「…ここか」
ざっ
高い管制塔のある、塀で隔てられた港の前に、竜馬が足を止めた。ついさっきのメールでは、美華子がここに入り込む車に、竜馬の言っていたらしい爬虫人女性と共に、アリサらしき姿を見たらしい。らしき、とついているのは、相手が車両に乗っていて、しっかり確認できなかったからだ。車の窓越しなので、確実ではないが、カンフー服のような服を着用していたと電話越しに聞いて、それはアリサであると竜馬は確信した。
「来ましたね」
通行人のふりをして、自然に散っていた真優美が、竜馬の元へ来た。
「どうやらここは、普通の港みたいですねえ。あんなに宇宙船が並んでるの、あたし久しぶりに見ましたよぉ」
この期に及んでも、真優美は深刻な顔をしておらず、楽観的な態度を取っている。緊張して、体が固くなっていた竜馬は、そんな真優美を羨ましいと思った。
「他の人は?」
「みんな、中へ入って行きました。修平君と美華子ちゃんはケンカ腰だったんですが、恵理香ちゃんが止めまして…話し合いでなんとかするって…」
竜馬に真優美が状況を説明した。自分が遅れて来たような気がして、竜馬がどきりとする。
「俺達も中に入った方がいいんじゃないのかな。相手と…」
ぼぉん!
港に、剣呑な音が響き渡った。竜馬と真優美が顔を見合わせる。2人が取った行動は、ゲートから中を覗き込むというものだった。
「うわ…」
入って左側の、一番端に駐機している船の前で、何かが燃えていた。黒煙がもうもうと沸き上がる。停めてある軽トラックから、男が2人降りた。が、肝心の3人の姿がどこにも見えない。
「…これが話し合いねえ」
乾いた笑いが、竜馬の顔に張り付いた。
「何か手違いでしょうか。それとも、あの爆発は関係がないとか…」
真優美が心配そうに言った。その真優美の言葉を否定するように、修平と美華子が転がり出てきた。後ろを、別の男女が追いかけている。先ほどトラックを降りた2人がそれに加わり、計4人の男女が2人を追い回し始めた。
「なんだっけ、大泥棒が毎回とんでもないお宝を盗むアニメ?あれに似てるよな」
現実感のないその光景に、竜馬がぽつりと呟いた。
「そんなこと言ってる場合ですか!」
「ご、ごめん。でも、どうしたらいいか…」
「助けに行くんですよ!話せばわかってくれますから!」
竜馬が止める間もなく、真優美が駆けだした。折しもその時は、ゲートにいるはずの守衛がいなかった。交代の時間か、もしくは勤務時間中に席を外しているのか。どちらでもいいが、これは好都合だ。
「あいつら、どこまで行くんだ?」
追いかけられて逃げる2人を追う竜馬。どんどん、海側に逃げていく美華子と修平だったが、とうとう船と陸を繋ぐ桟橋に乗った。4人の男女が、それを追いかける。
「あの船にアリサが?」
「みたいですね!」
竜馬と真優美が近づく間に、修平と美華子は船に乗り込んだ。甲板で何かをしていた男が立ち上がり、2人を止めようと立ちはだかる。修平はその男に、大きく足を回した回し蹴りをぶち込んだ。かなり威力があったらしく、遠目にも受けた男が吹っ飛ぶのが確認できる。男は甲板にしたたかに体を打ち付け、動かなくなった。
「ひっでぇ、ケンカになってるじゃねえか…」
取り返しのつかないことになった、と竜馬が顔を青くした。もしこれで冤罪だったら、竜馬達が危ない。その心を知らずに、桟橋方面から追いかける4人の方に、今度は美華子が銃を向けた。右手は、真優美製作の高温レーザーガン。左手は、ある人物から譲り受けた、ダーツを発射するダーツガンだ。常日頃から銃を持ち歩いているのか、などという突っ込みをしたかった竜馬だが、口を開きかけてそれをあきらめた。どうせあそこまで声は届かない。どうなっているかはよく見えないが、美華子は引き金を引いているらしい。追いかける動きが止まる。
「あ!」
真優美が叫ぶ。出入り用のハッチを無理矢理開けた修平が、中に転がり込んだ。美華子もしばらく銃を撃っていたようだが、修平の後に続いて中に潜り込む。宇宙船のハッチは、潜水艦のハッチに形が似ている。映画などで、ハンドルを回して機密扉を開くシーンを見ていた竜馬だったが、どうやらあれはハンドルを回さないでも開閉が出来るらしい。
「あいつら、何や…って…」
追いかけていた4人が甲板に乗ったとたん、桟橋がぐらりと揺れて外れ、海に音を立てて落ちた。甲板上のウィンチが回り、落ちた桟橋を回収している。船がゆっくりと動き出す。
「やべえ、行っちゃうじゃん!マジかよ!」
叫んだところで、船の出航が止まるわけではない。船はどうやら、洋上に出ようとしているような動きをしている。このまま出られたら、アリサどころか修平と美華子も危ない。
「ちょっと、外します!」
「え?あ、真優美ちゃん?」
何を思ったか、真優美はゲートに向かって、一目散に戻り始めた。真優美の後を追おうか迷った竜馬だったが、今は先に行ったみんなを追う方が先決だ。足を止めることなく、船の方へ向かう。
「マジかよ…」
先ほどまで船が留まっていたところで、竜馬は立ちつくした。沖、5メートル程度のところに、船が浮かんでいる。飛べば届く距離だろうか。と、船が水上用のスクリューを回し、回頭し始めた。
「あ!」
このままじゃ遠くなる。何か無いか、と港の方へ振り向いたとき、竜馬はトラックの横に何かが寝そべっているのを発見した。否、寝そべっているわけではない。恵理香が、うつぶせに倒れている。
「恵理香さん!」
倒れている恵理香を抱き起こす竜馬。恵理香は目を閉じていたが、竜馬に揺さぶられ、うっすらと目を開けた。
「いたたた、あーもう…どうなった?」
どうやら、恵理香は気絶していたわけではないようだ。何か強い衝撃を受け、体が動かなくなっていたらしい。
「船が出航しちまった。中に修平と美華子さんがいる」
竜馬が肩を貸し、起きあがらせる。
「…ああ、行ってしまう…」
気落ちした様子で言う恵理香。その台詞回しが、どこか芝居がかっていて、竜馬はこの場面に現実感をなくした。まるで、映画かドラマでも撮影しているかのような気分だ。今、どこかから監督を名乗る男がやってきてカットと叫んだとしても、竜馬はその指示に従っただろう。だが、そんな竜馬の曖昧な気持ちさえ吹き飛ばす物を、真優美が持ってきた。
「お待たせしましたぁ!」
真優美が引いてきたのは、修平の乗っているスクーターだった。周りには、よくわからないごちゃごちゃした機械が着いている。羽が片側2枚で左右で4枚、エンジンに直結した何かが後ろの方へ伸び、後部には長いプロペラがついている。
「…マスリさん?コレは一体、何でございましょうか?」
どこかのホテルマンのような口調で、竜馬が改まって聞いた。
「こんな事もあろうかと、修平君のスクーターをフロートタイプに改造してたんですよぉ」
「そうじゃないだろ!本当に飛ぶのかよ!」
「飛びますよ。竜馬君だって、あたしがパーツ作ってるの見てたでしょう?」
真優美は、自分の発明を信じて疑っていない様子だ。なぜ竜馬が恐怖で引きつった顔をしているのか、なぜ恵理香が泣きそうな顔で耳を伏せているのか、全くもって理解出来ていない。
「さあ、乗ってください。あそこまで、飛ばしますよぉ!本当の意味で!」
キーを回し、真優美がエンジンを始動した。キーについているキーホルダーは、修平が仲の良い女先輩からもらったものだと言う。この鍵をどうやって手に入れたかは知らないが、このことを修平は知っているのだろうか。
「早く!行っちゃう!」
恵理香と竜馬を、半ば無理矢理スクーターに乗せる真優美。3人分の重さを受け、スクーターのタイヤが沈む。前には真優美が立ち乗りで、座席には竜馬が座る。その膝の上にまたがるように、恵理香が乗り込んだ。
「行きますよぉ!」
ブロロロロ!
スクーターがゆっくりと発進した。ぐらりと恵理香が揺れ、竜馬の顔に背中が当たる。
「やばいやばいやばい!恵理香さんやばい!」
「ど、どうした?何がやばいんだ?」
竜馬のせっぱ詰まった声に、恵理香が戸惑い気味に返事をする。
「やっ、柔らかい!え、恵理香さんの尻尾とか、背中とか、お尻とか!うあ、やばい!」
半分パニックになっていた竜馬は、考えていたことを素直に言い放った。だって男の子だもんという言い訳が頭の中でぐるぐるする。
「貴様ぁー!この忙しいときにスケベなこと考えるんじゃあない!千切るぞ!」
「最っ低です!竜馬君最っ低です!死んじゃえ!」
女性2人が、竜馬のことを悪し様に罵った、その瞬間。
がくん!
「うわ!」
スクーターが海上へ飛び出した。恐怖感に、竜馬が必死に目をつぶる。がちん、と音を立てて、真優美が手元のレバーを切り替えた。エンジンの回転音が弱まり、また高くなったかと思うと、竜馬の後ろにあったプロペラが高速で回転し、スクーターを上へと持ち上げ始めた。
「う、嘘だー!飛んでる!飛んでるぅ!」
恵理香も飛ぶとは思っていなかったらしく、黄色い声を揚げる。スクーターは、さらにエンジンを高速で回転し始めた。車体がぐんぐん前に進む。細い線のようなプロペラが、今あるプロペラの羽から生え、羽の長さがさらに大きくなった。扇風機の化け物のような音をたてて、スクーターが飛ぶ。背中が削られないように、竜馬は必死に前に掴まった。
「降ります!つかまって!」
船を3メートルほど下に見たスクーターが、がくんと機首を下げた。そのまま、ぐんぐんと船が近くなる。
どがっ、がしゃーん!
スクーターは船の甲板にぶつかり、動きを止めた。乗っていた3人が、転がり落ちる。
「いたた、いたぁい…」
真優美が背中を押さえて立ち上がった。恵理香の方は、先ほどのダメージと併せて、体が動かなくなってしまった様子で、声もなく呻いて丸まっている。先に中に入った修平と美華子が心配になり、痛い体を無理に動かした竜馬は、ハッチを開けて中に転がり込んだ。
「うう…」
幅2メートルほどの狭い廊下が広がっている。そこに、美華子と修平が倒れていた。行く手を阻むように、大柄な狼獣人の男が、悠々と立ちはだかっている。身長はかなり高く、鋭い目は映画などで出てくるアサシンを連想させた。
「やられたよ…気ぃつけろ、あいつ強いぜ…」
腕を押さえ、起きあがろうとした修平が、またがくりと倒れた。親しい友人が、こんな目に遭ったというだけで、竜馬が怒りを興すには十分だった。
「今日は客が多いな…」
日本語で、獣人が呟く。竜馬は、ファイティングポーズを取り、床を蹴った。
「うるぁ!」
ばしぃ!
容赦のない、右ストレートを、竜馬が男に突き出した。男はそれを見切り、左の手のひらで受け止める。ばっ、ばっ、と左右の拳を何度か出すが、それはことごとく見切られて、受け止められた。バランスを崩した竜馬は、後ろに一歩降り、そこから足を突き上げる蹴りを放った。
「ふん」
手のひらを下に向けた男が、足を受け止めるて捕まえる。片足立ちの状態になった竜馬は、男の支配を逃れようと足をばたつかせる。ずるっと靴が脱げて、竜馬の足が自由になった。
「うぉらぁ!」
剣道の経験を生かし、竹刀を振る要領で、両手を組んで上段から打ち付ける。前に倒れるように勢いをつけたその拳は、男の鼻先だけかすめ、するりと避けられてしまった。
『そうだ、尻尾を…』
獣人の弱点は尻尾だと、竜馬は思いだした。前に、アリサの尻尾を踏んづけて、ひどいことになった記憶がある。なんとか後ろに回り込めれば。そうすれば勝てるはずだ。じりじりと、竜馬が間合いを計る。
「…素人であろうと、敵意を持つならば反撃はさせてもらう」
す、と男の右足が動いた。今ならチャンスだ。動きを認識した、その刹那のことだった。
がっ!
「あ…!」
男の蹴りが、竜馬の鳩尾にいとも簡単に突き刺さった。肺から全ての空気が抜け、竜馬は胃の中身がこみ上げるのを感じた。そうだ、尻尾ねらいなんて技、通るはずがなかった。体こそ育ってきたものの、竜馬はまだ高校生。巨体を持つ獣人相手に敵うはずがなかったのだ。
「竜馬くぅん!」
後ろで、泣きそうな真優美の声がする。耳鳴りがして、竜馬は床に倒れ込んだ。血が逆流する感覚。体が痺れ、眼球すら動かない。そのまま、床が冷たいと思う間もなく、竜馬の意識は暗転した。
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