「…はっ」
 目を覚ましたアリサが、目をこする。時計は7時半を指している。寝過ごしてしまったようだ。急いで支度をしなければいけないだろう。朝食を食べている時間はない。
「ん…」
 体が重い。うまく起きあがれない。ダイエットを始めてから1週間が経った。チョコレートを食べてしまった日から、数えて4日だ。そのチョコレート以来、アリサは菓子を目の端にも入れないように、さらなるダイエットをがんばっていた。
『また体重を量るのが怖いなぁ…』
 アリサが身を震わせる。昨夜は、栄養バランスのことを考えて、肉を少し食べたのだが、それと同時に脂も摂っているはずだ。もしまた太っていたら、一週間の努力は元の木阿弥だ。カロリーの高いものを食べたのだから、もしかしなくてもまた太っているだろう。
 寝ていられなくなったアリサは、ベッドから起きあがった。着替えて、学校に行かなくてはいけない。今日は体育のある日だ。運動神経のいいアリサは、体育が好きだった。しかし、あまり体調がよくない状態で、体育をするのが、少し不安でもあった。
「えーと、体操服…」
 引き出しを開け、きれいに畳まれた体操服を取り出すアリサ。ナップザックに体操服を入れた後、ブラウスを取り出し、パジャマを脱ぐ。
「…」
 一瞬、腕の肉が揺れた気がした。何の気なしに、アリサはまた、二の腕を手で掴んでみた。
 ぷに…
 まだ肉が余っている。それも結構な量だ。ここに贅肉がついたというのが、太った原因かも知れない。元々は、筋肉がついていたはずだ。今日から、腕立て伏せもメニューの中に入れなければいけないだろう。ファミリーレストランで、太っていることを自覚してから、何も変わってはいなかった。しゃがんでいたアリサが立ち上がる。
「うっ…」
 立ち上がったアリサは、一瞬視界が暗くなった。立ちくらみだろうか。手を膝に置き、かがんでいると、しばらくして元に戻った。体調が優れない。それというのも恐らく、野菜ばかりの生活だったのに、いきなり脂肪分の多い物を食べたりしたからだ。今日からは、それも気をつけないといけない。
 階段を下りたアリサは、そっと居間に入った。父も母もまだ寝ているのだろうか、それとももう出てしまったのだろうか、誰もいない。アリサは冷蔵庫のドアを開き、牛乳をカップに注ぐと、ぐいと飲み干した。食事を摂る暇はないが、これぐらいならまだ間に合う時間だろう。
 もう少し、もう少しだ。増えた分の体重を減らせば、いつも通りの食生活が出来る。減量ボクサーのような思考で、アリサがふらふらと居間を出る。
『でも、待って?』
 はたと立ち止まり、アリサが考えた。また前と同じ食生活に戻したら、前と同じように、太ってしまうのではないだろうか。1日にどれくらい食べればいいのかがわからない。また、今こうして食事制限をしているということは、そうでないメニューを摂るようになったら、体が数倍のカロリーを吸収することにならないだろうか。
『そう、よね。今までの食生活で、確実に体重が増えてたんだから…』
 アリサが計算を始めた。半年間で3キログラムの増量だ。1ヶ月を30日、半年を6ヶ月として換算して、単純計算で180日。1日で約17グラムずつ体重が増えた計算になる。それをまた増えないようにするには…
『わかんなくなっちゃった…また太っちゃうのかなあ…』
 靴を履きながら、アリサがぼんやりと考える。脳内で、また物語が展開し始めた。
『あーあ、アリサ。結局失敗したのか』
 脳内竜馬が、呆れ顔でアリサを見下ろす。
『だ、だって、苦しかったんですもの。あれ以上我慢したら、病気になっていたわ』
『言い訳が見苦しいな。自分自身との約束をやぶるようになったらおしまいだぜ』
『そんな!竜馬は私が苦しんでもいいって言うの!?』
『自業自得だ。食べ過ぎるお前が悪いんだぞ』
 脳内竜馬が、脳内アリサに、ひどい台詞を何度も吐く。そのたびに、アリサは悲しくなっていった。学校に行くはずが、歩きもしないで家の前で立ちつくす。そのうち、妄想の中で打ちのめされたアリサは、俯いたまま飽きだした。
「うう…」
 泣きそうになったアリサが、道を歩く。竜馬に好きになってもらいたい。そのために、ダイエットをしなくてはならない。もしここに、半年前の体重に戻る薬があったならば、たとえ相手が悪魔であろうとアリサは契約するだろう。
「…はっ」
 恐ろしい考えになったことに気づいたアリサは、首を振った。どうも判断力が低下しているようだ。悪魔と契約するなどという、非現実的なことまで考え出すようではいけない。今必要なのは、現実に体重を減らす方法だ。非現実的なことをしようとする思考ではない。
「うう…」
 ぐるううう
 腹が鳴った。いくらダイエットとは言え、無茶をしすぎたかも知れない。昼の用意も出来なかったので、今日は久々に食堂で食事をすることになるだろう。一番カロリーが低いのは蕎麦だろうか。
 起きてからすぐに家を出たので、遅刻することはないだろうが、なぜだか足が重い。最近、毛並みもよくなくなってきた気がする。気をつけないといけない。
 それにしても、いい天気だ。雲一つない快晴。太陽が眩しい。こんなに日の光が眩しいのは、最後に徹夜をした1ヶ月前以来だ。直射日光を浴びた体が、だんだんと暖かくなる。
「うーん…」
 アリサが校門をくぐる。もうあまり生徒が歩いていない。みんな教室に入ってしまっているのだろう。下駄箱で靴を履き替え、階段に足をかける。と、いきなり世界が揺れた。
「あ?」
 ぐらぁ
 地震か?いや、そうではない。体の方がおかしい。それを認識したとき、アリサは体がぐぅんと振り回されるのを感じた。耳の奥で、耳鳴りがブーンと鳴る。最後に彼女が見たのは、学校の無愛想な天井だった。


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