その日から、美華子のボウリング生活が始まった。学校から帰り、制服から私服に着替えた後、近くのボウリング場に行く。平均2ゲームをこなし、家に帰り、食事をした後に少しギターを弾く。その後、その日の戦果をブログに書く。気のせいか、ボウリングをするようになってから、ギターのセンスにキレが入ったような気もする。前までは全く興味のなかった作曲分野にまで手を出しはじめた。最初は、右腕が痛くなっていた美華子だったが、投げ方のコツがなんとなく掴めてからは、腕を痛めることもなくなった。
 誘われて初めてボウリングをした日には、初体験のボウリングについての記事を載せた。それに対して、訪問者の残したコメントは、様々だった。だが、共通して言えるのは、どの人もボウリングを何度かプレイしたことがあるということだった。
 この生活スタイルになってから既に1週間だ。今日の美華子のスコアアベレージは70。決して多いとは言えないが、これでも健闘した方ではあるだろう。ボウリング場の会員になった美華子は、安くボウリングをプレイしていたが、それでも金欠という問題が起き始めていた。
「うーん…」
 土曜日の夜。美華子がブラウザを閉じ、財布を取り出す。安いボウリング場ではあるのだが、もう既に金がない。今日も、金がないせいで、ボウリングに行くことが出来なかった。明日の昼食をどうするかも悩み所ではある。パンにするか、自分で弁当を作って持っていくか…どちらにせよ、遊ぶ金は作れそうにない。
『…明日、休みじゃん』
 明日は日曜、休みだ。昼食のことは気にしないでもよい。どうやら、時間感覚も少し狂ってきているらしい。先週見た南国の夢も、時間感覚の誤差を伝えているような内容だった。
 思えば、射撃の方は本式でやっているわけではないから金銭はかからないし、ギターだってただで手に入れたもので大して維持費はかからない。ここまで金を使う趣味を持ったのは、初めてだ。せっかく上手くなって来たのに、明日からは自制しなければならないのは、少々悔しい。
『…ま、しょうがない』
 美華子が何の気なしに手元の漫画雑誌を読み始める。最初、ボウリングという単語を聞いたときには、自分がここまではまるとは思ってすらいなかった。考えるに、どうやら自分は、狙うという行為に集中と興奮を覚えるようだ。
「…」
 何度か読んだ後の漫画雑誌は、すぐに読了してしまった。暇が美華子にのしかかる。前までは、こんな時にどう暇を潰していたのかを思い出せない。ギターを手に取るが、別に弾きたい曲があるわけでもなし、新しいフレーズが浮かんだわけでもなし、すぐにそれを置く。父も母もいないし、兄は家から離れたところに住んでいる。今、家には美華子が一人きりだった。
「…そうだ」
 こんな時間でも、暇をつぶせそうな相手がいることを、美華子は思いだした。携帯電話を取り、番号をアドレス帳から呼び出す。
『もしもし?』
 電話口から、竜馬の声が聞こえてくる。彼は、姉である清香と一緒にアパートを借りて生活しているため、比較的遅い時間でも起きていたりする。また、清香も奔放な性格をしているので、気兼ねすることなく夜に遊びに行ける。
「錦原。今から遊び行っていい?」
『え?いいけど…こんな時間にどうかした?』
「暇でさ。じゃ、行くから」
 ぴっ
 それ以上の会話もせず、美華子が電話を切る。美華子の親は、これもまたあまり感情を表に出さないため、夜に美華子が出かけても文句は言わない。この親を見て育っているからか、美華子もあまり感情を表に出さないように育ってしまった。だが、この親に育てられて、美華子は感謝していた。
 着替えて外に出る。竜馬の家まではすぐだ。東京の中でも、かなり田舎に入る場所に、美華子は住んでいる。この時間に外出して、何も起きない程度には、治安は良い。最近では、あまりよくない噂なども聞くが、それもあまり関係ないだろうと美華子は思っていた。
『そう言えば…』
 先週の夢を、美華子は思いだしていた。夢の中で、美華子は竜馬と結婚をしていた。何かやましい意図があるわけではないが、これから竜馬の家に行くということに、美華子は少しどきりとした。
「…ま、いいか」
 深く考えない。これが、美華子が今まで生きて来た中で、手に入れたテクニックだ。あまり深く考えると、上手く行くものも上手く行かなくなってしまう。例えここで、竜馬と恋仲になったとしても、ケンカをして険悪な雰囲気になったとしても、美華子にはあまり関心のないことではあった。
 そんなことを考えている間に、美華子は竜馬のアパートについた。2階の一番奥の部屋が、竜馬の部屋だ。
 ピンポーン
 チャイムを鳴らした美華子は、何か土産を持ってくるべきだったかと悩んだが、今は金欠だからそれは無理だったと結論づけた。この間、約1秒である。
「はーい」
 がちゃり
 出てきたのは、今まで寝ていたのではないかと言うほど、だらけきっている竜馬だった。コタツが出た室内で、テレビがついている。今日の夕食がシチューだったのか、シチューの匂いが漂っていた。
「入るよ」
「あ、うん」
 美華子が部屋に入り、後ろ手にドアを閉めて鍵をかける。
「悪い、急に来るなんて言うもんだから、部屋片づいてなくてさ」
 どうやら今まで、竜馬は片づけをしていたようだ。部屋の中が雑然としている。竜馬は男だからわかるとしても、清香もずぼらだというのが、美華子にはよくわからない。物は、必要ないときには、しまっておくか飾っておくか、どちらかにしないと、部屋の中は際限なく汚れていく。それがわかっていないわけでもないだろうが…
『…ま、いいや』
 深くは考えないことにして、美華子がコタツに足を入れた。
「今何してた?」
 テレビでやっている、バラエティ番組を見ながら、美華子は竜馬に問いかけた。
「え?特にすることもなく、だらだらと…どうかした?」
「ん、別に。邪魔したかなと今更思って」
「え…あ、ううん。邪魔じゃないよ」
 美華子の言葉に、竜馬が腕を組んで考え込んだ。
「なんか食う?シチューでいいならあるけど…」
「夕飯は食べてきたよ。もらうのも悪いし、いいよ」
「そう?ならばいいけど…」
 2人が黙り込む。恵理香は、ちらと竜馬を見た後、視線をテレビに戻した。竜馬はきっと、美華子の考えてることがよくわからないと、頭を悩ませていることだろう。そんなに難しい意図はない。ただ暇だった、それだけのことだ。
「気使わせてごめん。別に気にしないでいいよ。誰かのいるところにいたかっただけだし」
 竜馬が悩んでいる様を見るのも面白いが、だんだんと彼がそわそわしてきたのを感じた美華子は、軽いノリで物を言った。
「誰かのいるところって…親父さんとかお袋さんは?」
「出かけてる。今日は遅いんだって」
「ああ、うん、そっか…」
 あっけらかんとした態度の美華子に対して、竜馬がまた悩みこんだ。美華子は、心の中で反省した。どうやら自分は、軽く言ったはずの言葉でも、他人に心配をかけてしまうらしい。
「錦原が思ってるようなことじゃなくて、ほんと普通だし。そうだ。なんかゲームする?」
 気を使わなければいけないような気になった美華子は、棚に並べてあるゲームソフトを漁り始めた。知らないタイトルもあったが、大半は大勢で遊べるパーティーゲームだ。
「ううん、俺はいいよ。そういや、これ。こないだ買ったんだけど、やってみる?」
 竜馬が、出してあったゲームソフトのパッケージを見せた。
「あ、いいな。予約とか?」
「中古が出回ってもんだからさ。どう?」
 つい先週発売された、人気アクションゲームの続編だということに気づいた美華子が、目を光らせる。
「うん。じゃあ、やらせてもらおうかな」
 ゲームソフトを取り出し、竜馬がゲームハードに入れて起動させる。コントローラを渡された美華子は、説明書を開き、軽く操作方法を調べた後、ゲームを開始した。
『俺がこの街に来たのは…』
 オープニングムービーが始まった。ここ最近、ボウリングだけが娯楽のような生活をしていた美華子には、コントローラが懐かしく感じられる。ムービーが終わった後、美華子は小さく息を吐いて、ゲームを開始した。
「まず、右の方…うん、そっち。剣あるから取って、アイテムも。そこの扉から出ると戦闘開始ね」
 竜馬の誘導に従って、美華子がキャラクターを動かす。細身の色男系のキャラクターが、剣を装備し、グロテスクな姿をしたクリーチャーと対峙した。
「錦原さー、ボウリングってしたことある?」
 ボタンをリズミカルに押し、美華子が問う。
「え?うーん。やったことある、って程度かな」
「そっか。私、最近はまっててね」
「マジ?」
 美華子の言葉に、竜馬が笑いを返す。
「最近、集中が足りない気がしてたんだよね。でもさ、ボウリングに出会って、変わったね。集中して投げれば、いくらでも上手くなれる」
 ズガン!
 テレビ画面で、炎が燃え上がり、クリーチャーが真っ二つになった。
「真面目に楽しい。あれ、いいね。なんでもっと早く始めなかったんだろ」
 コントローラを持つ手に、ボウリングのボールの感触を思い出す美華子。あの、何ともいえない重さと言い、ボールがピンにぶつかる瞬間の快感と言い、美華子はすっかり虜になってしまっていた。
「今度行こうよ。俺、ボウリングってあんまやらないから、基本とかよくわからないんだ。教えてほしいね」
 竜馬が嬉しそうに笑う。いつも、竜馬は楽しそうに、自分の話を聞いてくれる。これが、美華子にとってとても嬉しい。
「ん。機会があれば、行こうか」
 画面から一瞬目を離して、美華子が竜馬の方を向いた。
「こう、投げるんだよね?」
 ボールを持つふりをした竜馬が、手をくいと曲げ、投げ真似をして見せる。
「うーん…腕を、まっすぐ前に出す。私はそうしてる」
「え、こう?」
 また竜馬が腕を振るが、やはり腕がしっかり伸びていない。まるで卓球でスマッシュでも打つかのように、腕が曲がっている。
「そうじゃなくて…」
 美華子はゲームをポーズして立ち上がった。竜馬の後ろに立ち、竜馬の腕をきゅっと持つ。
「わ…」
 竜馬が顔を赤くした。彼が何を考えているか、その気がなくても美華子にはわかる。だが、やましい意図がないのだから、どうあがいてもそんな展開にならないことを、竜馬は理解していないのだろうか。
「こう。この角度」
 ぎゅん
 人形ごっこをするときのように、竜馬の腕を後ろから振る美華子。美華子の腹が、竜馬の背中にぴったりと密着する。
「こ、この角度?」
「そ。こう投げれば、力入れない限り左右にはぶれないから」
「あ、ああ、うん」
 竜馬の体ががちがちになっているのがわかる。緊張のあまり、動けなくなっている様子だ。夢の中で、自分のハンドルネームを呼んでいた姿と、あまりにも違うその姿に、美華子はリアリティを強く感じた。
「アリサじゃないけど、私もこないだ、錦原と結婚する夢を見てね」
「ま、マジ?結婚って?」
「南国で結婚式した後、コテージでのんびりしてる夢だった。みんなもいてさ、ビリヤードとか麻雀とか、好き勝手やってんの」
 ぎゅう
 竜馬を両手で抱きしめる美華子。竜馬は最初、反発するそぶりを見せたが、すぐおとなしくなった。
「暖めあったときのこと、覚えてる?」
 美華子が、竜馬の耳に、そっと囁いた。
「忘れられないよ。すごく、生々しかったし…」
「…デリカシーのない言葉を使うね。もっとソフトな表現あるでしょ?」
「あ、ごめん…」
 くすくすと笑う美華子に、竜馬が申し訳なさそうに謝る。
 それは、数ヶ月前のこと。季節はずれの大雨の日。竜馬と美華子は、雨の中遠くへ出かけ、帰り道で川に落ちてしまった。折良く、コンクリートで出来た小さな建物を見つけた2人は、中に入って冷たい体で抱き合い、お互いに暖めあった。
「錦原。あんたってダメなやつだと思うよ。でも、悪くないとも思うんだ」
「そ、そうか?」
「ん。そうだよ」
 美華子がさらに強く竜馬を抱く。彼女は中学3年の時、ある男と付き合っていた。だが、その男は自分勝手な理由で別れを持ち出したあげく、美華子を殴って去っていった。男とはそんなものだ、と理解した美華子にとって、竜馬は今までの男の定義から外れる別の男だった。興味深いし、一緒にいるのも悪くない。きっと自分は、竜馬のことが好きなのだろう。
「もし私が錦原と…」
 がちゃり
 美華子が口を開いた、そのタイミングで、玄関のドアが開いた。竜馬と美華子が、玄関へと顔を向ける。
「りょぉまー。遊びに来たわよー。お菓子買って来たから…」
 聞こえてきたのは、アリサの声。アリサは靴をするりと脱ぎ、家に上がり込んだ。ばっ、と竜馬と美華子が離れたが、その時すでに遅く、美華子と竜馬がくっついていたところを、アリサに見られてしまっていた。
「…ねえ。気のせいかな。2人が、抱き合ってるように見えたんだけど」
 持っているビニール袋をコタツの上に置き、アリサが無表情に聞く。
「え、あ…気のせいじゃねえの?だって、ゲームしてたもんよ。お前、なんで来たんだよ?」
 竜馬が半ば慌てながらコタツに入った。
「美華子は遊びに来ても、私はだめなの?」
「そうじゃないが…突然だったから…」
 竜馬が目をそらす。間違いなく、アリサは怒っている。座ることもなく、立ったままじぃっと竜馬のことを見下ろしている。美華子はその表情から、怒りが見て取った。
「ん…錦原が、ボウリングのフォームを教えてほしいって言うから、ちょっと教えてただけ。別にやましいことはないよ」
 美華子は、面倒くさいことになる前に、誤解を解こうと物を言った。だが、それがいけなかった。
「ふぅん…ボウリングするんだ」
 アリサの目が、鋭く美華子を射止める。
「うん。最近、始めて…錦原、ボウリングをしたことないって言うから、少しでも教えられればって思って」
 その鋭い視線に、目を合わせていられなくなった美華子が、顔を背ける。
「私、結構やるのよね。竜馬、よかったら教えるわよ?」
 相も変わらず、冷たい視線で、アリサが竜馬の方に向き直った。座っている2人に立っている1人、かなりの威圧感だ。今の状況は、美華子の考える「面倒くさい状況」だった。それから逃れる術を、考え出すことが出来ない。
「い、いや、いいんだ。それなりに、美華子さんに聞いたから…」
「へぇ〜。美華子には教われても、私は嫌なのね?」
「そ、そうじゃない。いや、気を悪くしたらごめん、そういうつもりじゃなくて…」
 ぐっ!
 アリサが竜馬の首を掴んだ。
「じゃあどういうつもりなのよー!ここ数ヶ月、私がこんなに努力してるって言うのに、竜馬は相変わらず私を見てくれないじゃない!」
「えーい、やめんか!そんなんじゃないつってんのに、話ぐらい聞けよ!つーかお前、来るタイミングが悪いんだよ!チャイムくらい押せ!」
「開き直ってどうにかなるとでも思ってんの!?やましいことがある証拠じゃない!このバカ!」
 とうとう、アリサと竜馬の間で言い争いが始まった。美華子は、どうしようか一瞬迷ったが、関わり合いになることを面倒に思い、ゲームの続きを始めた。
「美華子。あんたも、知らない人の顔してるんじゃないわよ。そんな余裕綽々でさ」
 今度は、ターゲットを美華子に変えたアリサが、美華子の頬に鼻をぐぐいと押しつける。
「や、別に無視してたわけじゃ…」
 美華子が困り顔で返答する。
「そうだ…じゃあ、ボウリングで勝負しましょうよ。この際、どっちが上手いか、はっきりさせましょう。竜馬は関係なかったわね」
「始めたばっかだし、アリサの方が上手いと思うけど…」
「そういう問題じゃないのよ!これはプライドのぶつかり合いなのよー!」
 なんとかかわそうと、生ぬるい返事をする美華子に、またアリサが食いついた。
「でも、私お金ないし。ボウリングはしばらく出来ないから…」
「それぐらい出すわよ!逃がさないんだから!いい?明日よ!明日絶対だからね!逃げないでね!」
 それでもまだ、逃げようとする美華子の退路を、アリサが完璧に断った。もうどうすることもできない。こうなったら、明日ボウリングをするほかないだろう。1回分の金が浮いたと、美華子は心の中で考えたが、アリサの鬼気迫る表情を見ると、そう浮かれてもいられなかった。


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