それから30分。美華子は、レーンの前のブースに座っていた。ボウリング場に来たのは初めてだ。ボウリングにシューズがいることも初めて知ったし、こんなにがたがたと音が鳴ってうるさい競技だというのも初めて知った。驚いたのは、ボウリング場の中にある自動販売機で、通常よりかなり高い値段で販売を行っている。幸い、美華子はそれほど水分を取る方ではなかったので、特に問題はなかったが、この価格には少しだけ驚かされた。
「このメンバーで遊びに出るなんて初めてだね。アリサさんは来られないのだっけ?」
 靴を履き替えた祐太朗が、軽く屈伸運動をしている。
「ええ。なんでも、今日は新宿の方に出かける用事があるとかで…」
「ふぅむ。残念。まあ、次回またアリサさんとあう機会は来るだろうし、それまでに毛並みでも揃えておこうか」
 真優美が答え、祐太朗が少し考えた後、イスに座った。
「まずは…美華子さんからだね」
 修平が美華子の方に振り返る。美華子はと言うと、ボウリングのボールを両手で持ち、立ち上がったところだった。
「ん」
 すたすたと、美華子がレーンに向かって歩く。ボールが重い。ボウリングのボールはポンドで重さを表示してある。それがどれほどの重さかわからなかった美華子は、筋力のない自分のことを考え、数字の小さなボールを手にしていた。それでも、美華子にとっては、かなり重かった。
 向こうに立つ10本のピンが見える。これぐらいの距離ならば、美華子ならば銃があれば簡単に狙えてしまうだろう。ボウリングのボールもそれほど変わらないはずだと思った美華子は、腕を後ろに振り、ボールを握り直した。
「んっ!」
 がったん!
 ボールは手を離れた。そして、まっすぐにガーターに向かって転がり、ごとんと音を立てて落ちた。
「ああ…ガーター、ですね。次は上手く行きますよぉ」
 真優美が微妙な笑い方で美華子を慰める。今の、手に残った感覚が、美華子はどうも腑に落ちなかった。するりと投げられるはずが、なかなか指からボールが抜けず、結局ひどい投げ方になってしまった。
「あ、松葉さん、もう一度投げられるよ」
 気落ちして戻ってきた美華子を、祐太朗が押し返す。しばらく待って、戻ってきたボールを手に取った美華子が、もう一度レーンに向かう。
「ん…」
 2度目の美華子のターンがやってきた。前に踏み出し、そして…
 ぶぅん
「うあ!」
 びたぁん!
 またもやボールが手から離れない。美華子は転んで、顔をしたたかに打ち付けた。ボールは手から離れ、ころころと転がると、またガーターに落ちた。
「ああ〜…残念…」
 心底残念な様子で、真優美が耳を伏せた。彼女は人の楽しさや悲しさを共感できる少女だ。この態度に、美華子は少しむっとしたが、それがなぜだかわからなかった。
「次は…俺か。行くかな」
 次の投手、修平が立ち上がる。彼が持っているのは、美華子の物とは色の違うボールだ。大きく後ろに腕を振り、前に向かって勢いをつけると、修平はボールを手放した。
 ゴロロロロロロロ
「あ」
 バッカーン!
 美華子は口を半開きにして、レーンに見入った。修平の投げたボールは、一発で10本のピン全てを倒していた。
「うしっ!調子いい!」
 片手をぱんぱん叩き、修平が戻ってくる。修平はボウリングが上手いとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった美華子は、彼のことを心の中で見直した。
「次はあたし〜」
 にこにこと笑っている真優美が、ボールを重そうに持ち、ふらふらとレーンに向かう。左右のレーンの人の邪魔にならないよう、ゆっくりとアドレスした真優美は、投げるというよりは置くようにボールを投げた。
 ごとん
 真優美の手から離れたボールは、ころころとゆっくり転がり、レーンの中央を滑っていく。
 バッカーン!
「え…え〜?」
 スローなボールだった。なのに、真っ直ぐにヘッドピンにぶつかったボールは、立っていたピンをほぼ全てなぎ倒した。残ったのは、後ろ側のただ3本のピンだけだった。
「うーい!」
 真優美が嬉しそうに戻ってくる。
「次は祐太朗?」
 あまりにもオフサイドな競技で、改善の予定が立たない美華子が、いらつき気味に聞いた。
「1球目で倒せなかった場合は、もう1球あるんだよ。さっき投げたろ?2度目で全部倒すのをスペアって言うんだ」
 修平が解説を入れる。同時に、戻ってきたボールを取った真優美は、それをまた投げた。
 バッカーン!
 全てのピンは、真優美のボールの元にひれ伏した。もう立っているものは見あたらない。
「…」
 美華子は、だんだんと悔しくなってきた。美華子もアリサと同じく、負けず嫌いの気質を、少なからず持っている。だから、勝てれば嬉しいし、負ければ悔しい。今この場にいる中で、一番低い位置にいるのは、他でもない美華子だった。
 バッカーン!
 ピンの倒れる音で、美華子が現実に戻された。祐太朗が、スペア玉を投げたところらしい。残念ながら、全てを倒すことは出来なかったが、それでも上手いと言えるレベルだろう。美華子が目を膝に落とす。
「ちょっと、いいかい?」
 祐太朗が美華子を立ち上がらせて、ボールのラックまで連れていった。
「松葉さんの選んだボールはこれ。ちょっと持ってもらっていいかい?」
「ん」
 美華子が穴に指を入れてボールを持つ。祐太朗は、そのボールを下から持ち、ぐるりと回した。きゅっとはまった美華子の指が、一緒にぐにぐに回る。
「んー、そうだね。親指をはめて、くるりと回るくらいの穴がいいと思うよ。松葉さんは指が細い方だから、もう一回り大きくして、これくらいかな…」
 一回り大きな穴のボールを、祐太朗がピックアップする。美華子がそれに指をはめると、王子様のガラスの靴よろしく、美華子の指にぴったり合ったサイズのボールだった。
「ちょっと、投げてみようか。次は松葉さんの番だ」
 促された美華子が、ボールを持ってとことこと歩く。先ほどと同じように、ふいと投げた美華子は、その手ごたえが違うことに気が付いた。
 ごとん
 手を離れたそのボールが、ごろごろと音を立てて転がっていく。もしかしたら、上手く行くかも知れない。美華子は、だんだんと心の中がざわついてきたことに気が付いた。
 バッカーン!
「…あ」
 右後ろ側に当たったボールは、その部分のピンをなぎ倒し、奥へと消えた。スコア表の美華子の欄に、3という文字が表示される。
「さっきよりいい感じじゃんか」
 修平がぱちぱちと拍手をした。その拍手に、美華子は心がくすぐったくなった。美華子は返事をせず、戻ってきたボールを掴んだ。感覚を忘れてはいけない。美華子は、少し気を入れて、ボールをしっかりと握り直した。
 ごとん
 ボールが手を離れた。
「そう、真っ直ぐ、真っ直ぐ…」
 気付かないうちに、美華子はただボールを見つめていた。それはまさに、美華子が今欲しがっていた、集中だった。ただボールを転がしているだけのはずなのに、こんなに心が沸き立つ。
 バッカーン!
 ボールは、正面にぶち当たった。倒れたのは、合計6本。多いとは言えないが、1順目が2球ともガーターだった美華子にとって、これはとても嬉しかった。ふらふらと戻ってきた美華子は、イスに座り、ぼんやりと考えた。
『ボウリングって案外面白い…』


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