カン、カン、カン、カン…
金属製の階段を、竜馬が下りる。リフレッシュルームより1つ下の階層。その奥にある部屋に、彼は用事がある。
『船長を…止めて欲しいのです』
この一言で、ロッカの話が始まった。
『彼は2年前に、娘を病気で亡くしています。船に乗り、遠くへ出ていた彼は、娘の死に際を見ることが出来なかった。その当時はまだまともな船乗りだった彼でしたが、自暴自棄になり妻とも別れ、私たちがこの船に迎え入れたのです』
一匹狼という印象を、ライドラックから受けていた竜馬には、これは少し意外な話だった。そして、一見で人を知ることは出来ないと、改めて思った。
『アリサさんは、亡くなった娘に似ています。まるでコピーか何かのように。彼は、記憶を無くしたアリサさんに偽の記憶を教え込み、娘として育てなおすつもりです。我々は窃盗団ではありますが、ある程度の自制は持っています。彼が本当に、人の娘を奪うという事になる前に、彼を止めて欲しいのです』
恐らく、かなり悩んでいたのだろう。ロッカは、苦しそうだった。ライドラックに強く言うことが出来ないという。それは、彼の気持ちも理解出来てしまうが故の、悲しい思いやり。ライドラックの悲しむ姿も見たくないと言うのだ。
『自分勝手だと理解はしています。しかし、船員ではないあなたにしか、これは頼めないのです。私の名は出して構いません。お願いします。船長を…説得してください』
竜馬は、それを承諾するより他になかった。重い何かが肩に乗っている気がする。その重さは、精神を媒介して、竜馬の脳に直接働きかけていた。この物語は、どう転んでも誰かが不幸になるように出来てしまったのだ。例えどう上手く立ち回ろうと、竜馬には全ての人を幸せにすることは出来ない。仲間を失った友人達。娘を失ったライドラック。ライドラックを止めたいロッカ。そして、自分とアリサ。だが、竜馬は船の部外者だ。自分と、その友人達の幸せは、例え相手を倒してでも、手に入れなければならない。
コンコン
「入れ」
ノックをすると、ライドラックの声で返答があった。ドアを開け、竜馬が中に入る。2面が本棚となった室内、1面は梯子ベッドの下が机になっている。ライドラックはイスに座り、来客へ目を向けた。
「何か?」
鋭い目だ。この男と、まともにケンカをしても、きっと勝てない。武器を持とうが、何をしようが、勝てる気がしない。だが、しっかりと言わなければならない。
「あんたと、話をしにきた」
目の下に、ライドラックの鼻面を捉えて、竜馬が力強い声で言った。
「ほう。何か話したいことでもあったか?」
「ああ、あるね。たっぷりとある」
机に上に手を置き、竜馬がじっとライドラックの目を睨み付けた。
「どんなに似ていても、一度失ったら戻らない物がある。なんのことだかわかるだろ?」
「いや。何が言いたい?」
この期に及んで、何も知らないふりをするライドラックに、竜馬が怒りを沸き起こした。
「アリサは、お前の娘じゃない」
その一言で十分だった。穏やかだったライドラックの表情が、急に険しいものへと変貌した。殺されるのではないかと、竜馬は恐怖を感じたが、逃げ出すわけにはいかない。逃げ出したくない。
「…その話を聞いたのか?いや、質問をするまでもないか。全てを知っているのだな」
予想に反して、ライドラックただ真面目な顔で、竜馬に言葉を返しただけだった。
「彼女は、私の娘にそっくりだった。生き写しだった。私としても、娘が生き返るこのチャンス、逃すわけにはいかないのだよ」
「でも、あいつは本当の娘じゃないだろう!生き返ったわけじゃない!」
「その通りだ。だが、それは大した問題ではない。私には、自己満足が必要なのだから。人を気にしている余裕もない。どうしても欲しい物は、奪わねば手に入らないのだ」
ライドラックが、視線を落とした。彼が何を欲しているか、竜馬にはよくわかった。そして、それが手に入らないということも。
「アリサの指輪を見たか?」
ライドラックの問いに、竜馬が首を縦に振った。
「あの指輪は、ジルコニアで出来ている。表面の模様は、娘の血液を材料にしたものだ」
竜馬が鳥肌を立てた。美しい模様だと、何の気なしに見ていたそれが、実は血液を使ったものだとは、にわかに信じられなかった。
「娘がまだ生きている頃、私にプレゼントをしてくれた、オーダーメイドの特注品だ。私の国では、血は人の価値に直結していると言われている。自分の血液…つまりは価値を一部、親しい人間に贈るという行為は、なんらおかしいものではないのだ」
かたん
机の引き出しから、ライドラックが銃を出した。見たことのない型の銃で、引っぱり出すタイプの電源ケーブルとプラグがついている。平和な日本に住んでいる竜馬は、それほど銃を知っているわけでもなかったが、それが少々特異なものであることはわかった。
「それは?」
いきなり撃たれるような気がして、竜馬が一瞬びくりとした。
「熱線銃の一種だ。が、壊れている。こいつは、数回に1回しか、熱線を出さない」
「壊れてる?そんなもの、何に?」
「私と勝負をしよう。いわゆるロシアンルーレットだ。偶然に頼るしかないこの状況で、彼女を賭けて」
熱線銃を右手に持ったライドラックが、軽く笑った。
「右手だ。右手に銃を持つ。これで、左の手のひらを撃ち抜く。数瞬ならば死にもしない、穴が空くこともない。ただし、火傷は免れないだろう。タバコの火などよりは、よほど高温なものでね。わかるか?」
左手を撃つ真似をするライドラック。銃が本当に壊れているかどうかはわからないが、だいぶ汚れ、表面のコーティングが剥がれてぼろぼろになっている。古い物ではあるらしい。
「君が先攻を取るか?」
ライドラックが銃を差し出した。竜馬は首を横に振る。
「ならば、私から行かせてもらおう」
机の上に置いた左手に向かって、右手の銃を突きつけるライドラック。彼は、何も言わず、引き金に指をかけた。
かちっ
引き金を引く音がした。ライドラックの手は、熱で爛れることもなく、きれいなままだ。どうやら、不発だったらしい。
「君の番だ」
銃を受け取った竜馬は、それを左手の平に向けた。緊張と恐怖の入り交じった、嫌な感覚が、竜馬の背中に貼り付いている。冷や汗が流れ、吐き気が止まらない。銃はずっしりと重く、それがおもちゃではないことを物語っていた。
「こんなやり方、間違ってる。正しくない」
かちっ
竜馬の指が、引き金を引いた。彼の手も無事だ。安堵の息が歯の間から漏れる。くるりと銃を回し、ライドラックに渡した。
「勝負をして、勝った方が賞品を得る。それのどこが、正しくないと言うのかね」
かちっ
「アリサは賞品なんかじゃない。勝負をする必要はないんだ。俺もあんたも、現実を見るだけで済む話だ。違うか?」
かちっ
「残酷な現実を変更したい。君もそうは思わないのか。その年なら学生だろう。テストの翌日にタイムワープしたいと思ったことは?」
かちっ
「ある。でも、それは意味のない妄想だ。不可能だよ。あんたは、自分の妄想で、人を不幸にしようとしてる。過去の話に身を縛られて…」
引き金を引くことが出来ない。竜馬の手が、だらんと下がった。相手を倒してでもなんて、思うんじゃなかった。こんなに苦い気持ちは、生まれて初めてだろう。
「もうこんなのはやめだ。やる前から結果は見えてる。勝っても負けても納得行かない」
もう、竜馬には銃を撃つことは出来なかった。彼はただ、悔しさに身を任せて、ライドラックと対峙しているだけだった。もっと自分に言葉があれば、彼に間違いを知らしめることが出来たかも知れない。だが、実際はこんな、勝者のないロシアンルーレットをするはめになっている。自分は、間違っていたのか。それとも…
「やはり、私たちの価値観は違っているようだ」
竜馬の手から、銃を受け取るライドラック。銃を握ったままの手を、机の上に置く。
「かたや、航空士。かたや、学生。噛み合う方がおかしいのかも知れない。私にも、君のような時期があったのだろうかな」
沈黙の時間が訪れる。目の前にいる男の姿が、なぜだかとても小さく感じる。身長や体格ではない、別の要素が、彼のことを小さく見せていた。今、ライドラックの胸にいるのは、過去の彼自身だろうか、それとも現在目の前にいる自分だろうか。ライドラックの、アリサと同じ青い目は、虚空を見つめたまま静止していた。
かちゃ…
ドアが開いた。中を覗いたのは、アリサだった。
「ひっ…!」
ライドラックの持つ銃を見て、アリサが小さく悲鳴をあげた。記憶を失ったとは言え、危険な物に対する知識までは失っていないようだ。
「アリサ…」
彼女の顔を見たとたん、竜馬は胸がいっぱいになった。彼女があまりにもかわいそうだ。なぜかわいそうに感じたかはわからないが、自分はアリサの分まで悲しむ義務があると感じた。
「本当に記憶、なくしちゃったんだなあ…お前…」
ぎゅっ
アリサの背中に腕を回し、抱きしめる竜馬。アリサは、身を固くして、竜馬の抱擁を受け止めた。
「今なら言えるよ。俺、お前が大事なんだわ。すっげぇ大事なんだわ。そりゃさ、うっとうしかったり、邪魔だったりすること、あるよ。でもよ、今のお前は、俺のすんげぇ「大事」なんだよ…なあ、前のアリサに戻ってくれよ、こんなことになるなんて、思いもしなかったよ…ちっともさ…」
ぐぐっと、胸を何かが押し上げた。苦しくなって、言葉が止まる。涙がこぼれそうなのをじっと耐える。ここで泣き始めたら、取り返しのつかないことになるような気がして、竜馬は必死に涙をこらえた。
「思い出せなくて…ごめんなさい…」
申し訳なさそうな顔をして、アリサが謝った。それすらも、今の竜馬には一押しになる。もう我慢できない、涙があふれて…
ず、ずうううううん!
「きゃあっ!」
大きく船が揺れ、アリサが足をよろめかせた。反射的に、アリサが竜馬に抱きつく。竜馬は一瞬、足の裏が浮いたような気がした。いや、浮いたような気がしただけではない。実際に浮いているのだ。
「う、うわー!うわー!」
さっきまで泣きそうだったことも忘れ、竜馬は情けない声を出した。体が浮いている。竜馬の周りを包む空気感までもがおかしい。完璧ではないが、無重力状態になってしまっているようだ。宇宙船の重力制御うんたらかんたらという技術について、竜馬は深い知識を持たない。それだけに、そのよく知りもしない物のさじ加減一つで、不安定な状態になるというこの状況は、非常に恐ろしい。
『船長!ブリッジへ!』
ライドラックの机についたスピーカーから、単語が2つ飛び出した。日本語ではなかったが、これぐらいならば竜馬にも理解が出来る。ライドラックはイスから立ち上がり、部屋を出ていこうとした。
「ま、待てよ!俺らは!?」
浮かび上がろうとするアリサのことを抱き留めて、竜馬が叫んだ。
「部屋に戻っていろ。話は後だ」
壁の手すりを器用に使い、ライドラックが廊下を駆けていく。
「俺らも行かないと…アリサ、行こう!」
壁に張り付いて、ふらふらしているアリサに、竜馬が手を差し出した。アリサは少しためらってから、左手で竜馬の手を取った。
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