「もういいわよ。へたれなんだから。自転車を持って帰れば、竜馬も私を見直すわ」
ゴミ箱を踏み台にしたアリサが、こっそりと塀の向こうをのぞき込む。ブロック塀で区切られた向こう側には、商用の輸送宇宙機が何台か、海に浮かんで見える。ここは、運送会社が急ぎの用で使用する飛行機を格納する、駐機場だ。通常のトラックを利用する便と違い、運送会社各社が用意するパックならば、輸送用の宇宙船や垂直離陸できる軽飛行機を利用して、遠距離でも数時間で物を運ぶことが出来る。利点は、通常の飛行場より小さな面積で駐機場を設置出来るというところだが、それでも陸上では多くの土地を必要とするため、大抵の駐機場は海沿いに作られていた。
最近では、技術の発展のためか、大変コストが安くなったため、垂直上昇機のこのような利用形態も一般化している。ジェットエンジンを使用しない、宇宙由来の技術。振動も匂いも排気も、従来型の航空機よりクリーンだ。まさに、昔描いた未来絵図は、現実の物となったのだ。天馬高校も、教科書の仕入れなどには、高いが早くて安心できるという理由で、この特別便を利用している。
駐機している宇宙船のうち、左側の端にある宇宙船に、数人の人が集まって自転車を積んでいる。見た目には、かなり汚れている古い船で、ちゃんと飛ぶのかも疑わしい。白昼堂々、こんな泥棒行為が出来るとは、よほど肝が据わっているのか、あるいは何度か行って慣れてしまったのか。
『どっちでもいいわ。とっちめてやる』
アリサが左右に目をやった。監視カメラの類は見つからない。どうやらこの駐機場は、運送会社が主に使用しているようで、輸送機に荷物を運び込むためのトラックが多い。遠くに、関係のない船の姿もあった。
自転車泥棒の機体の周りには、6人の人間がいる。獣人と地球人が主だが、爬虫人の姿も見える。先ほど、警察には連絡を行った。ここで待っているだけでも、自転車泥棒達は捕まるだろうが、それでは困る。恐らく盗まれた物は証拠品としてしばらくは保管されるだろうし、竜馬の自転車が帰ってくるまでに、長い時間がかかってしまうだろう。奪還しなければならない。
『…でも』
アリサがはたと考えた。あそこまで竜馬に言われて、それなのに自分は、竜馬のためになろうとしている。果たして、ここまでやる価値はあるのだろうか。あそこまで嫌がっている相手に、親切を行う必要があるのだろうか。竜馬の言うことも最もだ。待っていればなんとかなるのならば、それでもいいのではないだろうか。意地になってはしまっているが、考えてみれば少々怖い。
「うー、ん…」
アリサがゴミ箱から降りてしゃがみ込む。それに、潜入方法も問題だ。唯一の出入り口には守衛がいる。途中で軽トラックを降りてしまったが、乗ったままなら簡単に中に入れたかも知れないと、アリサは後悔した。塀の上には、有刺鉄線が張り巡らされている。入ろうとすれば、制服が破けるかもしれない。かといって、どこかの三代目怪盗やイングリッシュスパイのような小物を持っているわけでもない。
『八方ふさがり、ね。おとなしくあきらめるかなあ…ん?』
と、アリサの目に、別のトラックが入った。トラックはちょうど敷地に入ろうとしているところだ。後ろが中途半端に開いていて、中に積まれたコンテナが見える。
『チャンス!』
こっそりとアリサがトラックに忍び寄る。運転手は守衛と会話をしていて気づかない。アリサはその半開きの扉を開け、中に入り込んだ。同時に、トラックが動き出す。
「ん…」
隙間から外を見るアリサ。ちょうど、ゲートをくぐり、守衛から死角になったところで、アリサは飛び降りた。速度は時速20キロも出ていない、飛び降りるのは容易だ。外に出たとたん、さっきより濃い潮の匂いがアリサを包んだ。
「さーて、と」
アリサは誰にも見つからないよう、注意しながら駐機場内を歩く。海沿いに、管制塔とおぼしき、少し高いビルディングが建っているが、中の人々はアリサには気づかないようだ。数百メートル先にいる女子高生に気がつくほど、暇ではないのかも知れない。
「ふわぁ…」
間近で輸送船を見るのは、アリサは久しぶりだった。小さい物であることはわかるが、それでも巨大だ。大まかに、ラグビーボールのような形をしているその船は、タンカーほどとは言わないが、並の漁船よりはよっぽど大きい。
こそこそと歩いていると、アリサはさっき乗ってきた軽トラックが停めてあるのに気がついた。同じようなトラックが数台停めてある。どうやら、この集団は、何台かのトラックであちこちを周り、効率よく泥棒をして歩いているようだ。今は他の車からの品を輸送船に積んでいる最中らしい。手が空いている隙に、とアリサが軽トラックの荷台に乗り込む。
「えーと、あれよね、あれ」
竜馬の自転車を見つけたアリサが、そこまで行こうと、他の自転車をどかす。がちゃがちゃに積まれた自転車は、なかなかアリサを目的の自転車まで行かせてくれない。
「ん、ぐ。よいしょ。んっ」
アリサの手に汗が滲む。なかなか竜馬の自転車に手が届かない。後少し、後少しでハンドルを取ることが出来る。そうしたら、自転車を引いて、何食わぬ顔で外に出ていけばいい。堂々としていれば、守衛も何も言わないだろう。後少し…
「おい!」
びくぅん!
後ろから男の声がして、アリサは振り返った。自転車の積み込みをしていたはずの、地球人体系の男が、軽トラの中を覗き込んでいる。
「何してる?誰だ?」
訛りのある日本語で、男がアリサに問いただす。アリサは何も言えなくなって、気を付けの姿勢のまま黙り込んだ。じわじわと、体に汗が滲む。鏡箱の中にいれられたガマガエルのような心持ちだ。
「どうした」
「知らない女の子が…」
横から誰かが話しかけたらしい。男の注意がそちらへ向く。一瞬のチャンスを、アリサは逃さなかった。
「ちぇい!」
どすぅ!
「あ、ぐふぁ!」
アリサの跳び蹴りが男の腹にぶつかった。男が音を立てて倒れる。トラックの外に、転げるようにアリサが降りた。
「おい、待て!」
「ちょっと!」
気がつけば、数人の男が、アリサを取り囲んでいた。
『1、2…5人』
冷静に、アリサが周囲の人間の数を確認する。もし誰かが殴りかかってこれば、それを受け流して盾にも出来る。が、これだけの数を相手にするとなると、少々面倒だ。
「うう…」
蹴られた男が、頭を抑えながら起きあがる。倒れた時に頭を打ったのだろうか。だが、それを気にする暇はない。アリサが、油断なく構える。
「どうした」
流暢な日本語がどこからともなく聞こえてきた。宇宙船と港を繋ぐ桟橋に、1人の男が立っている。獣人体系の男だ。全身グレーの体毛はくたびれて、着ているツナギのような服は汚れている。
「船長…この女の子が、いきなり…」
アリサを囲んでいる1人が、橋の男に言った。船長と呼ばれた男が、大股にこちらへ向かってくる。
「う…」
アリサは体が凍り付くのを感じた。恐ろしい威圧感だ。武道の達人と向き合ったときには、こんな気を受けるのだろう。アリサは、西洋剣道、アーチェリー、そして合気道をしている。そのうち、アーチェリーでは表彰もされているが、その大会で争ったときにも、こんな緊張感はなかった。
「うちの船員に何か問題があったかね、小さなお嬢さん」
船長は、アリサの正面に立ち、アリサを見下ろした。大きい。2メートルはある。普段のアリサならば、ここで軽口でも叩いて、相手を挑発したことだろう。例えば「ドアをくぐるときに頭をぶつけそうね」というような。だが、今のアリサに、そんな余裕はなかった。
「し、知ってるのよ!これみんな、とう、盗品でしょ!」
勇気を振り絞り、アリサが叫ぶ。手の震えを、なんとか抑えようと、アリサが必死に体をコントロールした。
「盗品?」
ぴくり、と船長の眉が動いた。ここでもし拳でも出されたら、アリサは5メートルは吹っ飛ぶだろう。否、そんな非現実的な値が飛び出すはずはない。しかし、この男を見ていると、それが本当に起きてしまいそうな気がして、恐ろしい。アリサの知り合いの中で、一番大きな体をしている男は、保険医の如月愛子先生だ。彼も、鉄の扉を殴って、拳の跡を着けるという噂はあったが、彼と同じくらい大きな男を見たのは、久しぶりだった。
「…我々は、廃棄機械の請負業者だ。この自転車は全て、都に依頼があった廃棄物だ」
「嘘つかないで!ぬっ、盗むところを、見てるんだから!」
「言いがかりはやめてくれないか。事と次第によっては、出るところへ出なければいけなくなる。君は学生だな?場合によっては、退学処分ということもあり得るだろうが?」
船長の目が鋭くなった。その目に射抜かれ、アリサは動揺し始めた。もし、この男の言うことが真実ならば、アリサは勘違いで事を起こしてしまったことになる。嘘ならば…嘘であっても、アリサにはそれを証明する手段がないのだ。それに、アリサはここまで言われて、自分が勘違いをしていたのではないかという疑惑を強めていた。
「ライドラックさん、どうしたんです。その女の子は?」
管制塔から、制服を着た男が2人、走ってきた。騒ぎを見ていたのだろう。ここで上手く立ち回れば、アリサは逃げられたかもしれない。だが、アリサにはその気力は既になかった。
「なんでもない。少々、この少女と話をしていた」
「でも、さっき見ていたら、その子、暴力を…」
「大丈夫、よくあることだ。悪いが、ここは任せてくれないか?迷惑はかけない」
ライドラックと呼ばれた男は、片手を軽く上げた。制服2人は、顔を見合わせた後、面倒だけは無しにしてくださいよと言って、戻っていった。
「…どういういきさつでそう思ったかを、聞かせてくれないか。こちらへ来たまえ。時間は取らせん」
ライドラックが、アリサを誘導する。宇宙船の中だ。デッキには、清掃作業をする別の船員がいる。
『…竜馬ぁ』
心の中で想い人のことを呼ぶも、彼が来てくれるわけではない。心細さが募る中、アリサはライドラックの後ろを、泣きそうな顔でついていった。
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