あてがわれた部屋のベッドで、竜馬はぼんやりとこれからのことを考えていた。既に宇宙に出ているとは思わなかった竜馬は、窓の外を見て驚いた。そこには、夜空のような、黒く星の輝く空間が広がっていたからだ。夜空と違うのは、黒の質が違うところだろうか。星の輝きが、あまりにもくっきりと見える。こんな、時間の感覚がわからない状態でも、地球上で夜の時間になったら眠くはなる。、眠気を感じた5人は、それぞれベッドに入ったのだが、竜馬は寝付けなかった。
結論から言うと、竜馬はアリサと話さなかった。他の4人はアリサと話をしたらしい。しかし、彼女が本当に記憶を失っていると知り、かなりのショックを受けていた。彼女は、みんなのことも、今までのことも、全て忘れていたのだ。
『あれ、メールが来てる』
今まで心の余裕がなく、携帯電話をチェックしていなかった竜馬だが、今になってメールの着信を示すランプが点滅していることに気がついた。開けば、祐太朗からのメールだ。今自分がこんな状態になっていることを報せるべきだろうか。
『やめとくか…』
もし彼が、アリサの状態を知ったならばどんな顔をするかと想像すると、そんなことも出来なかった。よく見れば、携帯電話は圏外になっている。どのみち、返信は出来なかったのだ。圏外のとき、携帯電話は電波を探そうと必死になり、電池を多く消耗する。それを防ぐために、竜馬はモードの欄を開き、省電力モードに設定した。
メールを開き、読み始める竜馬。犬獣人の男性と偶然話した、という言葉で始まるそのメールは、彼の日常を描いていた。どうやら、運命がどうとか、芸術品がどうとかいう話をしたらしい。その男は、昔持っていた芸術品とそっくりの芸術品を一時的に手に入れて、手を加えて着服するかを悩んでいるという大筋だった。
『よくわからんなあ…つーか初対面の相手とこんな話するのか、あいつ』
ぱたん、と携帯を閉じる竜馬。本当ならば返信をしたいが無理だ。地球に戻ってからになるだろう。しかし、初宇宙だと言うのに、なんの用意もしていない自分が悔しい。こんな事ならば、もう少し考えて行動するべきだった。ここは人の船だし、逃げ場もない。もし自分が暴れ回るようなことをしたら、お互いが不利益を被るだけだ。幸い、想像していたほど凶悪な連中ではなかったようだし、このまま地球に戻る日を待つ手もある。アリサも、病院に連れていけばなんとかなるはずだ。
『りょぉまー、見てこれ!』
『くふふ、竜馬ったら』
『竜馬…大好きよ』
頭の中に、何度もアリサの顔が浮かぶ。いつもはうっとおしくて仕方がなかった。ただの友人。押し掛けられて、とても迷惑だった存在。なのに、今は…
『…だめだ、眠れねえ。なんなんだよ、この気持ち』
ベッドから降り、竜馬が部屋を出た。証明を落とした部屋の中とは違い、廊下は電灯がついている。薄っぺらいシートのような電灯が、天井にシールのように張り付いている。1枚だけ、今にもはがれそうなものがある以外、大して変わったところもない。行くところがなくなった竜馬は、宛も無しに歩き回る。船員室の長屋を抜け、シャワールームの前を通り過ぎ、食堂の横を歩く。と、リフレッシュルームのイスに、美華子の後ろ姿を見た。
「美華子さん」
後ろから声をかける竜馬。美華子はくるりと顔を回し、振り向いた。
「錦原。さっきまで、船員の人と話してたんだ。みんな、もう寝ちゃったけど」
からん、と音が鳴った。丸テーブルの上に、コップが乗っている。どうやら、中の氷が鳴らした音らしい。
「それ、お酒?」
「違うよ。お酒は飲まない。ちょっと、喉が乾いてね」
竜馬が美華子の向かい側に座った。彼女は、顔の前にコップを目の高さに持ち上げ、口をつけた。
「俺ももらっていいのかな…」
「いいんじゃない?そっちの冷蔵庫の、右側の瓶は自由に飲んでいいってさ」
戸惑う竜馬に、美華子が冷蔵庫を指さした。上には白色のカップと、ガラスのコップが並んでいる。ここも、無重力になっても破損しないように、しっかりと固定がしてあった。
「じゃあ、遠慮なく」
ガラスのコップを手に取り、冷蔵庫を開ける竜馬。右側に並ぶ、よくわからないラベルの中から、飲めそうな焦げ茶色の飲み物をとりだし、コップに注いだ。軽い空腹を感じている。何もないよりは、飲み物があった方がいい。夕食に出された、食べたことのない料理は、地球の料理をアレンジしたものだという話だ。食材は地球のものを使用しており、すこぶる美味だった。もし機会があったら、自分で作ってみたいとも、竜馬が思ったくらいだ。
「…流れとは言え、大変なことになったね。現実感ないよ」
ことん、と美華子がコップを置いた。
「うん。今でも、ここが宇宙だなんて信じられん。デッキに上がれば、夜風を浴びられる気がする」
飲み物を飲む竜馬。かなり苦い味が口の中に広がる。匂いを嗅いで、竜馬は納得した。どうやらアイスコーヒーを選んでしまったらしい。多少ミルクは入っているようだが、舌には優しくない。
「しかし、錦原も人がいいよね。いくら友達のためって言っても、ここまで来るなんて」
美華子が冗談めかした口調で言った。
「それは美華子さんだって同じだろ?俺だけじゃないさ」
「私は流れで。正直、今の状況だって楽しんでるし」
「はは。美華子さんって、結構傍観的だよね」
ぐい、とまたコーヒーを飲む竜馬。やはり苦い。コーヒーの味はまだ自分にはわからない。大人になればわかると、幼少時から言われていたが、きっと大人になってもわからないだろう。
「私の使ってるダーツガン。あれさ、ぴったり銃口つけて撃っても、下手するとバルサ板にも刺さらないようなおもちゃなんだよね。矢だってプラスチックの筒みたいなもんだし。でも、あれをくれた城山と、あれを直してくれた真優美の気持ちが入ってるから、大事なおもちゃなんだよ」
美華子の顔は、少し寂しそうだった。城山、ああそんなやつもいたなと、竜馬が思い出す。美華子に惚れて、告白しておきながら学校を辞めていった同級生。今はどんなところで何をしているかもわからない。ダーツガンは、彼が設計して作ったものだった。
「小さい頃さ、ミュージシャンになりたかった。兄貴がギター持っててね。気がつけば弾けるようになってて。でも、もうたぶん無理だよね。今は目標もあんまなくてさ」
ぽつり、ぽつりと、一語一語ゆっくりと吐き出しながら、美華子は話を続ける。
「なんかさ、よくわかんないんだよね。恋愛とか、将来とか。怖いし。でもさ、元気あるやつ見てると、元気になる。アリサとか、見てて元気になるよ。たぶん、アリサに話しかけられなかったら、友達もあんまいないまま、ぼーっとした1年送ってたと思う」
最初、美華子に話しかけたのは、アリサだった。竜馬、修平、真優美、そしてアリサの4人は、入学式当日にいつの間にか仲良くなっていた。だが、美華子は違う。アリサがなくし物をしたとき、それを届けてくれたのが美華子だった。最初の美華子は、関係ないという言葉をよく言っていたと、竜馬は記憶している。今はすっかり仲もよくなり、あまりそんなことも言わなくなった。
「悔しいよね。仲よかったはずなのに、何も出来ないって。アリサ、薄情だよ。私なんかよりずっと」
ぐらり、と美華子の顔がゆがむ。今にも泣きそうな彼女の顔は、やりきれないといった様子だった。
「…ごめん、愚痴言った。少し疲れてるっぽい」
「いいよ。俺も同じ気持ちだしね」
美華子の謝罪に、竜馬が優しく応える。コップの中身を飲み干した美華子は、イスから立ち上がり、使用済み食器の置かれている、簡易な流し台にコップを置いた。
「もう寝る。ありがと。じゃあ」
ふらついた足取りで、美華子はリフレッシュルームから出ていった。後ろ姿を見届けた竜馬が、コーヒーを一息に飲む。自分も部屋に戻ろうと、立ち上がった時。リフレッシュルームのドアが開いて、女性が一人顔を出した。
「ロッカ、さん」
白い肌の爬虫人。副官のロッカが、悲壮な面もちでそこにいた。細い腕が、胸の前で組まれている。
「…あなたに頼みがあります」
ロッカは、目を伏せ、言葉を絞り出した。
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