「ん…」
真優美が目を開ける。いつの間にか寝てしまっていたようだ。竜馬の肩に頭を預けたところまで、彼女は覚えていたが、その先はすぐに記憶が暗転していた。
「起きた?」
竜馬が顔を覗き込む。彼は必死に、いろいろなことを我慢していたが、意識の戻った真優美を見て、ほっとしたようだ。
「ええ、ごめんなさい…寝ちゃったみたいで…」
体を起こし、真優美は目をこする。
「いいんだ。今日も体育で疲れてただろうしね」
竜馬は携帯電話を出して時間を見る。30分程度、時間が経過したようだ。
「あたしが寝ている間、何かありましたか〜?」
真優美は大きくあくびをする。
「特に何もないねえ。アリサと修平から連絡もないし、今日は来ないのかも…」
竜馬も釣られて小さくあくびをする。あくびを終えた、その瞬間だった。
「きゃあああ!」
遠くで女性の叫び声がして、2人ははっとした。
「い、今の声は…」
「アリサだ!」
竜馬が立ち上がり、木刀をつかんで教室の外へ出る。左右を見回しても誰もいない。アリサは遠い場所にいるらしい。
「何だ、何があったんだ?」
竜馬は耳を済ますが、もうどこにも声は聞こえない。さっき聞こえたのは、廊下に出て右側だっただろうか、左側だっただろうか。こうしている間にも、何かアリサが危ない目に遭ってるかも知れないと思うと、心配になった。
背中に重さを感じ、振り返ると、真優美がぴったりとくっついている。
「真優美ちゃん?」
「こ、怖いよぅ…」
真優美の声は震えていた。体が震えているのがよくわかる。
「大丈夫。さあ、アリサを探しに行かないと」
「だ、だめです〜…足が…震えて…」
真優美は足がすくんで動けなくなっている。
『抱き上げて連れてくか?いや、でも、誰かいたら危ないよな。かといって、放置していくのも危ない。修平、一緒じゃないのか。何やってんだ…』
竜馬が判断に迷っているとき、近寄ってくる足音が響いた。
こつん、こつん、こつん
靴の質はわからない。だが、近寄ってくるのはわかる。相手は1人だ。竜馬は木刀を持ち、身構えた。
「り、竜馬君…」
「教室に一旦戻ろう。誰だかわからないのは不利だ」
竜馬がゆっくりと後ろに下がるのにあわせて、真優美も後ろに下がる。一歩、二歩、三歩…
「んあ!」
唐突に真優美が叫ぶ。背中で机に当たってしまったらしい。敏感になっていた彼女は、何だかわからないままに、叫んだようだ。足音の近づく音が早くなる。
「こ、怖い、怖いよぅ…」
涙を目に浮かべ、真優美は竜馬の背中をぎゅっと握る。
「大丈夫。怖くないよ。安心してほしい」
「で、でも、でも…」
竜馬は真優美の手を優しくどかし、彼女の両頬を手で挟んだ。
「深呼吸して。吸って、吐いて」
「は、はい。はふ、はふ…」
竜馬に言われる通りに息をする真優美。だいぶ落ち着いては来たが、まだ震えが止まっていない。
「怖い…」
「安心して。絶対に、真優美ちゃんに、手出しさせないから。何があっても俺が守る」
竜馬が正面に剣を構え、入り口の引き戸の磨りガラスを見つめる。足音が引き戸の前で止まったのを確認し、竜馬は前に傾いた。もし敵ならば、このまま斬りつける。そうでないなら、足を止める。真優美が背中に張り付いているので、機動力はないが、一発は攻撃できるはずだ。
『来る!』
がらっ
ドアが開き、大柄な男性の姿と、懐中電灯の光で竜馬と真優美が照らされる。
「きゃあああ!」
真優美が大声で叫び、へたりこんだ。
「君ら、一体何をやっとるんだ」
男性があきれ果てた顔で言う。入って来たのは、大柄で、元プロレスラーだったという警備員の男性だ。竜馬は安心して木刀を下げた。
「えーと、あれです。最近の窃盗事件の犯人を…」
「窃盗事件つーのは、お金と内履きが盗まれたあれか?」
「ええ、そうです。俺の友人も、ちょっと取られたものがあって、また取られるんじゃないかと思って、張り込みを…」
あたふたと竜馬は説明する。高校生にもなって、探偵ごっこのようなことをしているという自覚が芽生え、竜馬はいきなり恥ずかしくなった。
「聞いてないのかね。もう犯人だった生徒は自首して、物品は返されたんだよ?職員室に行けばあると思うから、明日でも取りに行きなさい」
警備員の言葉に、竜馬は思わずぽかーんと口を開けた。真優美も同じく、とても驚いた顔をしている。
「そ、それ、本当ですか?」
「ああ。本当だ。さっきも同じような事を言ってた男の子と女の子がいたから、そういって帰したんだ。女の子の方はえらく驚いて、叫ばれてしまったけれどな。友達かね?」
「え、ええ…」
竜馬は一日の疲れがどっと肩にのしかかるのを感じた。胸の内ポケットに振動を感じ、携帯を取り出すと、修平からメールだった。
「あ、友人からです。警備員さんが言ったこと、まんま送ってきてくれてます」
竜馬が言うと、警備員は豪快に笑った。
「ははは、そうかそうか。まあ、若い内はこういう体験も必要だわなぁ。今日のところはもういいから、家に帰りなさい」
警備員が引き戸を開け放したまま教室から去る。竜馬は木刀を元あった所に帰し、まだ倒れたままの真優美のところへ戻った。
「真優美ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です。ただちょっと、腰が抜けて…」
「手につかまって?よ、っと」
真優美を引き起こし、立たせる。真優美はしばらくふるふると震えていたが、しゃんと立ち上がり、足を軽く動かした。
「あー、怖かったぁ…死んじゃうかと思った…」
真優美が大きく息をつく。よっぽど怖くて、涙ぐんでしまったのか、目の周りの毛が濡れている。
「あれ、そのスカートは…」
竜馬は真優美のお尻に丸い染みがついているのを見つけた。液体がぽたぽたと落ちている。
「え?あーっ!」
お尻を触って、真優美は大声をあげた。
「ち、違います〜!怖くてお漏らししたわけじゃないですよぅ!ほら、匂いだって、違うでしょう?ね?ね?」
必死になって言い訳する真優美。彼女がしゃがんでいた場所には、小さな水たまりが出来ている。その横に、先ほどの酎ハイの缶が倒れていた。
「あー。酎ハイがこぼれて染み込んだんだよ。帰って洗濯しないと」
「そ、そうですか…ええ…」
真優美が缶を持ち、一歩踏み出す。そこにも酎ハイがこぼれていたらしい。真優美は足を滑らせて、背中から転んだ。
「きゃあ!」
「あっ!」
その背中を間一髪のところで竜馬が抱き留める。急激にしゃがみ込んだので、竜馬の膝が床にぶつかり、音を立てた。
「痛っ!いてて…真優美ちゃん、大丈夫?」
真優美は背中を抱かれたまま、竜馬の顔をぼーっと見つめていたが、はっと気が付いて答えた。
「うん、大丈夫…です…」
「よかった。じゃあ、帰ろうか。ったく、無駄足だったなあ…」
ぼやきながら教室を出る竜馬。真優美はその後ろに続きながら、彼の後ろ姿を、熱っぽい視線で見つめ続けた。
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