放課後になり、やることがなくなって暇になったアリサは、竜馬の家に遊びに行くことにした。竜馬は、アリサが来ることを拒まないばかりか、普段言わない歓迎の言葉まで口に出した。もしかしなくても、アリサの体重を指摘してしまったことで、気に病んでいるのだろう。こんなことで、竜馬に気を使われても、申し訳ないだけで面白くはなかった。だが、それを顔に出すと、また優しい竜馬を責めてしまう。アリサは、表面上は、ダイエットの辛さなど出さないようにしていた。
「…でね、私嘘だとばっかり思ってたからさ、そこで無視しちゃったのよ」
「まあ、嘘だと思うわな、普通は」
「でしょでしょ?だけどね、実際は…」
竜馬と話しているだけで、アリサはとても楽しかった。やはり、竜馬のことが好きだ。彼と一緒にいるだけで、幸せになってしまう。この時が、ずっと続いたら…
ピンポーン
にわかに、チャイムが鳴り響いた。
「あ、来たな」
竜馬が立ち上がり、ドアを開けた。誰が来たのか見ようと、アリサがちょこっと顔を出す。と、彼女の顔がいきなり不機嫌になった。訪問してきたのは、茶色の髪の毛に砂色の体毛をした、獅子の獣人少年だった。獣人の中でも、かなりの美男子に入るだろう。
「おや、アリサさんがいるのかい?これは嬉しいね」
少年がにかっと笑った。並の女子ならば、それだけでどきりとしてしまうだろうが、アリサにとってはあまり嬉しいものではなかった。彼の名は西田祐太朗。埼玉県のさる会社の御曹司、アリサに惚れてしまっている少年だ。年齢はアリサ達と同じ高校1年生である。アリサの父も会社長であるから、身分が釣り合うといえば釣り合うのだろうが、竜馬が好きでたまらないアリサにとって、祐太朗は邪魔な存在だった。
「ねえ、祐太朗が来るなんて聞いてないんだけど」
不愉快を隠そうともせず、アリサが言う。
「言ってなかったっけか。悪いな」
それだけ言った竜馬が、祐太朗を家に上げる。
「個人的に竜馬君とは馬があうものでね。今日はこっちに用事があったから、遊びに来る約束をしていたんだよ。これ、お土産。是非食べて欲しいよ」
ぴんと張ったひげを撫でて、祐太朗が箱を置いた。箱から甘い匂いが漂う。このままでは食べたくなってしまうと、アリサは思わず鼻を押さえた。この匂いは…
「お、ドーナツじゃんか。サンクス」
そう、ドーナツ。アリサの好きな菓子のベスト5には入るだろう。ちなみに、食べ物全般のランキングをつけると、トップにエビフライが入るのだが、それは今はあまり関係がないので置いておく。
「アリサさんもどうぞ。ドーナツは食べられるかい?」
箱を開け、祐太朗がアリサの方を向いた。
「…食べられないわよ」
「おや、嫌いだったかい?済まない。肝に銘じておくよ」
「そうじゃない。そうじゃないのよ」
これは失態だ、と言わんばかりの祐太朗に、アリサが否定の言葉を投げる。
「…ダイエット中なのよ」
アリサが、少し恥ずかしそうに俯いた。言うのもしゃくに障るが、言わなければ誤解をされそうだ。
「ダイエットだって?失礼だけど、アリサさんは十分健康的な体型だと思うよ。ダイエットをするのには賛同出来ないな」
祐太朗が眉根をしかめる。
「あんたがそう思ってても、私はそう思わないのよ。バカ男」
祐太朗に負けず劣らず、アリサも嫌そうな顔をした。やはり、祐太朗とは気があわない。
「まあ…それがアリサさんの望むところなら、口を挟むいわれもないか」
不機嫌顔のアリサに、何か思うところがあった様子で、祐太朗が考え込んだ。竜馬も祐太朗も、アリサに気兼ねしてしまっている様子で、ドーナツに手を出そうともしない。
「私のことはいいわよ。2人とも食べたら?」
アリサが2人を促した。それならば、といった表情で、まず竜馬が手を出した。続けて、祐太朗もドーナツを手に取る。しばし、3人とも黙ったまま、時だけが過ぎた。
『なんでこいつが来るのよう…竜馬と2人きりだと思ってたのに…』
空きっ腹を抱えて、アリサが祐太朗を睨み付けた。昼に食べたのも、ダイエット用の野菜弁当だ。このままでは、犬ではなく、いつか鹿やウサギになってしまうのではないかと、アリサは思い始めた。
「そうだ。ここに来る前、用事をしてきたのは言ったかな」
「どうした?」
竜馬と祐太朗が、何気ない会話を始めた。少しだけ、空気が軽くなったが、それでも普通とまではいかない。アリサが膝を抱え、体育座りをする。この微妙な空気が、自分のせいだと言うこともわかっている。だが、祐太朗のことはあまり好きではないし、今こうしてテーブルの上に菓子がある状態が嬉しくない。何も考えないでいたら、手を出してしまいそうだ。
「…でね。用事があったのが、叔母の家なのだけれど、家の裏に畑があるんだよ。趣味の家庭菜園なんだけれどね」
「俺も実家で一時期やってたよ。庭があるからさ。今はもうやってないけどな」
「おや、うらやましい。僕はマンション暮らしだから、土いじりをしたことがないんだ。アリサさんは、何か育てたことはあるかい?」
唐突に、祐太朗がアリサに話を振った。
「へっ?」
ドーナツに手を出そうとする自分を、必死に制していたアリサは、いきなりな話の振り方に頓狂な声をあげた。
「えーと、ああ。一度、プランターでミニトマトを育ててたことあるわよ。学校の授業でなんだけどね」
間をおいて、話の流れを理解したアリサが、話を続けた。
「いいね。どんな感じだった?聞かせてくれないかい?」
にこにこと笑う祐太朗が、アリサを促す。
「水やって、たまに虫を歯ブラシで追い出すくらいかな。病気になりやすいらしいけど、私は大丈夫だった」
ミニトマトを育てていたのは小学生のころで、東京に来てすぐのころだ。古い記憶を、アリサが必死にたぐる。
「そうだね。叔母もトマトを育てていたけれど、土や病気には気を使っていたよ。収穫はどうだったのかな?」
「小さい実がたくさん出来たわよ。それが…」
アリサが黙り込んだ。その実は、小さいながらも弾力があった。スーパーなどで売っているミニトマトと違い、なぜか実が割れてしまったが、それでも上手く育ってくれたものだ。口に入れると、甘くて…
「…甘くて、美味しかったわ」
絞るように、アリサが言う。竜馬も祐太朗も、食べ物に少しでも関係することは避けた方がいいと悟ったようだ。お互いに顔を見合わせる。
「えーと、すまん。こういう話をして。デリカシーなかったな」
頭を下げて、竜馬が謝った。それを見たアリサがむっとする。今話を振ったのは祐太朗なのに。謝るべきは彼であって、竜馬ではないのに…
「本当にごめんよ。次から気をつけ…」
ぐうっうっううぅぅ
祐太朗の声を、大きな音が遮った。とっさに腹部を押さえるアリサ。この音は、アリサの腹の虫だった。
「あ…」
何も言えなくなった祐太朗が言葉を切った。恥ずかしさのあまり、アリサは顔が熱くなるのを感じた。好きな相手にだって、好きではない相手にだって、腹の虫の音など聞かせたくない。それなのに…
「…ダイエット中だってのに、あんたがドーナツなんか持ってくるから悪いのよ!このライオン丸ー!」
がぶうううううう!
「ぎゃあああ!」
叫ぶと同時に、アリサが祐太朗に飛びかかり、腕に牙を突き立てた。
「悪かったよ!やめておくれよ!痛い痛い痛い!」
祐太朗は叫びながら腕を振っている。が、多少腕を振られたところで、アリサは引き剥がせない。
「アリサ、やめろって!」
「竜馬も竜馬よ!何よ!このアホたれー!」
がぶがぶう!
「いっでぁ!?」
祐太朗を離したアリサが、今度は竜馬の太股に噛みついた。大した意味などない、そこが一番口に近かったのだ。
「か、かわいそうに、怯えているんだね?」
竜馬の目から光がなくなり、また意味不明なことを言い出した。祐太朗が、噛まれた腕のところを、手でさすっている。
「あ。思ったんだけど、アリサさんに噛まれたここに口をつけたらだね、間接キスに…」
祐太朗が言葉を切った。ゆっくりと竜馬から口を離したアリサが、狼の形相で、祐太朗を睨んでいる。よもや、噛みついた相手にそんなことを考える余裕があるとは、アリサは砂粒ほども思いもしなかった。余裕をなくしてやる、余裕を…
「やってみなさいよ。どうなるか…」
「や、やめて、おくよ。ははっ、アリサさんは怒った顔も素敵だな。ますます…」
「うっさいバカ!サファリパークにでも行けばいいのよー!」
どっげっしぃぃ!
アリサの跳び蹴りが、祐太朗の腹に、思い切り決まった。
前へ 次へ
Novelへ戻る