その夜。学校に集合した4人は、首尾良く潜入していた。1階にある、普段使われていない倉庫部屋の窓の鍵をあけたままにして、そこにそっとカーテンをかぶせるておく。すると、一見鍵がしまっているように見える。こうして、誰にも気づかれず、入り口は確保できた。そっと忍び込み、そのルートから犯人が中に入れないよう、鍵をかけなおす。1年2組の教室に来た4人はそれぞれ、誰かに見つかっても身分を証明できるように、学生手帳を持って制服を着ていた。
「2班に分かれよう。教室に2人、見回りに2人。何かあったら大声を出して、騒ぎを大きくするんだ。そうすれば、誰か気づくかも知れない」
 竜馬が簡単な指揮を執る。彼がグループリーダーをしたことがあるのは、中学生の修学旅行の課外活動班以来だった。もちろん彼は、リーダーなどという面倒くさいことをしたくはない。だが、他の3人に推薦されたので、逃げることは出来なかった。
「じゃあ、班分けするか。どう分ける?」
「はい、はい、私、竜馬と一緒がいいな〜」
 アリサが手を上げる。
「却下。個人的な都合だけで決められることじゃ…あれ、真優美ちゃん、どうしたの?」
 小さくふるふる震える真優美を見て、竜馬が声をかける。
「あ、いえ、なんでもないです〜。ただ、ちょっと、夜の学校って怖いなーって…」
 無理に笑おうとする真優美だったが、その顔は引きつっていた。
「んー…怖いかー。じゃあ、出来るだけ動かない方がいいよね。教室にまず真優美ちゃん。あと、どうする?」
「はい、はい、私、竜馬と…」
「却下。となると、必然的に決まったな。見回り組が修平とアリサ、待ち組が俺と真優美ちゃんだね」
 修平と真優美は、竜馬の言葉にうなづいたが、アリサだけは不満がたっぷりとある顔をしている。
「なんでそうなるのよぅ」
「簡単なパズルだよ。男2人と女2人にしたら、危ないことがあったときに上手く対処出来ない場合がある。男女で考え方が違うしね。まあ、それを差し引いても、上手く考えられてると思うよ」
 修平が竜馬に代わって答える。
「やだやだ、私は竜馬と一緒がいいのよぅ」
 アリサがべったりと竜馬にくっつく。
「そうやってふざけてる間に泥棒見逃したらどうすんだよ?隙を作らないためには、そういう要因を排除するのが一番だ。俺をリーダーに持ち上げたんなら、言うこと聞きな?」
 竜馬はアリサを押しのける。彼個人としては、アリサと一緒にいたらどうなるかわからない、というものもあったが、それについては言わないことにした。
「まあ、それが最善なら、いいけど…」
 しばらく不満そうな顔をしていたアリサだったが、渋々頷いた。
「お、こんなん見つけたぜ」
 教室の後ろに、誰かの忘れ物らしい木刀が立てかけてあるのを、修平が持ってきた。
「竜馬、持ってたら?剣道やってるんでしょ?」
 アリサが木刀を竜馬に押しつける。
「まあ、使わないとは思うけど、一応借りておこうか」
 木刀を受け取った竜馬は軽く振り回して見せた。樫の木で作られた丈夫な品のようだ。空気を斬る音が響く。
「わあ、かっこいい〜」
 真優美が手を胸の前であわせた。
「それじゃ、また後で。なんかあったら携帯に連絡してくれ」
「わかった」
 修平とアリサが教室から出ていった。竜馬は、もし誰かが入って来ても気づかれないように、教卓に隠れて座った。
「真優美ちゃんもおいで」
「あ、はい〜」
 真優美も隣に座る。時計の針の音がやけに大きく聞こえる。1分ごと、かちりと鳴るたびに、真優美は体をびくりとさせた。よほど怖いのかも知れない。
「誰も来ないねー」
 竜馬は彼女を安心させようと、わざと気の抜けた声を出した。
「ええ、そうですねぇ。泥棒さん、今日は来ないのかな」
「わかんないな。これから来るかも知れないし…」
 言った後に、竜馬は心の中でしまったと思った。これからさらに怖いものがやって来るかも知れないと、真優美に言うことになったのではないかと思ったからだ。だが、真優美はそれほど気にしていないようだ。むしろ、話をして安心したのか、緊張して立っていた尻尾が今は寝ている。
「あ、そうだ、真優美ちゃん、どうしてこの学校に入ろうと思ったの?」
 今度は失敗しないよう、竜馬は話を切りだした。
「近いし、あたしが入れる中で、一番レベルが高かったんです。ほら、あたし、頭があんまりよくなくて…」
「悪くはないと思うけどなあ」
「そうですか?えへへ…」
 真優美は照れ笑いをした。
「そう言う竜馬君は、どうしてここに?」
「俺は…うーん。妹と仲が悪くてね。家から逃げ出したくて、東京に来たんだ。姉貴のアパートに入れられて、そこから通える範囲っていう条件で、親は俺を東京に来させてくれたんだよ」
 竜馬は真優美に話しながら、妹との喧嘩を思い出していた。思春期の少女というのは、どうしてあんなにわがままなのだろうか。姉はそうでもなかったのに。
 竜馬は話を続けた。家を出たいから出たというのは本当だったが、実質は妹に追い出されたようなものだった。何かにつけて当たってくる妹は、自分の肉親とは言えとても腹立たしく、一つ屋根の下に暮らすことは難しかった。それならば、常識がずれている上に時代劇マニアではあるが、姉と暮らす方がよほどマシだった。今では当番制の家事も慣れ、姉と2人で料理をするのも楽しみになっている、と締めくくる。
「ほえー…大変だったんですねぇ。あ、ちょっとごめんなさい」
 真優美はポケットから、ジュースの缶を出し、プルを引く。
「今はもう大丈夫…とは言えないな。妹の代わりに、アリサが現れたようなもんだから。どうも馬があわないんだよな…」
「大変ですねぇ…お疲れさま〜」
 竜馬が大きくため息をつき俯くと、真優美はその頭をぽんぽんと触った。
「あたし、アリサさんがうらやましいなあ…あそこまでちゃんと、自分の気持ちを言えて、それに竜馬君みたいないい人の彼氏もいて…」
「はは、俺はアリサの彼氏じゃないよ」
「どっちにしろ…」
 真優美が一度言葉を切り、大きく息を吸う。
「どっちにしろ、竜馬君は、すごくいい人だと思います…あたしがドジしても怒らないし、優しいし…」
「そうかな?自分ではよくわからないけど…」
「そうですよう」
 しばらく、沈黙が続いた。先ほどまでの、緊迫した沈黙とは別物だ。竜馬は別の意味で緊張していた。
「真優美ちゃんは、今までどんな感じだったの?」
 竜馬が話を逸らそうと、思いついた話題を振る。
「あたしは、小学5年生のときまで、別の星にいまして、それからこっちに来たんですよぉ」
 真優美がにこにこしながら言う。
「でも、名前は真優美で、日本語なんだね」
 真優美と肩があたり、竜馬はポケットに手を入れ、体を縮める。
「お父さんもお母さんも、日本がすごい好きで、こっちで暮らすことが夢だったそうなんです〜。今は念願叶って、会社の日本支部に来てますよ〜」
「ああ、そうなんだ」
 なんとか話を逸らすことには成功したが、竜馬の緊張はなかなかほぐれなかった。今まで真優美を、ただの天然ボケ少女としてしか見ていなかった。これからもそうなるはずだった。
『もしかして…』
 竜馬は深く考える。アリサから逃げようと自分で強迫観念に駆られて、真優美が気になるふりを、心がしているのではないだろうかと。
『だとすると、最低だな…』
 竜馬は自己嫌悪に陥りながら、ため息をつく。
「どうかしましたかぁ?あの、どこか痛いところでも、ありますか〜?」
 真優美が竜馬の顔を心配そうに覗き込む。
「いや、なんでもないよ」
「本当に大丈夫ですかぁ?なんだか、体がこわばってるし、顔が赤いし…」
 指摘され、竜馬は顔を押さえた。火照っている。今まで気づいていなかったが、とても緊張しているようだ。
「ちょっとごめんなさい」
 真優美が手を竜馬の額に乗せた。少しひんやりとした肉球が肌に直に触れる。
「あー、やっぱり熱、ありますよ〜。風邪でも引いちゃったのかなあ…」
 竜馬の胸がどきどきと鳴った。自分の中のケモノが、顔を見せる。
「あ、あのさ、中学まで、好きな人とかいた?今でもいいけどさ」
 もう一度話を逸らそうと、適当に思いついた話題を振る。
「いませんでしたねえ…みんな、怒ったりして、遠のいちゃうから…」
「怒るって?」
 口の端からこぼさないように、器用にジュースを飲む姿を見ながら、竜馬は聞いた。
「あたし、とろいから、トロ子だとか、だめわんこだとか、言われてたんですよ〜。ミスして、口をきいてくれなくなったり…もう慣れちゃいましたけどね」
 にっこり微笑む真優美。彼女の体験を聞き、竜馬は自分を恥じた。つらい思いをしてきた少女に対して、欲情するとは、自分が情けなかった。
「今はー…うーん…アリサさんがいなければ、竜馬君、いいかな、なんて…きゃはは、あたしったら、もう〜」
 恥ずかしそうな真優美。今にもぴょんぴょん跳ね回りそうだ。
「はは、冗談はやめてよ。恥ずかしくなる」
「冗談じゃないですよぅ。ほら」
 竜馬の肩に、真優美がそっと頭を乗せる。アリサの物とは違うシャンプーの匂いが漂い、竜馬はどきどきした。
「暖かいです」
「そういえば、春先って言ってるけど、まだ寒いね」
 竜馬は平静を装う。真優美はそんな竜馬の心を見透かしてか、くすりと笑った。
「俺なんかの、どこがいいの?」
 しばらくして、竜馬が言った。
「優しいところです。今まで、男の人と仲良くなったことなんて、なかった…」
「修平は?」
「修平君も大事なお友達だけれど…竜馬君だからいいんです。修平君には、悪いけど…」
 真優美は微笑みながら、竜馬の肩に手を回した。 
「あのね、こういうことされると、困る…」
「どうして困るんですか〜?」
「それは、あれだよ、あんまりよくないからだよ」
 少し体を引っこめる竜馬。一緒に真優美が倒れ込む。
「やっぱり、アリサさんじゃなきゃ、だめですか?」
「はっきりと言うけどそれはない。そうじゃなくてね、こう…ん?」
 竜馬は、真優美からアルコールの匂いがするのに気が付いた。慌てて彼女の飲んでいた缶を見る。きれいなデザインのそれは、一見ジュースに見えるが、ジュースではない。酎ハイの缶だった。中身を、ほぼ全て飲んだらしく、少ししか残っていない。20歳になっていない彼女が、正攻法でこれを手に入れられるはずがない。
「あのー、真優美ちゃん。これ、どこで?」
「うちの冷蔵庫からですよ〜?どうしました〜?」
「これ、お酒だ…」
「え〜!?」
 真優美が慌てて缶を見る。アルコールという文字を見て、さらに驚いた顔をした。
「あの、あの、竜馬君、あたしの気持ちは本当なんですよぅ。お酒のせいなんかじゃないんです。だから、だから…」
「わかったよ。うん、ありがとうね」
 慌てる真優美に竜馬が微笑む。
「ほんとのほんとなんですよぅ!あう、あうう…」
 真優美の目に涙が溜まる。
「あ、真優美ちゃん、泣かないで、大丈夫だから、わかってるって」
「お、お酒の、せいなんかじゃ…う、うう…えう…えう…」
 竜馬はどうすればいいかわからなかった。今ここで真優美が泣き始めて、その間に誰か来たら、自分が悪者にされてしまうだろう。アリサにも修平にも、こういう流れでした、とは説明できない。もし泊まり込みの警備員にでも見つかれば、さらにどうなるかわかったものではない。慌てた竜馬は、真優美のことをぎゅっと抱きしめた。
「あ…」
 真優美が小さく声をあげた。
「ほ、ほら、ね?俺、わかってるよ」
「ほんとですか…?」
「うんうん、俺も真優美ちゃんが大好きだよ、大事な友達だよ」
 竜馬の必死な態度に、真優美も安心したらしい。涙を拭ってにっこり微笑んだ。とりあえず安心した竜馬が真優美を離すと、真優美がさっきと同じように頭を肩に乗せる。
「ちょっと眠いです〜…しばらく、こうしてて、いいですか?」
 真優美が、いつもより、少し間延びした声を出す。竜馬は少しためらった後、うなずいた。


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