「いててて…ひっどい目に遭った…」
 尻を押さえながら竜馬が歩いている。あの後、さらに暴走する兆しを見せたアリサから、竜馬はやっとのことで逃げ出した。口実は、いなくなっている美華子を探すというもので、今は修平がアリサと真優美を押さえている。
「ったく、アリサもひどいよな。酒癖悪すぎるんだよ。真優美ちゃんは泣き虫だし…」
 竜馬がぶつくさ文句を言いながら歩いていると、遠くに美華子の帽子が見えた。人が多い中でも、茶髪の彼女は目立って見える。どうやら誰かと話をしているようだ。背が高く、サングラスをかけた男が見える。金色に髪を染め、耳には大きなピアスをぶらさげていた。さらに近づくと、2人の会話が聞こえ、表情が詳細に見え始めた。
「…うざいよ。もう終わったでしょ。私、もうあんたに興味なんかない」
 竜馬はぴたりと足を止めた。美華子の表情は、元々鋭くて愛想がなかったものが、今は苛立ちも見える。竜馬は木の陰に隠れ、そっと覗き込んだ。
「そう言うなよ。俺はお前のこと、忘れられないんだぜ?」
「白々しい嘘だね。私のこと、性欲処理の対象としてしか見てなかったくせに」
 美華子の言葉に、竜馬は驚いて声を出した。2人に聞こえたかと、慌てて口を押さえたが、喧噪がうち消してくれたようだった。
「飽きたから別れようって言ったのはあんたでしょ。私はもう、男を信じないから」
 男に背を向け、美華子は歩き出す。
「後悔するぜ。痛い目見るか?」
「そんな根性もないくせに」
 男の言葉を受け流す美華子。男は少し毒づいて、美華子と反対方向へ歩き出した。
「松葉さん、探したよ。どこ行ってたの?」
 竜馬がタイミングを見計らって美華子に声をかけた。美華子は何も言わず、竜馬を見つめる。
「見てたんでしょ?」
「え、なにかな」
「知らないふりしたいなら、それでいいけど」
 取り繕おうと、竜馬は愛想笑いをしたが、美華子の目をごまかすことは出来なかった。
「ごめん、聞くつもりじゃなかったんだけど…」
 謝る竜馬を置いて、美華子が歩き出す。
「あいつね、前の彼氏だったんだ。三木下庄司って言ってさ。最初は好きあってるかと思ったんだけど、全然だった。下心丸出しのバカ。男なんて、そんなもんだってわかってから、いろいろ吹っ切ったんだ」
 テンションが上がるでもなく、下がるでもない。彼女の口調は変わらなかった。
「それは違う。男がみんなそういうわけじゃ…」
 彼女の心に、闇のような物を感じた竜馬は、弁解しようと口を開いた。だが、美華子の背中を見ていると、それはとても難しい気がして、やめてしまった。
「さっきの人は、なんでここに?」
 竜馬は、止めてしまったさっきの話の、代わりの話題を持ち出す。
「偶然だってさ。知らないけど」
「そうなんだ?」
「そう」
 竜馬はそれ以上話題を続けることが出来なくなり、黙って美華子の後ろをついていった。周りは花見宴会の真っ最中だ。しかし、美華子と竜馬の間には、微妙な空気が流れていた。
「君、剣道やってるんだっけ。強い相手と戦うとき、どう?」
 しばらく歩いた後、美華子が口を開いた。
「んー…絶対勝てない相手なら、逃げ出したくなる」
 竜馬がしばらく考えてから答えた。
「へたれ」
「う、そう言うなよ。だってさ、倍はある体格の獣人とか、的確に剣を振り下ろす爬虫人とかと当たったら、本気で殺されるんじゃないかって、怖くなるんだぜ?」
 美華子の一言に、竜馬は思わずたじろいだ。
「試合ってそういうものでしょ」
「そうだけど…俺はスポーツ剣術として剣道やってるからなあ。死にたくはないよ」
 竜馬は声をあげて笑った。美華子が立ち止まり、竜馬もそれにあわせて立ち止まる。
「もし今、私が君を殺そうとしたら、どうする?」
 美華子の目に、竜馬はぞっとした。彼女の瞳に暖かな熱が見られない。深い海の底で、冷たく凍り付いているような目をしている。
「止めるだろうね。俺、死にたくないし」
 竜馬は目を逸らした。これ以上彼女の目を見ていられない。
「止めるときどうする?自慢の剣で、私を切り捨てる?」
「そんなことしない。松葉さんが、俺に攻撃する気をなくすように、なんとか考える。交渉とか、説得とか」
「それでも私がやめなかったら?」
 美華子は楽しむように言葉を続けた。不快な感情が竜馬に起きる。
「理由を聞く。ちゃんとした理由があるなら、少しは諦めもつくかも知んないし」
 半分怒って、竜馬は言葉を返した。美華子の考えてることがよくわからない。
「理由が自己中心的で、納得できなかったら?」
「それを聞いてどうする?実際に松葉さんが、俺を殺そうとするわけ?」
 強い口調で言い放つと、美華子は何も言わなくなった。目も、冷たい目から普通の目に戻っている。
「いや…君なら、親しいかどうかよくわからない人に、殺されそうになったとき、どうするかなと思って」
 美華子がまた歩き出す。
「松葉さん、さっきの人に、もしかして…」
「そんなわけないでしょ」
 それからは、何か言うのもためらわれるようで、他の全員が残っている場所に戻るまで、竜馬は一言も口をきかなかった。


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