既に学校が始まり、1週間が過ぎていた。担任も決まり、入学おめでとうテストも終わり、通常の授業が始まっていた。この1週間、アリサは常に竜馬につきまとっていた。彼はいつまでもいつまでもついてくるアリサがうっとおしくなり、何度も抗議したが、アリサはそれを聞き流し、あげく逆に怒りだす。だんだんと諦めに入った竜馬だったが、彼が意図していないことが、一つだけあった。それはアリサが竜馬に対して、小学生のころにしたような行いをしないということだった。
小学生のころ、竜馬とアリサはいつも一緒だった。が、それはアリサが無理矢理くっついた上で、竜馬をいじめて楽しんでいたからだ。そのせいで竜馬は、心にいくつもの傷を持ち、成長することになってしまった。今のアリサは竜馬に対して、犬をけしかけたり、嫌いなおかずを押しつけたりすることはない。そう言った意味では、彼女は成長しているのかも知れない。離れていた年月を考えれば当たり前だろう。
「でもなあ…」
竜馬は学校への道を歩きながらつぶやいた。歳月が経っても、アリサの最大の欠点は治っていなかった。すなわち、思いこみが激しく、人の言うことを聞かないことだ。見た目は可憐な美少女といっていいだろうが、中身はそうもいかない。子供アリサとはまた違った、困った特徴を、今のアリサは持っている。しかも竜馬に猛烈な愛情を持ったらしく、彼の心が安まることはなかった。セクハラに関してはとどまるところを知らず、小学生時代よりひどいのではないかと思うほどだ。
「んー。いい朝。特に、竜馬と同じベッドで寝られるなんて、幸せだったわ」
竜馬の後ろをアリサが付いてきている。歩きながら、長い髪を櫛で解かし、手鏡を見ては一人でにやにや笑っていた。竜馬は少し気の重さを感じながら、振り返った。
「どうやって部屋に入ったかは聞かないでおいてやる。だけど、このことを絶対人に言うなよ」
「どうして?健全な男女が密室で同じベッドにくっついて寝ていたことくらい、学校中のみんなが知ったとしても、何も不具合はないでしょう?」
竜馬の言葉に、アリサは意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前な、いい加減にしないと、本当に怒るぞ」
「冗談よ。くふふ。内緒内緒、2人だけの秘密〜」
にやにやと笑うアリサにしばらく向き合っていた竜馬だったが、大きなため息をついて歩き出した。この翻弄される感覚が、彼は苦手だった。
「あ〜。おはようございます」
後ろから今度は間の抜けた声がして、竜馬はもう一度振り返った。そこにいたのは、シルバーブロンドに褐色の毛を持つ獣人少女、真優美だった。彼女もすでに仲良しといった感じで、竜馬やアリサ、もう一人いる地球人の少年、修平といつもつるんでいる。
「ああ、真優美ちゃん、おはよう」
竜馬は真優美に挨拶をする。と同時に、アリサがすすすと真優美の横に移動した。何かをたくらんでいる顔だ。
「真優美ちゃん、聞いて聞いて。私ね、ついに竜馬と、一緒の布団で寝ちゃったの。きゃっ!」
恥ずかしそうに顔を隠すアリサ。先ほど内緒にすると言っておきながら、舌の根も乾かないうちに、アリサはこのことを言ってしまった。真優美はすぐには彼女の言ったことを理解しなかった。理解したとたん、驚きの表情を見せる。
「え〜!じゃあ、もしかして…」
「あん、それから先は言わないで。恥ずかしいわ。ねえ、竜馬?…あれ?」
真優美に自慢している間に、竜馬はすでに遠くまで歩いていってしまっていた。背中が遠くなる。
「ひどいわ、竜馬。ねえ、待ってよぉ」
アリサは小走りで竜馬を追った。
「1限から体育ってだるいよな。しかも月曜だって言うのに」
竜馬が座り込み、ぼんやりとバスケットコートを覗きながら、隣に座っている修平に向かって言う。体育館の中には、かけ声やボールの弾む音、内履きが床と擦れる音が響き渡っていた。男女1コートずつ与えられ、それぞれ3チームに分けられている。竜馬のいるチームは今はインターバル中で、他の2チームがコート内で熾烈な争いを繰り広げていた。体育館はステージ側と入り口側に別れ、ステージ側には男子コートが、入り口側には女子コートがある。体育館は2階建て構造になっていて、1階部分には更衣室や柔剣道場、2階部分が体育館になっている。
「だるいか?俺、楽しいけど」
「だるいと言うよりめんどくさい。これ終わったら、また着替えなきゃいけないんだぜ?運動自体は楽しいけどさ」
大きくあくびをする竜馬。コートの中では、片方のチームが点を入れたところだった。授業が始まってもう15分。爬虫人の生徒の体が温まり、先ほどまでとは比べ物にならないほどの行動力を見せている。ステージを背に、竜馬はその俊敏な動きを目で追った。
「入学からはや1週間。高校って思ってたほどエキサイティングじゃないよな」
修平が大きくあくびをする。
「まあねえ。義務教育ではなくなった、っていうのはあるけどな」
「それは違うと思うなあ。高校は半義務教育みたいなもんだしさ」
「なんでそう思う?」
目の前を数人の生徒が駆け抜ける。ボールが両チームの間を何度も飛ぶ。
「高卒じゃないと社会に出られないっていうのが今の現状なわけじゃない。中卒は落ちこぼれ、みたいな風潮があるっつか。今は昔に比べれば、能力が認められればって言うのが、大きくはなったけどさ。地球が宇宙連邦に加盟してからは、日本は特に、経済の停滞の危惧が叫ばれたわけだし、実際今は大変な時期だと思うよ」
「不景気ってこと?」
「それだけじゃないな。企業の取得選択範囲が、地球人から異星人まで広がったってこと。全体が増えれば、能力のある新人だって、割合は変わらないでも絶対数が増えるわけじゃん。この20年、ずっとそういう状況だったからさ。一時期起きた、外国人労働者問題で、日本の企業は一度勉強してるわけだし、能力のあるやつを輸入しようっていう考えは定着したんだよ」
「なるほどねえ。大和企業戦士が獣人や爬虫人ばかりになるのも、遠い未来の話じゃないってことか。日本人ブランドが通じるのもいつまでやら」
竜馬は相づちを打ちながら、自分の将来をぼんやり考えた。
「そのうち、みんなライバルになるんだぜ。アリサちゃんだってそうさ」
修平は入り口側コートに目を移す。アリサがドリブルしながら、踊るように相手側の生徒を避けていた。
「うわ…竜馬。あれ見ろよ」
修平が入り口側コートを指さす。誰もアリサを止めることができない。わずかな隙間に飛び込み、相手生徒の手はボールに触れることが出来ない。スリーポイントラインを少し超えたとき、彼女は一気に走ってボールをつかみ、大きく跳躍した。
「あ…」
竜馬は驚いてしまった。授業レベルのプレイと思って、まじめにしていなかったが、そんな彼の前で、アリサはダンクシュートを決めたのだ。味方側の生徒が歓声を上げてアリサに駆け寄る。アリサは嬉しそうにチームメイトのハグを受けていたが、竜馬が自分を見ていることに気が付くと、にっこり笑って手を振った。気恥ずかしさを感じた竜馬がさっと目を逸らすのと、誰に手を振ってるか修平が理解するのは、ほぼ同時だった。
「お、手を振られたな、彼氏様」
からかうように修平が笑う。
「彼氏なんかじゃねえよ。誰があんなやつ…」
竜馬はつぶやくように言う。あまり嬉しそうな顔ではなかった。
「恥ずかしがることなんかないよ。性格が悪いって言うけど、そっちはおいおい改善することも可能だ。だけどな、見た目だけは、なかなか変えることができないんだぜ」
「そうかなー。性格ほど変わらないものもないと思うけど。つまりは?」
「要するに、アリサちゃんは元が良いってこと。あの性格に慣れさえすれば、これ以上の子なんかなかなかいない。ちょっと想像してみ?」
訳知り顔で修平が締めた。修平の言うとおり、竜馬は小さな想像をしてみる。もしアリサが自分の彼女だったら…
2人で一緒にバスケットボールをしている。息はぴったり。邪魔するものはいない。もう誰も止められない…
『ほら、パス!』
突然、妄想の中のアリサが、バスケットボールを妄想竜馬に投げつけた。妄想竜馬は受け取ることができず、顔にボールを受けてしまう。鼻血を垂らす妄想竜馬に、妄想アリサは言うのだ。
『今のは受け取れるでしょ?もしかして、私の肉体美に見とれちゃった?くふふ』
アホか!と心の中でつっこみを入れたところで、彼は妄想から帰還した。楽しい想像をするはずが、ありもしない痛い目を妄想するという結果になったことに、彼は気が付いた。だが、彼の中には、これが起こりうるかも知れないという確信があった。妄想内のようなことが起きても、たぶんアリサは謝らないだろうし、竜馬はアリサと息があったプレイをすることなど、想像の上でも思いつかなかった。
「俺はトラウマがあるんだよ。知ってるくせに、なんでそういうこと言うかな、君は…」
「はは、悪かった。本音言うと、うらやましいだけさ」
修平が大声で笑う。女子コートは1試合が終わって、チームが変わっていた。真優美が転んで、泣きべそをかいているのが見える。
「なまじ見た目がいいから困るんだよ。3つ子の魂100までって言葉があるじゃんか。もう絶対に性格は変わんないと思う。あれでとびきりブサイクだったら心おきなく嫌えるんだが…」
「ブサイクって誰のこと?」
後ろから唐突に声をかけられ、竜馬は振り返った。アリサがいつの間にかステージの上にうつぶせに寝転がって、顔を出している。
「お前だよ、お前」
竜馬はアリサと目を合わせないようにしながら言う。
「あらひどい。ブサイクに見えても、毛並みとプロポーションには気を使ってるのよ?」
「見た目じゃねえよ。精神的ブサイクって言ってんだ」
「またまた。ほんとは私のこと、好きなくせに」
アリサが片腕を伸ばし、竜馬の頭をなでる。竜馬はうっとおしそうにその手を払いのけた。
「私の恋心をわかってくれるのは、修平と真優美ちゃんだけよ。ね、修平?」
竜馬の頭をしつこくなで回しながら、アリサは修平に同意を求めた。彼女は人と仲良くなることに長けているようで、修平もすでに、彼女に呼び捨てにされるのが普通になっていた。クラスの中にも、彼女はたくさんの友人を作っていた。
「わかるっつか、なんつか。俺はアリサちゃんの、過去の悪行を知らないからなあ」
修平はどっちつかずの返事をしながら笑い声をあげた。
「何が、悪行を知らないからなあ、だよ…そんなこと言ってたらつけあがるぞ?」
竜馬は修平に向かって、しかめ面をしてみせる。この学校に入り、一番親しくなったのが修平だったが、1週間彼と過ごすことで、竜馬には様々なことがわかった。修平はある意味で緊張感に欠けている。
「つけあがらないわよ。せっかくいいことを教えに来たのに、それはないんじゃない?」
「いいこと?」
「ふふ、知りたい?教えてください、って言ってごらんなさい?」
竜馬が話に食いついたと思ったらしい。アリサがにやりと笑う。
「いや、いいや。別にそんなに知りたくもないし。ほら、戻れよ」
「ああん、ひどい。わかったわよぅ」
あからさまに興味のない態度を竜馬が取ると、アリサは寂しそうにステージから上半身を垂らした。
「私、体育のときは、毛が邪魔にならないように、下を履き替えるの」
いたずらっ子の目で、アリサは2人を順番に見た。
「下?」
修平がアリサの言ったことを復唱する。
「うん、下。つまり、下着をね、体育用にするのよ」
「だからなんだってんだよ」
竜馬の呆れた言葉に、アリサが体を起こす。
「つまりね、竜馬が今行けば、脱ぎたてのショーツが手に入るのよ?ああん、もう、恥ずかしいわぁ」
くねくねと体をくねらせ、ステージの上をごろごろするアリサ。ちょうど男子コートで試合が終わったらしい。竜馬は立ち上がった。
「ふふ。カバンの中の、本屋の紙袋に入ってるわ。ねえ、竜馬、興味ない?」
「ない。変態に付き合ってる暇もない」
竜馬は冷たく言い放つ。コートに入る竜馬に、少し照れ笑いの修平が続いた。後に一人残されたアリサはしばらく2人を見ていたが、仰向けに寝転がり、ステージの照明をぼんやりと眺めた。
「つまんないの。竜馬ってストイックなのよね。そこもいいけど…ね。きゃうん」
独り言を言い、アリサはもう一度恥ずかしそうに笑った。
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