その日、獅子獣人の少年である西田祐太朗は、実家のある埼玉から、東京都の中心部まで来ていた。彼がここまで来たのは、古い友人にあうためだ。小学6年のころ、仲がよかった友人。今では祐太朗も彼も、しっかりと高校に入学し、高校1年の同級生である。
 祐太朗が待ち合わせに選んだのは、駅前にある何の変哲もないコーヒーショップだった。昼下がりのコーヒーショップは、一杯の休息を求める人々でごった返している。店内はコーヒーと焼きたてパンのいい匂いが漂い、喧噪がクラシック音楽のBGMに入り交じる。
 そんな中、祐太朗はあくまで優雅に、カップのコーヒーを口にした。獣人の基準でもそうでなくても、好男子の部類に入る彼は、こんなつまらない動作でも華麗に感じる。窓際の席で、友人が来たらすぐに見えるようにしておいて、彼はゆったりとコーヒーを味わった。
 もし見えざる手が、彼に嫉妬の一撃を食らわせたとしても、イケメン税だ仕方ないさと言えるだろう。有名人に有名税があるように、美男子にはイケメン税があってもおかしくはない。
「遅いな…」
 腕につけた時計を見て、祐太朗が呟いた。友人がいつまで経っても来ない。といっても、まだ15分ほどしか待っていないが。早め早めの行動を心がけている彼が、この店に入ったのは、待ち合わせ時刻の15分前だ。
 勝手に待っていたのだから、と言われればなんとも言いようがないが、時間には厳しくあるべきであるという彼のポリシーからして、待ち合わせ時間に遅れるという愚行は到底理解出来るものではなかった。相手を待たせるから、というのもあるが、一番は自分が嫌な気持ちになるからだ。かといって、人に待たされるのも面白くはない。
『こういう思考を、自分勝手と言うのだろうね。自分で自分にそんなことを思っても仕方がないけど』
 苛立ち気味の心を抑え、祐太朗が窓の外を見る。先ほどまで曇っていた空が、今はすっかり晴れている。春の日差しが心地よい。このままここにいたら、眠くなってしまうことだろう。
 この店を選んだのは、美味いコーヒーが飲めるからだ。祐太朗はココアもジュースも好きだが、コーヒーが一番好きだ。新興のコーヒーチェーンなどでは、コストを安くするために不味いコーヒーを出すところがあるし、ひどいところになると紙コップでコーヒーが出てくる。コーヒーにこだわりを持つ祐太朗としては、紙コップコーヒーは遠慮したいし、同じ飲むならば、少しでも美味いところがいい。白いカップに入った暗褐色の液体を眺めて、祐太朗が恍惚の表情を浮かべた。
「ここは空いているか?」
 太い男の声が耳に響き、祐太朗が振り向く。いつの間に後ろに来たのか、大柄な獣人男性が立っていた。外見を一言で言うならばグレーハウンド。狐か狼か、肉食系の獣人で、身長が高い。男性はトレーを持って、祐太朗の横の席を指さしている。
「ええ、どうぞ」
 祐太朗が返事をした。男性が一礼をして横に座った。どうやら、店の中は満員で、他に席はなかったようだ。
『空いているか、じゃなくて、空いていますか、だろうに…外国人かね』
 待たされていらつき気味の祐太朗が、横目でその獣人男性の動きを追った。コーヒーを飲む姿が、まるで外国人俳優のようだ。ロマンスグレー、という言葉がよく似合う。ナルシストで、自分が美しくあるために努力をしている祐太朗だったが、この男には負けた気がした。
「おっと」
 祐太朗が手に持っていた携帯電話が落ちた。イスから降りて、手を伸ばそうとした祐太朗。と、携帯電話を男性が拾い上げ、祐太朗に手渡した。
「ありがとうございます」
 お礼を言った祐太朗が、携帯電話をテーブルの上に置いた。
「君は、こちらへ来てから長いのか?」
 かなり上手い日本語で、男性が祐太朗に聞いた。
「僕は日本生まれの日本人です。あなたは外国人ですか?」
 普段、人に話しかけられたらそうするように、祐太朗が話を繋いだ。
「ああ、この国の人間ではない。日本人だとは、勘違いをして済まなかったな」
「いいんです。この外見ですから、異星人と思われることが多いのも仕方がありません。名前はちゃんと日本人をしていまして、西田祐太朗、と言います」
 名前ぐらいならば、一見の男に言ったとて、特に問題はないだろうと、祐太朗は自己紹介をした。
「…私はアルバート・エインステインと言う」
 少しの間を置き、男が言った。
「奇遇ですね。僕は同名の、有名な科学者を知っています」
 コーヒーのコップを持つ祐太朗。彼が知る科学者は、恐らく同じ綴りで、読みが少し違う。アルベルト・アインシュタイン。かなり高名な科学者だと、祐太朗は記憶していた。この名前からして、この男は地球人ではあるが、日本人ではないようだ。
「名前負けだよ。私は一介の獣人の男に過ぎん。世を揺るがす発見をする人種ではない」
「そうですか?まだあなたは若いように見受けられます。これからの人生で、偶然何かを発見することだってあるでしょう」
 エインステインの言葉に、祐太朗が何気なく返事をした。エインステインの眉がぴくりと動く。
「君は偶然を信じるか?」
 エインステインの犬口が、コーヒーを吸い込んだ。
「偶然を信じる?いまいち、その概念が掴めません」
「言い方が悪かったな。運命を信じるか、だ。全て決められた出来事であるならば、偶然など存在しないだろう?運命を信じるか、偶然を信じるか、二者択一であると思うが」
「ああ、そういう…よく出る類の質問ですね」
 運命という言葉に、祐太朗が頭を悩ませる。そのとき、ぱっと頭に浮かんだのは、彼が愛してやまない獣人少女、アリサ・シュリマナだった。去年の夏、祐太朗の父が経営する会社に、職業体験にやってきた同い年の少女…彼女と初めてあったときには、運命を感じた。なんと美しい人なのだろう。なんと前向きな考え方をする人なのだろう。その日以来、祐太朗の心は、アリサに奪われて帰ってこない。アリサが住むのは西東京、祐太朗が住むのは埼玉で、遊びに行くにはかなり遠い環境だということも、容易にあえるわけではないというドラマティックな状況を作りだしていた。不潔な話ではあるが、もし彼を妻に迎えたら…という、思春期の少年特有の妄想をすることだってある。
 しかし、皮肉なことに、アリサには既に付き合っている男性がいた。それが、彼女と同じ学校に通う、錦原竜馬という少年だ。彼自身は、自分にないものを持っている少年で、好感が持てる友人ではある。だが、彼はアリサに好かれておりながら、アリサのことを嫌い、邪険に扱っているのだ。その様を目の当たりにしたとき、祐太朗はもしこの少年と立場を入れ替わることが出来たならば、ある程度の犠牲を払えるとまで思った。
 いわば、こんなつまらないことの連続が運命なのだろうとも思う。しかし…
「…運命が面倒を見るのは、偶然を造り出すところまでです。後のやり方は、個々人に委ねられるでしょう。自身の行動の成否は運命では言い表せません」
 少し強めの語調で、祐太朗は言い放った。彼の右手が、無意識にコーヒーカップの縁を撫でる。
「つまり、半分は運命で、半分は行動だと」
「ええ。人生、15年生きてきての経験論です。あながち、間違いでもないと思っています」
 祐太朗の発言に、エインステインが感心した素振りを見せた。
「そうだな…では、もし。君が欲しくてたまらないものがあるとして、だ。それが手に入らない、もしくは入りにくい品だったとして、どうする?」
「まず、労力や金銭などの対価を考えます。それが、自分の払ってもいいと言える対価である限りは、僕はそれに執着するでしょうし、対価を支払い続けます」
 先ほどの、運命論の質問とは毛色の違い質問に、祐太朗が丁寧に答える。面識のない相手に、エインステインが何を求めているのか。祐太朗にわかりはしないが、今は暇だし、少しは付き合ってもいいだろう。
「…私は、欲しかったものがあった。遠い昔、失ってしまったものだ。もう二度と手に入ることはないと思っていた。だが、とても似たものが、近くに来る機会があった」
 エインステインの顔は、思い詰めているようだった。彼にとって、とても重要な話であることが、その表情から伺える。
「例えるならば、長い年月を掛けて完成させる、芸術品のようなものだ。近くに来たそれは、よく似た芸術品ではあったが、細部が微妙に違った。だが、あることがきっかけで、その細部に手を加えられる状態になった」
 黙り込んだ祐太朗に向かって、エインステインが一方的に話を続ける。
「その芸術品には、既に持ち主もいるのだ。だが、私はそれが欲しくてたまらない。今まで、欲しい物があれば、自分の出来る限界まで努力をして手に入れてきた。不道徳であろうが、盗んだこともある。しかし今、それをかすめ取ってしまってよいのかという疑問を感じてしまった。この複雑な状況を、君ならばどうする?」
 エインステインの目が、祐太朗に注がれた。理解が困難な状況だということはわかる。祐太朗がその場面に直面しているわけではないから、実感もない。が、自分をその立場に置いて考えるならば…
「まずはその芸術品をじっくりと眺め、本当に欲しいのかを考えます。どれだけ似ていて、手を加えられるとしても、以前所持していたものと、全く同じ物にまで作り直すことは、不可能でしょう。似たようなものであっても、必ず差違は出るものです。そう、大量生産のカップであっても」
 自分のカップを持ち上げる祐太朗。そのカップは、エインステインのカップと同じものだったが、表面の白や印字の位置などが微妙に違う。
「もしそれを所持しておきたいという気が変わらなければ、元の持ち主に交渉をしますね。譲ってもらえるならば、それに見合った対価を支払います。その後、手に入れられたとしたら、大事にしたいと思うだけ大事にします」
「大事にしたいだけ?」
「ええ。手放したい、と思うことがあれば、手放します。恐らくそれはないでしょうけどね。何せ…」
 かちん
「執着する性質なので」
 祐太朗の置いたカップが、ソーサーにぶつかり、高い音を出した。
「そう、か」
 エインステインは、何かを考えるように、黙り込んだ。2人の間に、ある種の重い空気が流れる。祐太朗は、何かを見るでもなく、顔を外に向けた。
「逆に聞きましょうか。あなたは運命を信じているんですか?」
 ポケットに手を入れ、祐太朗が聞いた。もうコーヒーが残り少ない。友人を待つならば、もう1杯はくらいは飲んでもいいかも知れない。
「…私は、ここにコーヒーを飲みに来た。君はなぜここに?」
 唐突に、脈絡のない質問を、エインステインが投げかける。
「僕は友人と待ち合わせで」
「ふむ。ただこれだけでも十分だ。もし君か私がコーヒーを飲めなかったら、もし君の待つ友人が存在しなかったら、私たちはここで出会うことはなかった。わかるか?」
「何を言わんとしているかわかりません。要するに?」
 エインステインが何を言わんとしているか、理解できなかった祐太朗が、巻きを入れる。
「どんなに低い確率の出来事でも、実際に起きればそれは事実となるということ。私がここにいるのも、君がここにいるのも、地球がここにあるのも。確率を超えた事実でしかないのだ。運命とは、そういうものだと、私は思っている」
 かちゃん
 空になったカップを、エインステインが置いた。そして、トレーを持って立ち上がる。
「ありがとう、少しは楽になった」
「いえいえ。もしまたあなたとあうときことがあったら、もう少し質問を少なくしていただきたいですね、アルバートさん」
「手厳しいな。縁があれば、また」
 トレーを返却カウンターに持っていき、エインステインが店を出ていく。その後ろ姿を、祐太朗は最後まで見送った。
「…しかし、久々にステレオタイプな質問を受けたね。面白い体験だった。錦原君にも、メールで教えてあげよう」
 どうせ、まだ友人は来ないだろうし、暇なのだ。祐太朗は、携帯電話を取り出し、竜馬へのメールを打ち始めた。


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