かちゃん
アリサの目の前に、カップが置かれた。こぢんまりとした室内。テーブルとイス、後はドリンクサーバーと冷蔵庫がある。部屋の入り口には、銀河標準の文字で、休憩室を表す言葉が書かれている。汚い外見とは裏腹に、船の中はそれなりにきれいだった。
「飲め。元気が出る」
ライドラックがアリサを促した。だが、アリサは手を出す気にはならなかった。カップからは、過剰にアルコールの匂いが漂っていたからだ。
「…これ、お酒、でしょ。私は未成年よ」
「そうだった。この国では、20歳未満は飲酒を出来ないのだったな。代わりを…」
「待って」
カップを下げようとするライドラックを、アリサが制した。手足の震えを止めるために、アルコールの力だって借りたい。カップを手に取り、ぐぅっと中身を胃に流し込むアリサ。かなり強いアルコールだ。アリサが口にしたことのあるのは、清香の飲んでいるような日本酒だ。これは強い蒸留酒のようで、アルコール度数のケタが違う。
「うぐっ、げほっ!げほっ!」
むせたアリサが咳をした。何も言わず、ライドラックがお茶を新しいカップに注ぎ、アリサの前に置く。アリサは片手で喉を押さえ、もう片手でカップを引き寄せ、中身を喉に流し込んだ。
「背伸びをしたい年頃だろうが、無理はしないことだ」
アリサが落ち着いたのを見届けてから、ライドラックがイスに座った。合成プラスチックと金属で出来たイスが軋む。
「そんなんじゃないわよ。気付け代わりよ、気付け」
アリサが言い返す。と、ライドラックが入り口のところまで行き、ドアを開いた。
「あ…」
「せ、船長。その女の子は…」
数人の船員が、ドアの磨りガラス越しに、中を覗いていた。
「2度は言わんぞ。早く作業を終わらせろ」
ライドラックに睨まれ、こそこそと去っていく。後ろ姿を見送っていたライドラックだが、しばらくしてドアを閉めた。
「困ったやつらだ。今は1秒でも時間が惜しいというのに」
もう一度、ライドラックがイスに座り直した。体が少しずつ熱くなったアリサは、いすに座ったまま、ライドラックの一挙一動を観察していた。動きに無駄がない。もしここで襲いかかっても返り討ちに遭うだろう。
「さて。まず君に質問を許そう。聞きたいことは?」
自分用のカップに酒を注ぎ、ライドラックがアリサに聞いた。
「…本当に、廃棄物処理業者?」
ライドラックの目を真っ直ぐに見て、アリサが聞く。
「なに、表向きの顔だ。本性は、君が予想したものであっている」
ぐい
ライドラックがボトルから酒を口に含む。やっぱり、とアリサは心の中で呟いた。彼らは泥棒だ。アリサの言ったことは、何も間違っていなかったのだ。
「なんだ。じゃあ、何もおとなしく捕まることはなかったのね」
だいぶ落ち着いたアリサが、侮蔑の視線を送る。
「さて、それはどうかな。私には社会的な信用がある。偽って作ったものだとしても、少なくとも、君のような少女よりはよほど」
「もし警察の取り調べを受けたらどうするつもりだったの?私だって、電話をかけることくらいは出来るわ」
自信たっぷりのライドラックに、苛立ちを覚えたアリサが、憎まれ口を叩いた。
「…君は、警察官が万能な正義の味方だと、思いこんでいるようだな」
ことん
ライドラックがボトルを置く。その目が、アリサのことをじっと見ている。
「彼らは権力を持ってはいるが、このようなケースに接するには不的確だ。彼らは公務員であって軍人ではない。わかるか?」
彼が何を言いたいのか、アリサにはよくわからなかったが、警察官では役不足だと言いたいのはよくわかった。きっとライドラックは、警察が強制捜査に踏み切ったとしても、それをなんとかして逃れる術を持っているのだろう。アリサは、自分がやはり未熟であったことを思い知った。いざとなったら切り札を、と考えていたアリサだが、実際にはそれは毛ほども痛くなかったのだ。
「失礼します、船長」
ドアを開けて、1人の女性が入ってきた。白い肌に赤い髪の、尻尾が細めの爬虫人女性だ。アリサの担任である蛇山先生も爬虫人ではあるが、この女性とはかなり違う。獣人に犬や猫がいるように、爬虫人にも多くの種類があることもアリサは知っていたが、絶対数が少ない爬虫人で、ここまで顕著な違いを見たのは、始めてだった。
「先ほど、地球人の警察官が2人、船に対して通報があったと来ましたので、事情を説明して、お返しいたしました」
「そうか、ご苦労だった。なにか言っていたか?」
「ええ。勘違いのようで申し訳ないと謝罪をいただきました。この国の警察官は丁寧で好感が持てます」
まるで報告書でも読むかのような、きっちりした女性の話に、ライドラックが頷く。
「そちらの少女は?」
ここで、女性がようやくアリサのことを聞いた。アリサは無表情で女性の方を見る。表情を作ろうにも、さっき飲んだ酒のせいで、上手く筋肉が動かなかった。
「客人だ。少々、話をすることがある。副長、用が済んだのならば、席を外してくれ」
「わかりました。では、何かあったら、お呼びください。ああ、それと」
女性が部屋の中に入り、冷蔵庫の横にある棚を漁った。固定してあるボトルの中から、黄色く透き通った液体が入った物をとりだし、テーブルの上に置く。
「未成年の方には、こちらの方がよろしいでしょう。どうぞ」
女性がボトルを持つ。アリサは一礼して、お茶が入っていたカップを差し出し、飲み物を受けた。
「それでは」
女性が部屋を出て行く。そのきびきびした動きは、一流のキャリアウーマンでもなかなか真似出来ないだろう。
「今の人は?」
飲み物を飲むアリサ。嗅いだことのない風味と、ほのかに甘い味が、アリサの鼻と舌を包み込む。
「副長だ。この14人の船を上手く切り盛りしてくれている」
ちら、とライドラックの目が外を見た。
「14人?人数とか言っちゃっていいの?機密とかじゃないの?」
「なに、問題はない。君はこのまま家に帰り、今日のことは忘れてもらうのだから。君にももちろん家と保護者がいるのだろう?」
ライドラックの、アリサを子供だと言いたげな口調に、アリサはむっとした。下手な挑発より、アリサの神経を逆なでする。元より、アリサは友人のつまらない物言いでも怒るような、気の短い少女だ。知らない環境で、知らない男にバカにされては、怒るのも無理はない。
「忘れてもらうって…もしかして脅迫するつもり?それなら、それでもいいけど」
ぐい
テーブルの上に置いてあった、酒のボトルを取るアリサ。手で口をきゅっきゅと拭い、ボトルに口をつける。強烈な味の酒だが、一度口にして慣れたのか、さっきほどの刺激はない。
「そうではない。君の望みを聞いて、平和的な解決をするだけだ」
「望み、ねえ。強いて言うなら、自首かしらね。私の友達の自転車を盗んだ罪は重いわよ」
「そうか。君の友人の…」
ライドラックは顎に手を当て、思案し始めた。
「ようやく君がここに来た理由がわかった。友人のために、こんなことを?私が君の立場ならば、第三者に任せるか、あきらめるが」
ライドラックが目を伏せる。
「気まぐれよ。彼、自転車がないと困るでしょうから」
「そう、か。その友人は、君が自転車を奪い返しに来たことを、知っているのか?」
「ええ。止められたけどね。バカなことするなって」
ぐいぐいと、アリサが酒を飲み続ける。喉を通るたび、かあっと熱くなる感覚が来る。だいぶ飲んだ気がするが、ボトルを見てもそれほど減ってはいなかった。
「私もその友人に同意だ。少なくとも君は、ここに来るべきではなかった。正しいことであっても、筋を通さなければ、それは暴挙でしかない。常識が必要だ。わかるか?」
「わからないわ」
説教をするような口調のライドラックに、またもやアリサが苛立ちを感じる。なぜ窃盗犯に説教をされなければならないのかという気持ちも、それに拍車をかけた。
「よければ、詳しいことを聞かせてもらえないか。興味がある」
ライドラックが、大柄な足を組んだ。怒りからか、慣れからか、アリサの心に小さな隙が出来る。それを知って知らずか、サファイアのように青い目が、アリサのことを見つめていた。
「…わかったわよ。一回しか言わないからね」
そう言って、アリサが話を始めた。
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