔が見たいぜ…」
竜馬はアリサから距離を取って歩き出した。真優美がその横について歩く。
「親の顔が見たいんですかぁ?」
「ああ、そういう慣用句があるんだよ。ああいう子供を、親がどういう育て方をしたのか、見てみたいっていう呆れた言葉さ」
「ああ、そうだったんですか〜。知らなかった…」
真優美はほうと息をつく。長い間日本で暮らしているが、知らないことはまだまだある。それを知るのも、楽しみの一つだった。
5分ほど歩くと、コンビニが見えた。深夜でもコンビニは便利な物を販売している。今では自動販売機のタイプのコンビニエンスストアが増えたが、それでも店タイプのコンビニには品揃えでも新鮮さでも敵うはずがなく、店タイプの方が多い。
「いらっしゃいませ」
バイトらしい若い店員が疲れた声で挨拶をした。長身の、目鼻立ちの整った男の店員だ。髪を茶色に染めている。おしゃれな男の部類に入るだろう。一瞬、真優美は目を奪われた。だが、近くにいる竜馬の方が、数倍はいい男に見えるから不思議である。
『ごめんなさい〜』
不謹慎なことを思ったことを、心の中で謝りながら、真優美はスイーツのコーナーへ移動する。
「あはは、なんじゃこら。買っちゃおうかな」
玩具コーナーで、大きなピコピコハンマーを、清香が笑いながら見ている。また、隣のパンコーナーでは、美華子が菓子パン見ていた。美華子は真優美のいろいろな話を、バカにするでもなく、呆れるでもなく、何も言わず聞いてくれる。そして、最後には的確なことを言うのだ。彼女も、大事な友達の一人になっていた。
「え〜と、ん〜…」
色とりどりの菓子が真優美の目に飛び込んだ。ケーキ、プリン、シュークリーム。これを見ているだけでも十分幸せになれる。さんざん迷ったあげく、真優美は小さなケーキを一つ取り、レジで会計を済ませた。店の中を見ると、美華子と清香、アリサが既に買い物を終えて、いなくなっている。
「みんな帰っちまったか。俺も先に戻ってるから」
修平が、漫画コーナーで立ち読みしていた竜馬に声をかけ、外に出ていった。竜馬は生返事だ。まじめに聞いていない。
「あの、みんな、帰っちゃいましたよ?」
「ん〜?あ、ほんとだ」
真優美が声をかけると、竜馬は初めて自分だけが残っていることに気が付き、漫画を置いた。
「じゃあ、俺らも行きますか」
竜馬と真優美が外に出る。既に他のメンバーは帰ってしまったらしく、外には誰もいない。
「なんか、王様ゲームしてるっていうのに、いつもと皆さん変わりませんねえ」
真優美は正直な感想を言いながら歩き出す。
「一人、えらく態度が変わってるやつがいるけどな」
「アリサさんですか〜?」
「うん。なんであいつはあんなに俺に執着するんだろうなあ…」
迷惑だ、と言った表情の竜馬。アリサにはだいぶ困っている様子だ。
「なんででしょうねえ…」
適当な相づちを打ちながら、真優美は後ろをついていく。夜の済んだ空気が気持ちいい。
「困ったもんだよな〜。もし他の女の子と親密になったら、絶対あいつがしゃしゃり出て来るに決まってる」
竜馬は足下に落ちている小石を蹴る。他の女の子と親密になる、という言葉に、真優美の胸がちくりと痛んだ。
「他の女の子と仲良くすること、あるんですかぁ?」
真優美は冗談交じりに言った。
「はは、俺、意外ともてるんだぜ?」
竜馬も冗談めかして返答した。冗談に聞こえない。胸の痛みが強くなる。
いろいろと言いたいことはあったが、あえてそれは言わない。竜馬との仲が壊れてしまうかも知れないから。
「あの、手を握っていいですか?」
黙って歩いていた真優美が恐る恐る聞く。心臓が高鳴り、口から飛び出しそうだ。竜馬は意外そうな顔をしたが、小さくうなずくと、片手を出した。袋を持っていない方の手で、竜馬の手を握る。少し、幸せに、近くなれた気がした。
腕時計の針が11時42分を指している。そろそろ今日が終わる。
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