2人が戻ったのは、それから5分ほどしてからだった。隣の中年集団は宴会も佳境に入ったようで、大声でカラオケをしている。
「あー、帰ってきた。バーカ」
 アリサはさらに酷くなっているようだ。酔っぱらっているのがはっきりとわかる。修平がかなりのとばっちりを食ったらしく、彼はシートからはみ出すように三角座りをして、自分の紙皿の上の料理をもそもそと食べていた。真優美は泣きやんでいるが、いつまた泣き出すかわからない顔をしている。
「やっと帰ってきたよ…大変だったんだぜ?」
「うう、竜馬く〜ん…」
 修平がほっとした声を出す。それに続いて、真優美が泣きそうな顔で竜馬に抱きついた。だいぶアリサに酷いことを言われたようだ。
「よしよし、泣かないで。修平にも迷惑かけたな」
 優しく真優美のシルバーブロンドを撫でながら、竜馬がシートに座る。美華子は何も言わず、自分の皿を取り、弁当箱から肉団子をつまんだ。
「真優美ちゃんには優しいのね〜。ふんだ」
 イカを指でつまみ、あぐあぐと噛むアリサ。絵に描いた酔っぱらいだ。あぐらをかいているので、もし彼女が少し腰を上げたら、ミニスカートがめくれて中が見えてしまうだろう。
「お前が迷惑の原因だろうに…って、おい、アリサ、まだ飲んでるのか?」
 竜馬が呆れてアリサのコップを覗き込んだ。かなりの量の日本酒が入っている。彼女の横には、一升瓶が置いてあった。
「なーによう、あんたに文句言われる筋合いなんかないわ」
 酒臭い息のアリサは、竜馬の制止を無視して、コップを空ける。
「すいません、迷惑かけて…」
 隣の中年集団に、竜馬が頭を下げる。
「いいよ〜。酒買い込みすぎちまって、ちょうどいいくらいだ」
 リーダーのような男性が笑いながらコップを掲げる。
「それより兄ちゃん、女泣かせちゃいかんな〜」
「へ?泣かせるって…」
「聞いたぜ〜。婚約して指輪まで交換したのに、それを反故にしたんだって?他にもいろいろあったらしいな」
 男性の言葉に、竜馬は凍り付いた。ほどなくして、彼の心に、怒りが燃え上がる。自分がいない間に、アリサがでたらめを言っていたようだ。しかもそのでたらめは、かなりのものらしい。
「アリサ、お前な〜…」
 呆れて物も言えない竜馬を、アリサが睨む。
「何よ。またお尻叩かれたいの?」
「アホか。お前、でたらめも大概にしろと言いたいんだよ」
「でたらめじゃないもの。私、まだ指輪持ってるもの」
 アリサは拗ねて、さらにコップの酒をあおる。
「指にあわせて、ハンカチ切って作ってくれた指輪、まだ持ってるもの。忘れた?」
 彼女の一言に、竜馬の記憶がフラッシュバックする。
 それは、まだ幼稚園児のころ。ごっこ遊びをまだしていたころ、竜馬はアリサと結婚ごっこをしていた。指輪の代用品が見つからなかった竜馬は、その場にあったハンカチをはさみで切り、アリサの指にきゅっと巻き付けた。彼女はそのことを言ってるらしい。
「あのな〜。あれは結婚ごっこだろ?婚約でもなんでもねえよ」
 竜馬は呆れた顔で、弁当をつつく。
「ひどい…遊びだったのね…こうしてやるぅ!」
 がちっ!
「うわっ!」
 アリサが竜馬の手に噛みつこうとした一瞬前に、竜馬は手を引いた。アリサは飢えた犬のように唸りながら、にじりにじりと竜馬に近寄る。
「あわわ…」
 真優美がおびえて修平の影に隠れる。酔っぱらいアリサは真優美にも何度か噛みついたらしい。
「遊びも何も、そういう遊びじゃねえか!」
「私、本気だったもん!うううう…」
 ますます犬のような、否、狼のような顔をするアリサ。
「仲いいね。うらやましい」
 美華子が何事もないかのように、ジュースを飲む。
「松葉さん、頼むから助け…」
「関係ないから。悪いね」
 我関せず、といった顔の美華子。修平は出来れば関わりたくない顔をしているし、真優美は怖がって修平から離れない。
「こ、このままじゃ、狂犬病になってしまう…!」
 竜馬は必死にこの状況から生還する方法を考えた。まさかとは思うが、アリサが本当の狼のように、竜馬の喉笛を食いちぎらないとも限らない。
「竜馬…戦場では一瞬の機転が生死を分けるんだ。大丈夫、これでもし死んでも、ネットにネタとして流してやるからさ」
「不謹慎だな!死なないようになんとかしてくれよ!」
 竜馬が後ろに下がる。
「殺すわけないじゃない。大好きな竜馬にそんなことするわけ…うう、でも、許せない!」
 アリサが竜馬に飛びかかった。皿とコップがひっくり返る。その一瞬に、竜馬の生存本能は、プライドを切り捨てた。
 ぎゅっ!
 飛びかかってきた野犬、もとい、アリサを受け止める竜馬。アリサは驚いて、噛みつこうとしていた口を止める。
「り、竜馬?」
「悪かったよ、だから、勘弁してくれ。噛みつかれるとすっごい痛いんだ」
 竜馬は必死にアリサをなだめる。その姿はさながら、犬をなで回す往年の動物王国の国王のようだ。痛い目に遭いたくないという必死さが竜馬を動かしていた。
「わかってくれたか?頼むから、正気に戻ってくれよ。よくよく考えれば、自分の言ってることが、無茶苦茶だってわかるだろ?幼稚園のごっこ遊びで、その後の人生決まるとか、そんなことあるか?理不尽にもほどがある。ただでさえ無茶苦茶なんだから、迷惑かけないように、元に戻ってくれよ。ほんとこのままじゃ、普段にも増して、俺が落ち着けねえよ。飯も食えない。痛い目見せてやろうかと思ったりするんだよほんと」
 一言一言、噛んで含めるように言い聞かせる。その言葉の中には、本音もかなり混ざっていたが、それすらも気づかないほど、竜馬は焦っていた。
「竜馬、私…」
 アリサが小さく震え、竜馬に抱きつく。
 ぐぎっ!
「ぎゃあ!」
「竜馬、私のことをそんなに思ってくれるなんて!大好き!」
「思ってねえ!あだー!」
 いやな音がして、竜馬の体に激痛が走った。


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