竜馬が、アリサが帰っていないという話を聞いたのは、自転車泥棒事件の1日後だった。アリサの母、パリヴァは「旅行に出かけると言っていた。春休み中楽しんでくるという話」と竜馬に教えてくれた。アリサは、普段から自由奔放な活動をしているが、そのほとんどに竜馬が関係している。パリヴァとしてみれば、竜馬がいるから大丈夫だという理屈だったが、今回アリサに竜馬がついていないということを聞いて、多少心配はしているらしい。アリサが帰ってこなくなってから、もう4日が経っていた。
「それにしても、アリサ。どこに行ったんだろうな」
 竜馬のアパートの居間で、緑茶を飲んでいる半狐獣人の少女が、何度目になるかわからない話題を出した。銀髪ミドルヘアーで、つり上がり気味の目をした彼女の名前は汐見恵理香。演劇を片手間に高校に通っている、竜馬の同級生だ。和服を普段着にしているが、今日は珍しく洋服で、ミドルのスカートを身につけている。部屋の中には、もう2人。真優美と竜馬がいた。午前中から、やることがなくなって暇な真優美と恵理香は、竜馬の家に遊びに来て思い思いのことをしていた。なぜだか、竜馬の家には集まりやすいらしい。
「旅行、いいなあ。お土産をお願いしたいんですけど、メールが受信できないってメッセージが帰ってくるんですよね。なんでかなあ」
 かっちゃん
 重い金属で出来た部品を、真優美がはめあわせる。彼女はまだ、空を飛ぶ夢をあきらめていないようだ。どこかから拾ってきた廃材を、どこかで工作機械を借りて、有用なパーツに変換していた。今は、出来上がったパーツが実際に使えるかを試している。置いてあるパーツは、鉄や鋼で出来た物以外に、発泡スチロールや布で出来た物もあった。彼女が足を組み替えるたび、恵理香の物より短めのスカートがめくれあがり、竜馬は落ち着かなかった。
「メルアド変えたんかな。それとも、事件性があるとか」
 その真優美の手並みを見ながら、竜馬が気の入っていない返事をする。真優美のすごいところは、全てをゴミから作ることだ。金属の板1枚を買うだけでも、かなりの額がすることを知っている真優美は、趣味でそんな大金を出すのも面白くないと、全てを廃材で作ることにしていた。1度竜馬は、謎の巨大廃材を運ぶのを手伝ったことがある。壊れた自動車のパーツを譲り受けたという話だが、その行動力には、舌を巻いた。
「お前…まだあのことを言ってるのか?」
「例えばの話だよ。心配なだけだよ」
 ちらりと竜馬を見る恵理香。竜馬の思案の中には、自転車泥棒のことがあった。ただの自転車窃盗グループではなく、何かしらの統率を持った犯罪組織であるならば、少女を一人捕まえることなど容易だろう。
「なんだかんだで、竜馬君はアリサさんに優しいんですよねえ」
 じろり、と真優美が竜馬を睨んだ。
「そりゃ、友達だからさ。そんな目で見ないでくれよ。勘違いだって」
「それならいいんですけどね」
 しかめ面をする竜馬から目を離し、真優美がハサミで布を切った。
「なんかこう、気になるんだよな。普段うるさいやつだから、いないとなると余計に」
 壁にもたれかかっていた竜馬が、背中を押さえる。堅い壁のせいで、背中が痛い。寝ころぼうか迷ったが、女性がいるのに寝ころぶわけにもいかず、竜馬は姿勢を直すだけにした。特に、恵理香などはスカートをつけているため、下心があると思われかねない。
「私とアリサさん、どっちが大事なんですか?」
 どうやら怒ってしまったようだ。真優美がずずいと顔を近づける。
「いや、どっちも大事だよ」
「また、そうやって当たり障りのないことを言う…」
 煮え切らない様子の竜馬に、呆れてしまった様子で、真優美が拗ねる。竜馬も、この態度は、とてもかわいらしいとは思う。だが、男女関係というものがよくわかっていない竜馬は、彼女にどうやって接すればいいのかもわからない。それに、下手なことをすると、アリサが狼の形相で竜馬に襲いかかってくること請け合いだ。本当ならば、アリサ以外と積極的に恋仲になりたい竜馬だったが、それが出来ない。
「ま、まあ、それは置いておこうか。ホットケーキでも焼こうと思うんだけど、どう?」
 竜馬がすっくと立ち上がった。冷蔵庫の中には、ホットケーキの材料が一式そろっている。昼食にはまだ早いが、これで食事を済ませてもいいだろう。
「あ、いいですねえ。私はチョコシロップで」
「私は小倉がいいな。あるか?」
 とたんに、先ほどまでの堅い空気が解け、2人ともにこにこ顔になった。そのあまりの変わり身の早さに、竜馬は半笑いで卵を取り出す。
「そういえばそろそろ、見たい番組があるんです。テレビ、借りますね」
 真優美が、テーブルの上にあったリモコンを手に取り、テレビを点けた。しばらくチャンネルを回していた真優美だったが、ようやく見たい番組があったらしく、リモコンを手放す。どうやら、街のいいところをインタビュアーとレビュアーが放送する生番組のようだ。編集を一切入れない、生番組の面白さが売りだった。
『海が見える街特集ということでね、この品川におじゃまを…』
 既に番組は始まって、数分が経っているようだ。海が見える街と聞いて、竜馬は海産物を、特に寿司を思い浮かべた。最近、寿司など影も形も見ていない。特に竜馬は、ブリとサーモンが好きだ。スーパーの半額寿司でもいいから、是非とも食べたいと…
「ああーっ!」
 素っ頓狂な声が居間から聞こえてきて、竜馬はホットケーキミックスを流し台にぶちまけそうになった。テレビの画面を見たまま、真優美と恵理香が驚愕の表情を浮かべている。連られてテレビを見た竜馬は、叫びそうになった。アリサだ。普段着ないような、カンフー服のような服装のアリサが、食堂で食事をしている。さらさらと美しい、長い金髪。耳の先だけ黒い、クリーム色の体毛。見間違えるはずがない。手触りから匂いまで、ありありと思い浮かべられる。アリサの向かいには、細身の地球人系女性が座っている。彼女も、アリサと同じような服装をしているところから見るに、何かアリサと関係があるらしい。
『ご覧ください!この太い麺!まさに隠れた名店ですねー!』
 カメラの端にアリサを移したまま、女性タレントがラーメンの麺を見せつける。
「ええい、ラーメンはいい、アリサを写せ!」
 まるでどこかの科学者のような様子で、恵理香が叫んだ。しかし、カメラマンにここから声が届くはずもなく。アリサはほどなくして、画面に写らなくなった。
「…品川?旅行、行ってるんじゃなかったか?つーか、一緒にいた女の人、誰よ?日本人じゃなかったっぽいが」
 ホットケーキを作ることも忘れ、竜馬が言った。持っているターナーが、ぽろりと手から落ちる。一体彼女はどうしたというのだろう。プチ家出を旅行と偽ったのか、それとも他に理由があるのか。
「だめだ。電話が繋がらない。電源を切っているらしい」
 携帯電話に耳を当てていた恵理香が、悔しそうに首を振る。アリサにあったら、聞きたいことは山のようにあった。今までどこに行っていたのか、なぜ連絡をくれなかったのか、自転車のこと…
「…行きましょうよ!」
 真優美が立ち上がった。膝に抱えていた金属のパーツが、音を立てて畳に落ちた。
「え、でも行くって…」
「急げば間に合うはずです!行きましょう!」
 竜馬の返事を待たずに、真優美が玄関に行き、靴を履いた。恵理香もそれに続く。
『…なんだよ。みんな、同じなんじゃんよ』
 竜馬は気づいた。事件性があると思って、心配していたのは、竜馬だけではなかったのだ。なんだかんだと言って、結局はみんな、アリサのことが心配だったのだ。この分では、きっと修平や美華子も、そうに違いない。そうでないとしても、報せておいて問題はないはずだ。
「…あ、待ってくれよ!」
 修平と美華子のメールアドレスを探している間に、真優美も恵理香も行ってしまったようだ。家の鍵と財布をポケットにねじ込んだ竜馬は、2人の後を追った。


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