『いいか、竜馬。私がお前に情報を伝えるからな。こんな役をやるなんて柄ではないのだが…』
 ヘルメット内に、ブリッジのカメラが受けた動画が流れる。怒ったような顔をした恵理香が映っていて、その前には固定マイクが、その後ろに地球人系の男性乗組員が一人立っている。真優美はその地球人系男性と話をしていて、恵理香は真優美が通訳した内容を、わかりやすく竜馬に伝える役目になったらしい。修平と美華子は、エンジンルームの方へ行っていて、、アリサだけはどうしていいかわからない様子で立ちつくしていた。
「わかった。頼む」
 狭い宇宙服の中で、閉塞感を感じながら、竜馬が返事をした。隣にはライドラックが浮いている。彼の後ろに続いて、竜馬は外殻の梯子を伝った。腰には、工具の入ったポーチがついている。
『もう10メートル行けば、目標が見えるそうだ。そこで船長の指示に従ってくれ』
 真優美のぶつ切れの言葉を、恵理香が通訳する。日本人は、英語の文法を聞いたとき、言葉を並べる順序が逆だと言って困惑するらしい。公用語も、英語などと同じように、言葉の並びが違うのだろう。リアルタイムで翻訳をするとなると、難しい様子だ。
『錦原君。ゴミにぶつからないように気をつけろ』
「わかった!」
 ライドラックの注意に、竜馬が勢いよく返事をした。何もない無の空間が目の前に広がっている。そこには、小石のようなものから、人工物の破片に見えるものまで、様々な物が浮かんでいた。このヘルメットのガラスの向こう側に空気がないと思うと、竜馬は少し怖い気がした。同時に、普通では体験できないことをしていると、竜馬は軽く興奮した。
「この景色を写真にとって、クラスメートに見せてやりたいね」
 竜馬が軽口を叩きながら梯子をたどる。
『冗談を言ってる場合ではないぞ。お前が外に出ると言い出したときには、おかしくなったんじゃないかと思ったんだから』
「はは。確かに、今の俺はおかしいな。恵理香さん、愛してるぜ」
『ばっ!な、何を言っている!お前というやつは、この非常事態に!』
 テレビで見たアクションヒーローになったつもりで、竜馬が言った。恵理香はそれを聞き、顔を真っ赤にした。彼女の尻尾が、嬉しそうに揺れているのを、竜馬は見逃さなかった。本来ならば、後ろにいるアリサが烈火のごとく怒るはずなのだが、今の彼女は竜馬が好きだった記憶すら失ってしまったようで、何も言ってはこなかった。
『一応言っておく。この宇宙服には、何かあったときのためのアンカーショットがひとつだけついている。危険を感じたら、それを撃ち込んで、なんでもいいからとっかかりをつくるんだ』
 ライドラックが腰を指さした。竜馬がその辺りを探すと、小さなコントロールパネルがついていた。ディスプレイに、宇宙服内の情報が表示されている。どうやら、内部環境をある程度変更出来るらしい。その中に、アンカーというボタンがあることを、竜馬は確認した。
『ここだ。このパネルを開くぞ』
 命綱をつけたライドラックが、ぽーんと遠くに行く。2メートルほど離れたところで、彼はハンドルを握った。竜馬も促されて、反対側のハンドルを握る。同時にハンドルを回すと、大きな一枚の板が開き、中が露出した。パソコン内部のような、緑色の大きな板に、小さな部品が無数についている。
「うわぁ…」
 精密そうな機械に、竜馬が感嘆の声をあげる。ぱっと見ただけでは、何がなんだかさっぱりわからない。ともかく、どこが悪いのか調べなければ、話にならない。竜馬は適当なところに掴まろうと、手を伸ばした。
『そこに触るな。回路が破損する。所々に出ている取っ手を掴め』
 ライドラックに言われて、竜馬は初めて取っ手が出ていることに気がついた。樹脂製の硬い取っ手は、宇宙服のグローブでも握りやすいように、大きくなっていた。
『自己診断プログラムが、異常を見知したのは、もう少し中央寄りらしい。寄ってみてくれ』
 手元にある、何かの資料を眺めて、恵理香が言った。
「わかった」
 竜馬とライドラックが、そろりそろりと中央に近づく。ライドラックが、回路をチェックするための道具を出して、回路をチェックしている。竜馬は横で、指示があったらすぐに動けるように、待機していた。ライドラックのオペレータにはロッカがついているらしい。時折漏れ聞こえるロッカの声に、ライドラックが「わかった」などと返事をするのが、レシーバー越しに聞こえた。
『ここだ。今から私が言う物を出せ』
「わかった。まずは?」
『プラスドライバーだ。小さいものを』
 言われた通り、竜馬はプラスドライバーを引っぱり出して、ライドラックに渡した。ライドラックはそれを受け取り、ネジをはずす。そして、外れたネジを、腰に取り付けた磁性板に張り付けた。
「宇宙船の回路なんか、普段見る機会ないよな」
 インジケータ越しに、竜馬が恵理香に言った。
『あー!いいなあいいなあ!どんなだったか、後で教えてくださいね!』
 後ろにいた真優美が、無理にカメラに割り込んだ。だが、彼女に専門的な質問をされたとて、竜馬はきっと答えることが出来ないだろう。
『次。ペンチだ』
 竜馬はポートからペンチを出し、ライドラックに渡した。もしここで道具が飛んでいってしまったら、銀河の彼方まで行って返ってこないことだろう。あるいは、地球に向かって落下して、流れ星になるのかも知れない。竜馬は細心の注意を払いながら、道具がどこかへ行ったりしないように、大事に扱った。
『異常箇所を見つけた。固定用の絶縁テープをよこせ』
 ライドラックが出したその手に、竜馬はテープを渡した。ライドラックが直しているところは、板が破損して、回路が一部繋がっていないようだ。そこを、テープと何かの器具で、器用に繋いでいる。
「上手いもんだなあ…」
 ぼんやりと竜馬がその手際を見つめていた。
『あくまで応急処置だ。大して保たん。これぐらいならば、どこが壊れているか理解さえすれば、君にも出来る。テープを貼るだけだ』
「いやいや、ここは重力もないし、パーツとかが飛んでいったらおしまいでしょう。ほんと、小さい物はなくしたら、探しても見つからないで…あれ?」
 竜馬の中で、何か思い出が花開く。が、何を無くしたのだったか、竜馬は失念してしまった。小さい物をなくして、探し回った、その思い出。よく考えた竜馬は、そこに少女時代のアリサがいたことを、断片的に思い出した。アリサが何かを無くして、それを直したのだ。そういえば、ランドセルもあったような気がする。ということは、小学校に入ってからか。
『竜馬、何をぶつぶつ言っているんだ?』
 インジケータの向こうで、恵理香が不思議そうに問いかけた。
「ちょっと、小学校のころを思い出してさ。俺、アリサの持ち物、なんか小さかったんだと思うけど、無くなったのを探したんだよ」
『持ち物…それが今何か関係あるのか?』
「ないけど、ちょっと気になって。なんだっけなー。ちょっとアリサに代わってくれよ」
 恵理香と真優美が顔を見合わせた。そして、座っているアリサを呼び寄せ、ヘッドセットを渡した。
「アリサー。小学生のころだと思うんだけど、なんかお前の持ち物、無くなったとき探したじゃん。なんだっけ?」
 ライドラックに言われ、電熱こてを渡しながら、竜馬が聞いた。どうやら、テーピングだけでは、修理が出来ない様子だ。
『…思い出せない。ごめんなさい』
 アリサが肩を落としてうなだれる。そこで竜馬は、アリサが記憶を失ってしまっていたことを思い出した。さっきから、真空の中に浮かぶ自分という事実のせいで、こんな大事なことも忘れていたのだ。
『…ちょっと、思い出してみる。何がそこにあった?どんな部屋だった?』
「え?えーと、ランドセルと…後は覚えてない。たぶん、畳の部屋だったと思う」
 聞かれるままに、竜馬がそのときの記憶を辿った。畳の部屋。確か、記憶にあるこの部屋は、自分の家にある部屋だ。基盤がぐらぐらと動き、危険だと判断した竜馬は、ライドラックの向かい側に移動して、基盤を押さえた。
『季節は?他に誰かいた?』
「覚えてないな。たぶん俺ら2人だけ。あの、言っておいて悪いけど、思い出せないなら無理に思い出さなくても…」
『大丈夫。うー、ん…』
 アリサが自分の髪をいじり始めた。と、竜馬はその光景に目を奪われた。
「…あれ。アリサ、お前、右腕…」
『え?』
 彼女が髪をいじっているのは右腕。確か右腕は、今動かなくなっていたはずだ。
『彼女の右腕が動くようになったのか』
 作業の手を休め、ライドラックが聞いた。竜馬が頷く。
『よかった。もし障害が残ってしまったら、私では償えない』
 どうやらライドラックも心配をしていたらしい。ほっとした顔で微笑みをこぼした。
「あんた、そんな顔で笑うんだな」
 使わなくなったドライバーを、竜馬がポーチに入れた。
『笑っていたか?』
「ああ。嬉しそうに」
『そうか。自分では気がつかなかった』
 応急修理を終えたライドラックが、冷却ユニットにこてを入れて、竜馬に渡した。竜馬はそれをポーチに入れる。真空中では、空気のような放熱を行える媒体がないため、電熱こてを使用した後は冷却しなければいけない…という話を、竜馬は前に真優美から聞いていた。そのときには、なんのこともなく聞き流していたが、こうして実際にそれを行っている場面を見たことで記憶がよみがえる。
『あー!また浮いちゃう!』
 その真優美はと言えば、何をしていたのか、浮き始めてしまっている。何かとっかかりを探して、手を振り回しているが、何にも掴まることが出来ていない。
『その日、何かイベントはあった?私が、あなたと一緒にいたんでしょう?』
 スピーカーから、アリサの声が聞こえ、竜馬はまたインジケータの方へ目を向けた。
「忘れた…なんか、大人が一人もいなかったんだよな。いつもはお袋くらいいたのに」
『誰も?私たちだけだったの?』
「うん。あの日は、なんでみんないなかったんだっけなあ…」
 小学生のころの記憶を辿る竜馬。父親や祖父などがいなかったのは、まだわかる。そのころはまだ生きていた母方の祖母も、よく家を空ける人だった。父方の祖父母は生きているが、そのころから遠距離別居で、いないのは当然となる。だが、アリサが来るときは、必ず母はいたのだ。しかし、その日に限って、母がいなかった。
「そういえば…」
 その日、母はどこかへ行っていたのだ。そして2人きりで遊んでいたとき、その何か無くなり、一生懸命に部屋の中をかけずり回った。その後は…
「…思い出した。その日さ、お袋の運転で、俺とお前がお前ん家行ったんだ。そしたら、家の中に何もなかった。その日は、お前が引っ越しをしていく日だったんだよ」
 ようやく、記憶が一本に繋がった。そう、その日は引っ越しの日だったのだ。その日、アリサの家に引っ越し業者が来るということで、アリサと仲のよかった竜馬の家に、一時的にアリサを預かったのだ。
『む…こちらも故障しているようだ。もう一度、電熱こてを』
「あ、わかった」
 電熱こてを出す竜馬。ライドラックがそれを手に取り、もう一度回路に何かを行う。今度は、竜馬の押さえている場所の近くだ。熱で宇宙服がダメージを受けないように、竜馬は基板を持つ位置を変えた。
『ひっこし…私、引っ越したんだっけ?』
「そうだよ。俺の実家は日本の石川にあるんだ。お前は今、東京に住んでる。お前も昔は石川にいたんだけど、東京に引っ越して…えーと、日本は覚えてるよな?」
『それで…え、あ…』
 アリサが頭を押さえる。後ろにいた恵理香が何か問いかけ、アリサがそれに対して首を横に振った。
『だんだん、思い出してきた…え、と…ご飯を、食べて…お礼、言って…泣いて…いたたた…』
 また、アリサが頭を押さえた。彼女に頭痛が来ているらしい。
『どうした?』
 ライドラックがロッカと話しているらしい声が漏れ聞こえる。アリサの異変に不安を感じたロッカが、彼女を医務室へ連れていくべきか、ライドラックに判断を求めたようだ。
『と、とまんない!』
 どげしぃ!
 浮かんでいた真優美が、意図せずかかと落としをアリサに食らわせた。一瞬カメラに、真優美の黄色いチェック柄のパンツが映る。横にいた船員と恵理香が、すぐにアリサに駆け寄った。
『…あ…あー!』
 アリサが叫ぶ。その大声が、スピーカー越しに、音割れとなって竜馬に襲いかかった。
『全部、すっかり思い出した!私は、竜馬の自転車を取り返しに、ここに来たのよ!』
 アリサの顔つきが変わった。記憶を無くしたおとなしいアリサから、今までのやかましいアリサに、戻ってしまった様子だ。
『竜馬!あんたねー!私をほっといて真空中に出ようなんざ、100万年早いのよ!心配じゃない!帰ってきなさいよ!』
 何を怒っているのか、アリサがカメラを掴み、わうわう叫ぶ。
『アリサさん、落ち着いて…』
『うっさいバカわんこ!人にネリチャギ決めるなんて、何考えてんのよ!バカになったらどうするつもり!?』
 べしぃん!
『きゃんっ!い、痛いじゃないですかぁ!』
 アリサを諫めようとした真優美は、怒ったアリサに頭を叩かれ、同様に怒り始めた。
『こんなに簡単に記憶が戻るなんて…』
 レシーバー越しに、ロッカの声が聞こえる。竜馬もまさか、こんなくだらないきっかけで、記憶喪失になったアリサが記憶を取り戻すなんて、思いもしなかった。
『もうすぐ修理が終わる。そうしたら、そちらへ戻ろう』
 電熱こてをしまったライドラックが、基板をテープで固定しはじめた。
「これで、あんたの野望も、おしまいってわけか」
 アリサと真優美の言い争いを聞きながら、少し皮肉めいた言い方で、竜馬がライドラックに言った。
『さて、どうかな。これからどうなるかわからん。君がこの場で、私を裏切って殺しておけば、確実ではあるだろうな。わかるか?』
「そんなことはできんよ。一介の高校生が、殺人なんて出来ると思う?」
『道理だ。仕方ないな。私はここで、きっぱりと手を引かざるを得ない』
 渡されたテープを、竜馬がポーチに入れた。
『君は運命を信じるか?』
 取っ手に足をはめ、壁面に垂直に立ったライドラックが、遠い目をした。
「俺の友達が、今日似たような質問を受けてたよ。あいつは、出会いまでが運命で、それ以降は実力だって言ってたね」
 ライドラックの見ている方向に、竜馬も顔を向けた。ちらりと見える青い影。竜馬の故郷、地球がそこにあった。
『面白い偶然だ。私も今日、そう答える青年と、コーヒーを飲んだ』
「世界は狭いね。俺はコーヒーを飲めないし、同席は出来ないな。苦くてね」
『そのうち味がわかるようになる。横着をせず、しっかりと豆から淹れるのがコツだ』
 2人が笑いを交わす。回路はしっかりと動いているようで、足下のランプが点灯した。
「その…こんなこと言うのも変だけど、あんたはかわいそうだと思う。俺だって、娘が死ぬなんてことがあったら、悔しくてダメんなるかも知れない。でも…」
 言葉を続けようとしたそのときだった。
 ドグォ!
「わ、わあ!」
 レシーバー越しに、何かが破裂するような音が聞こえた。そして、船が地震のように震え始めた。
『竜馬ぁ!こっちで、エンジンがいきなり始動した!そっちの回路が動いたかららしい!』
「ええー!?」
 今までの画像が消え、今度はエンジンルームからの映像が送られてきた。修平と船員1人がカメラに向かっている。エンジンはその身を震わせ、動き始めていた。船内に重力が戻ってきたのか、みんな床に足をつけている。ライドラックが、船員に向かって何か怒鳴り立てた。
『スイッチが入っていない状態と違う、通電して、えーと、していなくて、動いていないだけ、修理したら動く、なんでそんなへまやった!って…』
 どうやら、音声はブリッジの方にも行っているようだ。真優美が、ライドラックの怒鳴り声を通訳した。
『現在、高速で地球に向かっています!どうやら、着陸のプログラムが動いているようです!』
『止めろ!まだ作業は終了していない!』
『今、コマンドを…不可能です、受け付けません!』
 ライドラックに言われ、ロッカがコンソールを叩く。が、船は止まることなく、加速を始めた。竜馬は離されないよう、必死に取っ手に掴まる。
「あ、あれ!」
 竜馬が片手で虚空を指さした。ゆるゆると、大きめの隕石がこちらへ向かってくる。煉瓦ほどの大きさのそれがぶつかれば、また回路に穴があいて、今度という今度はダメになってしまうことだろう。
『蓋を閉じて船内に戻るぞ!そちらを!』
「わかった!」
 蓋を閉じようと、竜馬とライドラックが、蓋の取っ手に手をかけた。だが、開くときにはあんなに簡単だったのに、今は何かが挟まっているのか、蝶番が壊れたのか、ぴくりとも動かない。
「ぐうううう!」
 力を込めて、蓋を引っ張る。ぎしぎしと動きはしたが、やはり閉じるそぶりは見せない。
『指輪よ!』
「え?」
 インジケータの画像がブリッジに戻った。目に涙を浮かべたアリサが、怒りの表情を作っている。だが怒りと言っても、それはいつもの、狼のような猛々しいものではなかった。
『幼稚園のころの!ハンカチちぎって作った、大事な指輪よ!引っ越すけど、絶対忘れないからって、指輪を持ってったじゃない!それが無くなって、竜馬が見つけてくれて!』
「指輪…あ…!」
 竜馬は全てを思い出した。そのとき無くなった小さな物。幼稚園のころ、おままごとをしているとき、結婚指輪として使っていた布きれだ。おもちゃの指輪が見つからず、そのときにアリサの指に合わせて、ハンカチを切って作った代替品。大事に保管しているという話は聞いていた。そのとき、無くしたのは、アリサの結婚指輪だったのだ。
「そうだった!で、お前がその日、指輪して、タクシーで空港に向かって…」
『そうよ!別れるとき、言ったじゃない!絶対お嫁さんになるって!竜馬の本物のお嫁さんになるって!』
 アリサの声が涙声に変わった。そう、その日も今のように、アリサが泣きながら言ったのだ。小さい頃のトラウマばかりに気を取られ、竜馬はそんなことがあったこともすっかり忘れていたのだ。
『いいか、せーので行くぞ。せーのっ!』
 ライドラックの呼びかけに、はっとした竜馬が、蓋を引いた。蓋が、少しずつ少しずつ動く。なぜだかわからないが、今の竜馬には、アリサが愛おしくて仕方がなかった。1年前ならば、ゴマ粒ほども起きなかった感情が、今こうして心を占有している。
『早く戻ってきて!私、私…』
「わかった、わかったから!こっちに集中させてくれ!絶対に戻る!」
 泣き出したアリサに、なんと言っていいかわからなくなった竜馬は、思わず叫んだ。少しずつ、蓋が少しずつ閉まり始めた。が、隕石はそれより早くやってきてしまったようだ。閉まりかけの蓋に、隕石がぶつかった。
「うおっ!」
 手にびりびりと振動が伝わり、竜馬は蓋を離した。隕石は、人間2人がかなりの苦労をして閉じようとしている蓋を、一瞬で閉めた。ぶつかった隕石はばらばらになり、かけらが飛び散る。
『ぐぁ!』
 かけらを受けたライドラックが、ぐぅんと浮かんだ。とっさに、竜馬が梯子に片足をかけ、ライドラックの手を掴んだ。かなりの衝撃を受けたらしく、ライドラックは目を閉じ、ぐったりとしていた。
『船長!船長!起きてください!船長!』
 狂ったように、ロッカがライドラックを呼び続ける。以前、川に流されて行きそうになった美華子を、同じように助けたことを思い出す。しかし、あのときはもし流されても宇宙空間に行くことはなかったし、こんな動きにくい宇宙服も着ていなかった。
『竜馬!今そっちに行くわ!待ってて!』
 レシーバーをかなぐり捨てて、アリサがブリッジから出ていく。その後ろにロッカが続いた。眼前には、巨大な地球が迫っている。少しずつ、少しずつ大きさを増し、こちらへと向かってくる。先ほどまでの郷愁はもうない。それは、青く巨大な、恐怖の塊だった。
「ど、どうしろってんだよ!片手で梯子を登れなんて、無茶にもほどが…」
 無重力という条件を生かし、竜馬がライドラックを引き寄せた。が、この巨体を抱いたまま、梯子を上ることは難しい。
『竜馬、いいか?腰の部分に、ベルトとナスカンがついてる!それを、船長のベルトに固定するんだ!』
「え?あ、これか!」
 腰を探って、竜馬がナスカンを手に取った。それを、ライドラックの宇宙服に繋ごうとするが、手が震えて上手くいかない。かちゃ、かちゃという音が、宇宙服の中に響く。
 かちゃん
「よし!」
 何度目かに、竜馬はナスカンを固定することが出来た。両手がフリーになった竜馬が、梯子を登り始める。
『竜馬、後ろ!』
「え?」
 竜馬が後ろを振り返った。別の隕石が、竜馬の後ろにゆるゆるとついてきている。
「うわああ!ちょ、あんなん当たったら死ぬって!」
 焦った竜馬が、なんとかしようと、工具袋を漁る。と、竜馬の手に何かが当たった。入れた覚えのない何か。さっきまで、ライドラックとロシアンルーレットをしていたブラスターだ。
「出ろぉぉぉ!」
 カチッ
 竜馬が引き金を引いた。
 ヴィイイ!
 明るい熱線が、一直線に隕石に伸びた。隕石は熱線を浴びて、くるりと回転をした。実弾と違い、すぐに動的な慣性力が働くわけではないらしいし、この威力では岩を破壊するのは難しいらしい。が、確実に隕石は動いている。
「でぇい!」
 だめ押しとばかりに、竜馬はブラスターを投げつけた。ブラスターが派手に隕石にぶつかる。部品が外れ、バラバラになったブラスターと隕石が、方向を逸れて回転して、どこかへと飛んでいく。
「…死ぬかと思った」
 竜馬は息を一つついて、梯子をさらに進む。
『今こちらで、オペレータが機密扉を開くらしい!中に転がり込め!エアロックルームまでは重力がないから、すんなり中に入れる!』
「わかった!」
 機密扉の前についた竜馬は、扉が開くのを待った。がたがたっと扉が揺れて、シャッター式の口を開いた。
「うおっ!?」
 空気圧の調整をしないで扉を開いたらしい。一陣の強風が、竜馬の体を押した。くるくると回転し、竜馬とライドラックが放り出された。パニックになった竜馬が、何かに触ろうと、手を無茶苦茶に振る。
「あ…」
 右手が、宇宙服のコントロールパネルに触れた。とっさに、アンカーのことを思い出す。
「これか!」
 竜馬がアンカーのスイッチを確認した。宇宙服の左手側に、箱のようなものがついているのが確認出来る。これがアンカーの発射口だと理解した竜馬は、気密室に向かって左手を向けた。
「うおおお!」
 かちっ
 竜馬がアンカーのボタンを押した。
 ばしゅっ!
 軽い振動とともに、アンカーが発射された。しかし、それは予想した、左手からの射出ではなかった。胸の辺り、ちょうど中心から発射されたアンカーは、大きく方向を逸れて壁にぶつかった。
「う、うそぉ!?マジー!?」
 竜馬が叫ぶ。が、叫んだところで状況が変わるわけでもない。もう宇宙の塵になるしかないのかと、竜馬が目を閉じた。
 ばしゅっ!
 竜馬の宇宙服に、小さな振動が起きた。何事かと目を開ける。
『何をしている。アンカーは一発だけではないだろう』
「…あ!」
 ぶら下がっていただけのはずのライドラックが、いつの間にか目を覚まし、宇宙服のアンカーを撃ち込んでいた。アンカーは寸分の狂いもなく、機密扉の中に入った。
『行くぞ』
 軽くアンカーについたケーブルを振るライドラック。ケーブルは、そこにあった手すりにくるりと巻き付いた。両手で、ケーブルを辿り、2人が船の中に入る。
『もう、地球がすぐそこだ!突入するらしい!早く、早く中に入れ!』
 焦った顔で、恵理香が叫んだ。
「もう入った!扉を閉じてくれ!」
『本当か?わかった!』
 後ろにいる真優美の方へ、恵理香が何かを言い、真優美がそれを通訳した。すぐに、扉がぐぐぐと閉まる。閉まりきったかきらないか、微妙なところで、いきなり船が上下に強く揺れ始めた。
「うあああ!」
 がしゃぁん!
 開いた船内側の扉に、竜馬とライドラックが転がり込む。がちゃん、とロックが外れ、竜馬のヘルメットが転がった。もし宇宙空間でこれが起きていたら、と思って、竜馬は背筋がぞっとした。
「船長!起きてください!船長!」
 白い影がライドラックに飛びついた。ロッカだ。彼女の目には、涙が浮かんでいる。ライドラックは、またどこか打って気絶したのか、体を動かす様子もない。
「いてて…」
 竜馬が手をついて起きあがる。ごごご、と剣呑な音が艦内に響いている。中に逃げ込んだからと言って、安全なわけではないようだ。
「竜馬!」
 そこにいたアリサが、宇宙服姿の竜馬に抱きつき、頬に鼻面を擦りつけた。涙で濡れた毛が、竜馬に張り付く。横ではロッカが、倒れたライドラックの体を持ち上げていた。
「怖いよ!竜馬、怖いよ!」
「だ、大丈夫だって!今までだって、大丈夫だったろ!で、でも、実は俺も怖い!」
「何よ!こんなときに、役に立たないんだから!頼りなさすぎるわよ!」
「なんだよ、しょうがないだろ!くそっ、くそっ!」
 パニックになったアリサが、きゃんきゃんと叫ぶ。竜馬もそれに負けない大声で叫び返した。
「さ、最後になったらやだよ!竜馬、キスして!」
 ぐっ
 アリサが竜馬の頭を両手で挟む。
「や、やだよ!無理だって!」
「最後なのよ?最後になるかも知れないのよ?」
「バカ野郎!」
 すぱぁん!
「きゃん!」
 竜馬の手が、アリサの頭を叩いた。
「最後になるわけないだろ!帰ったら、いくらでもしてやる!何度でもしてやる!」
「ほんと?う、嘘つかない?」
 竜馬のがなり立てる声に、泣きながら聞くアリサ。不安からか、アリサの耳は寝そべり、まるで雨の中打ち捨てられた子犬のような顔をしていた。
「嘘なんかつくか!お、お前は…」
 すう、と竜馬の肺に空気が入った。
「お前は、俺の…俺の大事なんだぞ!」
 竜馬が強い声で叫ぶ。アリサの顔がぐぅっとゆがみ、、ぐっと竜馬を抱きしめた。アリサの髪の匂いが、竜馬の鼻に入ってくる。竜馬の頬が、アリサの流す真新しい涙でさらに濡れる。
 船が揺れる。今にも壊れてしまいそうなほど、強く揺れる。巨人が船を鷲掴みにして、振り回しているかのようだ。窓の外に、地球が見える。だんだんと近づくその姿は、恐ろしくも美しい。落ちていく。落ちて…。


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