竜馬は焦っていた。この船の中に、アリサがいるのは確実だ。例えアリサが竜馬にとってよくないことをしても、アリサはアリサだ。他の誰にも代えることの出来ない、大切な友人だ。もう一度彼女にあって、そして彼女を連れ戻さねばなるまい。
気絶していた竜馬が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。他のみんなの話を統合するに、どうやらここは船倉のようだ。あの後、複数の船員が一同を拘束し、ここに入れられたとの話だ。みんな多かれ少なかれ傷を負ってしまった。このままではアリサが危ない。だが…
「匂い付き消しゴムの匂いって、あたしだめなんですよねえ。だから、文房具屋の匂い付き消しゴムのコーナーがきつくて…」
「あー、わかる。私は逆に油性マジックの匂いとか好き」
だが、しかし。一緒に捕まった友人達は、他愛のない世間話に華を咲かせ、竜馬の思惑など知らないままだった。
「…みんな、よくこの状況でそんな話出来るね。俺ら、捕まってんだぜ?」
涌き上がる怒りと焦燥感を無理に押さえ込み、竜馬が言った。まだ鳩尾が痛い。軽く空腹だったのが、あの一撃をもらった後から、なくなってしまった。
「不安は不安だが、芝居のシチュエーションだと思えば楽なものだ。私が芝居に出る時は、大体半月から1ヶ月、同じ劇を練習する。これでも、芝居をやるには短いんだよ。短期間にすぐ修得出来るように、状況を切り替える能力は付けてるのだ」
ぺったんと、恵理香が尻尾を振る。なぜだかいらついた竜馬は、この尻尾に噛みつきたくなったが、それではアリサと同じだと思い、何もしなかった。
「慌てても仕方ないしね。武装解除はされてないし、暴れようと思えば暴れられるし」
美華子が、腰に差してあった2挺の銃をくるくると回した。ダーツガンの弾は、もう残り少ないようだが、レーザーガンのバッテリーは残っているという話だ。
「美華子さんも殴られたんだろ?大丈夫なのかよ」
心配になった竜馬が聞いた。確か彼女も、廊下に倒れていたはずだ。
「私は殴られてないよ。スタンガンを受けただけ。もう平気」
さらりと言う美華子。どうやら彼女は、多少の痛みは容易に耐えられるらしい。確かに今までも、竜馬なら泣いているような痛みを、何でもないような顔で受け流す場面があった。
「それより、問題は…」
真優美が船倉の隅に目を向ける。コンテナによりかかり、修平が虚空へ目を彷徨わせていた。
「大丈夫か?」
修平の目の前で、恵理香が手を振った。
「ああ、俺のスクーター、大丈夫かな。ちくしょう、だから空を飛ぶなんてやだったんだ…もし何かあったら、2ヶ月の努力が水の泡だぜ?ちくしょう、恨んでも恨みきれねえぜ…」
ぐすぐすと鼻を啜る修平。6ケタもする買い物をしておいて、それがすぐにお釈迦になるという状況は、かなりのショックだろう。自分のせいでもないのに、竜馬は申し訳ない気持ちになった。
ぐうううう
「あう」
真優美の腹から、情けない音が聞こえた。アリサが心配だったせいで、真優美は通常の半分程度しか食べていないのだ。やはりあの量では無理があったのだろう。とは言っても、通常の成人男性ほどは食べているのだが。
「お腹空いちゃった…ご飯とか持ってこないのかなあ?」
真優美が、犬耳をぺたっとドアにくっつけた。その顔が、いきなり真剣になる。
「どうした?」
「声が…」
横に来た恵理香に、真優美が言う。恵理香も真優美に倣って、耳をドアにくっつけた。
「…会話だな。何を言っているかわからん」
恵理香が呟いた。竜馬も横に行き、耳をくっつける。何語だかわからない言葉が、ドアの外で流れている。女性の声と男性の声だ。
「レーダーが壊れてる様子で、接触寸前の事故が起きた…今月に入って2度目…古い、姿勢制御装置が、修理するには…」
外の声に合わせて、真優美が物を言う。
「真優美ちゃん、わかるのか?」
驚き顔で修平が聞いた。
「だってあたし、向こう生まれですもの。普通の公用語は使えますよぉ?スラングとか固有国語とかは無理ですけどね」
さらりと真優美が言う。
「俺らで言うと、エスペラント語は話せても、日本語が話せないようなもんか」
修平が頷く。そういえばそうだった、と竜馬は思いだした。彼女は真優美などという、日本語風の名前なのに、元は異星から来ているのだった。逆に、アリサは外の名前に近いのに、日本で生まれ日本で育っている。よくよく考えれば、アリサは漢字では、亜里砂などという文字に直せるし、日本風の名前なのだろうか。
「ああ、会話がとぎれちゃった。どっか行っちゃったみたいですねえ」
残念そうにドアから耳を離す真優美。いつまでここに閉じこめられていなければいけないのだろうか。トイレも娯楽もない部屋に。竜馬は心配になって、がっくりとうなだれた。
がーっ
ドアが開く。びくっ、と体を震わせ、一同がドアの方を向く。立っていたのは、アリサを連れ去った白蛇の女性だ。さっと竜馬が立ち上がった。
「あー、あー、えーと…」
真優美が女性の前に立ち、何事か言った。竜馬はそのほとんどを聞き取れなかったが、教科書に載っていたような単語だけは聞き取れた。友達がどうと言っている様子だ。
「大丈夫、日本語が使えます。私は副長のロッカ。まずは、あなた達がこの船に来たであろう理由…それから、解決させてください。委細は既に承知しております」
冷淡に言い放つ女性。彼女からは敵意を感じない。ちらりと仲間を見る竜馬。美華子はポケットの中で銃を握りしめているし、恵理香はすぐに飛びかかれるように体を低くしている。ここで何か暴動を起こしたとて、事態が改善するとは思えない。
「と、その前に。武装解除にご協力お願いいたします」
ロッカが手を出した。その手に、武器を渡せということなのだろう。一同の目が、美華子に行く。この中で武器を持っているのは彼女だけだ。
「…丁重に扱ってよね。私の大事なんだから」
美華子は渋々、2挺の銃を取り出し、ロッカに渡した。
「では行きましょう」
ロッカが銃を持ったまま部屋から出る。竜馬は、どうなるかわからないまま、歩き出した。
まず5人が通されたのは、食堂だった。キッチンには、2人の女性がいて、入ってきた竜馬達にコップと何かのジュースを渡した。敵意のない、とても快活な笑みを浮かべる女性達に、竜馬達は緊張をほぐされて、ようやく精神的に落ち着いた。
「美味いな。初めて飲むよ」
コップの中の黄色いジュースに、恵理香が舌鼓を打った。
「うん。なんのジュースだろうね」
竜馬もそれに同意する。オレンジジュースのような、透明度の低い飲み物ではなく、ビールのように半透明だ。
「ふぅ…ちゃんとアリサを連れ戻せるのかな」
中をちらちらと気にして、竜馬が言った。これで無事アリサが戻ってこればよし、そうでなければまた何か考えるだけだ。
「うーん…」
不安げな顔で、真優美が唸る。
「どうかした?」
「え?ええ。ただちょっと、考えてて…」
美華子に聞かれて、いつもは立っている耳を、真優美が伏せた。
「あたしたちは、アリサさんを追ってここまで来たんですけど〜…帰れないんじゃなくて、帰りたくない理由があるとしたら、どうでしょう?」
「帰りたくない?どっちにしろ変わらないよ。尻ひっぱたいて連れ戻すだけだ」
突拍子のない意見に、竜馬が眉根をしかめる。
「でも…そんな無理して連れ戻して、何かいいことがあるんでしょうか?」
苦しそうに、真優美が言う。その顔は、本当に苦しそうで悲しそうで。竜馬は、真優美が泣いてしまうのではないかと、心配した。
「だって…竜馬君のことを知らないふりをしたんでしょう?思い出せないって言って泣いたり…アリサさんって、案外演技派じゃないですかぁ。もしかすると、その爬虫人の人…さっきのロッカさんでしょうけど、あの人と仲良くなって、今の生活が嫌になったのかも知れません。そうしたら、一概に連れ戻すことが正しいとも言えないわけで…それから…えーと、ええと…」
必死になって、真優美が言葉を探す。
「言いたいことはなんとなくわかるよ」
真優美の方を見ることなく、修平が返答をする。
「そうだとしたら、アリサは勝手だと思う。いきなり姿をくらませるような真似をして、人に心配をかけたんだ。今の生活が嫌になったなら、俺達を説得するなり、親に何か言うなりして、打開するべきだよ。いきなり遠いところにいくなんて、ずるすぎる」
一息に、竜馬が言葉を繋いだ。例え、何かがきっかけで今までの人生を捨てたくなったとしても。その人生と交わって歩いている人々がいる。友人であったり、両親であったり、同級生であったり。彼らは、その人生を自分の道の一要素として考えている。それなのにいきなり消えるなんて、あまりにも自分勝手だ。
「そういって、実はいないと寂しいんだろう?」
恵理香がからかうように言った。口調はからかい混じりだが、顔は柔らかい笑いをたたえている。
「まあ、ね」
恥ずかしくなった竜馬は、話を終わらせて、ジュースをまた口に含んだ。
がーっ
「待たせてすまない」
食堂のドアが開いて、男が入ってきた。先ほど、竜馬が拳を交えた、大柄な獣人男だ。また戦闘になるのではと、竜馬は軽く身構えた。
「まずは、非礼を詫びよう。だが、人の船へ勝手に入ってきた君たちにも、もちろん非はある。理解してくれ」
竜馬達の座っているテーブルの横に、男が立った。
「ライドラックと言う。この船をまとめるリーダーをしている。まずは、君たちがあいたがっている彼女にあわせよう。ついてきたまえ」
ライドラックが腕を軽く振る。竜馬はジュースを飲み干し、その後に続いた。それほど広くない廊下を、6人が一列になって歩く。内装は、通常の海を行く船舶とそっくりで、SF的な内装もなければ天井や壁に無駄に線が走っていることもなかった。ただ、無重力になることを想定してか、左右にはちゃんとした手すりがつけられて、時折シートベルトのような固定帯が装備されている。
「ここだ」
ある部屋の前でライドラックが立ち止まる。引き戸を開くと、消毒用アルコールの臭いが漂った。どうやら医務室らしい。6畳もない狭い室内に、2段になったベッドと薬品棚、そして机がある。薬品棚は、薬品が転がったり飛び散ったりしないよう、瓶を壁に固定出来るような仕組みになっている。その様相に、竜馬は銃弾が整然とマガジンに収まっているところを連想した。
「アリサ…?」
こわごわと、美華子が言った。薬品棚に注意が行っていた竜馬が、ベッドの方へ顔を向ける。白いカーテンで、半分覆われたベッドには、アリサが横たわっていた。よく寝ている様子で、規則正しい寝息が聞こえる。金色の髪が、いくつにも分かれる川の流れのように、白いシーツに広がっていた。
『ん…?』
アリサの中指に、白い指輪があることに、竜馬は気がついた。一見して陶器か何かのように見えるそれは、表面に赤黒く模様がついている。線を曲げたような、アール・ヌーヴォーに通じる模様に、竜馬は一瞬目を奪われた。
「健忘症だ。今まで生きてきた生活の記憶がなくなってしまっている」
枕元のイスに座るライドラック。その目が、寝ているアリサの顔を見つめる。
「そんなバカな…健忘症って、要するに記憶喪失だろ?」
修平が、信じられないといった様子で、つぶやいた。普段、健全なアリサしか見ていないのだから、この反応は当然だろう。記憶喪失と聞いて、竜馬はようやく納得した。こういう理由ならば、彼女が竜馬を認識しなかったのも頷ける。
「つい先日、他の宇宙船とのニアミス事故があった」
ざわめく少年少女を前に、ライドラックが話を始めた。
「避ける際、無理な逆噴射で船が揺れ、彼女は頭部を強打した。その時に、今までの記憶をほぼ全て失い、右手が動かなくなった」
「右手が?二重苦じゃない」
悔しそうに、そして悲しそうに、美華子が唇を噛む。
「実際、記憶障害が起きるほどの脳ダメージは、体の方も悪くする可能性があるんだって。俺、聞いたことあるよ」
寝ているアリサの枕元に立つ修平。横に竜馬が並ぶ。まるで、王子様のキスを待つお姫様のようだ、と竜馬は思った。彼女相手にロマンスを感じるなど、今までなかったことだ。
「そういうことを言ってるんじゃないだろうに。わからないのか?」
修平の言った言葉に、恵理香があからさまに嫌な顔をした。
「ただ、そういうこともあるよってだけで…そんな言い方やめてくれよ。困るわ」
「やめるも何も、いつも通りの場違いな発言に、腹が立っただけだ。前からずっとそうだ。お前は、いつも言うことがずれている。緊張感がない。腹が立つんだ」
「なんさ、それ。俺がふぬけた顔してるとでも言いたいわけ?いつもって言うけど、腹が立ったなら、その場で言うのが筋だろ。そうしたら俺だって改善のしようがあった。前からって、過去のことを引き合いに出すなよ。後出しじゃんけんなんて卑怯すぎる」
「だから言っただろう?もっと細かく言うか?場違いな話を始めるな。つまらん知識をひけらかすな。誰もお前に聞いてはいない」
恵理香と修平の間に、凍り付いた空気が漂う。竜馬は、心の中でおろおろし始めた。いつもは仲がいいはずの友人が、ケンカをしている。どうすればいいかわからない。
「や、やめてくださぁい…」
今までだんまりを決め込んでいた真優美が、涙を目に滲ませながら、2人の間に入った。
「ケンカ、しないでぇ。今、一番辛いのは、アリサさんでしょう?なのに、そんな、つまらない、ことで…え、えぐ…ひっぐ…」
とうとう真優美が泣き始めた。いつも彼女はこうだ。人の悲しみも、自分が背負ってしまう。みんな仲良くないと、困った顔をして、苦しそうになる。きっと人一倍優しいのだろう。泣きじゃくる真優美を軽くハグして、美華子が頭を撫でる。
「…すまない。思ってもいないことを言った」
「俺こそ。これから気を付ける」
恵理香と修平は、お互いに目をそらし、謝罪の言葉を口にした。一番辛いのはアリサ。確かにその通りだろう。最も、本人は記憶をなくし、つらいとすら思えないかも知れないが。
「…この船は、君たちの知らない間に、既に宇宙に出ている。数時間から数日で、また日本へ戻ろう。そのときに、帰ってもらう。彼女と話すのは勝手だが、記憶を失っていると言うことだけは忘れずに」
椅子から立ち上がったライドラックは、人をかき分けてドアに手をかけた。竜馬が目をこする。その背中に、何か悲しそうな心が見えたのは、自分だけだろうか。わからないまま、竜馬はライドラックの背中を見送った。
前へ 次へ
Novelへ戻る