「もうこんな時間か。早いね」
 修平は時計を見ながら、ぼんやりと言った。今は既に10時を回っている。夜中と言っていいか、夜と言っていいのか、わからない時間帯だ。
 そもそも、夜中という概念がよくわからない、と修平は考えた。明確な区切りがあるならまだしも、時間として区切りがないものに、曖昧な名称がついていると、それで混乱することがある。例えば、午後4時などは、夕方と言えばいいのか、昼と言えばいいのか、よくわからない時間帯だ。どうもその辺りの頃合いが難しい。
「あー、終わった」
 清香がテレビから離れる。いつの間にか時代劇が終わり、コマーシャルが流れていた。
「あ〜、これ、美味しいんですよね〜」
 テレビに映し出された、袋菓子のコマーシャルを見て、真優美がころころと笑った。笑っている彼女は、子供のように純粋で、とてもかわいらしい。それに比べて、美華子は普段黙っていることが多く、何を考えているかわからない部分がある。話を振っても、それに明確な反応をしないことが多い。
「暇するのもあれだし、俺がちょっと、前に聞いた話でもするか」
 修平はそう言うと、テレビのリモコンを取り、テレビの電源を切った。
「どういう系統の話?」
 自室から持ち出した漫画を読んでいた竜馬が顔を上げる。
「んー、怖い系だな。だめな人、いる?」
 一同を見渡す修平。異論は出ない。漫画を読んでいた竜馬も、一同の中に入り、座り直した。すかさず右側にアリサが滑り込み、おずおずと左側に真優美が座り直す。
「それで、どんな話?」
 清香があぐらをかいて、修平は少しどきりとした。今日の清香は、その細身に似合うカットジーンズを履いている。運動をしているのか、健康的に筋肉のついた太股に、思わず修平は目を奪われた。
 4月半ばの花見騒動。清香が不良相手に出した「谷落とし」に、修平は心を奪われていた。谷落としは柔道の投げ技だ。柔道と空手をしている修平自身も、試合で数度出したことがある。どんな柔道技でもそうだが、相手の流れをしっかり読み、その上で出さないと、逆に自分を危機に追い込む。不良との喧嘩のとき、彼の脳裏に、一瞬でも柔道の技を出そうという考えはなかった。拳を闇雲に振り回していただけだ。その彼の目の前で、清香は冷静に投げ技を決めていた。それ以来、彼の心に、清香を尊敬する感情が芽生えた。
「あ、清香さんに見とれてる。修平、スケベね〜」
 アリサがからかうように言い、修平は顔を赤くした。
「そ、そうじゃないよ。ったく」
 竜馬は大事な友人だと思っている。だからこそ、友人の姉という立場の清香に、距離を縮めに行くことが出来ない。今回のこの王様ゲームで勝ったら、修平は一気に距離を縮めに行くつもりだ。清香に一日、彼女の持つ武術を教えてもらう。それが彼の望みだった。
「じゃあ、話すぞ。逃げるなら今のうちだからな」
 もったいぶった前置きを置くと、一瞬真優美がびくりと動いた。だが、怖い物見たさか、逃げ出すことはしない。雰囲気を出すため、わざと一同から目を逸らし、テーブルを見つめながら修平は語りだした。
「ちょうど、俺が中学2年のころだっけか。一時期、この辺りで、殺人事件が相次いだじゃない。結構噂になってたけど、誰か知らない?」
 そこで一度言葉を切る。
「知ってる。3人の人が、合計4人を殺して、警察に捕まったって」
 話に食いついた美華子が、その事件のことを話した。無表情だが、話に参加する気はあるらしい。
「うん。最初の被害者は、女子中学生だった。当時、俺と同い年。実はね、彼女は、俺の友人の友達だったんだよ。学校は違ったけどね」
 えー、とアリサが声をあげた。
「修平とは面識はあったの?」
「いや、ない。顔も、ニュースで見ただけ。友人が、Aって言うんだけど、ものすごく落ち込んでさ。声をかけるのもためらわれるほどだったんだ」
 がたん
 窓に風が吹き付けたのか、音が鳴った。この状況だったら、小さな音でも、この怖い話を盛り上げるための効果音になる。部屋がしんとしたのを確認してから、修平は続けた。
「2人目の被害者は40代のおばさん。事件が起きたのは2日後。ここで1人目の被疑者の男が捕まったんだよな」
「容疑者じゃなくて?」
 清香が口を挟む。
「えーと、容疑者と被疑者って言うのは、同じものなんです。容疑者は通称で、正確な法律用語では被疑者って言う。捕まったけど起訴されてない人のことを言います。起訴されると被告人になって、そこから罪が確定すると、犯人として扱われる。冤罪だったりしても、被疑者とか容疑者って呼ばれた時点で、マスコミが犯人扱いをするのが怖いところですね」
「へぇ。そうだったんだ。知らなかった。物知りだね〜」
 修平の説明に、清香は納得したようで、感心した顔を見せた。
「そこで事件が終わるかと思ったら、翌日、次の男性被疑者が80代の女性を殺して逮捕。その次の日に、52歳の主婦が、また別の男に殺された。ここまでは、よくある話で、まだ済ませられるよな」
 修平がまた言葉を切る。
「これがよくある話で終わっちゃ怖いんだけどね〜」
 アリサがいかにも困ったことだ、という顔を見せる。
「まあね。じゃあ、今の情報だけでの、共通点を拾ってみようか。殺したのは男、殺されたのは女。被害者、加害者、共に面識はない。期間は1週間以内。いずれも、この周辺で起こっている…」
 黙り込んだ修平を、真優美が恐る恐る覗き込む。
「あの、それがどうかしたんですか?」
 もったいぶった間を置いた後、修平は口を開いた。
「今からだいたい、20年ほど前のことかな。同じことが起きたことがあるんだよ。もちろん、俺は産まれてなかったから、詳しくは知らないけどね。そのときは、6人の女性が、1人の男に殺された。さっき言ってた、Aがこの事件を教えてくれてね。2人でネット調べてみたら、この10人の被害者全て地球人で、右耳の一部を破損していたんだ」
 自身の右耳を、とんとんと触って見せる。
「右耳を…」
 清香が右耳を無意識に撫でた。
「耳ってのは、特殊な器官でさ。地球人、獣人、そして爬虫人。毛髪や内臓なんかは、大抵似通ってるのに、耳だけはみんな形が違う。地球人は、楕円の先が少し出っ張ってるような形で顔の左右にあるし、獣人は垂れ耳か尖り耳で頭の上、爬虫人は耳の穴だけが地球人と同じ位置にあって、地球人や獣人みたいな、明確な形の外耳がない」
「そういえばそうだな」
 竜馬が、向かいに座っていた修平の耳と、隣に座っていたアリサの耳を見比べる。
「くふふ、触ってみる?」
「いや、いいや」
 アリサが頭を竜馬の方に向け、耳をはたはた動かして撫でるように誘ったが、竜馬はそれを拒否した。
「地球人の右耳ばかりが狙われる殺人事件。変だと思ってね。Aと一緒に掘り進めていく内に、面白いことがわかった。戦前に、同じような事件のケースが見つかったんだ。ここよりは東側だけどね。事件はレポートにまとめられていて、耳食い童子、と名付けられたファイルだった」
 ひっ、と小さい声が聞こえる。見れば、真優美が怯えた顔をしていた。
「それで?」
 耳食い童子という、おおよそ近代的ではない怪談のような名前に、今まで興味を持っていた美華子が呆れ顔を見せる。 
「話をかいつまんで見ると、こうだ。昭和の中期、親に愛されていない男の子がいた。その子は親に誉められようと、いろいろなことをしたが、だめだったらしい。というのも、父親はひどい酒飲み、母親はそんな父親に虐げられて生きていて、子供どころの話じゃない。今で言うドメスティック・バイオレンスってやつだな。ある日、外でいやなことがあった父親に、暴力を振るわれた母親が、その子がまだ起きていると怒って、包丁で右耳を斬りつけたんだ」
 右手を、右耳の上にとんと当て、斬るような仕草をする修平。痛々しいシーンを想像したのだろう、アリサと竜馬が顔をしかめる。真優美は怯えて、声も出さない。
「その子は、それまで抑圧されていた何かが外に噴き出すのを感じた。痛い。苦しい。生きたい。死にたくない…気が付けば、彼は母親の右耳を噛みちぎり、奪い取った包丁で、心臓をえぐっていたそうだ。刺し傷は10箇所、そのほとんどが心臓近くだ。そして数日後、彼自身も自殺している死体が、林の中で見つかった。そのレポートは、その少年の霊が、失った右耳と命を、生者から奪おうと、適当な人間に乗り移って殺人を繰り返す、という内容で終わっていた」
 部屋がしんと静まりかえった。誰も、何も言わない。修平の話に聞き入っている。ここまでちゃんと聞いてもらえるとは思っていなかった修平は、少し驚きながらも、話を続けた。
「このレポートの途中に、こんな一文がある。彼が母親を殺して数日して、右耳のない犬の死体が見つかった。これも少年がやったものと見ていいだろう、とね。刺し傷の10と、犠牲者の数10は奇妙に符号している。俺が思うに、次に狙われるのは、犬。つまり…」
 修平は腕を持ち上げ、真優美を指さしてみせた。
「君たち、獣人かもしれん、ということだよ」
 冷たい目で真優美とアリサを見る修平。大胆不敵な顔のアリサと対照的に、真優美はびくりとして、尻尾をぴんと立てた。驚いている表情が、次第に恐怖に変わっていく。
「こ、怖いよぅ…えう…えう…」
 とうとう真優美は泣き出し、竜馬にすがりついた。よほど怖かったのだろう。ぶるぶると震えている。
「あー、もう。よしよし、大丈夫だからね」
 竜馬が真優美の頭を撫でる。とても悔しそうな顔のアリサが、それをじっと見つめていた。先を越されたと言った表情だ。
「はは、嘘だよ、嘘。殺人事件で耳がなくなってたなんて話はないし、耳食い童子なんて実在しないよ」
 さすがにやりすぎたか、と思った修平は、安心させるように、声をあげて笑ってみせた。
「いやー、面白い話だったよ。怪談には少し時期が早いけどね〜」
 清香が楽しそうに笑った。
「やっぱりね。そんなことだろうと思った。サスペンスかと思って聞いてれば怪談だったし、話が安すぎる。もう少し勉強したらいいよ」
 美華子は、竜馬が持ってきた漫画本を手に取り、読み始めた。辛口評価の美華子とは対照的に、真優美は本当に怖かったらしい顔をしている。嘘だとわかって泣きやんだが、涙の跡が目の周りについていた。アリサが、何かたくらんでる顔で後ろにすすすと回り込む。
「いただきまーす!」
 あむっ
 アリサが冗談半分で、後ろから真優美の右耳を甘噛みした。びくんと真優美が震え、一瞬でパニックになった。
「きゃあ!きゃあ!」
 がたん!
「きゃん!」
 真優美が暴れて、後ろに倒れ込む。耳を離し損ねたアリサは、真優美の体の下敷きになってしまった。
「なにすんのよう!」
「あ、アリサさんこそ何するんですかぁ!あたしが恐がりだって知ってるくせに!い、いじわる〜!」
 真優美が怒って、アリサに向かって抗議した。脅かした本人は、真優美の怒りなどどこ吹く風で、竜馬に抱きついた。
「そんなに怖がると思わなかったわ〜。ねー、竜馬…」
 いつものように調子を取ろうとして、アリサは自分が、竜馬と真優美の両者に睨まれていることに気が付いた。
「な、なーによう、その顔。私だけ悪者?」
 立場があまりよくないと悟ったのだろう。アリサは耳を伏せ、おどおどしはじめた。
「俺は何もいわんよ。察してくれ」
 ため息まじりに竜馬が言い、漫画本に戻った。アリサがその背中に抱きつく。
「もう、私だって怖かったのよ?察してほしかったな〜」
 今度は竜馬の耳を噛むアリサ。竜馬はアリサを押しやり、壁に背中を預けた。
「うっとおしいなあ。やめろよ」
「ほんとはしてほしいくせに〜」
 竜馬とアリサが、またいつものパターンに入ってしまった。竜馬も本当にいやならばそういう態度を取ればいいのに、中途半端な態度を取っているからこうなる。
「うう、美華子ちゃ〜ん…」
「真優美はほんと恐がりだね」
 竜馬がアリサと言い合いをしていて、泣きつく相手がいなくなったのか、美華子に泣きつく真優美。この2人はだいぶ仲がよくなったようだ。
 時計は10時半を指している。まだまだ夜は長い。


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