竜馬はどこから攻撃されるかを冷静に考えた。相手側は全員素手、拳か蹴りが最初に来るに違いない。路地は狭いとは言え、車1台分の広さはある。取り囲まれると不利だ。修平の横に立ち、左右からの攻撃に備える。緊張で冷や汗が出る。
「ん、ふぁぁぁ…ん〜?」
 気の抜けた声が響き、竜馬の緊張が一気に緩む。振り向くと、アリサが目を覚ましていた。大きくあくびをして立ち上がる。酔いが醒めていないのか、目がぼーっとしていた。
「竜馬、ここどこ?おしっこしたい〜」
 真優美以上のボケを見せながら、アリサが竜馬に抱きつく。不良の一団は、この空気の読めていない行動に、呆気に取られた。
「げ、アリサ、起きたのか」
 にじにじと後ろに下がる竜馬。アリサはやっと不良に気が付いたようで、顔を向ける。
「その人達、お友達?」
「んなわけないだろ、お前というやつは…」
「まあ、いいわ。おしっこ〜」
 アリサがふらふらと来た道を戻っていく。その背中は無防備だ。
「アリサ!危な…」
 アリサの方へ振り返った、そのときだった。
 がんっ!
 竜馬は後頭部に鋭い痛みを感じた。続いて、コンクリートの塀に、頭を叩きつけられた。庄司が竜馬の頭をつかんでいる。
「あっ…!」
「きゃあ!」
 美華子と真優美が声を上げる。アリサはそれを冷静に見つめていたが、路地を出てどこかへ行った。
「あ、アリサさん、待って〜」
 真優美が涙目でアリサの後を追う。竜馬は切れた額から、血が流れ出すのを感じた。暖かな液体が、ぽたぽたと落ちる。
「離せ!」
 どんっ!
 修平が男の手に正拳をぶち込む。大きな音と共に、庄司が後ろによろよろと下がった。
「ふざけやがって…死ぬか?」
「ふざけてんのはどっちだ、こいつ!」
 ぶんっ!
 竜馬が剣道の要領で角材を振る。角材は当たることなく、アスファルトの道路まで振り下ろされた。一斉に、取り巻きの集団が、竜馬と修平に襲いかかった。拳や足が2人を捉え、鈍い音が響く。
「いってぇな!」
 殴ってきた不良の右手を、角材ではたき落とす。少しかがみ、タックルを食らわせると、不良は後ろによろめいた。後ろから近寄ってくる相手が、竜馬の背中を蹴り飛ばすのと、修平がその足をつかんで転ばせるのは、ほぼ同時だった。
「こいつは不利だ、逃げるか?」
 修平が回し蹴りを放ちながら竜馬に聞く。足は誰にも当たらず、コンクリートの塀を蹴り飛ばした。不良が少しずつ下がる。
「逃げるわけにもいかないだろ」
 竜馬が、美華子をかばうように、美華子の前に立った。次の攻撃が来る。直感でそう感じた竜馬は、角材を握り直す。
「あんた達、よくも竜馬をいじめたわね」
 アリサの声が響き渡った。不良がたじろぎ、後ろに下がった。何事かと竜馬が見ると、通りに置いてあったバス停を引きずるアリサが、狼の顔をしていた。怒りを大きく表に出すことはない。だが、その殺気は膨らみ、さながら肉食獣にようだ。バス停は鉄パイプにコンクリートの支えがついたもので、重さは10キログラムを下回ることはないだろう。
「アリサさん、やめてよぅ!危ないよぅ!」
 真優美が涙目でアリサの背中に抱きついた。
「うっさいわね!竜馬が殴られたのよ?あんたは黙ってなさい!」
「ひぃ!え、えう、えう…」
 強い声で言われ、鋭い目で射抜かれると、真優美はがたがた震えだした。涙を浮かべて、美華子の後ろに隠れる。
「おい、マジかよ…美華子、こいつ止めてくれよ!」
 庄司が焦って美華子に助けを求める。バス停で殴られたらどうなるか、想像にたやすい。
「関係ない。反省したら?」
 彼女の目は、また冷たい目に戻っていた。アリサは片腕でバス停を掴み、不良の方へ間合いを詰めた。
「ん!」
 がんっ!
 アリサの腕が、バス停を振り下ろす。アスファルトとぶつかったコンクリート部分が、大きく火花を散らした。
「さあ、最初に死にたいのは誰?」
 アリサの目には、サディスティックな色が宿っている。竜馬はその目を見てぎょっとした。ただの喧嘩では済まなくなる、と。修平も同じことを思ったらしい。2人は目で、今の状況を確認した。
「何やってんだよ!」
「あ、アリサちゃん!やりすぎだって!新聞沙汰になるぞ!」
 竜馬は角材を投げ捨て、アリサを止めようとしたが、アリサはそんな彼を片手で払いのけた。修平も同じく投げ飛ばされ、アスファルトに倒れた。
「竜馬を殴るなんて許せない。絶対許せない。殴ったのはあんたね?」
 アリサがバス停を持ち上げ、その矛先を、竜馬を殴りつけた男に向ける。
「ひ、ぃ!た、助けてくれ!」
「助けない。たかが不良の分際で、このアリサ・シュリマナの男に手を出したことを、地獄で後悔なさい!」
 アリサが片手でバス停を振り上げる。
「ひい!」
 不良集団が逃げ出そうとしたとき。
「なにやってんの、危ないじゃない」
 アリサの腕からバス停がもぎ取られた。見ると、いつの間にか清香がいた。チャームポイントの長い黒髪をポニーテールにして、スーパー袋を持っている。中には缶ビールがたくさん入っているところを見ると、酒の買い出しに行っていたらしい。
「き、清香さん!」
 不良達が清香を見て、いきなりおどおどし始めた。逃げようか、逃げるまいか、迷っている。
「なんで止めるんですか!」
 怒り心頭のアリサが、清香にも怒りをぶつける。
「まあまあ。ここはあたしにまかせて。ね」
 清香が袋をアリサに渡した。アリサはそれ以上何も言えず、袋をおとなしく受け取る。
「久しぶりー。三木下だっけ?女の子に殴られるようなことしたのかい?」
 親しみを込めた声で清香が声をかけた。にこやかな顔の清香とは反対に、不良集団は居心地の悪そうな態度を取っている。
「清香さんには、関係ないっしょ。俺ら、なんもしてないっすよ。つか、こいつらが適当なことしてくれちゃって。俺ら、被害者っすから」
 庄司が開き直る。アリサはいらいらと尻尾を振りながら、庄司を睨んだ。清香がいなければ、つかみかかっていただろう。
「関係あるよ。そこにいるの、あたしの弟でさ。なんか迷惑かけたんじゃないかい?」
 清香が親指で指した先に、座り込んだ竜馬が見える。竜馬はティッシュで血を拭いて、額を押さえていた。
「大丈夫ですか?」
 心配そうに真優美が顔を覗き込み、傷口をぺろぺろと舐める。
「あ!なにしてんのよ!」
 アリサが慌てて竜馬に駆け寄った。また噛まれるかと思っているのか、真優美が驚いて飛び退いた。
「え〜と、傷の手当を…」
「だめだめ!舐め舐めは私がするのー!」
「うう、アリサさん、あたしは竜馬君が心配なだけで…」
 ぎゅうと両手でアリサが竜馬を抱き、真優美は涙を目に浮かべた。
「あら、怪我してる。あいつ、どったの?ああ、ドジだから転んで怪我でもしたのか?」
 清香が一歩、庄司に近づいた。庄司がびくりとして、一歩下がる。
「ちょっと、ね。そこの人たちとありまして」
「そっか。どうした?」
「塀にこう、ぶつけられちゃって…なんか、告げ口みたいで、やだなあ」
 修平が微妙な顔をしながら言う。
「失礼だけど、あなた誰?」
 黙っていた美華子が清香に声をかける。
「あたし?竜馬の姉、清香っての」
「三木下をなんで知ってんの?」
「この辺りの、素行のよくない子に、優しく注意して回ってるんよ。ね、三木下?」
 清香はにっこり微笑んで、庄司に同意を求める。庄司の方が、清香より5センチメートルほど背が高い。
「うぜぇよ。関係ないだろ」
 庄司はしばらく黙っていたが、すごみをきかせた声で、怒りをあらわにした。
「あんた、まだそんなことを…」
 怒ったアリサが前へ出ようとするのを、清香が前に立って止める。
「いや、あるねえ。かわいそうな子は助けてあげないと」
 清香は微笑んだまま、庄司を見つめている。
「そうそう。噂で聞いたんだけどさ。あんた、前の彼女に別れ話を持ち出したときに、彼女がいやがったから逆上して、暴力ふるったんだっけ?」
 笑い話でも持ち出すかのように、清香が言う。美華子の顔が、つらそうにゆがんだ。
「関係ないっつってんだろうが」
「恐喝の被害に遭った子もいるみたいだね。あんたのやってることは、仁義も道理もあったもんじゃない。人を思いやることも出来ないくせにいっぱしの面するんじゃないよ。周りの友達まで巻き込んで…」
 不良の顔を清香は一つ一つ見ていく。
「うるせえな!説教すんじゃねえよ!」
 ぶんっ!
 庄司が清香に殴りかかった。右手が空気を切る音が響く。
「姉貴!」
 竜馬が叫び、顔を執拗に舐め回すアリサを押しのけ、立ち上がろうとした。竜馬が立つ前に、清香が片手を上げ、庄司の拳を受け止める。
「暴力でしか自分を表現できないのか?かわいそうに。この手で殴られた子は、どれだけ痛かったんだろうね。体も、心も」
「えらそうな口叩いてんじゃねえ!」
 庄司が清香の手から拳を引き抜こうとするが、清香はがっしりとつかんで離さない。
「痛い目見なきゃわからないのか!」
 つかんだ拳を、両手で清香が下に引き落とす。庄司が下に体を崩したとき、清香の左手が庄司の右手を掴み、引き寄せた。右腕を脇に挟み、その手で足をつかむと、持ち上げながら頭をぶつけた。
「うおあ!」
 庄司は腕を引かれながら、足を持ち上げられ、後ろに大きく倒れた。背中が地面にぶつかる。庄司が倒れたことを確認し、清香はつかんでいた腕を放した。
「今のは?」
 竜馬が清香の後ろに立ち、聞いた。
「今のは谷落としっていう、柔道の技だよ。すげえ…」
 感嘆した声を上げながら修平が言った。
「さて、まだやる?」
 清香が構えを取りながら言う。そして、大胆不敵な微笑みを浮かべた。
「す、すいませんっした!」
 庄司を除く不良集団が一斉に頭を下げた。
「わかればよろしい。もう三木下も悪いことしちゃだめよ。ほら、行った行った」
 清香が虫を追い払うように手を振る。何度も頭を下げながら、不良集団が去っていく。庄司だけは背中を押さえ、悪態をついていた。
「さて、と。帰ろうか。折良く集まったわけだし、またみんなでご飯する?」
 清香がアリサの手から酒の入った袋を受け取った。
「また〜?姉貴、最近そればっかじゃん」
「いいじゃん?楽しいし〜?今日はあたしの言う通りにしてほしいね。ピンチを救ってあげたんだから」
 竜馬の呆れ顔に、清香がご機嫌顔で返した。
「じゃあこれから、お買い物ですかぁ?」
 真優美が、先ほどまでの怯えた顔を切り替えて、嬉しそうに尻尾を振った。
「うん、そうね〜。あ、材料費は共同出資ね。もううち、お金ないんだわ。ああ、そうそう、あなた」
 美華子の方に清香が振り返る。
「なに?」
 無愛想に美華子が聞くと、清香は片手でそっと彼女の頭を撫でた。
「悪夢は終わったよ」
 清香はそれだけ言うと、歩き出した。ポニーテールが上下に揺れる。
「そうか…そういうことだったのか…」
 修平が清香の背中を見てつぶやく。
「何が、そういうことだったのか、なんですかぁ?」
「聞いたことがある。この辺り一帯を締めてるっていう、鬼侍のことを。それは女で、50人の不良相手に素手で立ち向かい、無傷で勝利したと言う。不良達を更正させて、彼女は去っていった。つまり、清香さんが鬼侍、ここに存在する不良を更生させたという伝説の女の人だったんだよ!」
 修平が手を顔の前まで持ち上げた。
「ああ、なるほどな。そういえば姉貴関係は、変な知り合い多いみたいだしな。そうか、そんな伝説があったのか」
 竜馬は角材を元あった場所に立てかけた。修平が少し残念そうな顔をする。
「残念、そこは、なんだって〜と答えていただきたかった」
「意味がわからない」
 修平のがっかりした声に、美華子が答える。
「ごめんね、竜馬〜。もう私大丈夫よ?酔い抜けたもの。今日は泊まっていくから、よろしくね〜」
 竜馬に抱きつきながら、アリサが言った。さりげなく、行く前に真優美の荷物の中から取った、銀と緑の缶を見せる。
「泊まっていくんじゃねえよ!帰れよ!」
「だって明日日曜日だしね〜。あ、家には連絡しとくから」
「やめんか!こいつ!」
 携帯電話を取り出したアリサに竜馬が掴みかかる。アリサはいつもの通り、竜馬をひょいひょいと避けた。
「あの、お姉さん、すごかったです。俺、ほんと、感動したっつか、なんてか…」
 修平がしどろもどろになりながら清香に感謝を伝える。清香は親指を立て、笑ってみせた。
「…ありがとう」
 美華子はそう言って、少しだけ微笑みながら、清香の後ろに続いて歩き出した。その一言は誰に向けたものだったのか、わからない。何に対して言ったのかもわからない。だが、彼女の顔はとても安らかだった。
 風が吹いていた。道ばたの桜はほとんど散り、葉桜になっている。夕暮れが6人を包んでいった。


 (続く)


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