次の日。竜馬はその朝も、いつものように学校へ到着し、自分の席に座った。カバンの中から教科書やノートを出し、机に入れる。昨日はさんざんで、修平と真優美が帰ったのが9時、アリサを「追い出した」のは11時。がんとして居座り、セクハラを続けるアリサを帰らせるのは、至難の業だった。1年生教室は2階にあるが、階段を上ることすら、竜馬にはだるかった。教室についている時計は、朝のホームルームの始まる、ちょうど10分前を指している。
「りょおまぁ〜」
 ねっとりと絡みつく女声に、竜馬はぎくりとした。いやな予感を感じながら振り返ると、満面の笑みを浮かべたアリサが、竜馬の後ろに立っていた。
「な、なんだ…」
「ああんもう、大好きぃ!」
 アリサが覆い被さるようにいきなり抱きつく。竜馬はその強烈な力に、前に気を失ったことを思い出し、必死に抵抗した。やっとのことでアリサを引き剥がすが、アリサはもう一度抱きつきそうな顔をしている。
「なんなんだよ、朝っぱらから!変態か、お前は!」
「もう、とぼけちゃって。知ってるくせに〜。くふふ」
 アリサは夢見心地で、いつもの妖しげな含み笑いを見せる。これを見て、竜馬は何を言っても無駄だと悟った。既に何らかの事実が、アリサの中で完結しているのが、よくわかる。
「知らない。俺が夢にでも出たのか?」
 無駄なことだと思いながら、竜馬が聞く。
「違うわよ。ふふ、机の中よ」
「机の中?」
「なくなってたのよ?私の、ショーツ…きゃうん!もうもう!」
 ショーツという言葉の辺りはささやくように、アリサは竜馬の耳に吹き込んだ。犬のような鼻が一瞬竜馬の耳に当たり、柔らかく冷たい感触を与える。
「だから昨日は帰れって言ってたのね?夜のうちに学校に来て、持っていったんでしょう?くふふ」
 呆然としている竜馬の目の前で、アリサがさらに笑って見せた。
「昨日はそれで何回したの?2回?3回?ふふ、やーらしー」
「アホか!誰が盗むか!」
 竜馬は思わず大声を出した。教室中の視線が、一瞬で2人に集まったが、すぐにまたそれぞれの所へ戻っていった。ますます恥ずかしそうな顔をするアリサは、今にもまた抱きついてきそうだ。いつでも逃げられるよう、竜馬は腰を浮かせた。
「だって、あなた以外知ってる人がいないじゃない?」
「修平だって知ってるだろ?彼が盗みをするとは思わんが…」
「俺のこと呼んだ?」
 修平がいつの間にか近くに来ている。先ほどの大声を聞き、野次馬根性を出したところに、名前を出されたので少し驚いたらしい。
「ああ、聞いてくれよ。アリサがな、俺が下着泥棒だって言うんだよ。パンツがなくなったんだとさ。俺じゃないっつってんのに」
 迷惑千万といった顔の竜馬。
「うーん…じゃあ修平が取ったの?もう、欲しいなら言えばいいのに」
 先ほどまでとは対照的に、アリサは呆れた顔をしている。竜馬相手だと嬉しいが、修平相手ではそれほど嬉しくないようだ。
「俺だってそんなことしないよ。ひっどい濡れ衣だな。さすがにそこまで節操のない男じゃないぜ」
 修平もたちまち、竜馬のような不機嫌な顔になった。
「あなた達以外に知ってる人はいないのよ?もう、正直に言いなさい?」
「俺も修平も違うつってんだろ。それ以上言うなら、本当に怒るぞ」
 竜馬と修平の顔を見て、アリサは嘘をついていないとわかったようだ。少し残念そうに尻尾を垂らす。
「竜馬だと思ったんだけどなぁ…喜んだのもつかの間か…」
「何を喜ぶんだよ。パンツ盗まれて嬉しいとか、まじ変態じゃねえか。ほら、先生来たぞ」
 アリサが反論する暇を与えず、竜馬は引き戸を指さした。入学式のときにもいた、爬虫人の女性教師が、あわただしく教室に入ってきた。彼女は蛇山加奈子という、化学の教師だ。竜馬達のクラス、1年2組の担任でもある。蛇山先生の姿を見て、アリサと修平は席に戻った。
「えーと、皆さん。いきなりだけど、暗いニュース。つい先日のことですが、本学で窃盗事件がありました」
 窃盗事件と聞き、教室がざわめき立つ。
「盗まれたのは金銭と、内履きです。内履きは、2年生の女の子のもので、盗んだ犯人は捕まっていません。貴重品は身につけておいてね。疑うのはいやだけど、もしかすると犯人は生徒かも知れないので、それだけは覚えておいてください」
 教室内でさらに私語が飛び交った。
「先生、他に盗まれたものってありますか?」
 女生徒の一人が、不安げに言う。
「特に今のところはないよ。でも、盗まれた金額が金額でね。1万2千円も盗まれてるの。みんな、気をつけてちょうだい」
 竜馬は蛇山先生の言っていたことと、今朝の状況を照らし合わせた。アリサの下着の紛失。窃盗の発生。修平も同じことを考えたらしく、アイコンタクトを取る。
「ともかく、おしゃべりはやめ。1限は私の授業なんだから、みんな静かに」
 話はそれで終わりのようで、蛇山先生は、高校化学の教科書を取り出した。


 時間が経つのは早いもので、既に4限の授業が終了していた。食堂へと行く生徒、購買に行く生徒、早めに食事を終わらせて体育館を使いに行く生徒、多数の生徒が校内で思い思いの行動をとっていた。
「盗まれたのよ。それ以外考えられないわ」
 1年2組の教室で、アリサが弁当を広げながら言う。その場には、半ば強引に連れてこられた竜馬と、何か考え込んでいる修平、逆に何も考えていなさそうな真優美がいた。アリサと竜馬は自分で作った弁当を、真優美は店売りパンを大量に、修平はおにぎり数個とペットボトルの飲み物を持ってきていた。
「とりあえず俺達のせいじゃないってことはわかったよな。朝のあれは、濡れ衣だったってわけだ」
「え?ええ、まあね。ごめんね〜。おほほほ〜」
 じろりとアリサを睨む竜馬に対して、アリサは微妙な笑いでお茶を濁した。
「犯人さんは、下着なんか盗んで、どうするんでしょうねぇ」
 まふまふとパンをくわえる真優美。中に入っているジャムがはみ出て、真優美の肉球を汚している。指にジャムがついていることに気が付いた真優美は、その指をぺろぺろと舐めた。
「真優美ちゃん、わからないの?」
 修平が真顔で聞くと、真優美はクエスチョンマークでも浮かべそうな顔で、大きく頷いた。修平と竜馬が顔を見合わせる。竜馬は彼女の世間知らずな返答に、少し呆れてしまった。
「そりゃあ…恥ずかしいことするに決まってるじゃない」
 箸で、顔の毛についた米をちまちまと取るアリサ。真優美はしばらくパンをくわえながら考えていたが、しばらくして理解したらしく、にっこり微笑んだ。
「ああ、ようするに…」
「わあー!」
「…をするんですねぇ?」
 真優美の口から放送禁止用語が飛び出すと同時に、それを遮るように竜馬が叫んだ。彼は危うく、昨日の残り物で作った弁当を、ひっくり返すところだった。
「恥ずかしがらないでいいですよぉ〜。男の子には仕方がないことですから〜。えへへ〜」
 真優美は少し嬉しそうに言う。
「あのね、真優美ちゃん。そういうことは大きな声で言うもんじゃないの。わかる?」
「そうですか〜?」
「そうだよ。ったく、もう。慎みを持とうね」
 竜馬はもう訂正するのも面倒くさくなり、弁当をがっついた。
「内履きも取られたって言ってましたけど、やっぱあれですか?男の人としては、内履きでも、その、ごにょごにょできるんですかぁ?」
 言ってはいけない言葉を回避しながら真優美が聞く。
「普通出来ないと思うよ。盗まれたのが、内履きに下着ねえ…たぶん、よっぽどの変態なんだろうなあ…」
 竜馬は教室を見回しながら言った。本当はこの後に、アリサの下着を盗むなんてよほどの物好きだろう、と続けたかった竜馬だったが、我慢した。それでまたアリサが何か言い出すと困るし、犯人は彼女の内面を知っている人間ではないだろうと思ったからだ。竜馬は節操がない人間ではなかったが、もしアリサの内面を知らないままに彼女と友人をすることになったら、理性を保てるか自信がなかった。 
「ともあれ、私の下着が竜馬以外の手にあるという事実は、許し難いことよ。そこで私は、こんな計画を立てました」
 アリサが机の上に、ルーズリーフを広げた。見出しは「張り込み大作戦」とある。内容をかいつまむと、今夜は徹夜で張り込みをして、泥棒を捕まえようというものだった。
「今夜も来ると思うかい?」
 修平が3つ目のおにぎりを飲み込み、お茶を飲んだ。
「今日も体育があったわ。犯人はきっと、柳の下のドジョウを狙おうとするはず。そこを叩くのよ」
 どんっ
 叩くという言葉と同時に、アリサが机を叩く。
「竜馬、修平、真優美ちゃん、お願いできる?」
 いつになくまじめな顔のアリサに、3人は顔を見合わせた。
「正直なこというとね、私、自分の下着はどうでもいいの。でも、他に被害者が出たら、困るでしょう?」
 珍しくまじめなことを言ったアリサに、竜馬は軽く感動していた。たぶん小学生までのアリサならば、竜馬を盗んだ犯人に無理矢理仕立て上げ、ロープで縛ってプールにつけながら「おほほ!白状なさい!」などと言っていただろう。
「面白そうだな。手伝うよ。腕がなるぜ」
「あたしも行きます〜。悪いこと、見逃せないもん」
 修平と真優美が承諾する。アリサの目が竜馬を見つめ、竜馬はその目を見つめかえした。そして、はっきりと言った。
「俺もやるよ」


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