一行が帰ってきたのは、午後6時を少し過ぎるころだった。アリサは酔っぱらって寝てしまい、竜馬の背中におぶさっている。真優美の持ってきた荷物は、大半のお菓子を食べ終え、とても小さくなっていた。
「ったく、酒なんか飲んで…困ったやつだよ」
 ずりおちてきたアリサを背負いなおし、竜馬がぶうたれた。アリサは見かけのわりに軽く、駅からここまで背負ってくるのもそれほどつらくはなかったが、竜馬としては自分で歩いて欲しかった。電車が止まった時、起こして連れていこうとしたところ、アリサは寝ぼけて竜馬に噛みつこうとした。仕方なく背負って連れてくることにしたのだが、いつの間にか、アリサを背負うのは竜馬の役目というような空気が流れ、彼は渋々アリサを運ぶことになった。
「ん…」
 アリサが小さくうめく。いい夢を見ているのか、寝顔はとても安らかだ。時折、小さく動く以外、アリサは動かない。
「今日は一日楽しかったな〜。またこういうイベントしたいな」
「ええ、そうですね〜。ちょっとアリサさんがあれだったけど」
 修平は充実した顔をしていた。真優美がそれに相づちを打つ。
「真優美ちゃんがお酒を飲みだしたときにはどうなることかと思ったけどね」
 竜馬が少し嫌みを混ぜて言うと、真優美が慌てだした。
「あ、あの、ごめんなさい。おじさん達が勧めてきて、断りきれないで…次からは気をつけますので…」
「うん、お願いね。もうお酒はだめだからね」
 竜馬は疲れた声でたしなめた。真優美は嫌われたと思ったのか、しゅんと落ち込んでいる。
「アリサさんは家に送り届けた方がいいのかな」
 修平がアリサの寝顔を覗き込む。
「俺、アリサの家なんか、知らないぞ」
「起きるまで、竜馬君の家に寝かせておくというのはどうでしょう?」
「起きてまだ暴走状態だったら、ひどい目に遭うから、出来ればそれはしたくないなあ」
 しかめ面の竜馬。さんざんな目に遭った彼は、あまりアリサと関わらないようにするという基本方針を、数割り増しで実行する気になったようだ。今はそれを実行出来ていないが。
「松葉さん、悪いね。こんなんで終わっちゃって…」
 竜馬が美華子に弁解しながら、何度目かわからないため息をついた。
「楽しかったし、別にいい。こっちこそありがとう」
「そう言ってもらえると気が少し楽になるよ」
 笑いながら竜馬は角を曲がる。駅からアパート方面に帰るときの近道だ。狭い路地で、普段人がいないはずのそこには、5人の少年が立っていて、倒れている一人の少年を囲んでいた。
「あれ、あの人…」
 竜馬はその中の一人に見覚えがあった。昼間、美華子と話していた男、庄司だ。状況から見るに、数人が一人をリンチしているか、カツアゲをしているように見える。
「知り合いか?」
 修平が眉をひそめながら聞いた。
「あたしの元カレ。どうしようもないバカ」
 竜馬が何か言う前に、美華子が前に出た。
「お、美華子じゃん。こいつがねー、強情でね。言うこと聞かないから、痛い目見せてたところなのよ。おら」
 庄司が少年を蹴る。少年は小さく呻いて、丸まった。
「あ…」
 痛々しい様子に、真優美が目を背ける。
「やめな、クズ。気分が悪いわ」
 美華子は倒れている少年を起こす。彼の体についた砂を払い、鼻血をティッシュで拭った。
「行って。こいつらの言うこと聞く必要なんてないから」
 そばに落ちていた財布を握らせると、少年を送り出した。
「勝手なことするなよな〜。俺らの金蔓を…」
 ぱあん!
 美華子の手が、庄司の頬を張った。サングラスがアスファルトに落ちて、かしゃんと音を立てる。
「このアマ…!」
 男が手を振り上げる。美華子は来るべき衝撃に備えて、目を閉じた。
 がしっ
 庄司の手が途中で止まった。竜馬が庄司の手を受け止めている。
「やめろよ」
 アリサをおろし、壁を背に座らせながら、竜馬は言った。
「あ?」
「やめろっつってんだよ」
 腹に力の入った声で、竜馬は繰り返した。美華子が竜馬の後ろ側に下がる。
「女に手を上げるなよ。あんたが誰だか知らないが、人間のクズだってことはよくわかった。これ以上やるようなら、ただじゃ済まさない」
 竜馬は怒っていた。自分のことしか考えない身勝手な態度に。そして、必死に恐怖に耐えている自分自身に。
「り、竜馬君…」
「真優美ちゃん、アリサを頼むわ。こういうの見てると、許せなくてね」
 泣きべそをかく真優美を安心させるように、竜馬は優しく声をかけた。
「てめぇ!」
 取り巻きの一人が、落ちていた角材を拾うと、竜馬めがけて振り下ろした。と、角材が空中で受け止められる。修平がいつの間にか前に出ていた。
「よっと」
 ぐいと角材を引っ張る修平。角材は取り巻きの手から離れた。
「助太刀いたすぞ、なんちゃってな」
 角材を竜馬に渡しながら、空手のファイティングポーズを取る。
「竜馬、これはおーばー・ざ・ぺがさすっていうギャグ小説であって、熱血硬派だとかなめんなよだとかは関係ないんだよな?」
 修平が冗談を飛ばす。竜馬はそれを聞きながら、角材を正面に構えた。
「何言ってるかわかんないけど、こういうことは見逃せない。だって、松葉さんは、友達なんだから、殴らせるわけにはいかない」
 友達、という言葉に、美華子がはっとした顔をする。
「錦原、君…」
「竜馬でいい。友達じゃなかったかな。松葉さん、冷たい感じだから、どう思ってもらってるか、わかんなくてさ」
 竜馬は後ろに下がり、角材を先に構えた。踏み込みの構えだ。足を素早く動かすことで、相手に素早く飛びいる、剣道の基本形である。
「やめてよ。何考えてんのかわかんない。なんでそんなつまらないことで喧嘩しようとするわけ?バカじゃないの?」
 美華子は毒づきながら平静を取り繕おうとする。だが、動揺しているのが、目に見えてわかる。竜馬は何も言わず、角材を一振りした。
「帰れよ」
 竜馬の声が狭い路地に響き渡る。
「は?」
「さっきのことは見逃してやるから、帰れよ。もう松葉さんに関わるな」
「なに調子くれちゃってんの?」
 庄司が竜馬に近づく。角材を握る手に力が入る。本気で喧嘩をするのは初めてかも知れない。これは正しくないやり方かも知れない。だが竜馬にはためらいはなかった。


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