竜馬は少し、気疲れを感じていた。なぜか。それは今、彼が置かれている状況と関係する。本来なら彼は、一人で自分の部屋に戻り、今日発刊の週刊マンガ雑誌でも読んでいるはずだった。
「きゃ〜!カテキング〜!負けちゃうよぅ!」
真優美が黄色い声を上げる。ここは竜馬のアパート。真優美、修平、アリサの3人がテーブルを囲んで座り、テレビに見入っている。テレビでは、高予算と熱い演出で様々な世代を虜にした特撮番組、「飲料戦者カテキング」を放映しているところだった。
『は、博士ぇ!このままじゃ…』
『あわてるな、尾茶美君。こんなこともあろうかと、新開発のカテキンビームを…』
3人は食い入るようにテレビに見入っている。その3人の輪の中に入り、夕食を食べながら、竜馬もテレビ画面を見ていた。彼はこの番組が嫌いではないし、本当ならば一人でテレビの前に座って見ていたい。だが、それをすることは出来なかった。
話は数分前に遡る。一日の授業を終え、家に帰りついた竜馬は、自室のパソコンの前に座っていた。姉は外に出ていき、今日は部屋には戻らない。彼は、一人でしか出来ない、男の用事を済ませてから、夕食を食べに行くつもりだった。ちょうどそれが終わりに近づいていたとき、竜馬は外にアリサの声を聞いた。チャイムが鳴って出てみれば、アリサだけではなく、真優美と修平もいた。おかげで、追い返すことも出来ず、用事を済ますことはできなかった。客人になぜ来たのかと問いただすと、夕食を一緒に食べようと言う。
事のはじめは、まず最初にアリサが、竜馬を外に連れだし、2人きりで食事をしようと考えたところから始まる。そこまではよかったのだが、本屋で立ち読みをしている修平に見つかってしまい、事情を話すことになった。そこに、アリサへ真優美からメールが入った。今は両親がいない。一人で夕飯は寂しいから一緒に食べないか、という用件だ。計画が崩れたアリサは、少々残念ながらも、みんなで夕飯、という方向へ転換し、竜馬の家へ押し掛けたという流れである。
そこで竜馬は、自分の部屋の鍵がないことに気が付いた。姉が出ていくとき、間違えて自分の鍵も一緒に持っていったらしい。外に出られなくなった竜馬は、夕食の誘いを断るつもりだった。だが、アリサの猛烈な押しの前に断ることが上手く出来ず、結局は竜馬の家で4人で夕食ということになった。
じゃんけんで負けた人が料理をする、というルールでじゃんけんをしたところ、竜馬が一番負け。材料を買ってきてもらっている間に、男の用事を済ませようと思ったが、アリサと真優美が残ってしまった。済ませることができず、帰ってきた修平から材料を受け取り、悶々としながら料理をする。
芋と挽肉の煮物、レタスのサラダ、ハンバーグ大根おろしソース、みそ汁と、作り終わって並べたところで、7時のアニメが始まり、現在に至る。
『ハハハ!尾茶美、この天才、ミスター個御羅を倒せると思ったら大違いだ!ゆけ、我が愛しのカフェ・オルレ軍団!』
テレビ画面で大きな爆発が起きる。敵の雑魚メカが破壊されたらしい。竜馬は炊き立てのご飯にふりかけをかけながら、画面に見入っていた。
「子供向け番組のくせに面白いよな、カテキング」
画面に繰り広げられる戦いを見ながら、修平がつぶやいた。
「うん。私も見始めるまでは、ただの幼児番組だと思ってたのよね」
アリサの視線も画面に釘付けだ。主人公のメカの動きを追っている。画面を見ながらも、箸はしっかりと芋の煮物をつかんでいる。それとは対照的に、真優美はさっきから芋を取り落としてばかりだった。一つのことに集中すると、他のことが出来なくなるのが、真優美の欠点らしい。
「ああ、もう、真優美ちゃん、みそ汁こぼれてる」
竜馬が真優美の側のテーブルを拭く。
「ごめんなさい〜、夢中だったもので…」
恥ずかしそうに真優美が笑った。竜馬は彼女の制服が汚れないように、みそ汁のお椀も拭いた。
「竜馬、料理上手いよな。これなんかどうやって作ったんだい?」
修平が、大根おろしソースのかかったハンバーグを持ち上げる。
「ハンバーグは最後まで焼かないといけないけど、中になかなか火が通らないから、スープで煮るんだよ。ソースは、大根おろしをベースにするけど、そのままだと辛いから削ってしばらく放置。醤油と塩ひとつまみ、ハンバーグを煮込んだスープ少し、最後に鰹出汁を入れて出来上がりさ。薄いようなら、少し多めに醤油を入れるんだ」
竜馬がサラダを自分の皿に取り分けながら答える。
「どこでそんなことを習ったんだい?」
「俺、料理好きだからね。姉貴も料理好きだから、よく作るんだよ。母親にいろいろ習ったんだ」
「へぇー。上手いもんだな」
修平は感心したようで、自分の箸がつかんでいるハンバーグを見つめる。
「静かに〜、聞こえないじゃないですかぁ」
むっとした顔で真優美が言う。それと同時に、彼女の箸が芋をつかみそこね、テーブルに転がした。テレビではちょうど、悪役メカを倒した正義役が、ポーズを決めているところだった。
「ほえー…かっこいいなぁ〜」
真優美がぼーっとテレビを見ながら言う。
「こうして見てると、真優美ちゃんって、まだ小学生の女の子みたいよね」
アリサが真優美の横顔を見ながら言うと、真優美はむっとした顔でアリサを見る。
「小学生じゃないもん」
「そう見えるってことよ。若いって誉め言葉よ?」
「そう…なのかなぁ…」
微妙な顔で真優美がまたテレビに顔を戻す。真優美は素直すぎる、と竜馬は感じた。彼女は疑うことがあまりない。そのせいか、今もアリサにからかわれてることに気が付かず、納得してしまっている。
『個御羅の軍団は去った。だが、また彼らはやってくるだろう。戦え、尾茶美!戦え、カテキング!』
画面の中央に大きく「続く」と文字が出る。次回予告を挟み、エンディングテーマが流れ出した。
「ごちそうさま。美味かったよ」
修平が食事を終え、食器を流し台に片づける。ちょうど竜馬とアリサも食事が終わったところで、食べているのは真優美だけになっていた。
「洗い物は私がするね?」
空いた皿を、アリサが流し台に運ぶ。
「あれ、いいの?珍しいな」
竜馬が感心しながら言うと、アリサは恥ずかしそうにくねくねしはじめた。
「だってぇ、お嫁さんってこういうことするでしょう?」
「誰が誰のお嫁さんだよ」
「私が、竜馬の、お嫁さん。くふふ」
ご機嫌な彼女は、竜馬の呆れた視線を無視しながら、スポンジに洗剤をつけて泡立て始めた。水を使い始めると同時に、竜馬は修平にひそひそ話をもちかける。
「なあ、修平、アリサもらってやってくれよ。あいつといるだけで、俺、大変なんだよ」
「ははは、ご冗談を」
「本気だよ。前回も大変だったし、俺、このままじゃため息と呆れの多い主人公にノミネートされるよ…疲れただとか、ため息ついただとか、呆れただとか、そんなのばっかりで話が進んでるんだぜ?このままじゃ、オチも盛り上がりもねえよ…」
がっくりとうなだれる竜馬。その後ろを、やっと食事を終えた真優美が、食器を持って歩いていく。
「内緒話してるつもりかも知れないけど、全部聞こえてるのよ?」
アリサは振り向くこともせずに言った。竜馬と修平が、ぎくりとする。
「これもお願いします〜」
「こら、ホエホエ娘。あんたも手伝うのよ」
「あ、はい〜」
アリサがスポンジで洗った皿を、真優美が水ですすぎ、布巾で拭いてから小さな食器棚に戻す。竜馬は真優美が手伝っているのを見て、皿を落とすのではないかと、気が気でなかった。
「やーん、泡が制服についちゃう。何かないかなあ…」
スポンジを置き、アリサは台所を見回す。と、きれいに畳まれたエプロンが、彼女の目に留まった。ヒヨコが描かれ、お腹の部分にポケットがついている。にやにやしながらエプロンをつけると、アリサは振り向いた。
「はぁい、あなた。どう?似合う?」
竜馬と修平の目線が彼女に止まる。アリサはいたずらっぽく尻尾を振ると、その場でくるりと回って見せた。スカートが風でふわりと広がる。
「それ、姉貴のエプロンだぜ?」
「誰のでもかまわないの。ねえ、似合う?似合う?」
すっかりその気になったアリサは、竜馬に近づくと、背中にぴったりとくっついた。
「どうでもいいよ。もう、うっとおしいなあ…」
竜馬は片手でアリサを押し返した。
「なんでそう邪険なのよぉ」
アリサは憤慨したような顔で立ち上がり、竜馬を見下ろす。竜馬はそんな彼女を無視して、マンガ雑誌を読み始めた。
「俺は似合うと思うよ」
修平の言葉に、アリサがにっこり微笑む。
「修平はわかってくれるのにね〜。竜馬はわかってくれないのよね」
少し残念そうにしていたアリサだったが、何か思いついたらしい。竜馬の後ろに立つ。
「あっ、足が!」
どすん!
アリサは転ぶふりをして、竜馬に後ろからのしかかった。
「ぐえ!?げほ、げほ…」
竜馬は一度前のめりに折り畳まれた後、後ろに戻った。マンガ雑誌のページが引っ張られて少し破れる。竜馬はよほど苦しかったのか、咳き込んでいる。
「あん、あなた、ごめんなさぁい。痛かったぁ?ほら、痛いの、痛いの、飛んでけ〜」
アリサは竜馬の顔をしっかりと胸の谷間に抱き、頭を撫でる。修平は見ていられなくなったのか、一人で皿洗いを続ける真優美のところへ行き、手伝い始めた。
「なにがごめんなさぁい、だよ!わざとやってるくせに!」
激怒する竜馬をしっかりと抱きかかえるアリサ。当分離しそうにない。竜馬はアリサの手をなんとか剥ぎ取ろうとがんばる。
「わざとじゃないわよぅ。あ、そうだ、後で裸エプロンしてあげるから、許してくれる?」
「いらないよ!だいたい、後でって、いつだよ?」
「夜に決まってるじゃない。みんな帰ってから、ね?」
アリサの言葉に、竜馬ははっとした。今日竜馬の部屋に来ている中で、アリサだけ手提げカバンを持ってきていた。彼女が一番最初にここに来ようと言っていたのだし、泊まっていくつもりだったとしても不思議ではない。
「言っておくが…みんなが帰るとき、お前も一緒に帰るんだからな?」
「違うわよ?今日は私、竜馬のところに泊まっていくのよ?」
アリサはそれが当然だという態度を取った。
「迷惑なんだよ。姉貴だって帰ってくるだろ?」
大きな声を出す元気すら、竜馬にはなかった。聞き分けのない子供を相手にしているような錯覚に陥る。
「大丈夫よ。お姉さんは私たちの仲を認めてくれてるし〜?」
「そうじゃなくても、迷惑なんだよ…一人ですることとかもあるだろ」
ぶっきらぼうな竜馬に、アリサはにやにや笑いを見せる。
「あー、なるほどね?手伝ってあげる。んもう、女の子の手でしてもらえるって、喜ぶべきことよ?」
「はぁ?何言ってんだ?」
「こういうことでしょ?」
ずぼっ!
それは不意打ちだった。アリサの手が、竜馬のズボンに入ったのは。アリサの手が、それを、ぎゅっと握る。
「んふふ〜。おっきくなぁれ」
アリサはとても楽しそうだ。堪忍袋の緒が、音を立てて切れるのを感じた竜馬は、ゆっくりとアリサの手を引っこ抜いた。
「あら、いいの?くふふ」
からかうような笑いをするアリサに、竜馬が押さえていた怒りを爆発させる。
「何すんだよボケぇ!空気ぐらい読めよ!毛ぇむしって簀巻きにして放り出してやる!」
「きゃあ!やめてやめて!」
竜馬は本気でつかみかかるが、アリサはそれをすいすいと避けている。時々手を受け止め、鼻をこすりつけたりと、竜馬は翻弄されていた。
「楽しそうだな〜…」
真優美がそんな2人を見つめながらうらやましそうな声を出した。
「俺、慣れちゃったよ。この1週間、ずっとこんなことばっかりしてるもんなぁ」
修平が苦笑いをしながら鍋を水で洗う。真優美がそれを受け取り、布巾できれいに拭いた。
「でも、竜馬君、いい人ですよねえ。あんななのに、アリサさんを無視したり、はぶったりしないんですもの」
「まあね。そういうこと出来ない性格なんじゃないかな」
「ええ〜。あたしもああいう彼氏、欲しいなあ…」
「はは、欲しいって言ってもらえるものじゃないよ」
話をしている2人の後ろで、竜馬とアリサは相変わらずぐだぐだしている。今は攻守が逆転しているようで、うつぶせになった竜馬に馬乗りになったアリサが、脇や背中をくすぐっているところだった。大仰に笑い声をあげて竜馬がのたうっている。
「わははは!あはは!やめ、やめ、あはははは!」
「ほーらほらほらほら、もうおしまい?抵抗しないの?」
「ぎゃははは!あ、あは、は、は」
竜馬は体中を痙攣させ、気を失った。
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