「…まさか竜馬に気があったとは思わなかったわ。ノーマークだった。あんた、策士?」
 アリサがボールをボール置き場に置いた。専用のシューズを履き、靴ひもを結ぶ。
「だからあれは、違うっていうか…」
 その向かい側に座る美華子が、ボールの重さを確認している。竜馬、修平、真優美、恵理香の4人は、アリサと美華子がいるブースの隣で、別のグループとしてボウリングを始めていた。
「竜馬は渡さないわよ。いい?今日は、いい勝負をするために来てるんだからね?」
 ビキ、という、空気が凍り付く音が聞こえるような顔で、アリサが美華子を睨み付けた。
「ただ遊びに行ってただけで…それに、アリサから勝負を挑んできて…」
「だまらっしゃい!ネタはあがってんのよ!妖怪おシチみたいな面してくれちゃってさ!」
 弁解をする美華子に、アリサが敵意をあらわにした。おシチというのは、鳥の体に女の頭をした妖怪だということを、美華子は知っていた。しかし、なぜそんな妖怪呼ばわりをされなければいけないのか、よくわからなかった。
「はあ…」
 美華子がイスに座る。確かにボウリングは楽しいが、玉を転がす前からこれだけ精神的に使われていては、心がもたない。あのとき、あんなことをしなければよかったと、美華子は後悔した。普段、あまり後悔をしない美華子だけに、これは少々珍しいことだ。だが、あそこでアリサが入ってくるなどと、誰も予想出来なかったはずだ。そう考えて、美華子は自分を少し慰めた。
「この私を、あんだけ挑発しておいて、今更そんな態度?もう…!」
 アリサが勝手な解釈をして怒っている。いつものことだ、気にすることはない。あまりにもひどいようならば、アリサを諫めないといけないが、普段それをする友人たちはみんな、今は関わり合いになりたくないような顔をしていた。
「なんか、ごめんな…」
 いつの間にか隣に来た竜馬が、ひそひそと美華子に話しかける。
「ううん。いつものことだし。錦原はそっちで楽しんだらいいよ」
 靴のひもを調節し、美華子が返事をした。ゆっくりと立ち上がった美華子は、軽く靴を踏みならし、調整をした。口では人を気遣っているが、実は美華子には、他人を気遣っている余裕はなかった。
 昨日、竜馬の部屋から帰ってから、美華子は宿題があったことを思い出していた。1週間前の金曜日に出された宿題だ。ちょうど3月に入り、春休みが近づいてきたこともあってか、宿題の量が多くなっている。美華子はこれを、やらずにずっと放置していた。ボウリングをしている方が楽しかったし、やろうと思えば1日で終わると思っていたからだ。明日はボウリングだから、と美華子はノートを開き、ペンを手に取った。
 だが、それが甘かった。一晩で出来る容量には限界がある。後少し、後少しで終わると思いながら、夜中の3時まで宿題をしていた。普段、美華子は夜12時には寝てしまう生活をしている。3時間も後ろに食い込んだことで、寝不足が彼女を襲っていたのだ。今もいらいらしているが、それを無理矢理に押さえ込んでいる状態だった。
「このパターンだと、大抵アリサは返り討ちに遭う。今回も、美華子さんが勝って…」
 バッカーン!
 ひときわ大きく、ピンが倒れる音が響き渡った。電光画面に表示される「ストライク」の文字。アリサが、ボールを投げたところだった。
「恵理香、なんか言った?」
 アリサが首をくるぅりと回し、恵理香の方を向いた。
「…何でもない」
 心のどこかで、今回も無事終わるものだと思っていたらしい恵理香は、狐の耳を伏せた。それを見ても、美華子はどうこうしようという気が起きない。徹夜はそれほどに彼女から気力を奪っていた。コロガリング玉三郎だとか、日曜ボウリング劇場だとか、意味不明な言葉が美華子の頭を駆けめぐる。それを口に出したら面白いかとも思ったが、口を開く気力がないのでやめにした。
「次は美華子よ。私から竜馬を奪ったこと、後悔させてあげるんだから…」
 せっつかれた美華子が、ボウリングの玉を持って、アドレスに入った。ここに立つときだけは、集中力が増す。眠気も消える、何も考えず、美華子は玉を持ち、ととと、と前に歩き出した。
 がっ!
「あっ!?」
 どうやら、知らぬうちに緊張してしまっていたらしい。手からボールが離れない。がたん!とボールが床に落ち、ガーターにはまってしまった。
「んー…」
 悔しくなった美華子が、右腕を恨めしそうに睨んだ。アリサが、美華子の隣にやってくる。
「今は手から離れなかったのね。ボール、ちゃんと指に合ってる?」
 がこん
 戻ってきたボールを、アリサが美華子に渡した。
「問題ないはずだけど…」
「もう一回投げてみ?」
 アリサがイスの方に戻っていった。今度はミスをしないように、気をつけながら、美華子がボールを転がす。
 ゴロロロロ
 ボールがピンめがけて転がっていく…と思いきや、半分をすぎたあたりで曲がり始めた。
 バッカーン!
 ボールが倒したのは、4本だけ。残りは、直立不動のままだ。スペアを出そうと思っていたわけではないが、もう少しいけたはずなのに、と美華子が心の中で考えた。
「曲がるわね〜。今までも、カーブボールで狙ってたの?」
 いつの間にか、またアリサが隣に戻ってきた。
「そうじゃないよ。なんか曲がるから、曲がらないように、そっと投げてた」
 そちらの方を向かず、美華子が答える。
「使ってるの、8ポンド?軽いと曲がりやすいのよ。重い玉でもいいかもね。後ね、手から離れるとき、若干位置が高いから、もうちょっと腰を落とした方がいいわよ?こう」
 ぐぅん、とアリサがボールを投げた。
 バッカーン!
 今度はストライクではなかったが、10本中7本のピンがアリサのボールの前に倒れていた。確かに、彼女は少し腰を低いところまで落としている。美華子の、上半身だけ曲げて投げる方法とは違い、美しいフォームに見えた。
「あれぇ、アリサさん。敵同士って言うと思ってたけど、教えたりもするんですかぁ?」
 意外だと言いたげに、真優美が美華子達の方に顔を向けた。
「確かに、さっきと態度が違うねー。見てる方としちゃ、不思議な感じだよ」
 ボールを持った修平が、苦笑いでアリサを見つめた。
「そりゃあ、全力の相手と戦わないと意味ないもん。私は、プライドを賭けた、燃える勝ち負けがしたいのであって、無意味な争いがしたいわけじゃなくってよ」
 2球目のボールを投げるアリサ。残りすべてのピンが、アリサのボールで倒れた、スペアだ。しゃなり、という音が聞こえてきそうなほど上品に、アリサがしなを作った。
「さあて、美華子ちゃんはどんなボールを投げてくれるのかなぁ?くふふふ」
 とても楽しそうに、アリサが笑った。美華子は、アリサの考えていることが、なんとなくだけど理解できた。彼女がしたいのは本気のケンカなのだ。一方的な攻撃ではない。ただ、その本気のケンカをした上で、竜馬を手に入れるために勝利もしたい「だけ」なのだろう。
『アリサってわがままだね』
 美華子は苦笑した。10本のピンが、遠くから美華子のことを見つめた。ボールを持ち、アプローチを始める美華子。その手から、ボールが放たれた。


前へ 次へ
Novelへ戻る